――災厄の予兆――
広大な砂漠だった。
見渡すかぎり自分の背丈より高いものが見えず、ただ小麦色の砂地がなだらかに広がっているだけ……。
シュメール帝国、水宝瓶騎士団団長シトゥラ・アクエリアスは、かぶっている兜をずらしあげて大きく息を吐いた。暑苦しさは兜を脱がせるほどだったのだ。
「やっぱ、暑いな、ここは」
「団長は以前もここに?」
シトゥラの背後から白銀の鎧姿の男が声をかける。副官のモリアスだ。彼はシトゥラと同じように砂竜にまたがっている。
彼らがいるのは、オドッセイア大陸の中央に位置する、『トロイア大砂海』である。大陸の半分を占めるとされるこの大砂海は、水のように細かな砂に満ち、人間が徒歩で進むのを妨げてきた。
この大砂海を進むには、砂地を進める帆船か、もともとここで生息する生物……、たとえば、彼らが乗っている砂竜のような生き物を利用する。
砂竜は、全身を柔らかい黄土色のうろこに覆われ、前肢、後肢が巨大な『ひれ』になっていた。砂竜はこの『ひれ』で砂をかき分け、まるで泳ぐように砂海を進むのだ。
シトゥラとモリアスは、とりわけ体格のいい砂竜にまたがり、この大砂海の航海に挑んでいるところだった。彼らの背後には、数頭の砂竜につながれた巨大な船が続き、そこには大勢の兵士が乗っていた。
「俺が昨日今日で砂竜に乗れたと思ってるのか?」
シトゥラはしかめつらで返した。「ガキのころから砂海で鍛えられていたよ」
しかし、シトゥラの表情はすぐに和らいだ。「もっとも、俺がいたのは、はるか北方、ボレアスだがな」
「そうでしたか。あそこは逆に寒いところですね」
モリアスはうなずいた。「団長はアネモイ人でしたか」
「そうさ。由緒正しき騎士一族ってわけだ」
シトゥラの声は、どこかうっ憤を吐き出すようだった。
「おかげで、この砂だらけの任務に向かう羽目になっちまった」
「仕方ありません。ダイダロスへ最短の行程なのは、この砂海を突っ切るしかないのですから」
「砂海の周囲をぐるっと回って行きゃいいんだ。そうすりゃ砂に悩まされることもない」
そう言うと、シトゥラの顔は急にしかめ面に変わった。「ああ、くそ! 砂が目に入りやがった」
シトゥラはいまいましそうに兜をかぶり直す。
「ほんとうにサラサラですよね。砂海の砂は」
モリアスは遠くに目をやった。「おかげで強めの風が吹くと砂が舞い上がってくる」
空はきれいに晴れ渡り、空気は大砂海らしく乾いている。おかげで彼らの間を吹き抜ける風は肌にまとわりつくこともなく優しく通り過ぎるだけだ。
しかし、気温の高さだけはどうしようもなく、甲冑姿の彼らを悩ませた。
「たしか、ここから少し先に島があったな?」
シトゥラは副官に振り返った。
「ええ。アンバサル。小さな島です」
モリアスは即答した。出発地だったアッティラからダイダロスまでの海図は頭に入っているのだ。
「そこで休憩にしよう。砂竜はまだ元気だが、俺がもたん。ついでに水の補給もしておきたい」
「了解です」
水宝瓶騎士団の一行はそのまま進むと、間もなくひとつのオアシスに行きついた。濃緑の樹々に囲まれた小さな『森』だ。彼らが『アンバサル』と呼んでいる土地である。砂海にはところどころ固い大地が地上に現れており、彼らはそこを『島』と表現していた。『島』では植物が茂り、場所によっては水も湧いている。砂海を航行する者たちによって、命をつなぐ貴重な『寄港地』だ。
しかし、アンバサルの地に降り立ったシトゥラは、呆然とした表情で立ち尽くしていた。「どういうことだ?」
島は樹々に覆われていると思っていたが、それは一部であって、大半は島から消え去っていた。いや、かつては樹々だったと思われる炭の塊があちこちに散らばって焦げ臭い匂いを放っている。
貴重な水を得られるはずの泉も炭か何かで真っ黒だった。とてもではないが、このままで飲むことはできないだろう。
真っ黒なのは樹々だけではない。島で暮らしているはずの住民たちも同様だった。炭の塊のなかにはひとの形をしたものも転がっていたのだ。
「ひどいですね……」
モリアスも目の当たりにした惨状に顔をしかめた。「全滅ですかね」
「こんな小さな島だ。生存者が残っているか、ちょっと見渡せばすぐわかるだろ」
シトゥラは両手を肩まであげた。「全滅だな」
「連合国のしわざでしょうか?」
モリアスは腰に手を当てながら尋ねた。腰には大振りの剣がぶら下がっている。
「そうだとしたら、やつらはもう引き返してるだろうな」
シトゥラは片手を庇の形にして遠くを見やった。「帆の一枚も見えやしねぇ」
モリアスは、かつては建物だったと思われるがれきを指で撫でていた。彼が撫でているところは陽の光を反射してキラキラと光っている。
「岩積みの住居だったようですね。しかし、これは崩れたんじゃない。何かに焼き切られたようです。しかも、とんでもない熱ですよ。断面がガラス状になっていますから」
「そんなことできるものか?」
「正直、私にはわかりかねます……。高熱の炎といえば炎竜でしょうが、炎竜の炎でこんなことができるとは聞いたことがありません」
シトゥラはモリアスのそばへ寄って、同じようにがれきの断面に触ってみた。「つるつるしている。熱で焼き切られたのは間違いないようだな」
ひとり言のようにつぶやくと、難しい顔で腕を組んだ。
「申し上げます!」
兵士のひとりが駆け寄ってきた。ふたりの前で直立不動の姿勢になる。
「申せ」シトゥラは短く命じた。
「はっ。島の一帯を捜索した結果、生存者なし。すべて焼き尽くされた状態です。家だったと思われるものも完全に燃え落ちて、土台部分がかろうじて残っている状態です。最後に、水や食料になるものも何も残っておりませんでした。食料も焼き尽くされ、泉も残骸などで汚染されている状態です」
「ま、遠目で見た通り、ということだな」
シトゥラの声は落ち着いたものだった。「ご苦労」
「我々の作戦に、敵も気づいたということでしょうか?」
モリアスは立ち去る兵士の背中を見つめながらつぶやいた。「宿営地や休憩地になる島を先に滅ぼしておいて、兵站として使えなくする……」
「かもしれんが……」
シトゥラは自分のあごに手をかけた。「俺はそれに納得できん」
「それはどうしてです?」
「まず、ここはダイダロスから離れすぎている。アッティラのほうがはるかに近い。敵がここまで進むか? 支配力としては弱いが、この一帯は俺たちの領域だぞ。こちらの警戒網に引っかかりでもしたら、逃げるのも困難だ。そこまでの危険を冒してまで、この島を滅ぼそうとは思わんだろ。むしろ、ここの連中を懐柔して、自分たちの拠点にするほうが戦略的に有意義だ。滅ぼすのは愚策中の愚策。敵を褒めるつもりはないが、連合国の連中は馬鹿者揃いではない。ここまでの愚は犯さんよ」
「なるほどです」
モリアスはうなずくとシトゥラの隣に並んだ。シトゥラと同じように、はるか遠くに広がる砂海のはてを見つめる。
「では、この島を滅ぼしたのは、いったい誰なんでしょうか?」




