――掃除屋――
「誰も乗ってないね。みんな逃げたのかも」
ユティーは斜めになった甲板の上でつぶやいた。マストに片手をかけ、義足の右脚を甲板のへこみに差し込むようにして立っている。
「アンセルムさん! ノロンさん! フェンディーさん!」
エドは滑り落ちそうな甲板に苦労しながら這うように進んでいた。
「トムおじさん!」
エドの声に返ってくるものはない。エドは絶望感に打ちのめされてうつむいた。「みんな……」
「キミの船で間違いないのよね?」
ユティーはエドに背中に問いかけた。もし、勘違いであれば、まだほかの希望がある、という気持ちを込めて。
「船首の像が、おじさんの商会のものだった。ぼくたち商人は王家の紋章のように、船首の像でどこの商会かわかるんだ」
「そう……」
……エド君の船は、何かのトラブルに遭って難破したんだ。エド君はそのとき船外に放り出された……。
ユティーはそう考えると、かたわらに停留している自分の船に向いた。そこには赤い竜がちょこんと座ってユティーを見つめている。
「アズちゃん。何かあったら報せて。わたし、船内を見てみる」
竜はグルルルと声をあげた。
「わかってる。沈む前に出るから」
ユティーはマストから手を離すと、ひと跳びで船室の扉に取りついた。自分を跳び越されてエドは目を丸くする。
「すごい……」
身体の動きが凄すぎて、彼女の脚の状態を忘れてしまいそうだ。
「いけない」
エドは頭を振ると、急いでユティーの後を追う。
ユティーは開いた扉からすばやく身をくぐらせて船室に入った。なかは明かりが点いていないものの、破壊で生じた隙間から射し込む陽の光で薄暗い程度だ。
船室内はあらゆるものがひっくり返った状態だった。小さなテーブルに椅子、おそらくそれに載っていた皿やコップ、海図らしいものも床に散らばっていた。皿やコップは粉々に砕けていて、かなりの衝撃を受けたことを感じさせた。
……血の跡も匂いもない。ここでは誰もケガしてないみたい。
ユティーは床を検めながら考えた。
……かじりかけのパンがカチコチになって転がってる。こんな状態になって1日以上は経っているってことだよね。
ユティーは立ちあがった。
……ここもだいぶ砂が入り込んでいる。『浮力の加護』は強いみたいだけど、ここまで砂が入り込んだらもたない。
「この船が沈むのは時間の問題ね」
ユティーが振り返ると、ようやくエドが船室に降りて来たところだった。
「だ、誰か見つかった?」
ユティーは無言で首を振った。
「そ、そう……」
エドは視線をそらしたが、その声の響きには安堵が滲んでいる。
……希望があると思ってるんだ。遺体がないから……。
ユティーはエドの心情をそう推し量った。
「もう出よっか。ここにいても何もわからないし」
ユティーはエドのかたわらを抜け、船室から出ようとする。エドは困惑したように「ぼく、今来たばっかなんだけど……」
「でも、早く出ないと沈むよ、これ」
ユティーは壁を軽くコンコンと叩いた。叩いた場所から木片がこぼれ落ち、船室の底に溜まっている砂に飲み込まれていった。
木片が消えていった船底を見つめながら、エドは真っ青になって口をつぐんだ。無言になったエドに、ユティーは小声で話しかける。「ね?」
エドは力なくユティーに従おうとしたが、急に動きを止めた。
「いや、あれだけでも!」
くるりと向きを変えると、船室の奥へ飛び降りる。
「エド君?」
「大丈夫。自分のリュックだけだから!」
エドは振り返らずに大声で返した。いろいろなものが乱雑に積み重なったところから、砂をかき分けながら何か探している。
「あった!」
エドは茶色い革製のリュックを拾い上げると、すばやくそれを背負った。
エドが振り返ると同時にきしんだ音が船内に響き渡り、船がさらに傾いた。ほとんど横倒しになるほどだ。
「エド君、早く!」
ユティーは扉口に手をかけて、もう一方の手をエドに伸ばした。エドは転びそうになるのを踏みとどまると、急いでユティーのもとへ駆け出した。小さな手を思いきり伸ばしてユティーの手をつかむ。ユティーはエドを力いっぱい自分のところへ引き上げると、船室の外へ出た。
ふたりは苦労しながら、どうにか船体の真横まで這いあがることができた。ふたりともそこで腰を下ろした姿勢で荒い息を吐く。
「もう、危ないことするんだから!」
「ごめん。でも、これだけは無くしたくなかったんだ」
エドはユティーに背中を見せた。ユティーは呆れた表情でリュックを見る。
「そんなに大事なものが入ってるの?」
エドは、はにかんだような笑みを浮かべた。「ま、まぁ……ね……」
ユティーはくるりと向きを変えながら立ち上がった。「アズちゃんが呼んでる」
「え?」
エドは耳をすませてみた。かすかだが、あの竜らしい「グルル」という声が聞こえる。
「……君、耳がいいんだね」
「目もいいよ」
ユティーはそう言うと、船尾に向かって駆けだした。思いきり飛び上がり、自分の船に舞い降りる。
「足腰もね」
エドは小声でつぶやきながら立ち上がった。
ユティーは竜のかたわらに駆け寄った。
「何があったの?」
竜はずっと一点を見つめたまま「グルルル」と唸り声で返した。
「……そう。あいつらが来るのね」
ユティーは船尾の舵にぶら下がって、こちらに乗り移ろうとしているエドの背中に声をかけた。
「早く船に戻って。あいつらが来る」
どすんと落ちるように船に降りたエドは、顔をしかめながら振り返った。「あいつら?」
「砂海の掃除屋よ。あなたにとって、行儀のいい連中じゃない」
「掃除屋……って、まさか……」エドの顔は蒼ざめた。
「来たっ!」
ユティーが叫ぶと同時に、目の前から『どうっ』と音を立てて何かが飛び出した。
「ヒーハー!」
見ると、何か流線形のような姿をしたものに人間がまたがっている。砂海を潜ってきたようで、丸い砂中メガネしていた。口や鼻に砂が入らないよう、マスクもしていたが、砂から上がった瞬間にマスクを外して叫んだようだ。
叫んでいたのは若い男のようだった。男に続いて、次々と同じような姿の男たちが砂海から姿を現した。
「あいつらが乗っているのは『船虫』よ」
ユティーは冷ややかな表情でつぶやいた。エドに教えるというより、ひとり言のようだ。流線形に見えたものは平べったい形状の虫だった。男たちは虫の頭部から綱を張り、自分の腰の後ろに回していた。砂中での移動の際、虫からずり落ちないための工夫だと思われる。
最初に現れた男は、砂中メガネを額に押し上げると、ユティーたちに笑顔を見せた。ユティーと同じ栗色の髪と青い瞳をしている。
「おう、先客がいたか。あれは、お前さんたちの船かい?」
男は腰からナイフを取り出して、その先端を横倒しになった船に向けた。
「……ぼくの商会の船です」
エドは顔を強張らせたまま答えた。若い男はエドを興味深そうな顔で見つめる。
「ほう、お前さんの。気の毒だが、その船はもうすぐ沈むぜ。どんなに強い加護を受けたとしても、横倒しになったらおしまいだ。元の向きに起こそうにも、こんな何もない砂海じゃ無理だぜ」
「……ですよね……」
「さぁて、そこで、こっからが商売の話だ。俺たちは船を助けることはできないが、ある程度なら積み荷を運び出してやることはできる。少々沈んでしまっても、軽いものや小さいものなら『引揚』も可能だ。このままだと全部を失うことになる。手数料はいただくが無くなるよりいいとは思わないか?」
「手数料はいくらになるんですか? もっとも、ぼくに持ち合わせはないんですけど」
「その心配はご無用だ。こういうときに持ち合わせのない客は普通だからな。手数料は回収した積み荷の半分がこちらの取り分だ。ここから近くの港に行きたいのなら、一緒に連れている虫を譲ってやる。虫代は残りの半分、つまり全体の四分の一だな。水と食料が欲しけりゃ、それも売ってやるぜ。これも四分の一。これであんたは無事、港まで引き返せるってわけだ」
「虫と水、それに食料も合わせたら積み荷の全部を渡すことになるじゃないか」
エドの抗議の声を聞くと、周囲の男たちから笑い声が起きた。
「あなたたちが船を襲ったんじゃないの? この積み荷目当てで」
ユティーが冷たい声を投げつけると、若い男からも笑い声が起きた。
「ハハハ! 何言ってるんだ。俺たちだって『流儀』ってもんがある。わざわざ船を沈めてまで商売はやらねぇよ。そんな手間をかけなくたって、こうして『顧客』に出会えるわけだからな!」
「そうかしら?」
「おいおい、あんたも強情だな。昔なら知らねぇが、今は間違いねぇよ。なにせ、帝国と連合国との間で戦争が始まったからな。沈没船には事欠かないってこと」
「戦争?」ユティーの表情が険しくなった。「どことどこって?」
「本当に知らないのか? シュメール帝国とカドワラドル連合国。東西の大国がついにぶつかった、ってことさ。それより、こんな社会勉強の話ばっかしてていいのか? こうしてるうちにも船は沈んでるんだぜ」
「話に応じなかったらどうするんですか?」
エドは平静を取り戻したように尋ねた。顔つきも冷静な様子だ。
「沈むのを待つだけさ。お前さんも商人のはしくれなら知ってるだろ? この砂海で船が沈んだら、持ち主はその所有権を失う。そして、その船を引き揚げた者が新たな所有者となる。引揚にはコストがかかるからな。もとの所有者にしろ、わざわざ引揚する者にしろ、互いに長所のある法律ってわけだ。しかも、これは国際法ときてる」
「で、わざわざ沈むのを見届けるわけ? ご苦労なこと」
ユティーが呆れた声をあげると、若い男はふたたび笑い声をあげた。
「わかったか? 俺たちは法を守る、礼儀正しい者たちなのさ」
――グルルルッ!
お腹に響きそうなほどの声が彼らの間に割って入った。エドが横を向くと、赤い竜が砂海のはてを睨みながら唸り声をあげている。これまで聞いたことがないほど大きい唸り声だ。
「アズちゃん、何か来るの?」
我に返ったようにユティーは竜に尋ねた。怒りを含んだ険しい表情が消え、今度は緊張した面持ちだ。
「何だぁ?」若い男は困惑したように背後を、つまり、竜が見つめている方向を振り返った。
「兄貴、何か砂海が盛り上がってるように見えるぜ」
取り巻きのひとりが、双眼鏡らしいものをのぞきながら言った。若い男は顔をしかめながら砂中メガネをかけた。どうやら、それも多少は遠くを見るのに役立つらしい。
若い男はしばらく『砂平線』の先を見つめていたが、急に虫の上から立ち上がった。
「くそっ! なんてことだ。サンドワームが向かってやがる! かなりでかい!」
それを聞いて、周りからどよめく声があがる。「サンドワーム?」「兄貴、たしかですか?」
「間違いねぇ! まっすぐこっちに向かってる。このままじゃ、やつに飲み込まれる!」
「いや、兄貴。飲み込まれなくっても大砂波に巻き込まれるほうが……」
別の取り巻きが怯えたように言う。
「その通りだ。おい、全員ここから離脱だ。全速力で!」
若い男は船虫の背中にまたがり直した。マスクを口に当てながらユティーたちに顔を向ける。
「聞いての通りだ。俺たちはここからずらかる。その船でどうにかなるかわからんが、お前たちも早く逃げろ。積み荷は諦めるんだ」
言うだけ言うと、若い男は船虫の側頭部をコンコンとたたいた。船虫はよく調教されているらしく、すぐに進みだす。かなりの速さで、あっという間に小さくなった。周りの者たちも同様にここから去っていく。
「サンドワーム? どうして、こうもとんでもないことが次々と……」
エドが声を震わせていると、片腕をぐいと引っ張られて無理やり腰を下ろされた。ユティーがエドを座らせたのだ。
「聞いたでしょ? わたしたちもここから離れる。しっかりつかまって!」
ユティーは帆を張りながら大声をあげた。




