――朝の砂海――
エドは夢を見ていた。いや、失った記憶の断片だったかもしれない。
小さな箱を中年の男から受け取る――、いや、その人物はトムおじさんだ。自分を航海に連れて行ってくれる、母の兄にあたる伯父……。
次に現れたのは、船の甲板でほうきを手にした自分の姿だ。甲板にたまる砂を塵取りに入れ、それを船の外に捨てる。それを繰り返す。何回、その作業を繰り返したか。彼は急に身体が弾んで空へ舞い上がった。船は大きく壊れ、何枚もの板切れも一緒に舞い上がる。彼はその一枚が身体に当たり、目の前が暗くなっていった……。
そこでエドは起き上がった。身体には帆がかけられている。夜になれば寒くなるからとユティーがかけてくれたのだ。
『砂平線』に目を向けると、ちょうど朝を迎えたばかりのようだ。昇りきっていない陽が赤く輝いている。
エドは半分寝惚け眼でユティーの姿を探した。ユティーは赤い竜の腕のなかで静かに眠っていた。竜の腕が彼女の枕であり、掛布団のようだ。
エドは離れた場所からじっとユティーの寝顔を見つめていた。鮮烈な出逢いだった。昨日だけで何日も過ごしたような、濃密な時間だった。実際そうだと思う。昨日は、ユティーと死線を潜る体験をしたのだから。
ユティーの寝顔はあどけなく、まるで子どものようだった。年齢については聞いていないが、最初は同い年に、一緒に行動するようになってからは年上だと感じていた。しかし、こうして寝顔を見ていると、自分よりはるか年下のように感じてしまう。
エドはもっと近くでユティーの顔が見たくなって、少しずつ腰をずらしながらユティーのそばへ近寄った。彼女のかすかな寝息が聞こえるほど近づくと、ユティーの目がぱちっと開いた。青い眼はエドの顔をまっすぐ捉えている。
「おはよう」
ユティーはにこっと笑いかけた。エドは少し後ずさりながら、「お、おはよう」と返すのが精いっぱいだ。自分でも笑顔が引きつっているのがわかる。
「もう朝か……」
ユティーは、うーんと右腕を天に突き出しながら伸びをすると、かたわらの竜の顔に手をかけた。「アズちゃん、起きて。朝だよ」
竜は片目だけ開けてユティーを見ると、もの憂げながらも片腕を持ち上げた。ユティーはさっと立ち上がると、折れ曲がったマストに手をかけた。
「今日は大仕事になるかもね」
そう言うとエドに振り返る。「でも、まずは朝ごはんにしない?」
言われて、エドは昨日から何も食べていないことに気づいた。「そうだね。そうしよう」
エドは枕にしていた自分のリュックの口を開き始めた。ユティーはエドの背後からリュックをのぞきこむ。
「何をする気なの?」
「昨日から君には世話になりっぱなしだから、朝ごはんだけでもお礼したいと思って。リュックには非常食が入ってるんだ」
エドはリュックから茶色の包みを取り出してみせた。「乾燥パン。僕たちの故郷では非常食に使われる。日持ちがいいんだ」
「へえー」
ユティーは興味深そうに包みに顔を近づける。「ほんとだ。小麦の匂いがする」
エドは包みに自分の鼻を近づけたが匂いを感じることはできなかった。思わず苦笑が漏れる。「君は鼻もいいんだ」
「ありがとう。そのパンはいただくね」
ユティーは身体を離すと、どんどん高く昇る陽に顔を向けた。「でも、もう少し贅沢してみない?」
エドはきょとんとする。「贅沢?」
「タンパク質も欲しいでしょってこと!」
ユティーはそう言うや空へ躍り上がった。いつの間にか手にしていた『風箏』を広げ、高く空へ舞い上がる。それを見て、ユティーと初めて出会ったとき、彼女が「風を読んで空を舞い上がることができる」と言っていたことを思い出した。
「本当に……」
エドは放心したようにつぶやく。「空を飛べるんだ……」
ユティーは陽に向かって滑空を始めた。砂海の表面すれすれのところを滑るように飛んでいく。どこまで行くのだろうと思っていたら、すぐに向きを変えて戻ってきた。
船に戻ったユティーは手ぶらでなかった。彼女は自分のシャツを胸のあたりからぐいと持ち上げると、お腹あたりからボトボトと何かが落ちてきた。見ると、赤い甲羅のカニが船底で弱々しく蠢いている。
「砂ガニよ」
ユティーが説明した。
「砂海は夜の間、砂が土のように固くなる。それを嫌って、砂ガニが表面に逃げ出すんだ。陽が昇って砂が元の状態になると、彼らはまた砂に潜っちゃうんだけど。でも、朝のまだ、砂が固い間は漁ができる。空を飛びながら、上からカニを拾うだけなんだけどね」
ユティーは砂ガニを1匹持ち上げてみせた。甲羅の大きさがユティーの顔ほどもある、立派なカニだ。
「砂ガニって、こんなに簡単に捕まえられるの?」
エドはほかのカニを持ち上げながら尋ねた。カーマーゼンでも砂ガニの料理はある。しかし、めったに手に入らないので高級食材なのだ。
「朝、砂海のど真ん中限定」ユティーは笑った。「陸の近くじゃ難しいでしょうね」
「それを聞いて安心した。ぼくの常識はまだ通じるみたいだ」
「君の常識?」ユティーは首をかしげる。
「この大砂海に出てからずっと、ぼくの常識は壊されまくりだよ。訳のわからない目に遭って砂海に放り出されたり、見たことのない竜に顔を舐められたり……」
エドはそう言いながら竜に目をやる。竜は長い舌で舌なめずりをしている。エドを見ながら。
「え、ええっと、この竜のごはんもこのカニなのかい? 2、3匹程度じゃ、竜のお腹は膨れないと思うけど……」
言外に、自分は竜のエサじゃないよね? と念を押す気持ちを込めている。
エドの気持ちがわかったのか、ユティーは朗らかに笑いながら、「だから大丈夫だって。アズちゃんはとっても小食なの。この2、3匹のカニで充分なんだよ」
そう言いながら手にしているカニを竜に手渡す。竜は、両手(?)でカニを受け取ると、口を開いた。そこから赤い炎が噴き出してくる。エドは目を丸くした。「炎竜だったの?」
竜は、じゅうじゅう音を立てながらカニを焼くと、それをユティーに差し出した。手のなかにはほどよく焼目のついた砂ガニがふたつ。
「はい。キミにはこれ」
ユティーはどこからか木皿を取り出すと、焼けた砂ガニのひとつを載せた。香ばしい匂いを立ち昇らせる皿をエドに渡す。
「あ、ありがと」
エドは礼を言って受け取ったが、そのままの姿勢で竜を見つめた。竜は焼かなかったカニ数匹を一度につまみあげ、無造作に自分の口に放り込んでいた。ばりばり音をさせて食べている。
……自分は生でいいんだ。
エドは自分でも妙だと思いながら、そんな感想をもった。
「どうしたの? 遠慮しないで」
ユティーが首をかしげるようにしてエドを見ている。エドは苦笑を浮かべた。
「せっかく船から非常食を持ち出したのに、何か恥ずかしいよ」
けっきょく、自分は役立たずだと思えてきたのだ。あのときは、せめて少しでも役に立とうと思って行動したのに……。
「え? そんなこと気にするの? 乾燥パン、感謝してる。これがあるから、わたしたち、人間らしい食事ができるんだから」
「そうかな?」
「そうだよ」
エドの表情に笑顔が灯る。「なら良かった」
食事を終えると、エドはユティーの表情が曇っていることに気づいた。ユティーはマストの折れた部分を撫でているところだ。
「厳しい?」エドはそれだけ尋ねた。ユティーは同じ表情のままうなずく。
「補助竿は簡単な補修でだましだまし使えそうだけど、マストのほうはごまかしが効かない。帆の重みに耐えられそうにないの」
マストは大量の風を受けた帆を支えるものだ。マストが耐えなければならないのは帆の重みだけではない。エドにも状況の厳しさが伝わった。
「このままじゃ航行できないってことだね」
「アズちゃんの力で船の向きは調整できるから、砂流に乗って進むことはできる。どこに向かうかが問題だけど」
それは解決的な話とは思えない。しかし、エドに悲愴感は湧いてこなかった。心のどこかで、ユティーと一緒であれば、こんな漂流生活も悪くないと思い始めていたのだ。
「まぁ、焦っても仕方ない。解決法はじっくり考えようよ。ちなみに今乗っている砂流がどこに向かうかはわかるの?」
ユティーは首を振った。「このあたりは流れが複雑なの」
――グルルルッ!
竜の唸り声に、エドの背筋が伸びた。聞き覚えのある唸り声。たしか、あのときは……。
「ま、またサンドワーム?」
エドは中腰になったが、ユティーの反応は冷静だった。「違うよ」
「え?」エドは中腰のままユティーに聞き返す。
「あいつらよ」
ユティーはエドの背後を指さした。
エドが振り返ると、遠くからいくつかの黒い点がこちらに向かっているのが見えた。それらはときおり陽の光を反射して光っている。
「ああ……」
エドにもそれらが何であるかわかった。
「掃除屋さんたちか……」




