――大砂波――
砂海の砂の特徴は、砂丘を造らないことだ。どんなに山積みしても崩れ出して水のように平らになってしまう。砂海全体が平らかである理由でもある。
その砂海の表面が丘のように盛り上がり、それがぐんぐんこちらへ迫っている。その下をサンドワームと呼ばれる、巨大な虫が進んでいるのだ。全長が何メートルになるのか誰も知らない。サンドワームがその全身を現すのは獲物を襲うときだけで、そして、その全身を見た者は誰ひとり生き残っていないからだ。
さらに、その巨体は大量の砂も押し流す。それはまるで津波のように周囲のものを押し流してしまうのだ。人間が造るもっとも大きな船でさえ、その勢いに逆らえず難破してしまう。『掃除屋』の男たちが震えるのは当然だと言えた。彼らの乗る船虫など、とても耐えられるものではない。
ユティーは船底のブレーキを左脚で蹴り外すと、帆を思いきり広げた。船はすぐに走り出す。
「ごめんね。もしかしたら、まだ大切なものが残ってるかもしれないけど、ここはこらえて」
ユティーは忙しく帆を操りながら、かたわらのエドに声をかけた。エドは船の勢いに耐えようと頭を低くしていたが、「気にしないで」とだけ返した。
「アズちゃん、後ろを見張って! サンドワームがこちらに向きを変えるかもしれないから!」
赤い竜は「ゴルルル……」と唸り声をあげる。ユティーに言われるまでもなく、竜はずっと背後に目をやっていた。「わかっている」と返したのかもしれない。
ユティーの船はときどき小さく弾みながら、ぐんぐんスピードをあげていった。背後を振り返ったユティーは眉をひそめた。「もうあんなところまで……」
砂の『丘』はエドの船のすぐそばまで迫っていた。次の瞬間に船は『丘』に飲み込まれ、姿が見えなくなった。
『丘』はそのまま進んでいくが、巨大な波がユティーの船に迫っていた。そのスピードはまるで風の波のようで、ユティーの船にたちまち追いついてしまった。
「エド君! 床に伏せて!」
ユティーはエドに飛びつくと、そのままエドを押し倒した。ふたりは床に転がる。エドは目の前に火花が散り、口のなかに血の味を感じた。竜は両前肢を伸ばすと、ふたりを上から覆う。波はその瞬間に船を襲った。
「ドンッ!」という音とともに、下から突き上げられるような衝撃がエドの全身を貫いた。めきめきと船が折れそうな音が響き渡り、大量の砂が全身を覆う。エドはとっさにユティーの頭を抱えて自分の胸元に引き寄せた。
どのぐらいの時間が経ったのか、ふたりにはわからなかった。気がつけば、砂海はいつものような凪の状態に戻り、船も静かに漂っているだけだった。
「助かった……のかな?」
エドはずっと抱きしめていたユティーを放し、身体を起こしながらつぶやいた。そのかたわらでユティーも身体を起こす。彼女は無言だった。
陽はだいぶ傾いて赤くなっている。時刻は夕暮れのようだ。
「ユティー。君は大丈夫かい? ケガしてない?」
エドは口のあたりを撫でながら尋ねた。口のなかを少し切ったようだが、その出血はすでに止まったようだ。自分の状態がわかると、エドはユティーのことが気にかかった。
「大丈夫よ」ユティーはエドに顔を背けたまま答える。その様子にエドは違和感を覚えた。
「大丈夫って言うけど、どうしてこっちを向いて言ってくれないの?」
「いいから。大丈夫って言ってるじゃない」
ユティーはなおも顔を背けたままだ。エドは身体を伸ばしてユティーの顔をのぞきこんだ。
「顔が赤いみたいだ」エドが言うと、ユティーはさっと顔を違う方向にそらす。
「どうしたの? 本当に大丈夫なの?」
「本当に大丈夫!」ユティーはエドに背を向けたまま立ち上がると、船首に向かって歩き出した。
エドがぽかんとして見送っていると、背後から「フンッ!」と大きな鼻息が聞こえた。振り返ると赤い竜がエドを見下ろしている。
「どうしたの? 君も何か変だよ」
エドの質問に、竜は顔を背けて、ふたたび「フンッ!」と鼻息を鳴らすことで答えた。勘のいい者であれば、「こいつ、わかってないな!」という鼻息だとわかったかもしれない。
ユティーは船首であちこち検めているようだったが、やがて首を振りながら立ち上がった。
「いろいろやられたみたい。このままじゃ、まともに進めないね」
エドに振り返ったユティーの顔はすでに赤くなかった。
「壊れちゃったの?」
「竜骨は折れてないから、まだ大丈夫だと思う。でも、マストや補助竿が折れている。沈まないけど、操縦できないんだ」
「このまま、遭難しちゃうってこと?」
「何もできないままなら、そうなるね」
エドは首をかしげた。「あまり、困ってないみたいだね」
「困ってるよ。でも、慌てたって仕方ないじゃない」
ユティーは竜のそばへ歩み寄った。
「でも、わたしにはアズちゃんがいるから大丈夫。何とかしてみせるわ」
竜は目を閉じると、ユティーの額に鼻先をつけて「グルルル」と甘えるような声を出した。一方、エドは不満げな表情だ。「ぼくは?」
「キミとは今日会ったばかりじゃない。そんなに期待をかけられるわけないでしょ?」
言われてみればそうだった。エドは急に恥ずかしくなってうつむいた。「ごめん……。君の言うとおりだ……」
「でも、さっき、わたしをかばってくれてたの、あれ、少しカッコよかったよ」
ユティーはそう言うと、ふたたび顔を背けて船首に向かってしまった。エドは置いてけぼり感丸出しの『ぽかん』とした表情だ。「どういうこと?」
エドはその顔をそのまま竜にも向ける。「どういうこと?」
竜は「フーンッ!」と勢いよく鼻息をエドの顔に吹きつけた。




