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氷の瞳と冷たい雨  作者: 芋洗べに子
第五章 核心
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第一話 喪失


悪夢のような、長い、長い夜が明けた。


陶霖タオリンたちは薬堂の寝台を借りて、夜が明けるまで束の間の休息を取った。

巡風門に降り続いていた雨は朝日と共に上がり、濡れた草木の葉が朝日に照らされている。


葉英イエインは、細長い箱になった。

その箱が担がれ、巡風門の裏山を登っていくのを、陶霖は後ろからぼんやりと眺めていた。

草木が生い茂る山道を進むと、風に揺れた葉から時折、雫がぽたり、と落ちてくる。

森を抜けて裏山の頂上まで登ると、青々とした草が生えたその奥にたくさんの石碑が並んでいる。

風が強い。

陶霖は身体を震わせた。

門下生たちが、穴を掘りはじめた。

ふと、左に立つ人を見る。

罗景真ルオジンジェンはいつもと変わらない様子で、微動だにしない。

その向こうに立っている温柔燐ウェンロウリンは、口をへの字にしている。

陶霖が見ていると、涙がおおきな粒になって、ぽろぽろと頬を流れた。

右に立つ鄭花澈チョンホワチュウをそっと見上げる。

目を真っ赤にして、口を引き結び、ぎゅっと握られた手の甲には筋がくっきりと浮かんでいる。

鄭知チョンジー

陶霖が呟くように言うと、鄭花澈の目が向いた。

陶霖は、鄭知の左手を丁寧に解く。

その手はひどく冷たくなっていた。

それから手を繋いで、葉英のために掘られた大きな穴を見る。

棺が下ろされる。

誰からともなく頭を下げ、それに続いて、他の者たちも礼をする。

土が掛けられていく。

やがて、木箱は見えなくなった。




「陶霖」

鄭花澈に呼ばれて、ハッとする。

気づけば、他の者は既に山を下りていた。

罗景真と温柔燐が森の入り口で待っている。

鄭花澈は繋いでいた手をそっと解き、陶霖の肩に手を乗せた。

「ここは冷える」


裏山を歩いて下る。

身体は疲れ切っているのに、意識は冴えている。

皆、身体の汚れも濡らした布で軽く落としただけだったため、塵世殿で湯浴みをした。

乾いた血と土を洗い流すと、湯が傷に沁みる。

湯浴みを終えると、張月ジャンユエの言いつけどおり、薬堂へ戻る。

用意されていた粥を口に運んだ。

張月が食堂から持ってきたものらしい。

あまり、味がしない。


寝台で一人ずつ傷の手当を受け、ようやく身体を横たえる。

重たく沈むような感覚があるのに、意識だけがやけに鮮明だった。

昨晩のことが、繰り返し頭に浮かぶ。

あの膨大な邪霊達は、どこから来たのか。

あの小さな祠に封じられていた邪神は、膨大な数の邪霊達を操るほどの力を、どこで手に入れたのか。

──いや、違う。

()()、邪霊達を連れてきたのか。

()()、邪神の封印を解き、力を与えたのか。


気づけば、外は暗くなり始めていた。

張月に薬堂から追い出され、四人は養心堂で夕餉をとる。

温安ウェンアン、鄭知、陶霖の三人はあまり箸が進まなかったが、罗景真だけはいつもと変わらない量を食べていた。

養心堂には多くの門下生がいたが、誰一人として声をかけてこない。

罗景真の皿が空になる頃、宋霄風ソンシャオフォン沈秀恒シェンシウホン方承和ファンチョンフー林玉リンユーの三人を伴って卓に来た。

昨晩のことについて、短く言葉を交わす。

宋霄風たちは拱手きょうしゅをして、その場を離れた。

少しの沈黙のあと、温安が口を開く。

「師尊」

罗景真が視線を向けた。

「陶霖は今夜、師尊の部屋にお世話になってもよろしいでしょうか」

わずかな間があって、罗景真は頷いた。

「構わない」

そのまま立ち上がると、温安と鄭知、陶霖も、自然と後に続いた。


月明かりを頼りに罗景真のあとに続いて木々の間の小道を進み、質素な建物に入る。

ふと、『温安はなぜあんなことを?』と思ってから、ああそうか、と一人納得する。

あの部屋には、葉英の寝台が、葉英のかけらだけが残っているのだ。


二年ほど前、一人部屋に空きが出た知らせを受け取った。

きっと葉英も、以前から部屋に空きが出るたびにこの知らせを受け取っていたのだろう。

それから葉英と話して、結局部屋の移動はしなかった。

陶霖は時折、眠る前に寝台に寝そべりながら葉英と話す時間が好きだった。


鄭花澈と陶霖は火鉢を囲んで腰を下ろした。

「師尊の部屋は、見るたびに小物が増えているような気がするのですが」

鄭花澈が言うと、酒瓶を持ってきた罗景真は首を傾げた。

「増えているからな」

質素な部屋には至る所に棚が置かれ、たくさんの書が入れられている。

これらの書も年々増えているものだが、その書の隙間や寝台横の棚に時折小さな置物や装飾のついた小箱、それから香袋……。

中には陶霖が贈ったものもあるが、見覚えのないものも時折増えているのだ。

陶霖は疑念を抱きつつ対抗するように贈り続けていたが……。

壺を火鉢の上に置き、酒を盃に入れながら、温安が問う。

「師尊が買っているのですか」

「いや……」

罗景真は陶霖を一瞥した。

陶霖が言う。

「半分?くらいは俺が贈ったものじゃないかな。ですよね、師尊」

「そうだな」

「もう半分は?」

温安が再び聞くと、罗景真は言いづらそうに口を開いた。

「葉英だ」

「……どうしてこれまで教えてくださらなかったのですか」

陶霖がいじけたように言うと、罗景真は肩を竦めた。

「葉英が、黙っていろと」

「そう、ですか」

陶霖が言うと、罗景真は目を細め、陶霖の頭に手を置いた。

「お前と葉英は似ているな」

陶霖の目に、涙が溜まる。

「なんで、そんなこと」

「二人して、こっそりと渡しに来ては、誰にも言うなと釘を刺した」

「だって、それは……」

「隠すのに苦労した」

罗景真の口角が少し上がった。

「本当に似てたよね、兄弟のようだって。鄭知も思っていたでしょう」

温安が言うと、鄭知もそうだな、と話に乗る。

「俺は入門した頃から思っていたな、本物の兄弟みたいだって」

「そうなの?」

「陶霖はきた頃から葉英にべったりだったし、葉英もなんだかんだ陶霖には凄く甘いところあるよな」

「わかる。僕たちだったら怒られるところも、陶霖だったら、『仕方ないね』」

温安と鄭知の声が重なり、二人は得意げに笑った。

「大体お前らは術符の研究だとか言ってくだらない術符しか作ってないじゃないか。何がしたいんだよ」

「なんだと。鄭知、いつか君は俺に叩頭こうとうするよ、開発した術符を欲しがってね」

「うわ、ありそうでこわい」

「で、昨日のは何だったんだよ」

「……ひみつ」

陶霖がつぶやくと、鄭知が肩を竦めて温安を見た。

酒が進み、皆が饒舌になっていく。


鄭知が顔を赤くして、酒の入った盃を見ながら言った。

「俺、陶霖がきてすぐの時、玉佩を隠しただろ」

「ああ、そんなこともあったね」

鄭知は陶霖を見て、にやりと笑った。

「あのとき俺、葉英から物凄く怒られたんだ」

「そうだったの?」

「あれは怖かった……葉英にだけは逆らってはいけないと学んだね」

鄭知はわざとらしくぶるりと震える。

「僕はそこまで怒られたことは無かったかな。ああ、でも、入門してすぐの時は僕も葉英から字を教わったんだ」

「そうだったの?」

「うん。僕は全く字を習ったことがなかったから、師尊と葉英から教えてもらっていたんだ」


酒を飲んでいた罗景真が、手元の小さな置物を見つめながら、静かに言った。

「そなた達にとって、良き師兄だったのだな」

低く呟くような声は、室内を静寂に包んだ。

陶霖は唐突に堪えきれなくなって涙をこぼした。

温安も鼻を啜っている。

鄭知が罗景真の空になっていた盃に酒を注ぎ、自らの盃にも酒を並々と注いだ。

鄭知はそれを勢いよくごくごくと飲み干した。

陶霖はますます涙が止められなくなり、嗚咽を漏らしながら泣いた。

「泣くのは今日だけだぞ」

そう言った鄭知の声も、わずかに震えていた。




翌日、罗景真、温柔燐、鄭花澈、陶明稀の四人はソン長老達とともに掌門しょうもんへの報告をしに行った。

大筋の報告は既に宋霄風ソンシャオフォンが行なっていたが、事態が大ごとであったため、こうして話し合いの場が設けられたのだ。

話し合いは、浄務閣内の奥にある会議室で行われた。

陶霖達がきた時には、スー掌門の他に、数名の長老も既に席についていた。

「何はともあれ……ご苦労だった」

蘇掌門が口を開くと、場の空気が変わったような気がした。

「宋長老、もう一度、説明を頼みたい。補足や間違いがあれば、皆言うように」

陶霖はこの蘇海嶺スーハイリンの姿をこんな間近に見るのは初めてだった。

罗景真と同じくらいの歳の頃に見えるのは、修為が高いためだ。

偉丈夫という形容詞は、この男のために作られたのではないかと思うほどの堂々とした佇まいと威圧感に、陶霖は背筋を伸ばした。

宋長老の話に時折誰かが補足を挟みつつ、話し終えると、罗景真が言葉を発する。

「宋長老の言うように、今回の件で大きな疑念が浮かび上がりました。此度の件は誰かが画策したことなのではないか。そして、ここからは私の推測ですが、その誰かは今回の件のみでなく、近頃の邪祟じゃすい活発化にも関わっているのではないかと」

「……門が恨まれるようなことをした覚えはないが、今後も警戒が必要だな」

蘇掌門は、少し考えたように場の面々を見てから、続けて話す。

「ここにいる者には話しておこう。私は、門の中に密偵がいることを想定している」

場の空気が緊張感に包まれた。

「そう、考えるのが妥当でしょう」

罗景真が言うと、宋霄風が言葉を発する。

「今回、敵は罗長老がいることを知りながら、あれほどの策を仕掛けた」

室内は再び沈黙に包まれた。


その後、それぞれの怪我や精神的な落ち込みを考慮して、今後しばらくの任務の方向性を話し合った。

翌日から三日間は休養を取るよう言い渡されたが、その後はこれまで通りに任務を割り振ってもらえることとなった。

皆考えることは同じだろう。

考える時間があるほど、辛くなるものだ。


話し合いの後、長老たちでも会議が行われたらしい。

先の事件の経緯と、今後の危険任務における人員配置や緊急時対応の変更などについて、掲示がされた。

何者かが関与している可能性については記されていなかった。


陶霖は多くの傷を負ったせいか、この休養期間として与えられた三日間は高熱を出して寝込み、疲れているだろう師尊に世話をさせてしまった。

それから数日が経ち、陶霖たちは日常へ戻っていた。

日々の修練、任務。

陶霖、温安、鄭知は三人での行動が多くなった。

温安は夜になると、どこかへ消える。

きっと柳清婉リウチンワンに会いに行っているのだろう。

陶霖は、宿舎を一人部屋へ移動しようと考えたが、皆あの部屋には入りたがらないだろうと、葉英の空の寝台もそのままに陶霖一人で使用している。

以前は葉英が罗景真の仕事をよく手伝っていたのもあるだろう、罗景真は以前にも増して多忙を極めていた。

だが、陶霖、温安、鄭知が雑用など仕事の一端を請け負うようになったことで、どうにか師尊の睡眠を確保している。

そして、邪祟はあの一件以来、以前の落ち着きを取り戻している。

陶霖は葉英の件があってから、ずっとしまっていた玉佩を再び身につけはじめた。

鄭知も前以上に、時間さえできれば修練に打ち込んでいる。

皆、どこかに拠り所を求めていた。




そんな中、陶霖にもうひとつ、衝撃的な出来事があった。

江念ジャンニェンの姿が見えないと思い、沈秀恒シェンシウホンに尋ねたところ、彼女は葉英のことがあって数日後に巡風門を去ったのだという。

「突然、いなくなったんだ」

沈秀恒はいつもの溌剌はつらつさを失い、その目は曇ったように光を映さない。

「……突然?」

「そう、ある日の朝、修練の時間になっても出てこなくて、宿舎からも消えていた。それ以来戻ってないんだ。前の日の晩まで一緒にいた門下生もいた。でも誰も知らないって」

沈秀恒は早口で続けた。

「ずっと巡風門にいたんだ、結界だってある。……自分から出て行ったんだ」

秀恒シウホン、それって」

沈秀恒は陶霖に目を向けずに続ける。

「ああ、俺もそう思った、きっと彼女が密偵だったんだ」

「でもそうと決まった訳では」

「いや、いいんだ、そういう慰めはいらない。ただ、もしそうなら俺は、これまでずっと」

「沈秀恒」

沈秀恒はようやく陶霖を見た。

その目は赤く、顔つきはまるで別人のようだ。

「俺も同じだ。彼女とは仲良くしてた」

陶霖が言うと、沈秀恒は手のひらを目に当て、深く息を吐いた。

その息はかすかに震えている。

「……ああ、そうだよな」

陶霖は沈秀恒の肩に腕を回した。

「決まったわけじゃない。……きっと、彼女の笑顔は本物だったよ」

江念ジャンニェンの、ひだまりのような明るい笑顔を思い出した。

胸が痛くて、苦しくて、たまらなかった。





登場人物

【巡風門】

蘇海嶺スーハイリン……掌門

罗景真ルオジンジェン……長老

張月ジャンユエ……薬術師


罗景真の弟子(名・字) 

葉英イエイン葉遠瑶イエユエンヤオ

温安ウェンアン温柔燐ウェンロウリン

鄭知チョンジー鄭花澈チョンホワチュウ

陶霖タオリン陶明稀タオミンシー


宋霄風ソンシャオフォン……長老

宋長老の弟子……沈秀恒シェンシウホン方承和ファンチョンフー林玉リンユー

柳清婉リウチンワン……門下生


江念ジャンニェン……門下生


用語解説

塵世殿……湯殿

養心堂……大食堂

浄務閣……門派の事務や管理を担う部署


拱手きょうしゅ……両手を胸の前で組んで行う礼。

叩頭こうとう……地面に額をつけて行う礼。深い敬意や謝罪の意を示す。


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