――沈みかけの船――
「ぼくは、サンドリウムから砂海に出たんだ。カーマーゼン出身」
エドは、ユティーに説明をはじめた。ユティーはふたたび船首に戻り、帆を操っている。
「小さな交易船さ。ぼくは見習いとして乗り込んだんだ。商人見習いだよ」
「商人目指してるんだ」
「平民がいい暮らしを得るには商売で身を立てることだよ。それが、一番可能性が高いんだ」
「サンドリウムってどんなところなの?」
「平民の町さ。カーマーゼンのなかでもすっごく小さい港町。裕福なひとなんてほとんどいないんだ」
「キミは裕福なひとになりたくて船に乗ったんだ」
「否定はしないけど、それだけじゃないよ。ぼくは商売しながら世界を回ってみたいんだ」
「世界?」
「オドッセイア大陸だけじゃないよ。その外にもある世界。知っているかい? 実は、この大陸には果てがあって、その周囲は『海』という広大な塩水に囲まれてるんだよ!」
エドは両手をうーんと広げながら言った。ユティーは笑顔を返す。「そうなんだ」
「信じてないだろ。ぼくたちが目にしているのはこの砂海ぐらいだからね。これが塩水になっているなんて、ぼくも正直、その光景が想像できない。でも、だからこそ見てみたいよね? しかもだよ、その海のはてには、さらに別の大陸が存在するんだって。オドッセイア大陸だけでもこーんなに広いのに、ぼくたちが知っている世界はまだまだ狭いんだ。それってすごいことだと思わない?」
「そうだね。わたし、知らないことだらけだから、キミの話は面白いって思うよ」
「ところで……、君は商人なの? ひとりで旅をしてるのかい?」
エドはふたたびあたりを見渡した。そして、赤い竜と目が合うと、びくっと身体を震わせて正面を向く。
「ひとりじゃないよ」ユティーは正面を向いたまま答えた。「アズちゃんと一緒」
「アズちゃんって、後ろの赤い竜のことだよね?」
エドは背後を気にしながら尋ねた。
「あれ、何竜なの? 全身が赤いから炎竜かと思ったけど、炎竜に翼なんてないし……」
「竜の種類には詳しいの?」
「一般的な知識だけだよ。故郷のサンドリウムでは陸路の交易で地竜、砂海からの交易で砂竜を見るぐらいで、ほかの竜は見たことがないんだ。地竜も砂竜も荷物の運搬に使われてるからね」
「そうか。わたしも同じ。わたし、アズちゃんが何竜か知らない」
「ええ?」
エドは驚いて立ちあがりかけた。
「でも、大丈夫」
ユティーは振り返りもせずに胸を張る。「アズちゃんはひとを食べたりしない」
「そうなの?」
エドは不安そうな表情で自分の脇を指さした。
「これって……、味見じゃないんだよね?」
赤い竜は涼しい顔でエドの顔をべろんべろん舐めまわしていたのだ。
それを聞くと、ユティーは帆を動かしながら「あはは」と笑い声をあげる。
「安心して。それは愛情表現よ。キミ、アズちゃんに気に入られたのよ」
エドは疑わしそうに眉をひそめた。「本当に?」
赤い竜はさらにエドの顔をべろりんと舐め上げる。
「本当よ。最初にキミを見つけたのはアズちゃんなのよ」
「……そ、そう……」
エドは竜の舌から逃れようと身をよじらせながら、すぐに何か気づいた表情になった。
「あ……。助けてもらったお礼がまだだったね。ありがとう、助けてもらって」
「どういたしまして。ところで、エド君はどうして砂海を漂っていたのか思い出せたの?」
ユティーの質問に、エドは空を見上げた。思い出そうとしている様子だ。
「うーん、おじさんに頼み込んで交易船に乗り込んで……、まずは見習い仕事として甲板掃除をしてて……。重い船って、けっこう砂が入り込むんだ。そういうのに『浮力の加護』は関係ないから。ぼくみたいな見習いが最初に覚えさせられるのは船の掃除。船から砂を掃き出すんだよ。ぼくは、たぶん今日も甲板掃除をしてて……」
エドはそこで額に手を当ててうつむいた。「うーん、掃除をしているところは思い出せるのに……」
「ひょっとしたら、遭難したのは今日じゃなかったかもね」
ユティーはふたたび船首に帆の紐を引っかけると、エドのそばへ歩み寄った。
「記憶が欠落するほど意識を失っていたんだから」
「そうかな……」
エドは顔をあげると、ユティーの全身が見えた。今まで気づいてなかったが、彼女が履いているスパッツからのぞく右脚は太い木の棒だ。すらりとした美しい左脚とは対照的だった。
「君……」
エドが言葉に詰まると、ユティーはエドの視線に気づいた。「ああ、これ? なくなっちゃったの、わたしの右脚」
エドは言葉を失ったままユティーを見つめた。さすがに、「どうしてなくなったのか?」などと聞けない。
ユティーはエドの固い表情に、笑顔のまま小さくため息をついた。
「ちょっとドジしちゃって、千切れちゃったの。わたしのせい。だから、キミは気にしないで」
「う、うん……。何か不自由なことはないかい? ぼくで手伝えることがあれば……」
「だから気にしないでって」
ユティーはエドの肩を軽く叩いた。「わたしは大丈夫。アズちゃんがいるから」
「アズちゃん?」
エドは赤い竜を振り返ると、今度は竜の翼が片方失われていることにも気づいた。
「気づいた? アズちゃんは翼。わたしは脚。それぞれひとつ失ってるの。だから、アズちゃんは自由に空を飛べないし、わたしは歩くのに不自由。でもね……」
ユティーは床から風箏を持ち上げてみせた。
「わたしは風を読んで空を舞い上がることができる。アズちゃんは大地を踏みして力強く歩ける。お互いにできることがあるから、わたしはアズちゃんと合わせて何でもできる。キミが何か気にすることなんてないよ」
ユティーはエドのかたわらを抜けて赤い竜へ近寄った。竜は「グルグル」と、どこか甘えるような声をあげてユティーの顔に鼻先をこすりつける。
エドはそれを見て、『いいな』と思った。種を超えて互いに思いやり、信頼し合っている光景……。
「素敵だね。君たちの関係」本心からの言葉が漏れる。
「そう? ありがと」
ユティーは笑顔をエドに向けた。その頬に竜は鼻先をスリスリさせる。愛情にあふれたしぐさだ。
エドは急に、竜の態度に違和感を覚えた。
「……ねぇ、さっきの竜の態度だけど……。本当に味見じゃなかったんだよね……?」
ユティーはびっくりした表情を見せたが、すぐ笑顔に変わる。
「あはは! キミって面白―い!」
ユティーは朗らかな笑い声をあげたが、その表情がすっと冷たいものに変わった。感情が急に消えたかのようだ。ユティーの急な変化にエドは戸惑った表情を見せた。「え?」
気づくと、赤い竜もユティーから鼻先を離して、船の先を見つめている。エドもつられるように背後へ目をやった。
ユティーは、エドに教えるように船首の先を指さした。
「船が見える。転覆して沈みかけている」
ユティーがエドに顔を向けると、彼は真っ青になっていた。
「あれは……」
エドの声は震えていた。「ぼくが乗っていた船だ!」




