――浜辺にて――
ユティーの船が停留している場所までは、ほんの少しの距離だ。
しかし、ユティーはそれが遠く感じていた。
……本当に皮肉だ。足場の悪い船や空では自由に動けるのに、陸に上がったとたんに不自由になる。固い地面や、広い砂浜がここまで歩きにくいなんて……。
ユティーの右膝から先は太い木の棒だ。左足のように地面を蹴るように歩けない分、その歩みはぎこちないものになる。引きずって歩くわけでないが、動きだけ見ると右足を引きずっているようだ。
ようやく船にたどり着くと、すっと甲板に上がる。不思議だが、まるで身体の自由を取り戻したような、流れるような動きだ。ユティーはそこで膝を抱えて座り込んだ。そして、抱えた膝のなかへ自分の顔を埋める。赤い竜はずっと彼女の後ろをついて歩いていたが、船に入らず、ユティーの後ろに長い首を伸ばした。
――どうした? ユースティティア。
竜はユティーの頭のなかに語りかけた。
「ユースティティアって呼ばないで。今のわたしはユティー」
ユティーは顔を膝に埋めたまま返す。
――大砂波に襲われてからずっと様子がおかしいぞ。あの小僧が原因か?
「違う。エド君は何も悪くない。悪くないの」
――だが、あの小僧が何かするたび、お前は傷ついている。あの小僧は私が見つけたが、お前の害になるなら私が喰い殺してやろう。
「やめて!」
ユティーは振り返って大声をあげた。
「そういうことはやめて、アズちゃん……」
ユティーはそう言うとふたたび自分の膝に顔を埋めた。「お願い……」
赤い竜は少し頭を上げると、ふぅーっと鼻息を吐いた。
――私が念話で語りかけるときは、私を『アズライグ』と呼ぶようにと言ったはずだが。
「イヤよ」
ユティーは姿勢を変えずに拒絶の言葉を吐く。赤い竜――アズライグはふたたび鼻息を吐く。
――まったく……。強情な娘だ。その強情っぱりは直らないものなのか?
ユティーから返事はない。
――ユースティティア。お前はこれまでも悩んできた。『竜の巫女』として生きるか……、いや、『死ぬ』、が正しいか。決して生半可に結論できない問題だ。それなのに、これ以上、悩みを増やしてどうする? それに、お前の進む道に、あの小僧の入る余地はない。あの小僧はこの島に置いていくしかないのだ。
「わかってる」
――ではなぜ、お前はこうも傷つき、悩むのだ? 会ってわずか一日しか経ってない小僧のことを、どうして気にかける? お前はあの小僧の何を知っているというのだ? 別れてしまえば、いずれ互いに忘れてしまうだろう。お前と小僧との関係はそういうものだ。
「それもわかってる!」
ユティーは膝に顔を埋めたまま叫んだ。「わかってる。だから、苦しいんじゃない!」
アズライグは首をかしげた。
――どういうことだ?
「エド君はね……、わたしを『ユティー』って呼んでくれる。『ユースティティア』じゃない。わたしの正体も旅の目的も何も知らない。だから、純粋に、今のあるがままのわたしを見て、『ユティー』って呼んでくれるんだ。これまで誰も向けてくれなかった、優しく、暖かい目をわたしに向けてくれた。そして、一所懸命に思い遣ってくれた……」
ユティーの声は、しだいに泣き声に変わっていく。
「この旅は辛いものになるってわかっていた。だから、船のなかでは明るくやっていこうって思っていた。でも、エド君が来てくれてから、わたし、自然に笑っていた。こんなに心が満たされるなんて思いもしなかった!」
アズライグは鼻先をユティーに近づけたが、思い直したように離れた。
「わたし……、今の自分が怖い。エド君を置き去りにして砂海へ出ようとしている自分のことが。そうするのがエド君にとっても正しいことだとわかってるのに、そうするのが辛いと思う自分が怖い……」
――ひとりになるのを恐れているのか? 少なくとも私はずっと一緒だぞ。
「ありがとう、アズちゃん。心強いよ、本当に。でも、わたし、自分が人間なんだってこと、思い出しちゃった……。こんな気持ちのまま自分の役割が果たせられるのか、わたしにはわからないよ……」
――重症だな……。
アズライグは鼻息を吐く。どうも、これは竜にとってのため息になるらしい。
――まぁ、船はすぐに動くことはできない。船が直るまでに自分の心に決着をつけることだな。もし、船が直っても心が決まらなかったら、私はあの小僧を踏み潰してやろう。死なない程度にな。そうすれば、お前と一緒に旅することはできなくなる。お前の悩みも苦しみも、その原因ごとこの島に置き去りにできる……。
アズライグはそうつぶやきながら首を自分の身体のほうへ戻した。犬が伏せをするように砂浜に腹ばいになり、目を閉じてしまった。もう、念話をやめてしまったらしい。
「アズちゃん……」
ユティーは相変わらず顔を埋めた姿勢のまま竜に話しかけた。
「もし、本当にそんなことしたら、アズちゃんを砂海に落っことしてやるから」
* * * * * * * * * *
エドは浜辺で出会った老婆に連れられて、島の集落に入っていた。
「女の子を迎えに行くのに手ぶらはダメ」
と説教されて、無理やり連れてこられたのだ。
集落の石造りの家は、道を挟んで向かい合っていた。2階建てで、1階部分が店になっていて、その景色はどこかの商店街を思わせる。老婆は、その商店街の真ん中まで引っ張っていくと、「お花でも何でも、買っていきなされ」と言い残して去ってしまった。
「……そうは言われても……」
エドは困惑顔で頭をかいた。しかし、そこですぐに気づく。「船の修繕に使える物!」
エドはあたりを見渡し、雑貨商か資材屋らしいものがないか探した。この島で売買されているのは果物や野菜、布あたりのようだ。砂魚のような鮮魚や肉類は見られない。いや、よく見ると、雑貨屋らしい店で干物類を売っている。故郷のサンドリウムとは店の構成や売り方がかなり違うとエドは思った。
……厄介かも。
ほしいのは木材、釘や鉄板あたりか。マストは取り換えるのが最良なのだろうが、最適な材料が見つかるかどうか。それに、どのぐらいの費用がかかるのか。エドは、自分で思いついたミッションの困難さに、すでにくじけかけていた。
「あんた、どこから来た?」
背後から声をかけられ、振り返るとターバンらしいものを頭に巻いた男たちが3人、エドを見下ろしている。3人ともあまり若く見えない。島の住民らしい。3人ともエドを警戒する目で見ている。
「え、ええっと、ぼくはサンドリウムから来ました……」
浜辺でかいた汗は引きつつあったが、新たな汗が噴き出してくる。
「サンドリウム?」
「あそこだ。カーマーゼンって国の……」
「連合じゃないのか?」
そうか。ここは帝国の支配域だった。エドは理解した。帝国と連合国が戦争をしているなか、見知らぬ者が入り込んだら警戒されるのは当然か。
「あんた、サンドリウムからどうやって来た?」
最初に話しかけた男が質問を続ける。
「小さな船です。掃除屋さんに曳航されて……。実は、大砂波に遭って船が壊れたんです」
エドは自分が歩いてきた方角を指さしながら説明した。だいぶ端折った説明だが、嘘にはなるまい。
「サンドワームに襲われたのか?」
別の男が聞いてきた。エドはしっかりとうなずく。「はい」
3人の男たちはそれで納得したわけでないようだった。
「俺が浜に行ってみる」
ひとりがそう言うと、エドが指さした方角へ走り去る。エドは少し不安を感じた。その男はエドの言う通り壊れた船を見つけるだろう。同時に赤い竜も。サンドリウムでは地竜と砂竜以外は目にしないから、見慣れない竜が街に現れたら驚くし、騒ぎにもなるだろう。この島でも同じ反応になるなら、ここでも騒ぎになる。いや、あの竜はすでに老婆に見られている。あの老婆はまるで驚く様子も見せなかった。簡単に注意を促せば事足りるのではないか?
「あの!」
エドは走り去る男の背中に向かって大声をあげた。
「船には赤い竜が乗っていますが、無害です。驚かないでください!」
「竜だって?」
残ったふたりから同時に声があがる。エドの声が届いた店からも何人か顔を出してきた。
「赤い竜って……炎竜じゃないのか?」
男のひとりがエドの肩に手を置いて尋ねる。中位クラスの竜は人間に懐かず、たいていが襲ってくることは島でも常識のようだ。男の声には険しい響きがあった。エドは少し後悔を始めた。どうも雲行きが怪しい。どうにか釈明しなければ……。
「炎竜は地竜と同じ体型……、四肢が牛のようになっています。足指が短く、物がつかめるような形状になっていません。ですが、あの竜は前肢がぼくたちの手に近いです。後ろ脚で立つこともできます。片翼ですが翼もあり、形状は炎竜とは異なります。また、性質ですが、炎竜は知性が感じられず獰猛ですが、あの竜は理性的で大人しいんです。まるで別ですよ」
「理性的な竜?」
残るひとりは懐疑的な声をあげた。「そんな竜がいるか?」
そう言われればそうか。自分も最初は自分が喰われてしまうか警戒したのだから。しかし、今ではユティーの言う通り竜が無害であると認識している。周囲も同じように認めてもらえれば問題ないはずだ。
しかし、エドの期待は甘いようだった。いつの間にか、エドは槍を手にした男たちに取り囲まれていた。
「おい、兄ちゃん」
エドを取り囲んでいる男たちのひとりが話しかけてきた。「その竜がいるってところに案内しな」




