――大ばか――
「……ユティー。時間はないけど、よく聞いてほしい……」
エドは少ししどろもどろの様子で話し始めた。この場面だけを切り取って見れば、浮気現場を見つかった男のようだ。
「そうみたいね」
ユティーは腕を組んだ姿勢でエドと向き合っていたが、視線だけはトールに注がれている。「さっきから島の周囲で大きな気配が迫っている。特に島の反対側から。悪意や敵意と近い。あれは何かエド君にわかるの?」
「そういうのはわからないけど……」
エドは少しきょとんとした表情になった。「すごいな。君、そういうの感じ取れるんだ……」
しかし、我に返って顔をぶんぶんと振る。
「い、いや、感心してる場合じゃなかった。君が感じ取ったのは、たぶん連合国軍の気配だよ。島の反対側から戦艦が3隻、こちらに向かってるんだ」
「……連合国軍……。ここが戦場になるの?」
「戦場と言っても、戦いにならないよ。この島に軍隊はいない。一方的にやられるだけ……と思う」
エドはそこでトールに視線を向けた。
「……で、こちらはトールさん。帝国のひとなんだ。このまま島に残ったら命が危険だから、一緒に逃げて来たんだ」
「……帝国……」
エドの説明を聞いたユティーの表情が険しくなる。「それで?」
「今すぐ船を出そう。たとえ今、船が出せる状態でなくても、ぼくたちはこの島には留まっていられない」
「そう考える根拠は?」
「戦艦が掲げている旗はシィナ共和国のものなんだって。シィナ共和国はこの島のひとたちと民族的には近い顔立ちをしてる。一方でぼくたちは帝国寄りの人種だ。そう。ユティー、君もだよ。シィナ共和国軍は島を占領するだけで、島の人たちにひどいことをしないかもしれない。でも、ぼくたちは見た目だけで帝国側と判断され、殺されるかもしれないんだ」
「それがこのひとを連れて逃げてきた理由?」
「そう」エドはうなずいた。
ユティーは組んでいた腕を下ろした。両手は握りこぶしになって、彼女の両ももあたりでぶるぶる震えている。
「お人好しっ!」
ユティーは大声で怒鳴るとくるんと向きを変えた。そして、今度は全身を震わせ始める。
「え、ええっと……」
トールの声がふたりの間に入ってきた。
「大事な話の途中だと思うんだけど、そろそろ、これをどうにかしてもらってもいいかな……」
見ると、赤い竜がトールの頭をガブリと噛みついている。トールは直立不動で身動きできないまま竜を指さしていた。
「あ、アズちゃんさん! そのひと敵じゃないよ、放してあげて!」
エドは慌てた声をあげるが、竜は動かない。噛みついたままじっとしている。
「アズちゃん……」
ユティーの声は静かで短かった。しかし、竜はその声でトールを放した。トールは数歩後ずさって竜を見上げる。
「す、すごいな……、こうも人間に慣れた翼竜なんて……」
「トールさん。トールさんはアズちゃんさんが何竜かわかるんですか?」
エドは驚いて尋ねた。
「い、いいや、正確な竜種まではわからない。でも、片翼だが翼を持っている。直立で立つことができる。これだけで翼竜型、ランクもかなり高い上位種だってことはわかる」
トールは驚いた表情のままエドに顔を向けた。
「こんな上位種が人間に慣れているなんて聞いたことがない」
エドは竜を見上げた。
「前から思ってたけど、アズちゃんさんって、すごい竜なんですね」
「ところで、エド君……。『アズちゃんさん』って、どこまでが名前でどこまでが尊称なのかな?」
トールからもっともな疑問を投げかけられたが、そんなことを話している場合ではない。
「ユティー、頼むよ。トールさんも連れて、ここから逃げよう」
「わたしとアズちゃんを戦争に巻き込むつもり?」
ユティーは背中を向けたままだ。その背中は震えている。
「巻き込みたいわけじゃない。でも、君もぼくも、このままこの島にはいられないじゃないか。そして、トールさんも……。みんな助かるには、こうするしかないんだ」
「だからって!」
ユティーは大声をあげた。「キミはどうして、こうも簡単に割り切れるの?」
ユティーはそう言いながらも心のなかで答えを得ていた。
……違う。そうじゃない。エド君は最初からこうなんだ。だから、竜を連れた片脚のわたしを見ても、普通に受け入れてくれたんだ。優しい笑顔で接してくれたんだ……。
同時に、これが選択のときだと気づいた。エドを残して島を出る――。その答えを出すときだと。ただ、今回はあとひとり加わった話になるが。いや、それでも同じことだ。
赤い竜だけをともない沖へ出る。それは、ずっとユティーが考えていたことだった。そう。そうすればいい。理由だってある。こんなこと自分には関係ない。だから、キミたちは置いていく。それだけでいい。
ユティーはぎゅっと目をつむった。
……そう、簡単なことだよ。アズちゃんにふたりを押さえてもらって、わたしが船を浜から押し出す。そして、アズちゃんを乗せて沖へ漕ぎ出す。マストの修理は終わってないけど、少し沖へ出れば砂流に乗れる。そうすれば、少なくともここからは離れられる。そう、簡単にできることなんだ……。
そして、自分は本来の役割に戻る。誰も関わることのできない、自分にしかできない役割に……。
ユティーは振り返った。そのままエドと向き合う。エドはずっと無言のままユティーを見つめていた。真剣なまなざしでまっすぐに。真剣な表情でユティーの答えを待っていた。それは、強い信頼のこもった……。
「……アズちゃん……」
ユティーは竜に話しかけた。「船を沖まで押し出してくれる?」
ユティーはエドに背を向けると船に飛び乗る。
「エド君、キミは補助竿の取り付けをお願い。あなたもできる?」
ユティーはトールにも話しかけた。トールは一瞬戸惑った表情だったが、すぐ真顔に戻る。「任せてくれ」
「ユティー……」エドは出航の準備を始めたユティーの背中に声をかけた。申し訳なさに満ちた声だ。ユティーは首を振って、それをさえぎった。
「エド君、早く乗って。時間がないんでしょ?」
砂流をつかまえるオールを手にしながら、ユティーは自分を叱りつけていた。
……ばかばか。なんで、こうしちゃうの? きっと後悔する。選択を誤った、って、きっと思う。それなのに、それなのにわたしは……!
「ほんと、大ばかっ!」
ユティーは船底に向かって大声をあげる。船に乗り込んだエドとトールは、びくっと身体を震わせた。
「あ、あの……、少ないですが乗船料……」
トールは持っていた水の瓶と干物をそっと船に降ろした。
「え、ええっと、トールさん。補助竿の取りつけって、これでいいんですか?」
エドが不安そうな声をあげる。トールはエドのそばに寄った。
「ああ、違うな。これじゃ補助竿が動かなくなる。代わってくれ。ここは私が請け負う」
「助かります」
「エド君は寝かしているマストを固定してもらえる? このまま船を出すと、マストがぐらついて船が安定しないから」
ユティーは自分もマストにロープを巻き付けながら指示を出す。トールは補助竿にロープを通しながらユティーをちらりと見た。
……すごいな、この娘は。こんな状況で冷静に考えられている。それに……。
今度は赤い竜に視線を向ける。竜は長い首で船の後ろを押している。このまま沖へ押し出すつもりのようだ。
……上位竜がこうも素直に指示に従っている。知能は高いと聞いてはいるが、だからこそ人間を侮り、懐かないと言われる。知能の高さも戦闘能力も、たぶん火炎竜より上だ。そんな竜が彼女に従うとは……。
トールはユティーに視線を戻した。ユティーは真剣な表情でエドとマストを縛り付けている。
……何者なんだ、この娘は……?




