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氷の瞳と冷たい雨  作者: 芋洗べに子
第八章 雨隠
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第一話 乾陵


季節は過ぎ去り、中庭の木々はすっかり葉を落とし、石畳の隅には乾いた落ち葉が吹き寄せられていた。

桓碧雲ファンビーユンとはいつのまにか前と同じように話せるようになった。


それからさらに季節は巡り、城内の木々にも新芽が見え始めていた。

陶霖タオリンれい国に来てはや三月。

桓碧雲との夕餉の席には他の皇族が一緒になることも多くなった。

これはもともと桓碧雲が皇帝になって以来少しずつ広げてきた決まりごとで、こうして食卓を共にすることで政に関してなど様々なことについて意見を共有したいというのが目的だそうだ。

そして最近わかったことだが、桓碧雲は陶霖がこの国へ来て一月程はかなり仕事量を調整していたらしい。

近頃は地方へ視察に行ったり、その他にも、陶霖にはよくわからない政務のために度々城を離れるようになった。

この忙しさこそ皇帝陛下の日常だったのだと、荷晴フーチンに教えてもらってようやく知った。

桓碧雲に多大に気遣いされていたとわかって、陶霖は少しの気まずさと、改めて尊敬の念を抱くようになっていた。

あれ以来、特に騒動になるようなことも起きていない。




陶霖の日課は、早朝に修練、朝餉のあと術符研究部へ行って、酉の刻まで他の研究員とともに術符の研究。

授業を挟み、さらに夕餉の後には国政・歴史・礼儀等についての勉強の続きや術符について調べ物をしている。

陶霖の皇族としての務めは、時折来る来客の応対が今は殆どだ。

今は他の皇族たちが行なっている務めを、今後は陶霖もこなすことになる。

この皇族としての務めに関しては桓碧雲と相談しながら徐々に増やしているところで、そろそろ地方への視察にも行ってみようということになっている。


術符の研究部には時折、澄然チェンラン江念ジャンニェンがやってくる。

澄然がやってくるようになって一月経つが、いまでも張り切って陶霖や駿成ジュンチェンが書き上げた術符を並べたり、筆や道具を洗ったり「おてつだい」をしてくれている。

「務め」というものに憧れを抱いているようで、日々の学習も熱心に行うようになって彼の授業を担当する先生も褒めていたと、桓碧雲から聞いた。

医務室と術符研究部は軍営でもそれほど離れた場所ではないためか、江念は数日おきに研究部に顔を出すようになり、いつの間にか研究員たちとも仲良くなっていた。


「また来てるのか」

呆れたような声に振り返ると、いつの間にか鎮烈ジェンリーが入口に立っていた。

その視線の先には、最近すっかり顔色も良くなりふっくらとしてきた江念がいた。

江念は時折実験の手伝いに来てくれていたが、術符を書くのが早く正確なため、近頃は時間が空くとこうして大量の術符を書くのを手伝いに来てくれている。

休憩中に来て手伝ったりしてくれるものだから、そんなことしなくても研究部に来ていいと伝えていた。

しかし澄然ですら手伝っているのにと言って、来るたびに何かしら手伝ってくれるのだ。

「来ちゃ悪いの?」

鎮烈の声に、すかさず返したのは江念だ。

「悪いとは言っていない。ただ、騒がしくなるだろう」

「本当に失礼な人ね。あなたの方こそ、明稀様に会いたいだけでしょう」

「そんなことはっ」

()()()()やりとりを聞きながら、陶霖は術符を書き続けて硬くなった肩を回しながら立ち上がる。

部屋の奥に整然と並べられた術符に、澄然が得意げに胸を張った。

「ぼく、おてつだいした!」

「うん、助かってるよ」

頭を撫でると、澄然は満足そうに笑った。

「明稀お兄ちゃん、これもならべていい?」

「いいよ、でもそれはまだ乾いてないから気をつけて」

澄然が鎮烈に向き直り、はきはきとした声で言う。

「鎮烈、見てないで、てつだってください」

鎮烈が小さくため息をつく。

「あのなあ、何度もいうが、私は術符の実験のために来ているんだ」

「それは今日は申の刻からだって駿成お兄ちゃんがいってました。まだ未の刻になってすぐです。またくんれんをサボって明稀お兄ちゃんにあいにきたのですか」

「……」

澄然はなぜか鎮烈に敵意のようなものを抱いており、会うといつもこうして小さなことでちくちくと攻撃し出すのだ。

「澄然、私が良いって言ってるんだから」

「……明稀お兄ちゃんは鎮烈に甘すぎます。あまやかしすぎてはダメなこになってしまいますよ」

「ブフッ」

横で聞いていた駿成と江念が吹き出す。

「それは……君の母上が言っているのを真似したのかな……」

陶霖は笑うに笑えず、澄然の頭をぽんぽんと撫でながら話す。

「鎮烈はその、私にとっても年上だし、というか甘やかしているわけでもないから……」

「澄然のいう通りだよ、陶霖。そいつ甘やかしたら大変なのはあなたの方なんだから」

澄然と同じく鎮烈に対抗心を持っているらしい江念にもそう言われ、陶霖は駿成に視線で助けを求める。

「はいはい、君たちそれ以上邪魔をするなら全員帰ってもらうぞー」

「「ええっ」」

「もう、せっかく術符も書き溜まってたし鎮烈だって早く来てくれたんだから、早く実験をはじめよう」

陶霖の言葉に、鎮烈と澄然がそそくさと術符を集め出す。

その様子を見て、陶霖は思わず口元を緩めた。

江念が陶霖の肩を叩きながら言う。

「二人も面倒を見なきゃいけないなんて大変だね」

「……君も彼のことを煽らないでいてくれると助かるんだけどな」

江念はいたずらな笑みを浮かべた。

「じゃ、私はそろそろ行くね」

「うん、いつもありがとう」

研究部も、今ではすっかり賑やかになっていた。




「明稀、墨が付いてる」

外に移動している途中、記録道具で両手の塞がった陶霖に、鎮烈が言う。

「え、どこ?」

鎮烈は手巾を取り出し、陶霖の顎のあたりを拭った。

「取れた」

「ありがとう」

陶霖が笑いかけると、鎮烈は目を逸らしてぶっきらぼうに「別にこのくらい」と言った。

「鎮烈は優しいのに、どうして澄然には優しくできないのかな?」

「……くっつきすぎだ」

「まだ五つの子に、何を言ってるんだよ」

鎮烈は陶霖に対して少し過保護なところがある。

一月前に術符を使い誤って右手を火傷したあとは、時間が空くたびに研究部に顔を出して陶霖の世話をしてくれていた。

こんなに研究部に来ていては訓練は大丈夫なのかと心配になったが、陶霖がその疑問を口にする前に、「今日の訓練は終わった」とか「次の仕事は午の刻からだから問題ない」だとか言うようになった。

そもそも右手が使えない以上、術符を書くこともできないので、陶霖は駿成が書いた術符をいつも澄然がやっているように整理したり、討論をするくらいしか役に立たず、他の研究員の術符を手伝ったりと目の前の術符研究に対してはあまり役に立っていなかった。

だから鎮烈には駿成のことを手伝ってもらいたかったのだが……駿成は言い放ったのだ。

「え、いらないよ。それより、鎮烈は明稀がまた怪我しないように見てて」

陶霖を子供扱いされる始末だった。

部屋に戻れば生活の世話は荷晴と子元ズーユエンがやってくれている。

「陶霖が世話焼かれがちって言っていたの、本当にその通りだったね」

駿成はそう言って笑った。




「明稀、次の視察はそなたが一緒に来なさい。西南の半砂漠地帯にある乾陵かんりょうだ。乾陵については荷晴に教えてもらいなさい」

夕餉の席で唐突に言われた。

あまりにも淡々とした言い方だ。

これまでも二度、地方視察に一緒に行く機会はあったが、どれも「行ってみるか?」だった。

今回は必ず行かなければならない理由があるのだろうか。

「はい。承知いたしました」


その晩、荷晴から乾陵について教わる。

「乾陵はここから西南に位置する地です。その名の通り昔から乾燥した荒地が殆どです。今は一部の原住民が居るのみですが、彼らはその土地を代々守ってきた民族なのです。

荒廃したその土地では農作物はあまり育たないため、他の地域から土地を奪いに来るということもなく、独自の文化が形成されていました。

乾陵は雪蘭シュエラン妃の故郷です。

しかし雪蘭シュエラン妃が去られてから、黎国との関係は悪化したままです。

皇帝陛下は年に一度は訪れています。杨雪蘭妃の家族を守りたいと、民族の保護を申し出ていらっしゃるのですが、受け入れる気はないようで、人口も減少の一途を辿っています。どうやら若い者たちの流出を止めることもせず、衰退を受け入れているようで……」

その後も荷晴の話は続いた。

母の故郷だと言われても、陶霖には見たこともないそこに住む人々の生活だとか民族がどうとかそう言った話は正直よくわからなかった。

──桓碧雲は、自分を利用しようとしているのだろうか。

陶霖には、ようやく巡ってきた自分の出自を知る機会を、逃すわけにはいかなかった。




「……本当に、こんなところに人が住んでいるのですか」

陶霖が問いかけると、桓碧雲は頷き、陶霖の肩に手を置いた。

黎国城のある首都を南西に五時辰。

時折休憩を挟みながら、御剣での移動だ。

馬車では十日以上かかるらしい。

桓碧雲や他の皇族が国内の移動をする際には、御剣飛行が定番の移動方法なのだとか。

途中街で一泊してから、さらに御剣で進む。

その先は到着まで街や村はなく、休憩も野営となるらしい。

あたりに生えていた草木がなくなり、枯れた土ばかりの荒地に差し掛かると、一行は徒歩で進む。

馬で進むにも、地面は砂地や岩場が多く、徒歩の方が速いのだ。

霊力を扱うことのできる──普通の人より格段に力の強い者は、場合によっては相手に警戒心を与えることを考慮しなければならない。

敵意がないことを行動でも示さなければならないのだ。


「明稀様、到着まであと三時辰ほどは掛かります。ご無理はなさらないよう、おっしゃってください」

「うん、ありがとう」

足元が悪いだけでなく、辛いのは気候であった。

この乾燥地帯に入ってからというもの、これまでに感じたことのないほどの暑さがどこまで行っても続いている。

空には日の光を遮る雲ひとつなく、何度水を飲んで喉の渇きを潤しても満たされない。

暑さに加えて短い草が疎に生えている砂や岩場に足を取られながらもなんとか歩き続けていると、遠くに緑地が見えてきた。

「あれは……?」

「あそこが乾陵で唯一、人の住む場所だ」

近づくほどに、その場所の異様さがわかった。

ここまでずっと殆ど草木の生えない乾燥した砂の広がる土地で、乾陵に入ってから水源など一度も見ていない。

しかしそれが突然草木が生い茂る地となり、木々がちょうど小さな集落一つを取り囲んで覆い隠すような形で広がっていたのだ。


森に近づくと、足元が踏んでも踏んでも進めないような砂地だったのが、ふかふかとした柔らかな土に変わった。

桓碧雲を含めて今日共に来ている官僚や護衛、侍従たちは、この地に何度も足を運んでいる。

周囲の者が緊張感に包まれ静かに歩く中、陶霖だけが少しわくわくするような気持ちでこの地に来ていた。

鬱蒼とした森を進むと、やがて視界が開けた。

集落の者たちは、すでに一行の到着に気づいていたらしい。

一人の男が森から出たところで出迎えた。

彼に案内され、植物の葉で覆われた円蓋の屋根の建物が並ぶ中を進み、最も奥にある建物に案内される。


建物に入ると、奥に十人ほどが座っていた。

どの人も壮年から老年で、男女入り混じっている。

窓はなく、薄暗い屋内には脂灯がいくつか置かれ、ぼんやりとした明かりが室内を満たしていた。

桓碧雲とともに一行が拱手をすると、集落の人たちも立ち上がって拱手を返した。

一同が座ると、再び沈黙が室内を包む。

「それで、何をしに来たんだ」

中央に座った長らしき背を丸めた老年の女性が沈黙を破った。

桓碧雲が答える。

「……まずは、お久しぶりでございます。今年もご挨拶にとやってまいりました」

「あぁ……もう来なくていいと言っているのに」

長の女性は呆れたようにそう返すと、鋭い視線で陶霖を見て言った。

「そこの者は」

先ほどから集落の者たちの視線が自身に集まっていることを、陶霖は感じていた。

「私の息子です」

桓碧雲が言った瞬間、その場にいる全員に緊張が走った。

「……雪蘭シュエランの子、だな?」

「ええ」

桓碧雲が緊張した面持ちで応える。

「それで?何故その子を連れてきた」

「……」

「私がその子を見れば、態度が軟化するとでも思ったのか?

私たちは雨隠ユーユンの民。能力を持つ者がいなくなった私たちは、この土地と共に消えて無くなる。それだけのこと。

そなたらは彼を連れてきてどうするつもりだったのだ?その子が雨を降らせられればこの地を生きながらえさせられるとでも思ったのか?」

「……おっしゃる通りにございます」

桓碧雲の言葉に、長は深くため息を吐いた。

「飯は食べていくのだろう。……雪蘭シュエランの子よ」

明稀ミンシーです」

陶霖が長の女性を見て言うと、彼女はニヤリと笑った。

杨静姝ヤンジンスーだ」

「あなたは……」

「雪蘭の祖母だよ」

陶霖が驚き戸惑っていると、杨静姝ヤンジンスーは手を叩いた。

それが合図だったのか、室内に卓が並べられ、その上に料理が並ぶ。

「ここまで長かっただろう。まずは食事だ」

桓碧雲が小さく息を吐いたのが、隣に座る陶霖だけにわかった。

「食事の時だけは、機嫌が良いのだ」

そう耳打ちされ、陶霖はクスリと笑った。


卓に料理が並ぶ。

肉の入った汁物、小麦を焼いたものだろう茶色く焼き色のついた平たい円形、いくつかの干した木の実が皿に入って出てきた。

ここに来るまで、乾燥した携帯食を食べていたので、温かい汁物があるだけでありがたい。

「召し上がれ」

杨静姝ヤンジンスーに言われ、まずは汁物から手をつける。

塊肉がいくつか入った汁物には青菜が入っており、少し独特の臭みはあるものの、汁に脂が溶けこみ、やさしい塩味に香辛料が入っていて癖になりそうな味だ。

黎国の料理はあまり香辛料が使われていない新鮮な素材の味を生かしたような料理が多いが、玄国では香辛料を使った料理が多かったので、懐かしさを感じる。

「その汁物に入っているのは羊肉だ。野菜も全てこの土地で作っている」

杨静姝ヤンジンスーが言う。

「おいしいです」

次に平たく茶色になるまで焼かれたものを、周囲の人に倣い、手で千切ってまずはそのまま食べる。

少し硬いそれを歯で食いちぎって噛み締めると、小麦の香ばしく焼けた香りが広がる。

汁に浸して食べると、やわらかくなった生地から肉の旨みが溶け込んだ汁がじゅわりと沁み出て、これもおいしい。

杨静姝ヤンジンスーを見ると、彼女は飲んでいた茶を置いて言った。

「それもこの土地で育った小麦で作ったナンだ」

「ナン?」

「その飲み物はチャイ。羊の乳を入れた茶だ」

勧められた飲み物をゴクリと飲むと、甘さに香辛料の良い香りが加わり、止まらなくなりそうだ。

陶霖は夢中になって目の前の料理を平らげた。


全て食べ終えると、集落の人たちと黎国から来た人たちは皆混じり合って仲良く談笑していた。

関係が悪化したままとか、嘘じゃないか。





登場人物

陶霖タオリン/桓明稀ファンミンシー


【黎国】

現皇帝・桓碧雲ファンビーユン……陶霖の父親

陶霖の母・杨雪蘭ヤンシュエラン……黎皇帝・桓碧雲ファンビーユンの正妃

容嫣ロンヤン……桓碧雲の側妃。

澄然チェンラン……容嫣の子。陶霖の腹違いの弟。


荷晴フーチン……陶霖専属の初老の侍従。

子元ズーユエン……陶霖専属の若い侍従。

駿成ジュンチェン……術符研究部員。陶霖と同い年。

鎮烈ジェンリー……黎国軍の訓練兵。まもなく訓練課程を終える。

江念ジャンニェン……巡風門の門下生だった。現在は黎国軍の薬術部に所属。


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