第一話 巡る季節
もうすぐ玄との停戦が一年経過するということで、正式な同盟を結ぶため、桓碧雲や他数名の皇族・政務官たちと共に玄陽宮へ訪問することが決まった。
陶霖は桓碧雲に、以前から相談していた玄との術符の共同研究についての話をしたところ、陶霖が主導で動くのであれば問題ないとのことで、準備を進める。
玄側へも前段階として、打診の文書を黎国の公式文書とともに送ることになった。
同時に、術符研究部でも具体的な内容を詰めていく。
術符の研究の方は、明火符の研究は一旦改良を終え、別の術符の改良に取り掛かっている。
改良する術符は大規模なものであるため、今回は研究員は駿成と陶霖含めて六名体制で取り組んでいるが、術符も複雑であり実験に使う霊力や規模も大きく、研究は思うように進んでいない。
江念は術符を書く正確さと速度を研究部長に買われて、十日に三日は正式に研究部の補助へ入ることになった。
それに伴って、陶霖も江念から黎の薬術について少しずつ教わるようになった。
澄然もますます術符に興味を持っているようで、近頃は陶霖や駿成が書く術符を真似して書いている。
大抵は使えないか劣化版で思うような効果が出ないことがほとんどだが、近頃は時折想定通りの効果を発現できる術符も書けている。
だが、研究部で扱う術符は危険なものも多い。
もとより機密も扱う研究部に出入りすること自体を桓碧雲が許可するとは思っていなかったので、陶霖も気をつけるようにしてはいたが、近々桓碧雲に言って出入りを制限しなければならないと思っている。
鎮烈は訓練兵を卒業したそうだ。
陶霖としては、玄との術符の共同研究が正式に決まれば、護衛として同行してほしいと考えている。
黎国は現在、南側で隣国との関係が緊張状態にある。
南に位置するこの国は、以前より定められている国境を超えて領土を主張してきたり、関税を急に引き上げてくるなど、強引な手段が引き金となって争いを繰り返しているのだ。
願わくば穏便であってほしいものだが、南の隣国は昔から黎国と同様に旱魃が多く食糧難になることも度々あるのにもかかわらず、国主の独裁で貧富の差が激しいまま、黎国も手をつけられずにいるらしい。
桓碧雲が自国で成功した旱魃対策について教えようと政府に何度か持ちかけたこともあったが、そのたびに断られているという。
いっそ政権を打倒して自国にしてしまえば良いのではないかという案も出ているが、南に大きく出たとなれば、東と西の隣国が黙っていないだろう。
尤も、黎国が玄国と同盟を組んで周囲の国々に侵攻しようと企んでいるのではという噂も出ているらしい。
黎国内では近年、農業用水の管理・統制や節水のための土壌改良などの旱魃対策や、各地にあった貧民街の改善に力を入れている。
領土を増やすことよりまず自国の改善を優先にした政策で、桓碧雲は支持者を増やしてきたのだ。
何にしても、北に位置する玄と友好的であることが、東西南に対する抑止力となる。
玄から正式な返答が届いた。
術符の共同研究についても前向きに進めたいとの返答があった。
いよいよ玄へ訪問する日となった。
見送られながら、桓碧雲と桓明稀は政務官や護衛を伴って御剣飛行で移動する。
国境に差し掛かると、御剣を降り、玄に入ってからは迎えの馬車に乗っての移動だ。
馬車の中で揺られながら、とても緊張した自分に気づく。
黎国の人間としての、大きな務めになる。
玄の人に共同研究の有用性を理解してもらえるよう、話すことを考えてきたが、うまく話ができなかったらどうしよう。
そもそも自分はこの国を裏切る形で黎国に来た人間なのに……。
「随分と緊張しているな」
桓碧雲が隣から話しかける。
「もちろん緊張しますよ。……父上は、いつも緊張しないのですか」
「しているよ。いつも緊張している。だが、それも悪くない」
陶霖が首を傾げると、桓碧雲は笑って答えた。
「それだけ大事に思っているということだろう。私も若い頃は緊張で何度も失敗した。だが、次第に考え方が変わったのだ。これは自分のためではなく、民のために行なっていることなのだと。そう考えると、力が自然と抜けてくる」
「民のために」
「ああ。その場で自分が失敗するかどうかなど、どうでもいい。大事なのはその結果だ」
陶霖はふと、外を見た。
自分は今回、この国との橋渡しの役割で来た。
自分自身がどう考えようと、桓明稀は雨を降らせることができる血族で、黎国の皇帝・桓碧雲の子なのだ。
自分が両手を握りしめていたことに気づき、ふっと息を吐いた。
「……大丈夫そうだな」
「はい」
玄陽宮。
桓碧雲と桓明稀は盛大に迎えられた。
玄国皇帝・玄曜淵と挨拶を交わすと早速玄国主要陣との会談に移る。
黎国からは政務官や軍の幹部、術符研究部の責任者が同席し、玄国側は玄曜淵、文官らしき人、主要な十大仙門から掌門が数名同席した。
はじめに、書簡のやりとりにてあらかじめ決まっていた同盟の締結が行われた。
停戦協定後から国交も以前と比べて格段に多くなったことで、皇帝二人は和やかな雰囲気で話を進める。
「先に書簡にてお伝えしていた術符の共同研究について、桓明稀より説明いたします」
やはり、陶霖の信用はあまりないらしい。
玄側の視線はどこか冷たく感じる。
「私は玄国にいた頃より、術符の研究に取り組んでいました。しかし黎国へ来て、初めて他国の術符理論に触れたことで、ある考えに至ったのです」
陶霖はゆっくりと二枚の術符を取り出した。
「見ておわかりの通り、こちらが玄でよく使用されている明火符、そしてこちらが黎で最も一般的に使われている明火符です」
その場にいた者たちの視線が、自然と手元に集まった。
黎の術符は簡略化されているが、玄の術符は書き込みが多いことも、並べて見ると一目瞭然だろう。
「玄と黎では、術符に対する考え方そのものが異なっています」
簡易結界を周囲に展開し、両手に持った術符へそれぞれ霊力を流し込む。
二種類の火が灯った。
片方は強く大きく燃え上がり、広い室内を一気に照らす。
もう片方は火勢こそ控えめであるものの、揺らぎが少なく安定して燃えている。
玄の文官の一人が、わずかに眉を動かした。
「玄国の術符は、邪祟への対応を前提として発展してきました。個人、あるいは少人数での運用を想定し、少ない霊力で複数枚を扱えるよう調整されています」
そう言って、玄の術符を軽く掲げる。
「そのため、一枚ごとの効果は最低限に抑えられていますが、持続性と扱いやすさに優れている」
続いて黎の術符へ視線を向けた。
「対して黎国の術符は、軍による大規模運用を前提として発展しました。野外での集団行動や戦場での使用を想定しているため、一枚ごとの出力と範囲が大きい」
燃え上がる火が、空気を揺らす。
「ですが、その分霊力消費も激しく、持続時間は短く、半時辰ほどしか保ちません」
陶霖はそこで一度言葉を切った。
「私は、この二つの理論は対立するものではなく、補い合えるものだと考えています」
新たに三枚目の術符を取り出す。
「こちらは、先日黎の術符研究部にて改良した明火符です」
術符へ霊力を流す。
ふわりと現れた火は、黎の術符ほど派手ではないが、揺らぎがない。
その場にいた掌門たちはすぐに気づいた。
「……霊力の流れが」
小さく呟いたのは、掌門の一人、蘇海嶺だった。
「従来の術符に見られた複雑な霊力経路を整理し、構造を簡素化しました。これによって、扱いやすさを維持したまま、持続時間を向上させました」
陶霖は術符を指先で示す。
「さらに、環境耐性も向上しています。風や湿度など、野外環境による影響も大幅に軽減されました」
陶霖はそこで玄側を見渡した。
「玄には玄の強みがあり、黎には黎の強みがある。だからこそ、共同研究には意味があると私は考えています」
玄側の者たちの空気が、先ほどまでとは少し変わっていた。
「これは単なる術符研究ではありません」
握っていた術符を静かに下ろす。
「互いの技術と思想を知ることは、両国の理解にも繋がるはずです」
ふと、蘇海嶺と視線が交わる。
彼は柔らかな笑みを浮かべ、静かに頷いた。
先ほどまで陶霖へ向けられていた探るような視線は薄れ、代わりに術符そのものへ興味を向ける者が増えている。
「興味深いな」
口を開いたのは、玄側の掌門の一人だった。
「こうして並べて見せられると、両国の術符の違いがよくわかる」
「玄と黎では、同じ術符でもここまで発想が異なるのか」
別の掌門も感心したように術符を見つめる。
「しかし、根本にある理は共通しているようだな」
「はい」
陶霖は小さく頷いた。
「互いの理論を組み合わせることで、より良い形にできるのではないかと考えています」
その後も、術符構造や霊力消費についていくつもの質問が飛び交った。
黎側の研究員たちも説明に加わり、気づけば当初の張り詰めた空気は薄れていた。
そして会談の最後。
術符の共同研究は、正式に承認された。
まずは試験的に、二月の共同研究期間を設けること。
研究は玄陽宮にある玄軍直属の研究機関にて行い、黎側から研究員を派遣すること。
また、玄側も各仙門より参加希望者を募ることが決定した。
玄での滞在を終え、陶霖たちは黎国へ戻った。
術符の共同研究が正式に決定したことで、研究部はかつてないほど慌ただしくなっている。
玄へ向かうのは、陶霖、駿成、そして志願した四名の研究員だ。
護衛として鎮烈も同行することが決まった。
「護衛希望、かなり多かったらしいよ」
資料をまとめながら、駿成が苦笑する。
「鎮烈が訓練視察の話なんてするから」
先日の会談では、共同研究だけでなく、玄軍の訓練視察についても許可が下りていた。
黎側の兵たちの関心も高く、長期派遣という条件にもかかわらず希望者が殺到したらしい。
最終的には選抜試験まで行われたのだとか。
「ここまで大事になるとは思わなかったな」
陶霖は机に積まれた資料を見ながら呟く。
共同研究で扱う術符、玄へ持ち込む資料、各研究員の担当分け。
準備は想像以上に多かった。
だが同時に、それだけ多くの者が今回の研究へ期待しているということでもある。
駿成も他の研究員たちと共に資料整理を進めながら、どこか落ち着かない様子を見せていた。
「私も行きたかったなあ……」
研究部に手伝いに来ていた江念が呟いたのが聞こえ、陶霖は手を止めた。
「うそ!うそだよ!だって今回は馬車で行かないといけないんでしょう?あの山越えを馬車で五日間なんて……考えただけで吐きそう」
江念は陶霖の視線に気づくと、早口でそう続けた。
陶霖はひややかな視線で江念を見る。
「何よ」
「別に俺の前でくらい、本音言ってもいいと思うけど」
江念は口を窄めて言う。
「……陶霖のくせに」
「なんだよそれ。お互い弱みを曝け出してきた仲なんだし、今更気にすることないだろ」
「……」
今度は江念が懐疑的な目で陶霖を見た。
「何だよ」
「あの陶霖が、大人になったなあって」
「そうかな」
少し嬉しくて口角を上げると、江念は陶霖の頬を摘んだ。
「やっぱ変わんないね」
「どっちだよ!」
陶霖が頬を膨らませると、江念は昔と同じ笑顔を見せた。
「あはは!そういうところ!前なら陶霖のくせにって言った時点でほっぺた膨らませてた、って話」
それを聞いて頬を手で潰したが、もう遅い。
「何を話しているんだ?」
ちょうど手伝いにやってきた鎮烈が、陶霖たちに尋ねる。
入り口側に居た江念は、鎮烈を一瞥するとわざとらしくため息を吐いた。
「……来たよ」
「何だよ、その言い方は?」
「北の配属になったのに、またつきまといに戻ってきたの?」
江念は陶霖の肩に手を回して言った。
「お前の方こそ」
「私は陶霖と昔からの友だちだもん」
江念と鎮烈は相変わらず……いや、近頃、以前よりさらに喧嘩ばかりしている気がする。
「俺だって友だちだよ」
「はいはい二人とも喧嘩しない」
このやり取りをしばらく見られなくなるのは少し寂しい。
けれど、再び玄の地を踏み、新しい出会いと研究の日々が待っているのだと思うと、胸の奥は自然と高鳴っていた。
登場人物
陶霖/桓明稀
【黎国】
現皇帝・桓碧雲……陶霖の父親
容嫣……桓碧雲の側妃。
澄然……容嫣の子。陶霖の腹違いの弟。
駿成……術符研究部員。陶霖と同い年。
鎮烈……黎国軍兵。
江念……巡風門の門下生だった。現在は黎国軍の薬術部に所属。
【玄国】
皇帝・玄曜淵
蘇海嶺……巡風門の掌門。




