――島へ――
「で、どこに向かってるの?」
ユティーは船から身を乗り出して、先頭にいる掃除屋の男――レンブラントに話しかけた。ついさっき、互いに名乗り合ったのだ。「まさか、あなたたちの島じゃないでしょうね?」
「まさか。俺たちの島はここからじゃ遠すぎる。こんなゆっくりじゃ何日かかるか。商売でも割に合わないことはしないぜ。もちろん、ここから一番近い島だ。安心しな。ちゃあんと人間の住む島に送ってやるさ」
「だから、どこなのよ?」
「そうだな……。ここから一番近いのは『アンバサル』だな」
「……帝国の島じゃない……」
「正確には帝国支配域の島、さ。実質的には属領ってことになるんだろうがね。小さくても水が得られる貴重なオアシスだ。帝国が支配するのは当然じゃないか」
「……わたしは帝国側の人間じゃないのよ」
「じゃあ、連合国側か?」
ユティーは首を横に振る。エドも首を振った。「ぼくも」
「辺境の国ってやつか。ま、俺もどっち側じゃないから一緒だな。だが、俺はその島がどっち側だろうが気にしないぜ。商売できるなら、お国なんてものはどうでもよくなる。なぁ?」
レンブラントはエドに振り返った。エドは小さくうなずく。たしかに、商売人にとって国の違いは関係ない。商いさえできれば国境など不要なのだ。
「『アンバサル』って、どんなところですか?」
エドは自分の胸に手をあてて尋ねた。布越しにネックレスの石の感触がある。島に着けば、この感触と別れることになるのだ。
「さっきも言ったが、水が手に入る島さ。島の中心にでっかい泉が湧いていて、周囲を南方林に囲まれている。住民は石造りの家に住んでいて、みんな大人しい。帝国の防衛ラインの外にあるから、帝国軍のやつらが駐留することもない。ま、平和なところってことさ」
「そうですか……」
エドは少しほっとした。エドにしても、帝国や連合国と関わり合いになるのは避けたい。特に軍隊とは。しかも、そのふたつは今、戦争を始めているというのだから。
「ところで、戦争って、いつ始まったんです? どうして?」
「質問が多いな、兄ちゃんは」
レンブラントは顔をしかめる。エドは少しうつむいた。「すみません」
「ま、島の連中に根掘り葉掘り聞いてトラブルを起こされちゃかなわんからな。わかる範囲で教えてやるよ。
正直なところ、根本的な原因はわからない。どっちが先に仕掛けたのかも不明だが、半年前、ここから北方のサンドレイクで戦争が始まった。サンドレイクは中立地帯だが、どっちも軍を送りこんでいたらしい。そして、そこで鉢合わせして、戦闘になった。それが直接的な原因だ」
「サンドレイク?」
ユティーが首をかしげる。
「別名『竜の巣』。いろんな種類の竜が棲んでいるんだ」
エドが代わりに答えた。航海に出る前、地理やその土地の特徴などは勉強している。
「でも、どうしてそこへ?」
「たぶん、竜を『狩る』ためだろうよ」
レンブラントは簡単に答えた。ユティーの顔つきが変わる。「なんですって?」
「お嬢ちゃん。竜ってのは、単なる労働力じゃねぇぜ。たしかに地竜は牛よりも力が強い。砂竜は砂海を進むのに便利だ。しかし、家畜として使えるのはそういう下位クラスの種類だけだ。中位から上になると扱いが難しい。なにせ、戦闘能力はあっちのほうが上だからな。平気で逆らうし、抑えつけるのも難しい。そもそも『竜の巣』に人間が近寄らないのは、やつらと揉めないためだぜ」
「それなのに、やつらはそこへ軍隊を送った」
「竜を兵士替わりとして使えれば理想的。そうでなくても竜の爪やうろこ、牙は強力な武器に加工できる。うろこの鎧は最高級品だぜ。素材になる竜のランクが上がれば、性能のランクも上がる。やつらが危険を承知でサンドレイクを押さえたがるのは無理のない話だと思うがな」
「生け捕りにするか、殺して何かの材料にするってこと?」
ユティーの声は怒りに震えていた。「そう……。そういうことだったんだ……」
「ひょっとして、この竜を欲しがったのは、帝国や連合国相手に商売するためですか?」
エドは尋ねた。赤い竜はユティーの隣で、犬のようにちょこんと座っている。
「どう見ても地竜や砂竜じゃないからな」
レンブラントはうなずいた。「しかも人間に慣れているらしい。そいつが軍に入ったらけっこう脅威になると思うのさ。もし、扱いに困っても、いい素材になるなら相手に損はないってね」
「そんなことさせない!」
ユティーは大声をあげた。「あなたたち、頭が変じゃない? 竜を戦争の道具にしようだなんて!」
「今さら何だよ」
レンブラントは顔をしかめた。
「今回の戦争が始まるもっと前から、人間は竜を戦争に使ってたんだぜ。兵器の運搬に地竜、砂海を進軍するのに砂竜。もう何世代も前から竜の軍事利用は行われている。お嬢ちゃんの怒りは今さらって思うぜ」
「エド君も同じ考えなの?」
ユティーはエドに顔を向けた。エドはユティーの目を見て胸がドキッとした。彼女の青い眼は怒りだけでないもので震えている。エドはすぐに、それが深い哀しみからくるものだと気づいた。
「ぼくは……、良くないって思う……。戦争も良くないって思うけど……、でも、それも人間の一部だって思うから、完全に否定はできない。でも、人間の戦争に、違う種の生物を使うのはどうかって思う……」
「かーっ! おめでたい人間だね、あんたたちは!」
レンブラントは自分の髪をぐしゃぐしゃかき回した。
「いいかい。商売は特にそうだが、人間社会は競争社会なんだ。自分がいい目を見たけりゃ、相手を上回らなきゃいけない。出し抜かなきゃいけない。それが、相手を支配するかどうかの戦争になればなおさらだ。相手を上回りたければ、それなりのことをしなくちゃならねぇ。努力、頑張る。ただ、相手も努力するし、頑張る。だとすれば? どうすれば相手を上回れる? 人間を超えた力を手にできるなら、それに手を出すのは必然だろ?」
「だからって!」
ユティーの声は怒りでなく、悲痛の叫びになっていた。「それに手を出すべきじゃない!」
「理想論だよ、お嬢ちゃん」
レンブラントは静かな声で返した。
「もし、こちらがそんな理想で竜を武力化せず、逆に相手から竜をけしかけられたらどうする? 理想を守っているから、こっちは正しいって思いながら殺されるつもりか? 相手にいいようにされるつもりか? まぁ、相手にすれば、そういうおめでたいほうがありがたいだろうね」
レンブラントは残酷な笑みを浮かべた。「そのほうが安全にいたぶれる。皆殺しを楽しめる」
「力あるものが一方的に暴力を振るうのが当たり前って言いたいの?」
「そうだよ」
ユティーは口をつぐんだ。心なしか蒼ざめているように見える。
「生き物の世界は基本的に弱肉強食さ。弱いものが一方的に食べられる。いや、食べる側だって、それより強いやつに食べられるんだ。人間だって生き物だぜ。その原理原則からは逃れられない。ただ、ほかの生き物より『えげつない』だけだ」
「でも、人間はほかの生物より高い知性があります」
反論したのはエドだ。ユティーの表情を見て、黙っていられなくなったのだ。
「理想ではなく、理性で抑えられはしないのですか?」
「抑えるってのは、相手より上回りたい、相手を支配したいって欲のことか? だったら絶対無理だ」
「どうしてです?」
「欲は人間の根源そのものだからさ、エド。お前が言う『理性』ってのも、理知的でありたい、理性的でありたいって願う、人間の欲から生まれた概念だ。欲から生まれたものに、欲そのものを抑える力はねぇよ」
それは、たしかに真理と言えるものだった。衝撃を受けた感触とともに、エドは黙ってしまった。言い負かされた思いよりも、レンブラントのほうが冷静で論理的であることに打ちのめされたのだ。レンブラントが自分たちを「おめでたい」と言うのはもっともだ。
……でも……。
エドはレンブラントの意見に抗いたい気持ちが抑えがたかった。レンブラントの意見を認めることがたまらなく『嫌』であることはもちろんだが、なにより、自分のかたわらで力なくうなだれるユティーの味方になりたい気持ちが強かった。
「たしかに、今は、えげつない願望が理性という『欲』よりも強いのでしょう。ただ、どちらも欲から生じたものであるなら、理性という『欲』が強くなればいいのではないでしょうか?」
「ほう……」
レンブラントは反論されたことに気を悪くする様子を見せず、むしろ、ふてぶてしいともとれる笑みを浮かべた。「面白いことを言う。それもたしかに真理だが、簡単な話じゃないぜ。『あれが欲しい』『他人より上回りたい』って欲は、ほかの欲と結びついてどんどん大きくなる。『理性的でありたい』って欲は、ほかとくっつくことはそうないな。孤立してんだよ。政治の世界でも、少数派は多数派に負かされるだろ? 少数意見ってのは多数の意見に飲み込まれるものだ」
「もし、ぼくたちの考えが、そういう政治の論理で片づくのであれば、政治の力でどうにかできるかもしれませんよ」
「多数派工作ってか? ほんと面白いな、お前」
「やってみるのも面白いかもしれませんよ」
「できるもんならな」
レンブラントは議論を終わらせるように前を向いた。そして、はるか先を指さす。
「見えたぜ」
レンブラントが指さす方向に、ゆらゆらした蜃気楼をまとっているような黒い島影がひとつ、エドの目にも見えた。




