――生きる覚悟――
「おじさん……。これからどうするんです?」
エドは座り込んでいる伯父に話しかけた。語り終えたトマスはどこか力が抜けたようで、椅子に座ったままうなだれている。
「どうもせんよ」ようやく返ってきた言葉がこれだった。
「どうもしないって……」
「エド。お前にはすまないが、やつらに捕まった以上、何のすべもないのだ。おそらく、私は殺される。場合によってはお前もだ」
「そんな……」
「我々はやつらにとって邪魔な存在なのだ。『竜具』の復活を阻止し、断罪竜の裁きを回避する……。我々の目的や行動は、エドにとって聞こえがいいかもしれない。だが、この活動が国家で行われていないのはなぜだと思う? 答えは簡単だ。『そうしたくない』。それだけなのだ。国の頂点に立つ者や、立とうとする者は、共通して力を欲する。他者を、いや他国をも凌駕する力を。……そう。政治家や権力者は『竜具』が欲しいのだ。圧倒的な破壊兵器。それを手に入れれば、おそらく世界の頂点に立てる。世界に君臨できるのだ。『竜具』による恐怖の支配でな」
トマスは顔をあげた。
「かつて、トロイア帝国はそのようにして世界に君臨していた。だが、恐怖による支配は長続きしなかった。断罪竜によって帝国は滅び、そして、世界も滅びた。わずかに生き残った我々の祖先は、これを教訓としようとしたが、それをもって国を治めることはかなわなかった」
「どうしてなのです? 『竜具』を復活させることが、ふたたび世界を滅ぼすだろうとわかるはずなのに」
「エド……。人間はそこまで聡明にできておらんのだ。哀しいかな。政治は理念で動かんのだよ。誰にとって、その政治が益であるのか。それ以上でもそれ以下でもない。政治家たちは理想を掲げるが、国政を動かす立場になると、誰かの益のためにしか働かんのだ。貧しい者を救うという理念も、実際には富を取り過ぎた者から、富を得られなかった者へ再分配させるだけのこと。理念は、政治家を着飾らせるものでしかないのだ」
「だからと言って『竜具』を手に入れようとするのはおかしいじゃないですか。最終的には、みんなの不利益になるのですよ」
「そこに人間の傲慢さがある。『自分はその不利益を被らない』という考えかただ。どういうわけか、自分のことを特別視するようになるのだ。『自分は被害者にならない』、『自分は損害を受けない』と。さらには他者を虐げ、奪う側になること、つまり加害者になることに罪悪感を抱かない。それは、優越の快楽とも言えるだろう。優越の快楽に浸った者は他人の痛みに無頓着だ。一方で、自分がそうした痛みを負う立場になれば、『不公平だ』、『理不尽だ』と怒る。これが私の言う『人間の傲慢』だ。それは今も変わらず存在する。お前も実感しているのではないか? 断罪竜は、人間の業そのものは焼き尽くせなかったようだな」
「断罪竜……。その断罪竜の伝承もおかしいです。断罪竜は、どうして、人間すべてを滅ぼさなかったのです? 罪ある者もない者も見境なく殺していたのに、なぜ人間を根絶やしにしなかったんです? トロイア帝国を滅ぼして、それで満足したんですか?」
「わからん。いや、伝承に、その理由は残されていなかった」
エドはその場でくずおれた。「わからないのは、ぼくのほうですよ……。おじさんはこのまま殺されるのを受け入れるつもりなんですか?」
「すまない。さっき言った話ではレベルの低い部分だ。つまり、私の行動が彼らの益にならないから、私を殺して自分の利益を守ろうとする。それだけのことなんだ。ただ、私が死んでも我々が滅んだわけではない。私と同じ使命で動く者はまだ世界にいる。私の失敗は、彼らの誰かが雪いでくれると信じる」
「だから、自分の死を受け入れると?」
「冷静に考えても、ここから逃げ出す方法がない。私たちの船は砂海に沈んだ。万が一、この船から脱出できても、ここから私たちを乗せて逃げる船がない。いや、船を手に入れても、逃げ切れるわけがない。この船は砂海を進むのに適した外輪船だ。風と砂流に任せて進むしかない帆船では簡単に追いつかれてしまう。せめて、高速帆船……、いや、外洋漁船のような船があれば……。ああ、よそう。『たられば』の話ばかりだ。この状況では、心を静かにして運命を神に委ねる以外にないのだよ」
トマスは静かに立ち上がると、エドの肩に手を置いた。悟りきった大人の態度。しかし、エドはそれを受け入れなかった。伯父の手にそっと触れ、それをどかせた。
「おじさん。ぼくは簡単に受け入れられません。理不尽な状況をただ受け入れるだけなんて。ぼくは、あがけるだけあがきたい。けっきょく、結末が死ぬ以外なかったとしても、ぼくは納得のいく死に方を選びます」
トマスはエドの顔を感情のない目で見つめていたが、やがて、「これが若さというものか」と、つぶやいて視線をそらした。
「いいか、エド。生きる覚悟は死ぬ覚悟よりも辛くなる。死ぬ覚悟は、一度死んでしまえばそれで終わる。だが、生きる覚悟は、生きているかぎりずっと続く。長く生きれば生きるほど辛さは積み重なっていくのだ。通常なら、お前の生きていられる時間は私よりずっと長い。それだけ、辛さが積み重なるということでもある。それでも、おまえはあがき続けられるのか?」
「……自信があるとまでは言いません。何の策もないのに、まだ希望があるなんて言いません。ですが、ぼくはそれでも生きてやるんだって、言い続けます。生きる覚悟? 上等です。生きて先へ進むために、ぼくは覚悟を決めましょう」
「決意は立派だ。だが、具体的にどうする? ここから先は、運だけでも策だけでも進める道ではないんだ」
さすがにこれは真実だった。エドは口をつぐんだ。ぐっ、と目を閉じて天を仰ぐ。心を落ち着かせ、そして、どうすべきか思考するために。閉じたまぶたに天井の明かりを感じる。うっすら目を開けると、弱いながらも輝くランプの明かりが目に入った。
「これだ」
エドは天井に手を伸ばした。
* * * * * * * * * *
船倉へ向かう階段を、ふたりの兵士が並んで歩いていた。急ぐふうでなく、ゆっくりとした足どりで。ひとりはライフルを抱えている。
「おい、何か臭わないか?」
ライフルを持った兵士は仲間に話しかけた。「何か焦げ臭いような……」
「気のせいじゃないな」
もうひとりは緊張した声で返した。「ひょっとして、あいつら……」
さきほどと変わって、どたどたと足音荒く船底へと走り出す。彼らは間もなくひとつの扉の前に立った。彼らの足もと――扉のすき間から、灰色の煙があふれ出している。
「くそっ! やっぱり、ここで何か燃えているんだ!」
兵士は腰から鍵を取り出しながら叫んだ。「開けるぞ!」
兵士は大きく扉を開けた。ライフルを持った兵士は銃口をつっこみながら中をのぞく。
「ああ、くそっ!」
この兵士も仲間と同じように毒づいた。「何か燃えてやがる!」
部屋の奥の床には、何か布のようなものが重なっていた。それは盛んに炎と煙をあげている。兵士たちが嗅いだのは、これが燃える匂いだった。床にはランプが横倒しになっていて、火事の原因はこれだと思わせた。
「早く火を消せ!」
鍵を手にした兵士は叫びながら飛び込むと、扉の陰からエドが飛び出した。頭上にはトマスが座っていた椅子を高々と振り上げている。
ごつんと大きな音が室内に響き、叫んでいた兵士は床に倒れた。ライフルを持っていた兵士は銃口をエドに向けようとしたが、扉の陰から一本の腕が伸びて銃身をつかまれていた。
「こいつ!」兵士はその手を無理やり放そうとライフルを左右に振った。狙いが逸れているすきに、エドは行動していた。もう一度椅子を振り上げると、兵士の頭めがけて振り下ろしたのだ。
さっきと同じような音が響き、もうひとりの兵士も床に倒れた。エドは「ごめんなさい!」と言いながら、最初に倒れた兵士にかがみこむ。床に転がった鍵を拾い上げると、扉の陰に振り返った。「おじさん、ケガはない?」
「私は大丈夫だ」
トマスはさっきつかんだライフルを手に応えた。「むしろ、兵士たちが心配だ」
「このひとたちは大丈夫でしょうか?」
エドは床に転がっているふたりに心配そうな顔を向けた。
「ふたりともうめき声をあげるだけの元気はある。大丈夫だろう」
トマスはあまり根拠のないことを言ったが、それでもエドに安堵の表情が浮かんだ。
「そうだといいです。じゃ、おじさん、先を急ぎましょう」
エドは部屋から飛び出し、トマスも続いた。
「おじさんは、みんながつかまっている部屋はわかりますか?」
エドがトマスに問うと、トマスは首を振った。「わからない。ただ、私がいた部屋の近くではないだろう。近くに彼らがいるような声は聞こえなかった。私はこっち側から歩かされたから、彼らは逆側か、違う階層の部屋だと思う」
「わかりました。ぼくは奥の部屋に向かいます。おじさんは上へ。みんなを見つけたら、ぼくにかまわず甲板へ出てください。なんとか浜辺の船までたどり着くんです」
「お前はやはり、トールという男を探すつもりか?」
「ええ。おじさんは反対しましたけど、やっぱり、あのひとを見捨てて逃げることはできません。なんとかトールさんも逃がしてみせますので、おじさんもあと少しふんばってください」
トマスはため息をついた。「火事騒ぎを起こして逃げ出すまでは良い考えだと思ったのだがな。やっと得た時間をそんなことに費やすとは……」
伯父の愚痴を聞いてエドは微笑んだ。「すみません、伯父さん」
エドは伯父に背を向けると駆け出した。トマスも考えを切り替えて身体の向きを変える。ふたりはそれぞれ、救い出すべき相手のもとへ向かった。
* * * * * * * * * *
エドたちによって打ち倒された兵士たちは頭をさすりながら起き上がった。
「おい、大丈夫か?」
「ああ。そっちこそどうだ?」
「かなり痛いが、まぁ、大丈夫だろう。案外、手加減されていた」
「あいつら、奪ったライフルで俺たちを撃たなかったな」
ひとりが開け放たれた扉を見ながらつぶやくと、もうひとりは両足を投げ出すようにしてその場に座った。「まぁ、おかげで込めてあるのが空砲だと気づかれずにすんでいるがな」
「中佐から、あいつらが逃げ出す気配を見せたら泳がせろと言われてなかったらなぁ……」
ひとりからぼやく声が漏れた。悔しそうに、まだ痛む頭をさする。
「言うなよ。今、こっちは友軍と一戦交えるかもしれないって状況なんだ。中佐の策無しに乗り切れると思うか?」
「ああ。わかってるさ。でもなぁ……」
その兵士のぼやきは簡単に収まりそうになかった。
「今回は貧乏くじだったな、俺たち……」




