――見てました?――
アンバサルは、周囲がおよそ10海里強(※約20㎞)の小さな島である。大砂海のところどころに現われる固い大地のひとつだ。これらの大地は一般に『島』と呼ばれ、どこから種が流れて来たのか、さまざまな植物が生息している。ちなみに、アンバサルでは椰子のような樹々が島を囲むように森を形成し、これが自然の防風林となって砂海の砂から島を守っているようだ。
島の中央部分には大きな泉が湧き、砂海を渡る鳥たちや、その島で暮らす人びとの命をつないでいた。島の住民は帝国のシュメール人とは民族的にまるで異なる。髪や瞳は黒く、背も全体的に高くない。彼らは、島でわずかに耕せる畑の作物と、砂海で採れる砂魚などで生計を立てていた。
エドがユティーとともにアンバサルの沿岸に降り立ったとき、樹々のすき間から住民が住む家々が見えた。それらはみな石造りで、高く昇った陽の光を白く反射していた。
……ここがアンバサル……。
エドは自分の胸に手をあてて、心のなかでつぶやいた。素朴な島で、ここで生活はできるように思えるが、船の修理ができる設備があるように見えない。ユティーの船が直るのは時間がかかりそうだ。修理費用もどれぐらいかかるか……。
しかし、そのためにネックレスを使うことはできない。これはすでに曳航代として支払われるものだからだ。
「たしかに無事、送り届けたぜ」背後からレンブラントの声が聞こえる。エドは振り返った。「わかっています」
エドは自分の首にかかっていたネックレスを外すとレンブラントに差し出した。エドはそれを受け取ると、鎖部分を握って石をぶら下げる。石を自分の目の高さまで持ち上げて、石をよく見ようとしている。
「……おい、エド。お前はこれが何の石か知っているのか?」
エドは首を横に振る。「……知らない……と、言うより、覚えていないんだ。ユティーに助けられる前のことを思い出せない。どうして砂海を漂うことになったのか、それも……」
「……お前の船はサンドワームに襲われていたからな。衝撃で記憶が吹っ飛んだんだろうな」
レンブラントはすっと石を上下させて手のなかに握りこんだ。「ま、いいか。たしかに代金はいただいたぜ」
レンブラントはネックレスをズボンのポケットにつっこむと身体の向きを変えた。「おい、みんな、引き揚げるぞ」
掃除屋たちを乗せた船虫の群れが砂平線に隠れるまで、エドとユティーは無言のまま見送っていた。……と、言うよりユティーに話しかけられなかった。あれからユティーはエドと目を合わそうとせず、会話もなくなったのだ。
……気まずい。
エドの交渉で、ユティーの船は無事、島に着いた。しかし、それはエドの独断でしたことで、ユティーは最後までエドの提案に不承知だった。エドは助けてもらった礼だからと主張したが、それを素直に受け取れていないのは間違いない。
どうしたものかと思い悩んでいると、エドは自分の手をぎゅっと握られるのを感じた。見ると、ユティーがエドの右手を握っている。エドは緊張した。ユティーの手が震えているのが伝わったからだ。
「……ごめんなさい。本当は『ありがとう』と言うべきなのだろうけど、わたし、どうしても『ごめんなさい』しか言えない……」
エドは驚いた。今までユティーの機嫌を損ねたとしか思っていなかったのだ。まさか、ここまで気に病んでいたとは思い至らなかった。エドは身体をユティーに向けた。
「ぼくこそごめん。ぼくは君に恩返しがしたかっただけなんだ。それなのに、君を苦しめてしまうなんて……」
「謝らないで」ユティーはエドの言葉をさえぎった。エドを見つめる青い瞳は涙に覆われている。
赤い竜がユティーの背後から首を伸ばして、鼻先で頬ずりした。
「掃除屋に渡したネックレスのことは、もう気にしないで。本当に価値がわからないんだ。少なくとも思い出の品じゃない。両親は健在だから遺品じゃないしね」
少し冗談めかして言ってみたが、それでもユティーの心は晴れないようだった。
「でも、大事なひとから預かったものかもしれないんだよ」
そう言われると言いようのない不安がエドの胸からせりあがってきた。どこか、とんでもないことをしたのではという思いが湧いてきたのだ。しかし、ネックレスはすでに渡してしまった。あれを取り戻すのは不可能だろう。
「提案があるんだ」
エドはユティーの手を握り返した。
「船の修理を手伝わせてほしい。そして、修理が終わったら、ぼくを連れて行ってほしいんだ」
「どこへ?」
「君の行こうとするところ」
ユティーは目を大きく見開いた。
「君は旅をしているんだろ? ぼくもその仲間に加えてほしいんだ。そこの……」
エドはもう片方の手を伸ばして竜の鼻にあてた。「アズちゃんと同じように」
「ダメだよ……」
ユティーはエドから手を離すと、数歩後ずさった。「キミにはキミの行きたいところ、夢があるじゃない……」
「そうさ。ぼくの夢は世界をまわる大商人さ」
エドは胸を張った。
「それを叶える第一歩だよ」
「それが、わたしと一緒に旅をすることにつながるの?」
「つながるさ!」
エドは両手を大きく広げた。
「ぼくは昨日から君に圧倒されっぱなしだよ! 何だってひとりでこなしてみせるし、ほかにもいろいろ凄いところを見せられたよ。あの大砂波のときだってそうさ。あんな船の操縦、ぼくは見たことがない。船は壊れちゃったけど、それでも君じゃなかったら、ぼくたちはとっくに砂海に飲み込まれて沈んでいたんだ。でも、ぼくたちはこうして生きている。君の『生きる力』は本当に凄いんだ!」
ユティーは立ったままエドを見つめている。
「ぼくは君と旅をして、君の生きる力を学びたい。それはきっと、ぼくが大商人になる夢に……、違う、ぼくがどう生きるかということにつながっていく。それに……」
エドは一呼吸おいた。
「ぼくは君を助けたい。君がぼくを助けてくれたように。ぼくに安心を与えてくれたように。だって、君は……」
エドは真剣なまなざしをユティーに向けた。「ときどき不安そうな顔をするから」
ユティーは自分の口に手をあてた。その様子を見ながら、エドは微笑んだ。朗らかなユティーがときおり見せる、どこか感情を失ったような表情。エドはそこにユティーの不安を感じとっていた。それが、何に起因するものかはまるでわからなかったが、そんなユティーをそのままにしておけなくなっていたのだ。
「ま、まぁ、君からすれば迷惑な話だと思うけど……」
自分でも締まらないと思いながらも、そんな言葉が漏れる。情けないが、エドはそんなに自分自身に自信を持っていないのだ。
ユティーはくるりと背を向けると、竜の首に手をかけた。「船に戻ってる……」
ユティーが竜とエドから離れていくのをエドは寂しく思いながら見つめていた。けっきょく、「一緒に来ていい」と言ってくれなかった。たしかに、会って一日しか経っていないのに、この申し出は強引で図々しいものだろう。断られて当然だ。しかし、エドはユティーの態度に違うものを感じていた。
「ユティー。君は今、泣いているの?」
エドは小さくなったユティーの背中に、小声で話しかけた。今、彼女を追いかけることができない。あの背中には「来ないで」という拒絶の気持ちが感じられたからだ。
――しかし……。
「追いかけないのかい?」
背後からしわがれた声が聞こえ、エドは飛び上がった。おそるおそる振り返ると、島の住民らしい老婆がひとり、砂浜に腰を下ろしてエドを見ていた。いつから老婆がいたのか、エドはまるでわからなかった。エドの額から大量の汗が噴き出してくる。
「あの……、見てました……?」




