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断罪竜と片翼の巫女  作者: 磯路れゔーる
第4章 ユティーの作戦

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――異物――

 ここで、少し物語は脱線する。いや、この物語に入り込んだ『異物』について語ろう。


 エンリティク……。これから語る人物の名前だ。しかし、読者にとって、この人物は初めての者ではない。少し前に、この人物についてわずかに語られているのを目にしている。

 彼は浜辺の森で、ロズとともに浜辺を歩くエドの背中を見つめていた、あの痩せた漁師である(※ep.15 ――新たな来訪者――参照)。


 彼は島の漁師でありながら、同じ島民とは異なっていた。見た目も同じ民族で、血統も代々続く島民である。それにもかかわらず、彼は同じ島民たちと明らかに異なっていた。異なるのは外見ではなく、その内面……『思想』である。


 エンリティクは特に際立って知恵のある男でなかったが、島のありように疑問を抱いていた。


 『なぜ、みんなは帝国の属領であることを受け入れている? なぜ、帝国の言いなりになっている?』


 アンバサルは辺境の小さな島だ。資源と言えるのは島の中心に湧き出る泉の水しかない。周囲に水を確保できる島がないため、はるか昔からアンバサルは帝国の寄港地として利用されてきた。請われるままに水を汲み、帝国兵の持ち込む樽に注ぎ込む。そのためにアンバサルの民は支配されてきたのだ。帝国側から常駐する役人はおらず、自治は認められているが、それは、帝国の誰もこの島の任務を望まなかっただけのことだ。簡単に言えば、支配はするが、その維持のためにコストはかけたくない、ということだ。この島の任務を島流しと思わせないようにするには、どれだけの報酬を約束しなければならないか。帝国にとって、水の補給基地であっても、何が何でも守らなければならない要衝でもなかったのだ。


――侮辱!


 エンリティクは誰から教わることなく、島の政治的立場を看破していた。そして、その『気づき』に屈辱を味わっていたのだった。


 島が平穏でいられるのは、ただ、滅ぼすほどの価値も脅威もないため。都合のいいときに利用するためだけに生存を許されている――。彼は、島の長老でさえ考えていなかった島の不安定さに気づいていたのだ。


 特に聡明でもない彼が気づいたのは、ささいなできごとからだ。彼がまだ幼い少年だったころ、彼は父とともに泉の水を運んだことがあった。帝国の軍船が島を訪れ、水の補給を支持されたのだ。

 島の泉は巨大で、帝国の軍船1隻程度であれば、泉の水が獲りつくされる心配はなかった。当時は存命だった父も、何の不安も見せず、ただ黙々と帝国からの依頼をこなしていた。

 少年のエンリティクも、自分の仕事を嬉々として取り組んでいた。まだ小さい身体に力を込め、父が引く荷車を後ろから押していた。荷台にはいっぱいに水を貯めこんだ樽がいくつも載せられている。

 泉の水は、島の貴重な商品だ。ここへ寄港する商人の船は金か、積み荷で水の代金を支払ってきた。水の入った樽を受け取ったとき、「ありがとう」と感謝もされた。貴重な水の湧き出す島の人間であることに、エンリティクは誇りに思っていた。たったひと樽でも彼らは感謝の言葉をエンリティクに贈った。そのひと言でエンリティクは自分の労働が報われたように思った。大量の水汲みは、小さい子どもにはとてつもない重労働だ。しかし、その先には労働に見合う対価と、感謝の言葉を得られる。

 幼いエンリティクは、将来は漁師でなく水汲みを職業にしたいとさえ思っていたのだ。


 幼い子どもの、幼い夢である。


 それを『現実』という暴力で踏みにじったのは、ある帝国軍人だった。もっとも、その軍人に明確な悪意はなかった。

 その男は、エンリティクとその父が運んだ樽を軍船に運び込ませ、そして、そのまま出航しただけだった。


 労働の対価を払わず、感謝の言葉もなく。


 帝国は、島の自治と安全を保障する代価に、泉の水を無償で提供する義務を島に課していた。その帝国軍人は、それを承知していたから代価を払わず、礼も言わずに立ち去ったのだ。彼にすれば、非難される筋合いもないと思うはずだ。


 しかし、地平線の彼方へ姿を消そうとする帝国の軍船を見送っているエンリティクの胸の内は、屈辱と怒りでいっぱいだった。

 帝国と島との協定? これが協定などあるものか。島の自治? 島の者はどことも争わず、周辺の島々と平和に交流しながら生きてきた。貴重な水資源をもとに交易を行ない、島の繁栄を築いてきた。わざわざ自治権など帝国に与えられる必要などない。

 島の安全? 島には帝国の軍船が駐留しているわけでなく、近くを警戒して周っているわけでもない。そんな状態でどうやって島の安全を保障できるというのか? せいぜい、島に異変があってから何らかの対応ができる程度だ。もし、島民が全滅するような危機に見舞われたとき、帝国が関わるのは事が終わってから――、つまり、島民が全滅してからのことになる。そんなものを誰も『保障』などとは呼ばない。


 当時の幼いエンリティクに、ここまで考えることはできなかったが、成長するにつれ、考えがまとまり、屈辱の理由、怒りの源泉を言葉として理解するようになってきた。学のないはずのエンリティクに、ここまでの洞察を可能にしたのは、それを考えるだけの時間があったからだが、相も変わらない屈辱の日常が続いたせいもある。

 帝国は島の水をただ搾取し続け、それを当たり前のこととしてきた。

 エンリティクはそれに怒りの感情を抱き続け、外界への不信を募らせていった。エンリティクは父の死後、当たり前のように父の仕事を継いだが、父のように無心で帝国と接することはできなくなっていた。


 外部からやって来た者はすべて警戒すべき対象であり、例外はなかった。浜辺の森でエドを見つめていたのも、ただ見つめていたのではなく監視していたのだ。年端もいかない少年が、ひとりで島を訪れているという『異常』に彼は危機感を抱いていた。


 エドが新たに現れたトールという人物とともに長老のもとへ向かうと知ったとき、エンリティクは息を殺して後をつけることにした。猜疑心の強い彼は、エドよりもトールに対して警戒心を強めた。ただの商人にしては、何かの訓練を受けたかのように隙がまったく見当たらない。トールの底知れぬ様子に、エンリティクは戦慄に近いものを抱いたのだ。そのため、彼の尾行は非常に慎重なものになった。決してトールに気取られぬよう、しっかりと距離をとって尾行した。

 その慎重さが奏功したか、彼はトールに気取られることなく尾行ができた。長老の家でそっと耳をそばだてると、長老とトールが赤い石で話しているところだった。


――赤い石……。


 エンリティクは漁師の長が竜魚の腹から赤い石を見つけていたのを知っていた。偶然、同じ船に乗り合わせていたからだ。そして、長が慌ててその石を懐に隠すのも見ていた。赤い石が竜魂石でないかということは、エンリティクはなんとなく想像できた。彼はそのことを父から聞かされていたのだ。彼の父は何度か黒い竜魂石を見つけたことがあり、そのたびに石が黒いことに安堵していた。エンリティクがその理由を尋ねると、父は教えてくれたのだ。


 「赤い竜魂石が現れたら不吉なことが起こるんだ」

 「不吉なことって?」

 「さぁな。でも、島のひとたちにとって良くないことなんだよ、きっと」


 父は先祖から伝え聞いたことをそのまま息子に伝えただけで、その意味を理解してはいなかった。

 エンリティクは、赤い竜魂石の伝承についてほかの漁師にも聞いてみた。彼らからの答えは父から聞いたものと異なる部分が多かったが、『不吉である』という点だけは一致していた。


 長老の家で赤い竜魂石の存在を知った時点では、エンリティクにそれをどうしようという考えはなかった。ただ、「長の行動はそういうわけか」と納得しただけである。

 間もなく、エドとトールが長老宅から離れるに合わせて、その場を去ることにした。

 彼の考えに変化が生じたのは、浜辺に軍船が近づいているという騒ぎを耳にしたことだった。彼も慌てて浜辺へ駆けつけると、たしかに島へ近づく巨大な船影が見える。


 「あれはシィナ共和国の旗だ!」

 トールの叫ぶ声が聞こえ、間もなく島が襲撃されることをエンリティクは理解した。


 「……なんてことだ」

 エンリティクは唇を震わせた。「不吉が起こった……」


 彼は身をひるがえすと、村へと走った。


……本当だった! 親父の言ったことは本当だった!


 長老の家に着くと、知らせを受けた長老がアラマをともなって家を出たところだった。エンリティクはすばやく身を隠し、長老たちをやり過ごした。

 ふたりの姿が見えなくなると、すばやく長老の家へ忍び込む。


 やはり、あった。


 赤い竜魂石は、テーブルの上で不気味に赤く光っていた。いや、まだ竜魂石と断定はできない。しかし、彼はためらうことなく石を取り上げた。


……これは竜魂石に違いない。そうでなければ、連合の船など現れるものか!


 エンリティクは石をふところに放り込むと外へ飛び出した。数人、彼の姿を見た者がいたが、誰もが浜辺の騒ぎに気を取られ、彼がなぜ、長老宅から出て来たのか不審に思う者はいなかった。


 エンリティクはふところにしまった石が転げ落ちないよう胸に手をあてて走り出した。島民たちが向かう浜とは逆の方角だ。四方を砂海に囲まれた島なので、そちらにも狭いながら浜がある。彼はそこにも船があることを知っていた。外洋へ出るための大きなものではなく、沿岸をぐるりと周る程度にしか使えない小舟だが、そのことを気にしている場合でなかった。


……急げ、急げ! この石を早く遠い沖で捨てるんだ! この石は島にあってはいけないんだ!


 エンリティクは固い意志を持って走り続けた。


 おそらく、彼はこの島の運命をめぐる物語としては、大きな役割を持たず、運命を変える『波』を起こす存在でもないだろう。


 しかし、彼の反感から生まれた行動は、島に災いをもたらしたテンゴン少佐たちの出鼻をくじき、彼らを混乱させる『さざ波』になったのは事実である。

 少なくとも、テンゴン少佐が石を求めてすぐにあれを手にしていたなら、このあとに続く展開は変わっていただろう。


 この物語の『異物』は、人知れず運命を変える『時間』を生み出していたのだった……。

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