第46話 坂本龍馬は後藤象二郎に勧誘される
岩崎弥太郎と妙な形で意気投合した翌日、坂本龍馬は城下の団子屋に呼び出された。向かいに座る男は、こちらへほとんど目もくれず団子を食べている。一本平らげては茶を飲み、また次の串へ手を伸ばす。用があるから呼んだのではないのか。
男の名は後藤象二郎。上士の家に生まれ、幼い頃に父を亡くした後、親類にあたる吉田東洋の引き立てを受けているという。龍馬も名前は聞いていたが、こうして向き合うのは初めてだった。
眠たげな目と気だるそうな物腰だけなら、仕事を抜け出して休んでいるようにしか見えない。だが、こちらをちらりと見る目には、妙に落ち着かないものがあった。油断はしない方がよさそうだ。龍馬がそんなことを考えていると、後藤はようやく茶碗を置いた。
「お前が坂本龍馬か。弥太郎を丸め込んだらしいの」
「丸め込んだ覚えはありません。むしろ、好き勝手言われた方ですき」
「それで下田屋へ連れていったがか。変わった志士じゃのう」
「商売を習うがは、悪いことでしょうか」
勤王党の者が商家へ通えば、すぐに怪しまれる。昨日も説明したはずなのに、今日は別の男に同じことを聞かれている。藩の役人同士で、もう少し話を通しておいてほしい。
後藤は気にした様子もなく、団子をもう一本取った。
「船を動かして攘夷をするそうじゃな。弥太郎が面白がっちょったぞ」
「面白がる前に、党へ入らんかと言うたら怒られました」
「あいつは吉田様に恩があるきの。そこで坂本、お前は吉田様に仕えんか」
「……はい?」
龍馬は後藤の顔を見た。吉田東洋は藩政の中心にあり、武市半平太ら土佐勤王党と対立を深めている。その男のもとで働けと言われたのである。弥太郎を誘った翌日に、自分が逆向きに誘われるとは思わなかった。
「冗談で言うちゅうがですか」
「わざわざ呼び出して冗談を言うほど暇じゃない」
十分暇そうに食べていたではないか。口に出すのはやめ、龍馬は茶を飲んだ。呼び出し自体が脅しなら困るが、後藤は返事を急がせず、そのまま話を続けた。
「土佐を強くするには、まず金が要る。吉田様は特産物を増やして外へ売り、交易を広げようとしちゅう。その先には、異国との直接交易もお考えじゃ」
「異国と、直接ですか」
「外国に侮られるがは弱いからじゃ。藩を富ませ、その金で船や武器を整える。土佐が強うなり、ほかにも力をつける藩が増えれば、日本も強うなる」
龍馬は黙って聞いた。腹立たしいことに、筋は通っている。商売で金を作り、船を動かし、その力を国の備えへ回す。最近、自分が下田屋へ通いながら考えていることと、思った以上に近かった。
違うのは、それを誰の手で進めるかということだろう。龍馬は仲間と何かできないかと考え、東洋は藩の仕事として動かそうとしている。敵側の話だからと、鼻で笑って済ませられないところが厄介だった。
「……というのが、吉田様のお考えじゃ」
後藤はそこで大きく欠伸をした。こちらが少し身を乗り出したところで、それである。話に引き込まれた自分だけが馬鹿みたいではないか。
「わしの説明はここまでじゃ。細かい商売の話なら弥太郎に聞け。あいつは、ああいう話を始めると長い」
「後藤様は、わしを誘いに来られたがでしょう」
「そうじゃ。じゃき、誘うちゅう。どうする?」
説明する気があるのかないのか、つかめない。だが、返事まで曖昧にするつもりはなかった。龍馬は茶碗を置き、姿勢を正した。
「ありがたいお話ですが、お断りします」
「そうじゃろうな」
「分かっちょったがですか」
「分からんき、聞いたがじゃ」
後藤は残念そうでも、腹を立てたようでもなかった。龍馬の方は、何となく落ち着かない。自分は勤王党の中でも顔が知られている。その自分を引き込めば、武市の側にも影響は出るだろう。才覚を買われたとしても、それだけの誘いとは思えなかった。
「しょせんは攘夷志士か。吉田様のお考えは分からんか」
「分からんとは申しておりません」
龍馬は思わず言い返した。あまりに簡単に片づけられると、黙っていられない。船と商売の話なら、こちらもただ聞き流していたわけではないのだ。
「強い日本を作りたいいうところは同じです。けんど、強い藩だけ作れば、それでえいがでしょうか」
「ほう」
「商売をする者も、荷を運ぶ者も、船を動かす者も、最後は人ですき。民が貧しいままで、藩の蔵だけ満たしても長続きせん。強い国を作るなら、民にも力をつけてもらわにゃいかんと思うちょります」
口にしながら、下田屋で見聞きしたことを思い返した。荷が動くまでには、番頭も船頭も職人も、それぞれ勘定し、知恵を絞っている。上から金を出せと言うだけで、船までひとりでに動くわけではない。
もっとも、では何から変えればよいのかと問われると、まだ答えには詰まる。吉田の仕組みを詳しく知っているわけでもない。思いつくまま言いすぎたかと気になったところで、後藤の目がわずかに細くなった。
「なるほどの。返事と一緒に、それも伝えちょく」
後藤は残りの団子を食べ、立ち上がった。少しは議論になるかと思ったが、どうやら本当に終わりらしい。
「わしは使いじゃき、ここで言い合う気はない。用も済んだし、帰る」
「……それだけですか」
「それだけじゃ。考えが変わったら知らせろ」
後藤はそのまま店を出ていった。龍馬は呆れながら背中を見送ったが、ただの怠け者とも思えなかった。こちらがむっとして話したことまで、あの男にとっては聞きたかった返事のうちだったのかもしれない。
それ以上に、東洋の考えが気にかかった。勤王党とは敵対していても、貿易を重んじ、海の向こうへ目を向けている。自分たちに反対する者だから、考えもすべて間違っているとは言えなかった。
龍馬は残った茶を飲み、席を立った。武市の相手は、思っていた以上に手ごわい。そのことを知った団子屋での一席だった。




