――出逢い――
アンバサルの惨劇が起きるより少し前。島より北へおよそ10海里。一艘の船が帆を風に受けて砂海を進んでいた。細長い流線形の船で、文字通り砂海の上を滑っている。
帆を操っているのは、頭を白い頭巾で覆った少女だ。頭巾は鎖状のヘアバンドで固定され、多少の風では吹き飛ばないだろう。風通しの良い茶色のシャツ。長袖なのは日焼けを防ぐためだろう。膝を隠すほどの長い紺色のスパッツ。すらりとした長い脚が一本のぞいている。彼女は頭巾からあふれ出る栗色の髪をなびかせながら、巧みに帆を操っていた。
彼女の背後には、赤い大きな竜がうずくまるようにして眠っていた。物をつかむことのできるような、ひとの手に似た前肢なので砂竜ではない。さらにつけ加えれば、砂竜にはない大きな翼が背中にあった。しかし、それは身体の左側だけで、その竜は片翼だった。赤い竜はその翼を身体の脇にたたんでいる。
「ん? アズちゃん。どうしたの?」
少女は何かに気づいたように振り返った。さきほどまで眠っていた竜が目を覚まして頭を持ち上げたのだ。竜は遠くを見るような表情で船の横……南側に視線を向けている。
「何かあるの?」
少女がさらに問うと、竜はグルグルとのどを鳴らした。少女にはそれだけでわかったらしい。その場にしゃがむと、片足を船底の奥に伸ばした。足先は踏み台のようなものを押し込む。それが船を停める仕掛けのようだ。船は静かにその場で停止した。
「アズちゃんはそこで待ってて」
少女はどこからか布の塊らしいものを広げながら竜に話しかけた。竜はさきほどと同じようなグルグルとのどを鳴らしている。
「心配しないで。ここに悪意の気配はないよ」
少女は布を大きく広げると、それは三角状になった。布の下にはひとが持つことのできるバーがあり、少女はそれを両手でつかんだ。
「それっ」
少女は船底を蹴って、空へ躍り上がった。三角の布は風を受けると、はためかす音を立てながら少女とともに空へ舞い上がった。
少女が空へ飛ぶのに使ったのは『風箏』と呼ばれる。風を受けて空を舞う、ひとを乗せる凧だ。
少女は船を操っていたときと同じように、風箏を巧みに操る。風は強くないが、目いっぱいに風を受けて、風箏は砂海に落ちることなく空を舞い続けている。
――風が軽い……。
頬を撫でる風を感じながら少女は思った。このままならいつまでも空を飛べる。
――不思議……。悪意の気配は感じないのに胸がドキドキする……。何だろう。わたし、今、何を感じてるんだろう……。
砂海は明るい小麦色に輝いている。少女は、目のはしに黒い点のようなものを捉えた。
「そこだ!」
風箏の機首を下げ、見えたものに向かい降下を始める。近づいてみると、黒い点はひとの形をしていた。ぼろぼろの板の上に横たわったひとの姿だ。まだ遠目ではあるが、胸の上下で呼吸していることがわかる。
「生きてる!」
少女は風箏の向きを変えると、素早く船に戻った。飛び降りるように降り立つと、船底のブレーキを外して帆を操る。
「アズちゃん、船首を南に向ける。手伝って!」
それを聞いた赤い竜は物憂げに長いしっぽを砂海に降ろすと、かき混ぜるように動かした。すると、船がずるずると向きを変え、船首が南に変わった。
「ありがとう!」
少女は帆に風を溜めると、船を滑らせるように走らせた。
* * * * * * * * * *
身体が弾む感覚がある……。
少年はうっすらと目を開いた。目の前には白い帆がはためき、ときおり青い空が見える。鼻先には爽やかな風が感じられる。少年はゆっくりと身体を起こした。短めだが金色の髪で、緑色の瞳。年齢は16歳あたりに見えた。
「あ、目が覚めた? 運が良かったね、キミ」
「え? うん……」
振り返ると、白い頭巾を鎖のバンダナで留めた少女が帆を操りながら笑顔を見せている。少年はそこで、自分が細長い船の上にいることがわかった。目の前に立つ少女の背は低くないが高くもない。自分と同じぐらいだ。少年はそう思った。年齢も同じぐらいに見える。少年はぼんやりとそんなことを考えながら少女を見つめていたが、急に我に返った。
「あ、あれ? ぼく……」困惑した様子であたりを見渡す。状況が飲み込めていないようだ。
「砂海の真ん中で倒れてたんだよ。小さな板切れに乗って」
少女は船首に顔を向けると、帆を結ぶ紐を引っ張った。船は少し船首を上げると、少し右に傾きながらスピードを上げた。
「もし、あの板に『浮力の加護』がなかったら、キミ、とっくに砂海の底に沈んでたんだから」
少女は明るい声で説明した。「ほんと、運が良かったよ」
「板切れ……? ぼく、そんなのに乗っていたの? どうして?」
少年は首をかしげて少女と反対側に顔を向ける。すると、目の前に赤い竜の顔があった。
「うわぁあああ!」
少年は船底でひっくり返った。心底驚いた様子だ。
「大丈夫よ」少年の背後から少女の声が聞こえた。「その子はアズちゃん。キミを食べたりしないよ」
赤い竜は首を伸ばして少年に顔を近づける。少年は尻もちをついた姿勢のまま身動きできないでいた。身体をガタガタ震わせている。
赤い竜は長い舌を伸ばし、少年の顔をべろんと下から舐め上げた。少年の顔は一瞬でべとべとになる。
「は、は……」
恐怖で感情が壊れたのか、少年は奇妙な笑い声をあげた。
「アズちゃん、キミのことが気に入ったみたいね」
少女は紐を船に固定すると、少年のそばに歩み寄った。明るい表情で右手を差し出す。
「わたし、ユティー。キミの名前は?」
少年は壊れた笑顔のまま振り返ると、少女の右手を握った。
「ぼく……、エド・メルリヌス。よろしく……」




