――赤地の旗――
トールが長老の家を出ると、空になった荷車を押しているエドたちと出会った。砂魚を届け終え、浜へ戻るところなのだ。
「あ、マジェストさん」
エドはトールに笑いかけた。トールも笑顔を返す。「トールでいいよ、エド君」
「浜に戻るんですか?」荷車と並んで歩きはじめたトールに、エドは話しかけた。
「いや、そこの店で水をひと瓶、干物をひと吊り買いに寄るつもりさ。まぁ、そのまま船に戻って出航するんだけどね」
「もう出られるんですね」
「まぁ、そういう旅だからね」
トールは店の前で立ち止まると、エドに手を振った。「いずれ、砂海のどこかで」
「ええ、旅の無事を祈っています」
エドも手を振ってトールと別れた。
「お前さんは水を買わないのかい?」
ザッケルが荷車を引きながら尋ねた。エドは苦笑を浮かべる。
「まだ、お給金もらってませんから。今のぼくは文無しなんですよ」
「そうだったのか。そりゃ悪いこと聞いたな」
「いいえ」
ふたりが森を抜け、浜へ出ると、さっきと様子が違うことにエドは気づいた。
「何だろ?」
浜辺では、何人もの漁師が走り回り、ひとりは一番大きな漁船のマストによじ登って沖を見やっている。
「どうした?」ザッケルも異変に気づいてつぶやいた。
「何か沖を見て騒いでいるようですね……」
エドは遠くをよく見ようと目を細めてみる。
誰かひとり、森に向かって走り出している者がいる。かたわらを駆け抜けようとする漁師にザッケルは声をかけた。「おい、いったい、何の騒ぎだよ?」
「船が来るんだ!」漁師の答えは短かった。
「はぁ? また、客人か?」
「バカ! 今度は軍船だ。軍船の一団が近づいているんだ!」
「ええっ!」
エドとザッケルは同時に声をあげた。
「軍船? 帝国軍か?」
「違う! 旗は帝国のものじゃなかった!」
漁師はそう言うとふたたび森へ駆け出す。「とにかく、長老に報告する!」
エドは浜辺に向かって駆けだした。取り残された形のザッケルは、森と浜と順に目をやりながら足をバタバタさせる。どっちへ向かうかわからなくなったようだ。
エドはマストの上から様子を見ている漁師に声をかけた。
「本当に軍隊の船が来てるんですか?」
「間違いない。でっかい戦列艦が3隻、まっすぐこっちに向かっている!」
マストの漁師はエドを見下ろして答えた。
「どこの旗ですか?」
「わからん。だが、帝国の旗は白地に青と金の刺繡があるから遠目でも区別がつく。あの旗は赤地のものだ」
「赤地の旗だと!」
エドが振り返ると、いつの間にかトールが背後に立っていた。ちゃんと買い物をすませたらしく、水の瓶とひもでつながれた干物をぶら下げている。さっき、エドたちがすれ違った漁師から事情を聞いたのか、ここまで全速力で走ってきたらしい。ぜぇぜぇと荒い息をはいていた。
「トールさん!」
しかし、トールはエドに応えず、自分の帆船に飛び乗った。甲板の上で何かを探しているような動きをしている。エドはトールのあとに続いて帆船に乗り込んだ。
トールが捜していたのは望遠鏡だった。かなり胴が長く、遠くまで見通せそうなものだ。トールはそれに目を当てると先端を沖へ向けた。まだ3つの粒程度でしかないが、エドからも沖から何かが近づいているのが見える。
「ええい、何でこんなところに!」
トールからいまいましそうな声が漏れた。「あれはシィナ共和国の旗だ!」
「シィナ共和国?」
エドは小声で繰り返したが、その顔がみるみる蒼ざめる。「連合国のひとつじゃないですか!」
「ほんとか、あんた!」
トールの声が聞こえたらしい。外からひとりの漁師が尋ねてきた。
「間違いありません。あれは、シィナ共和国の戦列艦です!」トールは大声で返す。
「どうして連合国の戦艦が? このあたりは帝国の支配域でしょう?」エドは混乱した様子で尋ねた。
「君は知らないのか? 今、帝国と連合国は戦争状態にあるんだってことを!」
トールは望遠鏡から顔を離さずに大声をあげた。
「やつら、ここを攻め取るつもりだ!」
「だからって、どうして? ここは帝国軍も駐留しない小さな島なのに……」
「あいつらの考えなんてわかるか! 戦略的に考えたら、ここを攻め取るなんて愚策だ。やつら、ここを帝国に対する橋頭保にするつもりかもしれんが、連合国側と補給線がつながっていないこの島を要塞化しても、すぐ帝国に取り囲まれて陥落するのがオチだ。だから、これまでどこも攻めてこないし、帝国も軍を駐留しなかったんだ!」
やはり、トールは帝国の事情に詳しかった。税関の官吏だったというが、もしかすると軍関係の仕事もしていたかもしれない。
「くそう……」
トールはようやく望遠鏡を下ろすと、悔しそうな表情を浮かべた。
「今から出航しても逃げられない……。やつらの正面に船を出すことになっちまう……」
そうか。トールは帝国側の人間なんだ。
エドはそう思った。もし、このまま島が占領されたら、帝国人のトールはどんな目に遭わされるだろうか。
「トールさん」
エドはトールに話しかけた。沖を睨んでいたトールは怒りの表情のままエドに顔を向ける。「何だい?」声からもいらいらした感情が伝わってきた。
「トールさん、この船はいったん諦めませんか? そして、ぼくと一緒に島の反対側に向かうのです」
トールの顔が平常のものに戻った。「島の反対側?」
エドはうなずいた。「そこに仲間がいます。船もあります」
「しかし、その船は壊れているんだろ?」
「ええ。修理が終わっているかわかりません。でも、たとえ修理が終わっていなくても砂流に乗って沖へ出ることはできます」
「いちかばちかって話か?」
エドはゆっくりとうなずく。「ええ。ですが、島に残るより助かる可能性はあります!」
トールは自分のあごに手をかけて思案を始めた。
「たしかに……、ここから目立つ高速帆船で沖へ出るより、やつらの死角から沖へ出るほうが逃げられるかもしれない……。わかった。君の案に乗ろう。君の船まで連れて行ってもらえるかな?」
トールの行動は早かった。望遠鏡を腰にぶら下げると、すばやく帆船から飛び降りる。エドも続いて帆船から飛び降りた。
「お、おい……」
ザッケルは、ようやく帆船に近づいたところだった。不安そうな声でエドに話しかける。
エドはそのザッケルの横を駆け抜けた。
「ごめんなさい、ザッケルさん。ぼく、ここから離れます。長老と漁師の長によろしく伝えてください!」
「え? え? 何? どうして?」ザッケルはわけもわからずうろたえた声をあげた。
「君はいいのかい?」
エドの隣を走りながらトールが話しかけた。「給金をもらってないんだろ?」
エドは笑い出しそうになった。トールさん、そんなことを気にするんですか!
「仕方がないです。ぼくは帝国の人間ではありませんが、民族的には帝国と近いです。この顔立ちを見て、ぼくを帝国の者でないと判断されるかわからないでしょう?」
それを聞いて、トールは納得したようにうなずいた。「言われてみればそうだ」
ふたりは森のなかを走り続けている。街にも入らない様子だ。
「エド君、君たちの船まで、あとどれぐらいだ?」
「ざっと1海里強です!」
「……けっこう走るな……」
トールの声はぼやきに近かった。
「だからこそ、シィナ共和国の戦艦も出し抜けられると思うんです!」
「たしかにね!」
互いに怒鳴りながら走る。
のどの奥に酸っぱいものがせりあがり、脇腹が痛くなってくる。それでも、エドは走ることをやめなかった。この1秒、次の1秒。わずかな時間でも無駄にすればエドの案は失敗に向かう。立ち止まるのはもちろん、ゆっくりすることもできないのだ。
とは言え、はじめは元気に走っていたものの、島の反対側へ回るころには、エドの走りはふらふらしたものになっていた。朝から力仕事に従事し、かなり疲れていたのだ。
「頑張れ、エド君。もう少しなんだろ?」
助けるつもりのトールに激励され、エドは苦笑いの表情になった。
「はい……」
ユティーの船がある浜辺はあまり砂に覆われてなく、固さの残るところだった。エドは残る力を振り絞って地面を蹴って走った。
ぐるりと回る浜辺を越えると、目の前に見慣れた船が現れた。かたわらには赤い竜。
「トールさん、着きました!」
「着いたって、え? 何?」
トールは船の手前で急ブレーキをかけた。驚いた表情で竜を見上げている。
……そうだった。急いでいてアズちゃんさんのことを教えるのを忘れてた……。
「エド君!」
船の陰からユティーが姿を現した。エドに駆け寄ろうとするが、彼女もすぐ立ち止まる。彼女の目はトールに注がれていた。
「……エド君。このひとはいったい何なの……?」
ユティーの声に怒りらしいものを感じ、エドの身体は震えた。「……えっと……」
……ユティーには、どう説明すればいいんだろう?




