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氷の瞳と冷たい雨  作者: 芋洗べに子
第八章 雨隠
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第二話 血族


宴もたけなわとなってくる頃、陶霖タオリン杨静姝ヤンジンスーに手招きされ、外に出た。

辺りはすでに暗闇に包まれていた。

松明の明かりが煌々と集落の建物を照らしている。

陶霖たちは、先ほどいた集会所の裏にある、集落を一望できる小丘に腰を下ろす。

「そなたが見ていた雪蘭シュエランを、……雪蘭の最期を、教えてくれるか」

屋内で見ていた姿は自分の曽祖母という年齢には見えないほど背筋も伸び若々しい印象であった。

だが、今隣にいる女性は腰が曲がり、陶霖よりもずっと背が低く、弱々しい印象を受ける。

「……私にも、あなたの知る母の全てを教えてくださると、お約束いただければ」

陶霖が緊張した面持ちでそう言うと、杨静姝は再び面白そうに笑って答えた。

「ああ、もちろんだよ。そのつもりで呼んだんだ」

陶霖はあの頃を思い出す。

「母は、私に沢山の愛情を注いでくれました」

陶霖は物心ついた時から、あの閉鎖的な村で、母と二人、小さな小屋に住んでいた。

当時は、何の疑問も持っていなかった。

確かに陶霖たちはあの寒い小屋の中で冬を越すのに苦労していたが、食べるのに困ることはなかった。

母の働く屋台の店主夫妻は、陶霖たちにとてもよくしてくれていた。

幼い子どもを一人抱えた女性が生きていくことなど、誰かの援助がなければできなかったことだったのだ。

母が働く間、陶霖はいつも村の子どもたちと一緒に遊んでいた。

「母は、疱瘡に罹り、小屋の中で自害して、あっけなくこの世を去ってしまいました」

横から杨静姝の手が、陶霖の頭をそっと撫で、肩を引き寄せた。

「……辛かったね」

陶霖の中では、もう母が亡くなったのはずっと昔のことで、こうして話していても自分のことではないような気さえしていて、今更悲しいとか辛いだとかそういった感情は出てこなかった。

「でも、私を拾ってくれる人もいましたから」

「そのあとはどうしたんだ」

「玄の仙門の長老に拾っていただきました。生前の母と由縁があったようで」

「その長老に育ててもらったのかい?」

「はい。彼がそのまま、私の師となってくださいました。私は巡風門で鍛えられ、一年前、黎国の皇帝の子であることを知りました」

「……それまで、自分の出自について知ろうとは思わなかったのかい?」

「もちろん、母には何度も聞いていました。自分の父親は一体誰なのか。出身地についても。でも、絶対に教えてくれなかった」

「そなたを、守ろうとしたのかもしれないね」

「……そうなのかも、しれません」

陶霖は続ける。

「私に、あなたが知っていることを教えてください、母のこと、そして母が持っていたという雨を降らせる力、ここに住む血族は一体何なのか」


話をしていると、桓碧雲が自ら布を持って陶霖たちの方に歩いてきた。

「夜は冷えますので」

桓碧雲は、二枚の布をそれぞれ杨静姝と陶霖の肩に掛けると、その場から立ち去ろうとする。

「もう行くのかね」

「……お邪魔でしょうから」

「話を聞くくらい、構わない」


杨静姝が言うと、桓碧雲は少し離れたところにそっと腰を下ろした。

「私たち雨隠ユーユンの民は、文字を持たない。口伝で言い伝えられてきた、私の知る全てをできる限り伝えよう」

そこから、歴史の裏とも言えるような、彼女が見た一部始終が語られた。


雨隠の民は、いつからあったのかわからないほど遠い昔から続いている血族だったらしい。

昔、最も多い時では人口が5000人ほど居たのだとか。

その時にはこの緑地は今の何倍もの大きさがあり、血族の中でも雨を降らせることのできる者たちが順で雨を降らせることで土地を守ってきた。

当時から周辺は荒地に囲まれていた。

荒地の日中は溶けるほどに暑く、夜は凍えるほど寒い。

そんな中を何時辰もかけてやってこようという者は、今と変わらず少なかった。

自然が雨隠の民たちを守ってくれていたのだ。


杨静姝が生まれた頃は、この雨を降らせる能力を使えるものが二人残っていた。

杨静姝の父親がそのうちの一人だった。

それでももう、小雨を二時辰ほど降らせることができるのみであったが、能力に頼って生きてきた雨隠の民たちは、彼らを頼るしかなかったそうだ。

「能力を使用すると、身を削ることになると聞いただろう」

「はい」

雨を降らせると数日は目覚めなかった、というのもそれが理由なのだろうか。

「言うとおり、彼らは身を削っていた。能力を持つものは、そうでない者と比べて明らかに短命であったからな。私が生まれた時にいた能力をもつ二人も、私が二十の年になる前には亡くなった。

なぜ能力持ちが減っていったのかは諸説あるが……荒野の真ん中にあるとは言っても、時折旅の者などが迷い込んでくることもあれば、乾燥地帯を出て交易を行っている者もいた。

単純に、血が薄まったことが原因だろうと私は思っているよ」


それから、杨静姝より下の世代に能力を持つ者は現れなかったそうだ。

集落の若者たちはどんどん外に出ていき、人が減っていった。

杨静姝が生まれる前から能力を持つものは減っており、その時既に、以前と比べてこの緑地の面積は大きく減少していたそうだ。

雨を降らせる能力を持つ最後の一人だった杨静姝の父が亡くなってからは、急速に緑地は狭くなっていった。


杨静姝の娘は例に漏れず、外の世界に興味を持つ子だった。

行商にやってきていた青年と恋に落ちた。

青年は集落に残ることを決めて二人は結婚し、子を授かった。

しかし、杨静姝の娘──雪蘭の母親は、産後の肥立が悪く、雪蘭が三歳になる前に亡くなってしまった。

青年も雪蘭をここに残して、どこかへ消えてしまったそうだ。

杨静姝の夫も、娘が亡くなった悲しみもあったせいか、病を患い、数月も経たずに亡くなってしまった。

「雪蘭は私が育てた。あの子は……私の唯一の希望だった。だから、厳しくしすぎたのかもしれない。あの子は強い子だった。よく交易のためと言って乾陵を出て、抱えきれないほど物を持って帰ってきた。

ある時、雪蘭が一月ほども帰らない時があった。

その頃、黎国が旱魃に襲われ、紛争が起きそうになっているという情報が入ってきた。

どこかで巻き込まれてしまったのではという私の不安などなかったように、あの子は元気に帰ってきたんだ。

好きな人ができたから、結婚すると言ってね。

皇族だと知った時には驚いたが……言った通りに一年後には嫁いでしまった。

あの子に雨降の能力があると知ったのは、あの子を隣国に逃がしたと桓碧雲から聞いた時だ」

杨静姝は俯き、話を続ける。

「私は……情けない。娘から託された大事なあの子を、見知らぬ国で死なせてしまった」

そう言った彼女の声は震えていた。

陶霖は何もいうことができず、ただ星が良く見える空の向こうを眺めていた。

「そもそも、いつから何のためにこの能力は発現したのでしょうか」

陶霖が口を開くと、杨静姝は言う。

「さあ……遠い昔のことすぎて、誰も知らない。人にはなぜ霊力が備わる者とそうでない者がいるのか、なぜ男と女がいるのか。そういった疑問と同じくらい、わからないことだ」


その後も陶霖は杨静姝といろんな話をした。

巡風門の門下生となってから、仲間たちに恵まれて自己研鑽を積んできたこと。

特に師尊もしていた術符の研究には興味があり、師兄とともにいつも研究をしていたこと。

黎国に来てからも軍部にある術符の研究室で一緒に研究をさせてもらっており、いつか玄国とも術符の知識について共有したいと考えていること。


そして、杨静姝はこの集落について教えてくれた。

基本的には生活の全てをここで採れたものや作ったもので自給しているが、昔から交易は盛んで、工芸品、食器や家具などは交易商や南にある国境都市で手に入れてくることも多かった。

そのため、この集落独自の言語もあるが、交易に関わる者は皆黎国の言葉を扱えるのだとか。

また、この緑地の土は霊力を媒介しやすく、加工もしやすいため希少価値もあり交易の商品としても人気が高い。

数十年前には樹木にも同様に霊力を通しやすい性質があることがわかったため、沢山の木が伐採されてしまったのだという。

国はこの資源を守るために保護を申し出てくれているが、もとより自然の力で作られたもの。

人の力でどうにかできるものでもないという。




翌朝、陶霖は早朝に起きて羊や農作物の世話をしているところを見させてもらった。

集落の長である杨静姝も他の人たちと同じように働いていて、彼女は農作物が担当らしい。

その後陶霖は、男たちが集落の森の奥地に植えられた葡萄となつめの木の世話に行くというのでついていくと、開けた土地に葡萄の棚が広がっていた。

「すごい。これ全部葡萄ですか?」

芽吹き始めたばかりの葡萄の蔓は、這わされた木の骨組みが目立つ。

手が届くほどの高さ一面に蔓が絡まり、それが奥まで広がっている。

ところどころから陽の光が差し込み、鮮やかな緑色が視界いっぱいにひろがっている。

「そうだ。今日は剪定をして、二月ほど後に実を付けられるよう整える作業だな」

陶霖が見上げるほどに背の高い男が言う。

この集落の人たちは皆、背が高い。

荒地の中の集落とは思えないほど、身体つきもしっかりしている。

「私も手伝わせていただけませんか?」

「構わないが……」

男は躊躇いがちに答えたが、陶霖は気に留めることなく、はさみを借りると張り切って教わった通りに剪定を開始した。

……が、葡萄棚は陶霖が上に手を伸ばした所に広がっているため、常に首を上に向けての作業である。

すぐに首が痛くなった。

それでも頑張って作業を続けていたが、ついに陶霖に剪定のやり方を教えてくれた男が声をかけてきた。

「君には向いてなさそうだな」

そう笑われて、陶霖はようやく諦めて鋏を返した。


「行こうか」

杨静姝の後に続き、森林の中の道なき道を歩く。

昨日話をしていた、雨隠ユーユンの石碑に向かっていた。

外部の者には隠された場所にある石碑には、陶霖だけを案内してくれるという。

使い方を知った者が、秘術を使える者に無理やり術を使わせないためだ。


森は更に深くなり、薮を掻き分けて進む。

突然、森が開けて石造りの小さな建物が狭い空き地にぽつりと建っている。

裏に回ると、小さく空いた入口があり、そこから中へ入る。

地面が掘り下げられており、内部は外から見るより広く感じた。

真ん中に一つ、大きな石が置かれ、そこには人の絵が書いてある。

涙を流す人。

自らの手を刃物で傷つけ、その血に涙が混じり合う様子。

石には細かな縦長の楕円形がいくつも描かれていたが、それが雨を表していると気づいた。

「……これだけ、ですか」

「ああ。簡単なことだ」

隣に立つ杨静姝を見ると、彼女は持ってきた桶を置き、杓で石碑に水をかける。

そして持ってきた布で拭きはじめた。

石碑には殆ど汚れと呼べるほどのものもないのは、こうして丁寧に手入れをしているからなのだろう。

「どうして、国からの保護の申し出を断っているのですか」

杨静姝は眉を上げ、少し笑って答える。

「……守るほどのものでもないだろう」

「こんなに綺麗にしているのに?」

杨静姝は手を一瞬止めたが、すぐにまた石碑を掃除しはじめた。

「もう、この石碑も必要ではなくなる。私は昔からの習慣でここを掃除しているだけだ。……今は、集落の若者にもここの場所を教えていない。

昔からこの地の者は攫われたり、諍いを起こすことが多々あったそうだ。それもそうだろう、こんな人智を超えた力は、秩序を乱す。皆欲しがって、躍起になる。

黎の皇帝は保護を申し出てくれているが、そんなものがなくても昔から国は守ってくれていたのだよ。今ではもう忘れられてしまったようだが」


杨静姝は石碑を拭き終えると、立ち上がって陶霖に訊ねる。

「そんなことより、この石碑を見て、そなたも試してみたいとは思わないのか」

「いえ……でも、母に能力があったということは、私も使える可能性が高いと、周囲の人たちも皆そう思っていることは知っています。自分の父親が皇帝だったということだけでも驚いたのに……」

そこまで話して、気づく。

「怖い、です」

「怖い?」

陶霖は頷いて続ける。

「自分にそんな力があるなんて」

「……そうか」

杨静姝は肯定も否定もせず、静かにそう一言だけ言った。

石壁の隙間から風が吹き抜け、陶霖の汗が冷えてぶるりと震えた。

「自分は何も変わらないのに、周囲だけが変わっていく」

自分が皇帝の子だと発覚してから、変わらなかったのは師尊と温安と鄭知と……それから江念や駿成、鎮烈も気楽に接してくれている。

「……そうじゃない人もいました」

陶霖が少し笑ってそう言うと、杨静姝は陶霖の頭を撫でた。

「そなたは、賢いな」

「どこがですか」

「大抵の者は大きな力を手にできると思うと、気が大きくなるものだ。先ほど言った誘拐や諍いだって、力を奪おうとした者たちが起こしたこと。能力や権力は悪い輩を惹きつけることにもなる。

でも、そなたははじめから力に依存していない。だから周囲の者たちも変わらないのだろう。

この石碑には大事なことが描かれていない。能力を持たない私にはよくわからないが……『想い』が強いほど、この力は真価を発揮するのだと……人を救う力にもなるのだと、父は言っていた」

杨静姝はそう言って、また陶霖の頭を撫でた。

「あなたは、師尊と似ている気がします」

「……その人は、どんな人なんだ?」

「話したり、人と関わることに関しては不器用ですが……誰よりも強く、優しく、周囲の者たちを大切にしてくれる人です。……あなたは不器用ではなさそうだけど」

「そなたは人に恵まれているのだな」

陶霖は、なぜかすっきりとした気分になっていた。

背が随分と曲がった自分より小さな女性は、その実はとても偉大で、その人に自分自身を見てもらえたような気がした。

杨静姝とともに集落へ戻ると、皆すでに出る準備を済ませており、すぐに城へ向けて出発した。

森へ入る直前、振り返ると、遠くで杨静姝が満足そうに笑ってこちらを見ていた。


「何を話したんだ?」

森を抜けると、桓碧雲が問う。

「秘密です」

陶霖がそう言って笑うと、桓碧雲は首を振って、陶霖の肩を軽く叩いた。


陶霖は考えていた。

力をどこで試すのか。

自分にはその能力があると、陶霖には妙な確信があった。

しかし、知られるわけにもいかない。

母はいつ、どのようにして自分に力があることを知ったのだろうか。

──想いが強いほど、力は真価を発揮する。

もしかして、桓碧雲に出会ったあの時に自分の能力を知ったのでは?

そうして道中、陶霖は自分が今後どう振る舞うべきかひたすらに考えていた。


翌日。

一行は無事、帰城した。


それからさらに時は流れ、もうすぐ中秋節になる頃。

陶霖は、黎での日々を過ごしながら、少しずつこれからのことを考えるようになっていた。





登場人物

陶霖タオリン/桓明稀ファンミンシー

杨静姝ヤンジンスー……雨隠の民の長。杨雪蘭ヤンシュエランの祖母。

現皇帝・桓碧雲ファンビーユン……陶霖の父親

陶霖の母 杨雪蘭ヤンシュエラン……黎皇帝・桓碧雲ファンビーユンの正妃


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