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断罪竜と片翼の巫女  作者: 磯路れゔーる
第2章 『アンバサル』

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――エドの保証――

 陽が傾き始めている。気がつけば正午はとっくに過ぎていた。

 ユティーは膝を抱えて顔を埋めていた姿勢から、ようやく顔をあげた。そうだ。このまま膝を抱えているわけにいかないんだ。


 ユティーはエドの姿を探してあたりを見渡し、そして、厳しい表情になった。樹々の間から何人もの影がうごめきながら近づくのが見えたのだ。その影のいくつかは槍らしいものを持っている。


……悪意。いや、強い警戒心……。


 ユティーはそう感じながら立ち上がった。すばやく折れた補助竿を手にし、まるでこん棒のように構える。同じ気配を感じたのか、竜も頭を持ち上げてユティーと同じ方角に目をやっていた。


 影はやがてひとの姿になって浜辺に現れた。この島の住民らしい。そのなかにはエドの姿も見えた。


 「ごめん……、騒動にするつもりはなかったんだけど……」


 エドのひと言で、ユティーは事情を悟った。おおかた、見慣れない竜をユティーが連れていると住民に伝えたのだろう。前触れもなく住民が竜を見たら騒ぎになるかもしれないとエドが気を利かせて。


 で、住民は武器を手に浜辺へ押し寄せてきた。


 そういうところか。


 「気にしないで、エド君」

 この事態は島へ曳航されているときから想像していたことだ。エドが何もしなくても、こうなっていただろう。


 「ほんとだ、赤い竜だ」

 住民のひとりから驚いた声があがる。


 「炎竜じゃないのか?」

 「いや、この小僧は違うと言っていた」

 「おい、お前、炎竜を実際に見たことあるのか?」

 あちこちからざわめきが起こっている。


 強い警戒心。殺気も含んだ……。


 ユティーは笑い出しそうになった。これが本来、自分に向けられる人間の感情だ。エドのおかげで忘れかけていたものだ。


 「ですから!」

 エドは赤い竜のそばまで駆け寄ると、住民たちに向かって両手を広げた。まるで、竜の前で通せんぼをするように。

 「この竜は皆さんに害を加えません! 今、ご覧の通り大人しいじゃないですか!」


 「その竜は、そこの娘とお前に慣れてるだけかもしれないじゃないか」

 どこからかそんな声が飛んでくる。


 「皆さんは砂竜に対しても同じように感じますか? もちろん、野生の砂竜には気の荒いものや、人間を襲うものもいます。でも、たいていは大人しいものじゃないですか。すぐ、人間に慣れるじゃないですか。この竜だってそうだと思ってくれないんですか?」


 「だって、そいつは砂竜じゃない」

 さっきとは違う場所から声が聞こえる。「そもそも、竜種のほとんどは人間を襲う」


 「おい、その竜はいったい何て竜だ?」


 住民たちは口々に騒ぎ立てる。エドは少し後ずさった。


 「もういいよ、エド君。ありがとう」

 ユティーはエドの背中に話しかけた。エドは弱々しい表情で振り返る。「ユティー……」


 ユティーは厳しい表情で住民たちを見渡した。

 「あなたたちの心配はもっともだと思う。だから、わたしはこの子を連れてすぐに島を離れたい。でも、見ての通り船が壊れてるの。修理が終わるまで、この浜にだけ居させてもらえませんか? アズちゃん……、竜もこの浜からほかに行かせない。その森を抜けて街へ入ったりはしません」


 「信用できるか、そんなこと!」

 「竜がずっと大人しくしてる保証でもあるのか!」

 島の男たちはますます猛々しく声をあげる。実際に竜を目にしたことで気が立っているようだ。


 「保証なんてないし、信用してもらわなくてもいい!」

 ユティーは大声で言い放った。

 「わたしたちを攻撃さえしなければ、あなたたちに何もしない。でも、その槍の穂先が、これ以上近づいたら……」

 ユティーはひと息おいた。「わたしは、あなたたちを敵と見なす。その先どうなるか、言わなくてもわかるでしょ?」

 エドは目を見張った。ユティーからここまで冷たい言葉が飛び出すとは思ってもみなかったのだ。


 「りゅ……竜をけしかけるつもりか……」

 住民のひとりから怯える声が漏れる。その声が合図になったように、浜はふたたびざわめき出した。

 ユティーたちに向けられた槍の穂先はぶるぶる震え、しかも、心なしか近づいているように見える。ユティーの警告は逆効果だったようだ。ユティーは心のなかで口のはしを噛んだ。


 「ま、待ってください! 皆さん、戦うつもりなんですか? 何もしなければ誰も傷つかずに済むんですよ! こんな争いは無意味です!」


 「どけ、小僧! そっちだってやる気じゃねぇか!」

 エドに一番近い男が槍の先でエドの背後を指した。振り返ると、竜はすっくと立って、住民たちを見下ろしている。竜が立ち上がると、エドの倍ほどにもなることを知った。その巨体は住民たちを威嚇するには充分で、住民たちはすっかり恐れおののいていた。おかげで彼らも引くに引けない様子だ。


 一方で、ユティーの心は静かだった。

……そうだよ。これが本当の景色なんだ。わたしにとっての当たり前の光景……。


 人間から受ける悪意、敵意。それこそがユティーの世界だった。どう拒もうとも受け入れるしかない現実……。


 「どきません!」

 エドは両手を広げたまま叫んだ。今度はユティーが目を見張る。


 「皆さんがぼくたちを怖がるのは理解しました。ですから、今度は皆さんもぼくたちを理解してください。ぼくたちは皆さんと戦いません。たしかに、この竜が何竜なのかぼくも知りません。ですが、初めて会ってから今まで命に危険が及ぶことは一度もありませんでした。犬のようにぼくの顔を舐める程度です。皆さんがそっとしてくれたら、あなたたちに害を加えることはありません。ぼくが保証します!」


 「お前の保証があてになるか!」


 「あります!」

 エドはくるりと竜に向かった。額に汗をだらだら流しながら竜の顔を見上げる。

 「アズちゃんさん、ごめん!」

 エドは竜の腹を殴りつけた。へっぴり腰のまるで力を感じない攻撃だが、それでも住民たちはどよめいた。


 「何しやがる!」

 「気でも狂ったか!」


 エドはそれに答えず、ひたすら竜の腹を殴り続ける。竜は、エドを無言で見下ろしているだけだ。


 「本当、に、危険、なら、ぼく、に、攻撃、する、はず、です!」

 エドは言葉を切れぎれにしながら叫ぶ。すでに息が切れているようだ。エドは竜の腹に手をあてて、はぁはぁと息を吐いた。少し落ち着くと住民たちを振り返る。


 「ぼくの保証が誤りなら、ぼくはここで竜に殺されます。そして、その攻撃は皆さんにも向けられるでしょう。でも、ぼくがこうして無事である限りは……」

 エドは竜に向きを戻すと、ふたたびこぶしを振り上げる。住民のひとりが槍を放り捨ててエドに駆け寄った。


 「わ、わかった。わかったからこれ以上、竜を刺激するマネは止めてくれ! わかったから!」


 エドは周囲を見渡す。住民たちの一部は槍の穂先を下げ、うんうんとうなずく。エドの行動に、殺気をすっかり削がれたようだ。しかし、全員というわけでなく、油断なく身構えている姿も見える。事態は完全に収拾したわけでなかった。


 「本当に情けないねぇ、お前たちは……」

 住民たちの背後から聞き覚えのある声が聞こえた。少ししわがれた女性の声だ。


 エドたちを取り囲むひとの壁が左右に開き、そこからひとりの老婆が姿を現した。エドを街へ案内した老婆だ。


 「ちょ、長老……」

 住民のひとりから漏れる言葉がエドの耳に届き、エドは驚きの視線を老婆に向けた。

……あのひと、この島の長老だったんだ!


 「竜が島に近づく気配を感じて、私が真っ先に様子を見に行ってたんだよ。浜辺でこの子たちと竜の様子を見ていたが、まるで悪意も感じない、平和な様子だったよ。もっとも……」

 老婆……島の長老はエドに笑顔を向けた。「プロポーズはうまくいかんかったようだが」

 エドの顔は真っ赤になった。


 「この竜に危険がないことは長老である私が保証しよう。それでも納得できんかね?」

 住民たちは気まずそうに互いに目をやっている。

 「ちょ、長老がそう言うなら……」

 ひとりがそう言いながら槍を下ろした。それがきっかけになったように全員、槍の穂先を下げる。


 「すまんかったね」

 長老はユティーに歩み寄りながら話しかけた。ユティーは「いえ……」と口のなかで応える。


 「あんたはさっき、街へ入らないと話したが、そんな約束なぞ無用。遠慮なく街に入り、船の修理に必要なものを手に入れなされ。私はあんたたちを歓迎するよ」

 老婆は住民たちに振り返った。「皆もそのつもりでな」


 「はい」

 住民たちは声をそろえて返事した。それに満足したようにうなずくと、老婆はゆっくりした足取りで浜から森へ、街へ戻っていった。

 住民たちも長老に続くように浜から立ち去っていく。そして、浜にはユティーとエド、そして赤い竜だけが残った。


 「はぁー、どうなるかと」

 エドは額の汗を拭うと、ユティーに振り返った。「ほんと、ごめんよ。君を困らせるつもりはなかったんだ」


 「いいの、それは」

 ユティーは短くさえぎり、少しもじもじしたようにうつむく。「あの、その、ええっと……。ありがと」


 「ええ?」


 「わたしたちをかばってくれて」


 エドは慌てたように首をぶんぶんと振る。

 「そ、そんな! 迷惑かけたんだし、こんなの当然だよ!」


……当然じゃないんだよ。

 ユティーは心のなかでエドの言葉を否定した。そう、当然じゃない。自分の命を危険にさらすことを、ためらうことなくできるのは当然じゃない。しかし、それは無謀でもなんでもなく、自分たちへの強い信頼からくるものだとわかるのだ。そのことに、胸がいっぱいの気持ちになる。


 「わたしは迷惑じゃなかったよ。でも、アズちゃんはどうかしら? いきなりお腹を何回も殴られたんだから」


 それを聞くと、エドは焦った顔を竜に向けた。

 「そ、そうだ。アズちゃんさんもごめん。痛かっただろ? 本当にごめん」


 竜はじっとエドを見下ろしていたが、急にくるんと身体の向きを変えた。太いしっぽがエドを直撃し、エドは軽く吹っ飛んで浜辺を転がった。


 「グルル」

 竜は小さな声で唸る。


 「それでおあいこだ、って」

 ユティーは笑顔でエドに話しかけた。エドは全身砂まみれの状態で寝転がっていたが、上半身だけ起こす。竜はそっぽを向き、ユティーはにこにこ顔でこっちを見ている。さっき見せた冷たい顔は完全に消えたようだ。


……まぁ、まずは良かった……。

 エドは砂まみれの顔で苦笑した。

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