――ジェスター中佐の忠告――
「竜が逃げ出した?」
浜に向かって歩きながら、テンゴン少佐は不快そうな声をあげた。「やつは砂海を泳げたのか?」
「い、いえ……。竜は砂海にもぐったあと、どうも底を歩いて浜に上がり込んだようなのです」
「そこまでの距離なら息が続いた、ということか」
「はい……」
兵士からの報告に、少佐は心底あきれたようだった。「バカ者どもが……!」
のしのしと森を踏み分け、浜へと出る。「竜はどこだ!」
「あ、あちらです」
兵士の指さす方角に目をやると、はたして竜が悠々とした足どりで浜辺を歩いていた。そののんびりした様子は、まるで散歩でもしているかのようだ。数名の兵士が竜を取り囲んでライフル銃を発砲しているが、竜を止める役には立っていない。
「バカが! 上位種の竜にライフルが効くわけないだろが! 『竜牙の槍』を持って来い! 竜のうろこを貫くのは竜の牙だ!」
「は、はい!」
兵士は返事をしたが、少佐のそばから離れようとしない。少佐がじろりと睨むと、兵士は視線をあちこち向けながら、「あの、船へ取りに戻れ……と、いうことですよね……?」
「当たり前だろうが」
「さっきの竜は、我々に攻撃こそしていませんが、我々の上陸船はことごとく踏み潰してしまっているのです。こちらから船に戻ることができません」
少佐は完全に頭に来た表情になった。「だからどうした? あれぐらいの距離なら泳いでみろ。いくら砂海でも少しは進めるだろう? いや、ここから指示を出して、船虫を寄越せばいい。いくらでも方法はあるだろうが!」
「はい……!」兵士は慌てて浜へ走り出す。少佐は背後に目をやった。少佐の後ろをまだ数人の兵士が従っている。
「おい、『エ―3号』をここへ連れてこい」
「……エ―3号を……ですか?」
「あの竜はたしかに上位種の翼竜に見える。しかし、片方の翼が失われて飛ぶこともできんようだ。しかも、体長も10フィートほどしかない。エ―3号は20フィートの巨体で、強力な炎を吐く。あの竜は、エ―3号に始末させる」
「エ―3号をあの竜にぶつけるんですか?」
「何を不思議に思う? エ―3号は兵器だ。敵を倒すために存在するんだ。お飾りとでも思ったか?」
少佐は当たり前だろと言わんばかりの態度だが、兵士に戸惑いとためらいの様子がある。炎竜を未知の竜と戦わせることに不安を感じているのだ。
「おや、少佐は炎竜をお使いになるつもりデスか?」
奇妙な口調の声が聞こえ、少佐は声のしたほうへ向いた。相手を見るや、困惑の表情になる。相手は友軍の軍服を身に着けているが、ドーランを顔に塗りたくった道化師の化粧をしていたからである。かたわらには見覚えのある女性士官が控えるように立っている。たしか、アンヌ少尉と名乗っていた……。
「諜報部所属。トゥルーザル・ジェスター中佐デス」
ジェスター中佐はうやうやしく敬礼してみせた。少佐は慌てて敬礼の姿勢をとる。
「しょ、小官はシィナ共和国、特別派遣中隊所属、て、テンゴン少佐、で、あります!」
驚いたせいで声が上ずってしまった。
……こ、このふざけた格好の男が『トゥルーザル・ジェスター』? 噂以上に奇態の男ではないか!
ジェスター中佐はエドたちの会話を盗み聞きしたあと、すばやくアンヌ少尉と合流し、テンゴン少佐のもとへ向かった。この、味方ならざる味方をけん制し、背中を撃たれないようにするために。
「こんなところで友軍同士が鉢合わせするとは、互いの情報共有に問題があるとお思いになるでしょうね。ですが、我らの活動は秘密裡に行なうもの。そこはご理解いただきたいデス」
「い、いえ……」
テンゴン少佐は額に汗を感じながらつぶやいたが、頭のなかではぐるぐる思考を巡らしていた。
……このタイミングで姿を見せた理由は何だ? こちらの作戦に探りを入れに来たか? エチミア側が承知していない作戦かどうか、とか……。
……いや、本国と連絡の取れない状況であれば、こちらが何を言おうと否定などできまい。ここは適当な話で、この場をごまかすべきか……。
「……わ、我らも極秘作戦を実行しているところであります。こ、こちらこそ、じょ、情報共有の叶わぬ状況にあること、ご、ご理解賜りたい……」
「そうデスか? たしかに、本来なら作戦目標とされない島での軍事行動。奇妙だと思いました。これは、高度な機密性の作戦、ということデスね?」
「こ、高度な機密性の作戦……。そ、その通りデス!」
少佐は答えながら、『口調が感染っちまった』と思った。
「シィナ共和国は実戦配備されて間もない炎竜の一頭を連れていらっしゃるとか。この作戦における本気度がうかがえマス」
「きょ、恐縮です……」
「ですが、あの竜にぶつけるのは、お薦めできませんね」
ジェスター中佐は背後に目をやりながら言った。赤い竜は、ゆっくりの歩みながら浜辺の陰に見えなくなりつつある。
「……中佐殿は、あの竜をご存知なのですか?」
「いいえ。ですが、あれは小さいながらも翼竜型。炎竜よりも上位種デス。格の違い、というものが竜にもあるのデス。余計なちょっかいをかけて下手に怒らせると何をされるか。見たところ、あの竜は貴軍のライフル攻撃も意に介さない様子で浜辺の散歩を楽しんでいるようデス。ここは、距離をとりながら様子を見るのが得策。そう思いませんか?」
「で、ですが、あの竜は本作戦の支障になりうるかと……」
「ライフルがまるで通じない相手なのデスよ。幸い、人間の攻撃程度では腹も立てない鷹揚な竜です。あえて怒らせる必要もないじゃないデスか。あの竜は放っておいても、貴軍の作戦に影響はないのではありませんか?」
ジェスター中佐は少佐に対してそう返したが、『ま、あの竜はワタシの船へエド君を取り戻しに動いているかもしれませんがね』と、心のうちでつぶやいていた。
――場合によっては、あの赤い竜と対峙しなければならないのはこちらだ。
ジェスター中佐はそう考えていた。そして――、
……それに……。あの竜の戦力も測れないうちに炎竜をぶつけようなんて、策がなさすぎマス。
テンゴン少佐に呆れていた。
「少佐は炎竜が暴れたときの対策は取られていますか?」
「も、もちろん。竜魂石を与えて気を鎮めさせます」
「通常の竜魂石?」
「は、はい」
「今、お持ちデスか?」
ジェスター中佐の問いに、少佐は自分のポケットに手をつっこんだ。すぐに拳ほどの黒い石を取り上げてみせた。
「こ、この通り……」
「そうであれば、あの竜に対して、これで手なずけられるか試してみるのはいかがデスか? 案外、あの竜にとっても好物かもしれませんよ」
「た、たしかに……」
少佐は手にした石に視線を落とした。指摘されて、今わかったような表情だ。
「では、ワタシはこれで……」
ジェスター中佐が立ち去ろうとするので、少佐は慌てて呼び止めた。「ジェスター中佐!」
「どうかしましたか?」
ジェスター中佐は顔だけ振り返って尋ねた。
「き、貴軍はこれからどうなさるおつもりで?」
「少尉から提案させていただいた通り、風読み族の少女の捜索に取り掛かりマス。もちろん、貴軍のお邪魔にならぬよう、最大限の配慮をいたしマスので、その点はどうぞご安心を」
「ご、ご配慮、感謝いたします……」
呆然と立ったままの少佐を残し、ジェスター中佐はさっさと先へ進んでしまった。アンヌ少尉はそのあとを追いかけながら、「あの程度でよろしいので?」と、ささやいた。
「この状況がまるで読めていないことが確認できましたからね。こちらに益があるよう行動するのみデス。まさか、竜を動かしてくるとはね。ワタシもあの少女を測り損ねていたのは反省点デスが」
「竜の行動は、例の少女と連動していると?」
「当然デス。おそらく、あの少女は砂海をもぐって竜のいる船に接近し、竜に作戦を指示したのでしょう。まぁ、そのことで、赤い竜魂石を盗んだのは、あの少女でないとはっきりしましたが」
「どうしてです?」
「少女が犯人なら、盗んだ石をそのとき竜に与えたでしょう。ただの竜魂石ではありません。『赤い』竜魂石デスからね」
「なるほどです。ところで少女の作戦とは……」
「エド君を奪還するつもりなのでしょうね。竜をおとりに注意を惹き、自分はエド君のもとへ向かう……といったところでしょうか」
「少女ひとりで、ですか」
「無謀だと思ってマスね?」
「当然です」
「まぁ、アナタの考えは正しいのデスが……」
ジェスター中佐は竜に目をやった。「テンゴン少佐よりは知恵がありそうデス。ひょっとすると、面白い展開があるかもしれませんよ」
「ずいぶんとあの少女を買ってますね」
「いいえ。彼女と顔を合わせたのはほんのわずかデス。それだけで評価できるほどワタシも人間の目利きではありません。ですが、賢く、決断力のある子だとは思いました。帝国人のふりをしたワタシを警戒しつつも、エド君ごと連れて行くことを即断しましたからね。あの船を動かすのに人手は必要。おそらくですが、無自覚でもそういう計算が一瞬でできる回転の速さを持っているでしょうね」
……やっぱり高評価じゃないですか。
アンヌ少尉は心のなかでつぶやいた。ジェスター中佐の人間評はたいていが辛らつで、褒めるところを聞いたことがないのだ。
「しかし、この砂海をもぐり続けて、我々の船までたどり着けますかね? 池や川で泳ぐのとはわけが違います」
「おや? 少尉は竜を浜に上げさせた理由を突き詰められていないんデスか?」
「どういうことです?」
アンヌ少尉の問いに、ジェスター中佐は立ち止まって振り返った。けばけばしい化粧越しでも、ジェスター中佐の顔に楽しそうな笑みを浮かべているのがアンヌ少尉にはわかった。
「おそらく、あの子がやろうとしているのは……」
* * * * * * * * * *
そのころ、ユティーは戦列艦の船尾に回り込み、そっと甲板に降り立っていた。兵士たちは船首に集まって、ときおりライフル銃を竜に向けて発砲している。銃声は大きく、ユティーが降り立った音に誰も気づかなかった。
ユティーはすばやく後部ハッチを開けると、なかへと入った。この船にエドがいないことはわかっている。目的は別のところにあった。
「ここだ」
ユティーはとびらのひとつを開けた。そこは、柵のようなもので床が区切られ、それぞれに平べったいものがうごめいている。
「いきなりごめんね。キミたちに助けてもらいたいことがあるの」
ユティーは船虫たちにささやきかけた。




