――立ちはだかるもの――
3隻目の戦列艦は、ある種『硬直』状態にあった。具体的な指示を出す指揮官が不在で、浜で起こっている事態の把握もできていないからだ。兵士たちは甲板上をうろうろするばかりで、統率の取れた行動ができていない。浜で異変が生じているのはわかっている。しかし、それが何なのか、どう対処するべきなのか。誰もが答えを持たないまま、まさに右往左往していたのだ。
ただ、それがユティーにとって厄介な状態であった。こうも兵士にうろつかれていると甲板に乗り込むわけにいかない。船内に侵入して船虫を解放することもできないのだ。ユティーは戦列艦のすぐ脇で、甲板の気配を探りながら侵入する機会をうかがっているところだった。彼女を乗せる船虫は、おとなしくじっとしたまま、触覚だけ辺りをうかがうように動かしている。
……混乱に乗じて侵入するつもりだったけど、混乱すぎるのも考えものだね……。
ユティーは少し自分の作戦を反省した。なにごともやりすぎはいけないということか。陽動が効きすぎているのだ。まぁ、陽動しているのがアズちゃんだから仕方がないか。ユティーはそう思った。
「おい、見ろ! 竜が現れた!」
甲板で大声があがると、いっせいに走り出す足音が響いた。船の片側にひとが集まりだしたのだ。
「エ―3号じゃないのか?」
「たしかに色は赤いが姿が違う! あれは翼竜だぞ!」
「島の向こう側で見つかったやつか?」
「とにかく、船に近づけさせるな! 銃で攻撃するんだ!」
「あの竜にライフルが効くのか?」
「追っ払うことができればいいだろ。早く銃を用意しろ!」
「船の向きを変えて大砲で狙うべきだ!」
「それもやろう。急げ!」
兵たちが口々に叫ぶ声を聞きながら、ユティーは船によじ登り始めた。赤い竜が浜辺の陰から姿を現したのだ。2隻目の戦列艦から大砲を放つ音は聞こえなかった。どうやら、竜はうまく大砲を無力化するか、大砲の撃てない位置へ移動できたということだろう。
近くに兵士の気配がないことを確認して甲板へ降り立つ。船の構造が同じだから潜入は楽だ。ユティーはすばやく船内へと忍び込んだ。船虫が飼われている部屋へ侵入すると、同じように彼らを解放する。飼われているとはいえ、船虫たちは船に留まることなくさっさと船から逃げ出していく。道具として飼われていたのだ。彼らに軍への愛着などあるはずもなかったのだ。
3隻目から船虫を逃がすと、ユティーも砂海へ降り立った。彼女を乗せた船虫だけが相変わらず彼女を待っていた。ユティーはその船虫を見つけると微笑んだ。「ありがとう」
敵の『足』を奪ってしまえば、あとはエドを助けるだけだ。
ユティーは外輪船へと急いだ。
――待って!
ユティーは急に手綱を引いて船虫を止めた。目の前の外輪船を緊張した面持ちで見上げる。
……おかしい。この船だけ、混乱の気配がない。かなり落ち着いている。外の騒ぎに気づいているはずなのに……。
むしろ、静かに警戒しているような様子さえ感じられる。
……まさか、こちらの動きはすでに把握されている? この船にだけ?
しかし、ユティーは頭を振って自分の考えを振り払った。
……そんなはずはない。もしそうなら、味方の混乱をそのままにしない。伝令を送るなりして、混乱の収拾に努めるはず。そうしなかったのは、事態の把握もできず、対応策も浮かんでいなかったから。そうでないと、これまで事がうまく運べた説明がつかない……。
心の内に芽生えた疑念に自分なりの答えを出したが、それでもユティーは先へ進めなくなっていた。本能的な不安。彼女の足を止めているのは、理性で説明のつかないものだ。彼女の組み立てた作戦は時間が勝負のもので、ここでグズグズすればするほど作戦が成功する可能性は下がっていく。すぐにでも船へ乗り込み、エドを救い出さなければならないのだ。
もし、このままユティーが行動を起こさなかったら、いずれ兵士たちの誰かに見つかってしまっただろう。
ユティーが見上げる船のはしからエドが顔をのぞかせたのはそのときだった。エドは砂海を見下ろし、そこに船虫に乗ったユティーの姿を見つけて目を丸くした。「ユティー?」
「エド君!」
ユティーも思わず声をあげた。
「どうしてここへ?」
エドは半ば身を乗り出しながら尋ねると、ユティーは首を振った。
「説明はあと。早くここへ飛び降りて。砂海の砂は柔らかいから、そこから飛び降りても大丈夫。それに私がすぐに引き揚げてあげるから」
「ダメだよ」エドは首を振る。
「どうして?」
「ぼくひとりだけじゃないんだ。ぼくの伯父さんも捕まっていたんだ」
「伯父さん?」
ユティーは首をかしげたが、すぐに理解した。
「あなたの伯父さん、無事だったのね?」
「捕まっちゃってたんだけどね」エドはうなずいた。「それと……」
「それと?」
「トールさんが見つからないんだ」
ユティーは顔をしかめた。「エド君。あのひとも連れて逃げる気?」
「放っとけないよ。あのひとは帝国のひとだから」
「早く降りてきて、エド君。そこにいつまでもいたら危ない」
ユティーは落ち着かない様子で話しかけたが、エドは困ったように首を振るだけだ。そこへ、かたわらから年配の男が顔を出した。
「エド、どうした?」
「伯父さん」
エドは驚いたように伯父を見つめた。「みんなは?」
「彼らは後ろだ」
トマスは後ろに目をやった。「小舟をここから降ろす準備をしている」
「兵士たちは?」
トマスの手もとにライフルがあるのを見て、エドは不安そうに尋ねた。まるで伯父がライフルで兵士を撃ち殺したと思っているようだ。
「彼らは船底で消火活動中だ。我々のことなどかまってられん様子だった」
トマスはそう話したが、『わざと見逃しているようだったがな』と心の内でつぶやいた。
「アキナイスさん、そこをどいてください。舟を降ろします」
顔中ひげだらけの男が話しかけてきた。トマスの部下であるフェンディーだ。
「フェンディーさん、みなさんのほかに閉じ込められているひとはいませんでしたか? 30歳前後の背の高い男性です」
エドの質問に、フェンディーは首をかしげた。
「いいや。俺たち以外に誰も捕まっていなかったぜ。この船はけっこう足音が響くから、誰かが連れてこられたか程度ならわかるが、俺が耳にしたのはエドが連れて行かれる足音だけだった」
フェンディーの答えに、今度はエドが考え込んだ。
「トールさんはこの船に幽閉されていないのか……」
エドはふたたびユティーに顔を向けた。
「ユティー。君はここへ来るまでにトールさんを見かけたりしていないよね?」
「ええ」
ユティーは答えながら意識を船内に向けていた。
……たしかに、この船に感情の読めない人間の気配がない。それは、あのトールってひとがいないってことなんだ。
そして、その感覚はこれまで潜入した3隻の戦列艦でもなかった。トールは、いずれの船にも乗っていない。いや、閉じ込められていないのだ。
「エド君。この船にトールってひとの気配は感じられない。たぶん、島のどこかへ連れ去られたと思う。そうでなければ……」
――すでに殺されて砂海に捨てられた……。
ユティーは最後の言葉は飲み込んだ。
ただ、ユティーの言いかけたことは理解したらしい。エドから苦渋の表情が浮かんだ。「トールさん……」
「しかたがない、エド。トールという人物は帝国の者なのだろう? 連合に捕えられたらすぐ殺されても不思議はない。違うか?」
トマスはエドの肩に手を置いた。
「舟を降ろしましたぜ!」
フェンディーとともに救い出されたノロンが声をかけた。浜へ上陸するのに使う小舟を砂海へ降ろし終えたのだ。
「行くぞ、エド。早くここから離れないと、船上から狙い撃ちされてしまう」
トマスはエドの肩を揺さぶりながら、ノロンの立っているところへうながした。そこから小舟に降りるための縄ばしごがぶら下がっている。
「お嬢さん。私はトマス・アキナイス。エドの伯父だ。君がエドを救ってくれたひとだね?」
トマスは小舟に降り立つや、船虫に乗っているユティーに話しかけた。
「私はユティー」
ユティーは小さな声で名乗った。
「ありがとう。おかげで私はこの子と再会できた。ところで、君は……」
「エド君を捜しに来ました。そして、ここから一緒に逃げるために」
「どうやって、この島から逃げるのかね? その船虫に乗って逃げるわけでないだろう? 私たちは船を操れても、船虫に乗ることはできない。我々にそんな技術はないのだ」
「ええ、わかっています。このまま西の浜へ向かってください。そこには速度の出る船が何艘もあります。島の方には申し訳ないですが、船を1艘いただくつもりです」
「浜には連合の兵士たちがいるのではないかね? 彼らの目の前で船が奪えるのかね?」
「そのために心強い助っ人がいます。これから、浜の兵士たちを追い払うために……」
ユティーはそう言いながら浜に目を向けたが、そこで表情がこわばった。
ユティーの作戦では、ひとしきり騒ぎを起こしたあと、赤い竜は船のある浜辺で兵士たちを砂海へ追い込む手はずだった。兵士を殺すことなく無力化する作戦なのだ。
しかし、赤い竜はユティーの見える浜にとどまっていた。いや、ユティーに背を向けて、ある『もの』と対峙していた。
それはかなりの巨体だった。ユティーとともに旅する赤い竜――アズライグの倍ほどもある大きさで、太い4本脚がその巨体を支えていた。鋭い眼に、とがった口からはみ出る太い牙。鼻の穴からは呼吸のたびに赤い炎が噴き出している。
テンゴン少佐たちが『エ―3号』と呼ぶ、炎竜が立ちはだかっていたのだ。




