第17話 坂本龍馬は桂小五郎と試合する
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龍馬は桂小五郎を訪ねて、練兵館へやって来た。
いなかった。
せっかく他流の剣を見ようと足を運んだのに、肝心の本人がいない。
塾頭のくせに、どこへ行っちゅうがじゃ。
とはいえ、このまま帰るのも惜しい。そこで龍馬は、以前から桂と知り合いだということを最大限に利用することにした。
「わし、桂さんとは親しゅうしちゅうがじゃ。せっかく来たき、ここで稽古させてもろうてもえいか?」
かなり都合のいい理屈だったが、案外どうにかなった。
それから龍馬は何度か練兵館へ顔を出し、門人たちと竹刀を交えた。小千葉道場とは流儀も間合いも違う。これはこれで面白い。
何人かとはすぐに親しくなった。その一人が、渡辺昇だった。
門人たちから桂の近況も聞けた。黒船来航以来、桂は練兵館へほとんど姿を見せず、長州藩の仕事や志士たちとの会合に走り回っているらしい。
異国、海防、攘夷。
口を開けば、そんな話ばかりしているという。
龍馬としては、そんなことより剣を合わせたい。
まったく間の悪い男である。
ようやく桂と会えたのは、龍馬が四度目に練兵館を訪ねた時だった。
「龍馬、今日は桂さん来ちょるぞ」
「やっと来たか。ノボさん、ありがとのう」
すっかり親しくなった渡辺昇へ手を振り、龍馬はすぐに桂を探した。
いた。
ところが竹刀を握っていない。門人たちに囲まれ、異国だの幕府だの攘夷だのと、難しそうな話をしている。
また攘夷か。
この男、剣術道場へ何をしに来ているのだ。
「桂さん、久しぶりじゃのう。わしと一本、稽古してくれんか?」
「坂本さんですか。申し訳ありませんが、私は少し忙しいので勘弁してもらえませんか」
やはり断られた。
だが龍馬も、ただ四度も通ってきたわけではない。桂が何に弱いかは、すでに調査済みである。
「わしは剣の天才といわれる桂さんと、一度どうしても立ち合うてみたいがじゃ。確かに異国の侵略に備えることも大事じゃろう。けんど侍なら、まず己を鍛えんといかん」
龍馬は胸を張った。
「剣の道を極め、己を高める。それも攘夷につながる道じゃと思うぜよ。頼む、桂さん」
我ながら、なかなか立派なことを言った。
異国の脅威。侍の道。そして攘夷。
桂の好きそうな言葉を全部入れてみた。完璧である。
もっとも、攘夷について詳しく説明しろと言われたら困るのだが。
しばらく黙っていた桂が、とうとう小さく息を吐いた。
「そこまで言われるなら、一度だけですよ」
勝った。
交渉とは、相手の弱いところを突くものなのだ。たぶん。
防具をつけた桂が竹刀を構え、龍馬もその正面に立つ。何度も練兵館へ足を運んだ甲斐が、ようやく報われる時が来た。
江戸でも天才と呼ばれる男。その剣を、この目で見てやる。
そう思った。
実力が違いすぎて、何も分からなかった。
龍馬が踏み込もうとした瞬間には、もう桂の竹刀が来ている。面を狙えば、その前に止められる。胴へ変えようとすれば、その動きすら読まれていた。
龍馬の剣は、かすりもしない。
佐那の剣にも似ている。だが違う。
佐那は相手の剣を見て、体捌きと剣捌きでいなし、かわし、そこから打つ。
桂は違った。
龍馬が何かをしようとした時には、もう終わっている。こちらが技を出す前に、その芽を潰されてしまうのだ。
分からない。本当に分からない。天才すぎて、まるで参考にならない。
稽古が終わる頃には、龍馬の自信はきれいに粉砕されていた。
こんな人間がいるなら、凡人が剣を学ぶ意味などあるのだろうか。
そして困ったことに、だんだん腹まで立ってきた。
こいつは嫌いかもしれない。
「これだけの才がありながら、道場へあんまり顔を出さんとは、もったいないぜよ」
ほとんど八つ当たりだった。
「剣だけでは異国の脅威に対抗できません。攘夷を実行するためには、ほかにも学ばねばならないことがあります」
また攘夷。攘夷、攘夷、攘夷。
お前は攘夷村の住民か。
「坂本さんも、一度我々の会合へ来てみませんか。名のある学者先生方も参加されています」
「そりゃ面白そうじゃ。ぜひ頼むぜよ」
龍馬は即答した。
面白そう?
そんなわけがない。
龍馬は、自分が学問に強くないことをよく知っていた。子供の頃には塾へ通ったものの、ろくに続かなかった。
自慢ではない。
本当に自慢できない。
そんな男が、名のある学者や志士の集まりへ行けばどうなるか。
恥をかく。間違いなく恥をかく。
だが龍馬は、恥をかくことには慣れている。
問題は桂だ。
こんな男を連れてきた桂まで、きっと恥をかく。
龍馬の口元が、わずかに緩んだ。
どうだ。
赤っ恥の道連れ作戦である。
天才剣士への仕返しとしては、かなり情けない。だが今の龍馬には、これくらいしか思いつかなかった。
少しだけ気分を良くして、龍馬は練兵館を後にした。




