――徒労――
「アズちゃん!」
倒れている炎竜のかたわらで、佇むように立っているアズライグに、ユティーが駆け寄ってきた。テンゴン少佐をはじめとするシィナ共和国の兵たちの姿はない。炎竜を倒されると、彼らは大慌てでその場から逃げ出したのだ。テンゴン少佐は、かろうじて「一時撤退」と、自尊心を保つ捨てゼリフを吐いてから走り去っていた。
――ユースティティアか。無事で何よりだ。
「アズちゃんはどうなの? ケガはないの?」
――私にケガはない。これは、こいつのものだ。
アズライグは胸に広がる血の跡と倒れている炎竜とを交互に見やった。炎竜は首筋から流している。アズライグについている血は炎竜から浴びたものなのだ。
「殺したの?」
――こいつが死ねばそうなるな。虫の息だが、まだ生きている。
ユティーは炎竜の口もとに顔を寄せた。「少しだけど、息がある……」
「ユティー。アズちゃんさんは大丈夫なの?」
ようやく追いついたエドがユティーに話しかけた。浜へやって来たのはこのふたりだけだ。トマスたちは奪った小舟で漁船が停泊している浜へ向かっている。
「アズちゃんは大丈夫。でも、この竜は……」
「この竜は……、集会場を見張っていた炎竜!」
エドも炎竜のかたわらに寄った。「すごいな。遠目でよくわからなかったけど、こんなに大きな竜に勝っちゃうんだ」エドは驚嘆の声とともにアズライグを見上げる。
――こいつのことを気にかけるのはいいが、そんな余裕があるのか? せっかく人間どもを追い払ったのだ。今のうちに島を離れるべきでないのか? あれを見ろ。
アズライグは顎で沖を指す。ユティーが振り返ると、戦列艦が船体の向きを真横に変えているところだった。つまり、大砲の砲門がこちらへ向けられつつあるのだ。
ユティーは炎竜にちらりと視線を向けたが、すぐに戦列艦に戻した。
「そうね。ぐずぐずしてられない」
ユティーはエドの肩を叩きながら立ち上がった。「行こう、エド君」
エドもうなずきながら立ち上がる。「そうだね」
ふたりと一頭の竜は、浜から森へと入っていった。森の樹々は彼らの姿を戦列艦から隠してくれる。狙いが定められないからか、戦列艦から砲弾は飛んでこない。このすきに彼らはその場から離れた。
――見張られているぞ。
アズライグはユティーに話しかけた。ユティーは走りながらうなずく。
――そうだね。逃げ去ったわけじゃないんだ。でも、近づく気配も攻撃する気配もない。たぶん、攻めあぐねているんだよね。
――ユティーの策が効いたようだな。
――うん。できれば、ずっと効いてほしいんだけど……。
「こっちだよ!」
エドは手を振りながら走る向きを変える。エドが向かう先に、漁船と高速帆船が停まる浜があるのだった。
* * * * * * * * * *
「どうしてここに……」
岩陰で様子をうかがいながら、エンリティクはつぶやいた。
彼が潜んでいるのは、島の北側にある磯だ。こちらは浜がほとんどなく、ごつごつした岩が砂海と島を隔てていた。船をつける場所に乏しいので、ここに船はほとんどなかった。しかし、わずかだが船の何艘かは置いてある。これは、サンドワームが起こす大砂波などが南の浜を襲ったときの対策だ。これなら、たとえ南の浜の船が全滅しても、予備の船で生活は続けられる。島の知恵だ。
だが、エンリティクはその予備の船に近づけられないでいた。そこに、銃を抱えた数名の兵士がいたからである。兵士たちは船を囲むようにして立っていた。どうも、誰かがこの船を奪うのではと警戒しているようだ。
実際はユティーを捕えるためなのだが、エンリティクはその事情を知らなかった。ただ、この兵の配置は、残りの予備の船についても同様だとエンリティクにも察せられた。エンリティクは岩にもたれると自分の親指を噛んだ。
……どうする。どうする。どうする!
彼の懐には赤い竜魂石がある。これを島の近くで捨てるわけにいかない。これは災いを呼ぶ石なのだ。せっかく捨てても、それが島の近くでは、災いは島から離れないだろう。エンリティクはそう考えていた。
ふと顔をあげると、岩の上に一匹の船虫が見える。森から這い出し、岩の上で日向ぼっこを始めたようだ。彼らは冷たい湿気を好む一方、陽の温もりも必要なのだ。
……掃除屋のように船虫を操れれば……。
しかし、彼にそんな技術は持ち合わせていなかった。ここにきて、彼はすでに手詰まりだった。
……南の浜へは戻れない。兵の少ないこの海岸沿いであれば、兵が見張っていない舟が残っているのではないか?
そう考えた本人でも甘いと思える考えだが、エンリティクはそれに賭けた。やがて、彼はその賭けに敗北したことを思い知る。
見つけた舟すべてに武装した兵が張り付いていた。あてどなく舟を探し求めていたエンリティクは見慣れた景色に足を止めた。
いつの間にか島を一周し、南の浜へ戻ってしまったのだ。エンリティクは思わず顔をしかめたが、同時に、これが最善かもしれないと思い直した。
……北の小舟より、外洋漁船のほうがスピードも出るし、沖へ出るだけだったらこちらのほうがいいだろう。
北の小舟も南の漁船も見張りがいる。どちらにせよ、見張りをかいくぐるか倒すかしなければ船を手に入れられないのだ。どうせ危険がともなうのなら、速い船を選びたいではないか。
エンリティクはこれまで兵たちの視線から身を隠してきた森から浜へ出た。岩や荷車など、浜に点在するわずかな障害物に隠れて船へ近づいていく。荷車のそばには魚をさばくためのテーブルがあり、その上には包丁が残されたままだった。銃をもつ相手に心もとないが、身近に手に入る貴重な武器だ。エンリティクは物陰に隠れたまま手だけを伸ばし、包丁をつかみ取ろうとした。
え?
エンリティクの全身は硬直した。包丁へ伸ばした手首を何者かにつかまれたのだ。エンリティクはつかんだ相手から逃れようと物陰から立ち上がった。
「動くな!」
鋭い声がエンリティクの耳に響く。エンリティクの手首をつかんでいるのは若い兵士だ。いるのはひとりだけではない。銃を構えた兵士がふたり、その若い兵士の両側に立っていた。
「ようやく追いついた」
背後から女性の声が聞こえ、エンリティクは振り返った。いつの間にかエンリティクの背後にひとりの女性士官が忍び寄っていたのだ。いや、彼女はひとりだけではなかった。種類はわからないが、幼体と思われる小さな黒い竜が、彼女の隣で翼をはためかせて浮かんでいたのだ。
「すぐ確認を」
女性士官が短く命じると、エンリティクはテーブルの上に上体を押し付けられて身動きできなくなった。抵抗しようとしたが、額に銃口を押し付けられ、それは諦めた。
「アンヌ少尉、ありました。赤い竜魂石です」
エンリティクの身体を調べていた兵士が、ふところにしまった石を見つけ出した。
アンヌ少尉は石を受け取ると、それを空にかざした。赤い竜魂石は陽の光を透過し、きらきらと光った。
「名前は?」
アンヌ少尉の問いは短かった。エンリティクは無言で、目だけをアンヌ少尉の顔に向ける。
「お前、名前を聞いているんだ!」
エンリティクに銃口を向けていた兵士が、その先端で頬をつついた。エンリティクは正面を向いて目を閉じた。
「エンリティク」
「エンリティク。お前はなぜ、この石を持って逃げている? お前はこの石が何なのか知っているのか?」
「……それは不吉の石だ。この石がこれ以上災いを呼ばないよう、島より遠い沖へ捨てに行くつもりだった……」
「そんなことをすれば、お前に災いが降りかかるかもしれないのだろう? この島の伝承によれば、だが」
「俺ひとりの命ですむなら安いものだ。俺は島の男だ。島を守り、島のために生きる。あんたたちがなぜ、この島へ来たのか知らんが、俺のやることを邪魔しないでくれ」
「そうはいかない。この石は我々が接収させてもらう」
エンリティクは身をよじらせようとしたが、ふたりの兵士がそれをさせなかった。エンリティクにできたのは、弱々しく足をばたつかせることだけだった。
「くそっ。どうして、そんな石を欲しがる? いや、そもそもどうやって俺を見つけた?」
「お前ではない。我々が見つけたのはこの石だ」
アンヌ少尉はかたわらの幼い竜を見やった。
「この竜は石の存在を感じ、どの方角にあるかわかるのだ。我々は、この竜が示す方角へ石を追っただけにすぎない」
黒い竜は得意げに鼻の穴から小さな炎を噴き出した。




