――新たな来訪者――
明くる朝、エドは指定された浜に行った。ユティーの船がある場所からはほぼ反対側にあたる浜だ。そこには10艘を超える船がずらりと並び、大勢の男たちが大きな砂魚などを浜に降ろしていた。どうもアンバサルの漁師たちは、この浜からそろって漁へ出るらしい。ユティーがいた場所には1艘の船もなかったからだ。エドは、そこで漁師の長を訪ねた。
「あんたかい。長老が言ってたのは?」
朝早く向かったつもりだったが、長老のほうが先に話を通しておいたらしい。漁師の長はいなかったが、事情を聞いていた別の漁師が対応してくれた。聞けば、副長のひとりでロズと名乗った。遠洋に漁へ出る漁師たちは、長を中心としてかなり組織的だった。
「はい、今日はお願いします」
エドは頭を下げた。
「ヤワそうだな、大丈夫か?」
ロズはエドを見下ろして心配そうな声をあげる。ロズは中年あたりと思われるが、背が高く、腕や胸板など身体のあちこちが太く逞しい。袖からのぞく腕の筋肉はもっこりとして、力仕事で鍛えられていることがうかがえた。
対するエドは身体のどの部分を見ても細い。『華奢』とまでは言わない程度だが、肉体労働に向かないと思われても仕方がない細さだ。
「ま、いいぜ。人手は欲しかったからな。こっちだ」
ロズは親指で背後を示すと、先に立って歩き出した。エドは少し恐縮しながら後に続く。
船へ近づくエドの背中を、ひとりの漁師が浜辺の森からじっと見つめていた。身体つきは細いが、エドと違い、腕の筋肉があり、その細さは鍛えることで絞られた印象だ。彼は仲間たちの作業に加わることもなくエドを見ている。その表情に感情らしいものはなく、そこに誰かが立っている気配を感じさせなかった。まるで森の樹と同化したように感じられる。
漁師はエドが荷下ろしの作業を始めると、ようやく動き出した。と言っても、腕を組んで背後に目をやっただけである。その視線の先には、樹々の間からのぞく街の姿があった。
* * * * * * * * * *
「どうしたんだね、改まって」
長老の老婆は、湯気の昇る湯呑をテーブルに置きながら尋ねた。長老が住む家の、小さな部屋でのことである。テーブルの向かいには、ひとりの男が座っていた。老齢に入ったあたりか。髪のほとんどが白くなっている。ただ、しっかりと日に焼けた顔には、黒々とした口ひげが生えていた。もともとエドが訪ねていた漁師の長である。
「実は……、長老にこれを見てもらおうと……」
漁師の長は懐に手を入れ、取りだしたものをテーブルに転がした。直接、陽の光は入っていないが、それはきらりと赤く輝いた。
「これは……」
漁師の長と向かい合うように座った長老は、それを拾い上げて自分の顔に近づける。「間違いないね。竜魂石だ。しかも赤い」
漁師の長に顔を向けた長老の表情は、少し険しいものに変わっていた。
「長よ。これをどこで?」
「昨日、珍しく竜魚が獲れた。俺よりもはるかにでかい竜魚だ。その石は竜魚の腹から出てきた」
「ほう、竜魚から……」
長老は石に視線を戻す。石の大きさは老婆の親指の爪ほどか。あまり大きなものではなかった。透明感のある赤い輝きは、エドがレンブラントに渡したネックレスの赤い石に似ていた。
「竜魂石……。しかも赤い竜魂石とはねぇ……」
長老は自分のあごを撫でながらつぶやく。漁師の長は少し身を乗り出した。
「赤い竜魂石を見つけたら慎重に扱えと聞いていたからな。砂海へ捨てずに持ち帰った。そんなもの、本当は島に持ち帰りたくなかったが……」
「仕方がないさ。わしだって、これをどう扱うのが正しいか、本当のところは知らないんだからね。ただ、わしはわしの爺さまから赤い竜魂石の話を聞いた。その爺さまもそのまた爺さまから聞いたという。こうして、代々話だけは受け継いできたが、実際に目の当たりにするとは思いもしなんだわ」
長老はテーブルに赤い石を置いて、両手をテーブルの上で組んだ。
「黒い竜魂石はこれまでも獲った魚の腹から出てきた。どれも深海の魚からだ。竜魚も深度の深いところにいる。竜魂石は砂海の底にあるんじゃないか? もっとも、砂海の底がどこにあるのか見当もつかんが」
漁師の長は赤い石を見つめながらつぶやくように言った。「長老。これは不吉の兆しで間違いないんだよな?」
「そう聞いている」
長老は石から視線をそらさずに答えた。「あんたは知らないのかい?」
漁師の長がうなずくと、長老は小さくため息をついた。
「わしの次に年寄りのあんたが知らないということは、島の者たちはほぼ知らない、ということだねぇ。仕方がない。集会場にみんなを集めてもらえんかね。わしから大事な話があると伝えておくれ」
「みんなに話すので?」
「これから皆に降りかかるかもしれない災いについて知っておくことは大切じゃ。内緒にして良いことなど何もないさね」
「わかりました」
長老からさらに二、三の指示を受けると、漁師の長は頭を下げて長老の家から出て行った。長老は座ったまま、テーブルに置いた石を見つめている。
「わしの代でこんなことが起きるなんてな……。長く生きすぎたのかねぇ……」
長老はひとりつぶやいた。
* * * * * * * * * *
エドは汗を流しながら、船から魚を下ろしていた。エドの知る砂魚は手のひらから自分の顔ほどの大きさのものだ。自分の顔より少しでも大きいと「大物が獲れた」とされた。
しかし、今手にしているのは自分の身長ほどもある、「超大物」の砂魚だ。聞けば、このあたりではこのサイズが当たり前だという。当然、ひとりでは下ろせないので、数人がかりの仕事だ。
「こんなにいっぱい、今日だけで全部食べ切れますか?」
浜辺に並べられた砂魚を見ながら、エドは漁師のひとりに尋ねた。質問された漁師は笑い声をあげる。
「ははは、まさか。今日だけなら、あの一番大きいやつで充分だ。残りは燻製と干物にするんだよ。この島にはときどき帝国の船が立ち寄るからな。大部分は売り物なのさ」
そうか。こうやって、この島は生計を立てているんだ。エドは理解した。
「おおい、どいてくれ!」
とつぜん、かたわらから大声が響き、エドは仲間の漁師とともに道を開けた。ふたりの間を巨大な魚を乗せた荷車が通り過ぎていく。
「うわぁ、大きい!」エドは思わず大声をあげた。
「へへ、昨日で一番の獲物さ。竜魚って言うんだぜ!」
漁師は自慢げに鼻の下をこする。
「竜魚……。そんな魚がいるんですか?」
「名前に『竜』がついているが竜種じゃねぇぜ。ただ、あの獰猛な顔を見てみろよ。まるで竜みたいだろ? それで竜魚っていうんだ。性格も荒いそうだが、砂海でも深海にしか棲んでいねぇ。めったにお目にかかるもんじゃねぇんだ」
「へぇー」エドは感心した表情で荷車を見送る。
「ま、年寄り連中は『不吉だ』とか言って、網にかかるのを嫌がるんだがな。味は申し分ないのよ。骨や皮もいろんな素材に使えるし、昔は獲っても砂海に捨ててたなんて信じられねぇわ」
「竜魚を食べるようになったのは最近のことなんですか?」
「最近って言っても、俺が子どものころには食べるようになってたな。あ、おれ? 今、30」
漁師は自分の鼻を指さす。
「竜魚ってどのくらい大きくなるのかわかっていないんだが、今回獲れたのは今まで獲れたなかで一番だって聞いたぜ。おれたちの網はそんなに深く沈められないから、それにかかるなんてほんと珍しいんだってよ」
「じゃあ、今日はお祭り騒ぎになりますね」
「大収穫祝いか? いいねぇ。今日は酒がすすみそうだ」
……ぼくは飲めませんが……。
エドは苦笑いを浮かべた。しかし、この純朴で屈託のない漁師のおかげで、エドはこの場所に馴染めた気がする。
「ところで、お前は竜を連れているって聞いたが……、そいつは、魚を食べるのか?」
漁師は真顔で聞いてきた。彼らは昨夜まで沖に出ていたから、あの竜を目にしていない。ただ、竜の話はすでに聞いていたようだ。
「ええ。小食で、一度の食事では、洗い籠ほどの大きさの魚が数匹で充分だそうです。見た目ではあの竜魚をぺろりといきそうですが」
「そうかい」
漁師はぽりぽりと頭をかきながら森に……、街に顔を向けた。
「あんたみたいなのが平気なんだから、たぶん、無害なんだろうが……、長はどう考えるかな」
つられるように、エドも街へ顔を向けた。漁師の長には、けっきょく会えていない。
「長がどうかしたんですか?」
「ああ。さっき通った竜魚の腹から、何か出たって言って、それを長老のところへ届けに行ったんだ。誰かに行かせないで自分で行ったんだぜ。顔つきも厳しかったし、妙に胸騒ぎがしてな」
どうやら、長が現場を離れているのは異例のことだったようだ。エドも少し不安になってきた。
「ぼくたちが竜を連れていることと関係あるんでしょうか?」
「それはないと思うな。おれたちがお前んとこの竜の話を聞いたのは、長が出かけてからだ。長はまだ知らないか、長老のところで知ったばかりってところだと思うがな」
じゃあ、いったい何なんだろう?
エドがそんなことを考えていると、今度は背後から――浜から大声が聞こえてきた。
「おおい! 船が来るぞ!」
エドが振り返ると、沖から小さな帆船が近づいているのが見えた。まっすぐこちらに向かっている。
漁師たちは仕事の手を休め、様子を見ている。エドも、船をよく見ようと砂海の渚まで降りた。
帆船は小さいと言ってもユティーのものより大きかった。エドが乗っていた交易船と、ユティーの船の間ぐらいの大きさだ。
見ている間に帆船はぐんぐん迫り、やがて滑り込むように浜へ乗り上げた。
「いい腕じゃないか」エドと話していた漁師がつぶやく。たしかに、乱暴に船を浜辺につっこませず、柔らかく浜付けしたのだから、この船の操縦者は操船技術がかなり高いと思える。
船が浜辺に着くや、ひとりの男が姿を現した。すらりと背の高い男だ。男はすばやく帆を下ろすと、浜辺に降り立つ。身のこなしが柔軟で、かなり運動のできる人物だと思わせる。男は、周囲の漁師たちを見回しながら両腕を広げた。
「皆さん初めまして。シャロン商会のトール・マジェストと申します」
男はよく通る声で自己紹介した。




