-【2-3】-か細く不健康そうな腕と首
ブワァと言う擬音が、正解か、不正解かはさておき。
リュンクの体感したその現象は、そういう類の擬音で表現されそうな感覚だった。
時間がゆっくりと過ぎる感覚。
これはあれだ、交通事故や高い所から落ちた時に起こると言う例の現象だろう。
脳みそが驚きすぎて訳の分からない潜在能力を引き出してしまうくらい
彼は恐れ慄いたのだと言う証拠だ。
でも、だからこそ、自分を驚かせたその存在を彼はある程度、正確に視認する事ができた。
そのまん丸い目玉の持ち主は、想像していた正体と一切が異なる。
目縁にさした色の濃い隈。
線の細い金色の長い髪。
透き通るように白い肌。
か細く不健康そうな腕と首。
そこに居たのは、民族衣装などに見られるシンプルな模様の描かれた
生地の薄い白いポンチョのような衣服を着た
見るからに薄命そうな美しい娘だった。
歳は、リュンクよりもいくつか上に見える。
娘は、瞬きもせずに一点、リュンクの両目を覗き込むように見つめているが
その瞳に感情はなく、彼からすればまるで氷の塊を見ているような感覚だ。
「ぁ…あの、ぇ…えへへ。こんにちは!!」
パニック状態のリュンクは、気持ち悪くニヤニヤと諛うように笑い
言葉が通じるかどうかも定かでない相手にも関わらず、割と大きな声で元気に挨拶をした。
「………………」
無視したのか、言葉が通じなかったのか
娘は微動だにせずに尚もリュンクの目を直向きに凝視している。
人間、誰しも美しい顔立ちの異性に見つめられれば高揚感のひとつも湧くものだが
正直、この見られ方は恐怖心以外、何も感じられない。
リュンクが、パニックと恐怖心で硬直していると
娘は小船の縁に両手を付き、勢いよく船上へ登り
顔が引きつるリュンクを尻目に、これでもかと言う程、距離を詰めてくる。
彼はゴキブリの様に這いずりながら後ずさりしたが、
遠慮なしに迫ってくるその娘に
とうとう反対側の縁にまで追いやられ逃げ場をなくし
ついには押し倒されたかの様な体勢にまで追い詰められる始末。
「ぃい!や…やめてぇ…!!」
男児にちょっかいを掛けられて泣きそうになる女児の様な、
情けのない言葉で抵抗するリュンク。
このザマで先ほど「悪神を討伐する」などとほざいていたとは無様の極みだ。
娘はリュンクの様子を哀れむでも嘲笑するでもなく、
スンスンと鼻先を鳴らして匂いを嗅ぎ始めた。
「な…なな何やってるんだよ…」
全く予想していなかった状況に、ただ困惑する。
ただ、分かることは、先ほど湧いてこなかった高揚感だが、
今は大いに湧いているという事。
この状況にリュンクの中の「男子」は好色を示した。
「尊主の香り!!」
「ぁぇぃ!」
ようやく口を開いた娘が、見た目と、病弱そうな雰囲気に似合わない大きな声で叫ぶので
リュンクは、再度、聞くに耐えない小さな悲鳴をあげてしまった。
「尊主は御存命なのか!!大事はないのか!?」
と、先ほどと同じく距離感の掴めていない大きな言葉で、一方的に話し始めた娘は
最初の印象と大きく異なり、様々な表情を見せている。
「聞いているのか!?教えるのだ!!お前は、あのお方の使命で現れたのではないのか!?」
娘がリュンクの両肩を鷲掴みにして大きく揺らす。
それは船体がギシギシと揺れるほどの力で
そのか細い腕から出力されているとは考えにくい程のパワーである。
リュンクは、されるがままに前後に揺られて「うーうー」と唸っていたが
娘の吐いた言葉を、ゆっくりと頭の中で咀嚼し
飲み込んだ瞬間、目が覚めた様に娘に向き直る。
「あのお方!?…今そう言ったの!?」
リュンクの中にあった高揚感が、大きく変質し、安心感に昇華していく
この娘は、あの女神の関係者なのだ!!
「ああ!そうとも!!確かに尋ねた!!お前は尊主からの使いなのだな?」
リュンクは「あの女神、人が悪い!もとい、神が悪い!!」と、心の中で悪態をつく
この娘が、女神の関係する人物を探していた口ぶりなのは、そう言う前準備をきちんと
整えていたことに他ならないからだ。
つまり、リュンクは「無責任に異世界に放り込まれた」と言う訳ではない。
こうして探しに来てくれる人間を用意していたのだ。
ならば、この娘の問いに対して、リュンクは胸を張ってこう言える。
「その通りだ!!僕は悪神を倒すためにこの世界にやってきた勇者だ!!」
娘は、隈の差した目を丸くなるまで見開き「おぉ〜」と小さく拍手をしている。
リュンクは少し照れた。




