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氷の瞳と冷たい雨  作者: 芋洗べに子
第四章 葉英
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第二話 雨


西陽が差し込む頃になると、宿の外では早々に店じまいがされていく。

通りは帰りを急ぐ人がいるのみで、店を覗こうとする者は一人もいない。


しばらくすると、宿も静けさに包まれた。

まだ夜が始まったばかりの通りには、既に人ひとり歩いていない。

「行くか」

「「はい」」

陶霖タオリンたちが宿の外に出ると、まだ陽は沈んだばかりであたりは薄暗い。

明かりを灯さないまま、一行は皆との距離を保ちつつ祠へ向かう。

時折、薄明かりの漏れる家屋から笑い声が聞こえてきた。

「何も出てきませんね」

温柔燐ウェンロウリンが言うと、鄭花澈チョンホワチュウが鼻で笑った。

「先頭と後尾にこんな強そうな仙師がいるんだ。よっぽど馬鹿な邪祟じゃなければ、わざわざ手出ししてくるわけないだろう」

「そうだね……つまり、相手はそれだけの知能を持っているってことか」

温柔燐の言葉に、林玉リンユーがごくりと唾を飲んだ。

「おいおい、この中で一番と言って良いほどに頭脳派な君がそんなに怖がらないでくれよ」

方承和ファンチョンフーが言うと、林玉リンユーはだって、と反論する。

「脳筋にはわからないわ。反射と指示だけで動けるあなたが羨ましい」

「何だと……」

一触即発の雰囲気の2人に、葉遠瑶イエユエンヤオが嗜めようとしたが、沈秀恒シェンシウホンが手で制した。

「いつものことだし、放っておいていいよ」

沈秀恒シェンシウホンがそう言った直後。

林玉リンユーが小声で何かを言うと、ドスっという音と共に方承和ファンチョンフーの姿勢が崩れた。

「……本当に大丈夫か?」




突然、誰かの叫び声が響いた。

辺りは静まり返る。

その直後、再び悲鳴が響く。

今度は断続的に、いくつもの声が重なり、次第に近づいてくる。

陶霖の近くを、ヒュン、と風を切る音がした。

「邪霊だ!」

陶霖が叫び終わる時にはすでに、一行の周囲を沢山の霊が飛び交っていた。

「ちょっとこれ、多すぎないか!?」

一行を取り囲んだ邪霊たちは、一斉に陶霖たちに飛びかかる。

あっという間に互いの姿すら見えなくなるほど、全員が邪霊に取り囲まれてしまった。

他の者達の声は聞こえない。

邪霊の発する悲鳴や風音だけが陶霖を取り囲んでいる。

耳がおかしくなりそうだ。

門下生達の着ている道衣は、様々な護身術が施された危険任務用のものだ。

姿形を成さない並の邪霊であれば、近づけても、直接危害が加えられるということはまずないだろう。




罗景真ルオジンジェンは自分の周りを取り囲む邪霊を切り払いながら、考える。

どこかおかしい。

罗景真に直接危害を与えてこようとはしないのだ。

それどころか、切ろうとするたびに距離を取られるため、目隠しにしかなっていない。

まるで── 罗景真の強さを知っているかのようだ。

視界を遮るだけの霊であればと、躊躇いなく爆符を使って罗景真の周囲の邪霊たちを蹴散らした。

込める霊力によって威力の調節ができるものだが、自身に害が及ばない程度の威力調整が必要となる。

邪霊たちが爆破によって飛び散り、罗景真の視界が良好になると、全員が唖然とした顔で一方を見ている。

「な、何が起きたんだ?」

「いきなり去っていった……」

どうやら、爆符を使用したと同時に邪霊は飛び去って行ったらしい。

「祠の方向だ!」

邪霊の去っていった方向へ皆直ちに御剣飛行で追っていく。




罗景真を先頭に一行が祠へ辿り着くと、林玉リンユー明火符めいかふで灯りをつける。

霊力で維持された光によって、辺りがぼんやりと照らされた。

陽が当たる時から不気味さを漂わせていた祠とその周囲は、異様な重苦しさとなっている。

時折吹く風で、明火符の灯りが大きく揺れる。

「……何もないな」

鄭花澈が言うと、その後から歩いてきた温柔燐が横に並んだ。

「墓地の方でしょうか」

「道衣を着ているんだ、直接手出しはできないはず」

沈秀恒シェンシウホンがあたりを見回しながら言った。

それに対して鄭花澈が言う。

「……あの数ならわからないぞ」

「あの邪霊たちは賢すぎる」

ソン長老が言うと、罗景真が続ける。

「ええ。私達の強さは少なくともわかっているようです」




墓地へ行くと、何かを取り囲むように邪霊が集まっている。

まるで、様子を窺っているかのようだ。

「これ、変です。戦おうとしていない」

葉遠瑶が言うと、陶霖がハッとして言った。

「あそこにいるの、村の人じゃないか?生者だ」

見ると、温柔燐、陶霖、林玉リンユー、の三人が出している明火符の薄明かりに照らされ、人型が見えた。

はっきりとした姿形のない霊体に混ざって、立ってふらつきながらもこちらに向かって歩いてくる。

「おかしい」

何かに操られている?

そう思った瞬間、邪霊たちが一斉に襲いかかる。

罗景真は邪霊を避けながら、思考を巡らせる。

目的は、分断することか?

邪霊がここまで意思を持って動けると言うことは、何者か──祠の邪神が、霊を操っている?

とにかく、急がねば。

罗景真は再び爆符を使うと、辺りの邪霊が散っていく。

先ほどよりも強めの爆発を起こしたため、一気に視界が良好になった。

今日が晴れた日でよかった。

月明かりがよく届く。


罗景真の周囲には、同様にして葉遠瑶、温柔燐、陶明稀タオミンシーと、ソン長老が次々に自身の周囲の邪霊をはらっていくのが見えた。


罗景真は、墓地の奥の光景に目を見張った。

墓地全体を覆い囲もうとでもするようなほどの黒い塊。

全て、邪霊だ。

ソン長老や葉遠瑶たちが他の者を取り囲む邪霊を祓うと、全員が同じ方向を見て押し黙った。

その()()()は、徐々に大きくなっていく。

見ている間にも、何処かからやってきた邪霊が集まっているのだ。

「信号弾を使います」

葉遠瑶は言いながら弾を手元に用意し、間を置かずに打ち上げた。

続けて温柔燐が「私が伝令符を」と言って、術符に霊力を注ぎ始める。

「賢い邪祟同士が手を組むことは稀にあるが、ここまで規模の大きい霊の群勢を動かすとは」

ソン長老が言うと、沈秀恒シェンシウホンが答える。

「様子見されていますね。親玉は相当賢い」

「祠の邪神が本体だろう。どうやって誘き出す」

鄭花澈が言うと、再び九人は静まり返った。


「……あの中から、引き摺り出すしかないだろうな」

葉遠瑶が沈黙を破って言った。

「罗長老」

宋霄風ソンシャオフォンが目線を逸さないまま、罗景真に話す。

「あなたに、邪神の封印を頼みたい」

「……もとより、そのつもりです」

「私はこの子達とともに、あなたの道を作ります」

罗景真はスウ、と大きく息を吸い込んだ。

邪霊の中心部に、邪神がいる。

突然、風音とともに邪霊が九人に襲いかかる。

皆の目的は一つ。

罗景真が邪神を封じるまで、残る者たちが邪霊を食い止めることだ。




罗景真は邪霊の塊を、霊力を込めた剣で斬り裂きながら、あたりの状況を確認する。

温柔燐、鄭花澈は問題なさそうだ。

温柔燐の剣術の心許なさを、鄭花澈が隣で補完する形で十分に戦えている。

その奥を見ると、葉遠瑶が剣で集まってきた邪霊を蹴散らしつつ、陶明稀が集まった邪霊を火符でまとめて祓っている。

沈秀恒シェンシウホン方承和ファンチョンフー林玉リンユー の三人も大丈夫そうだ。

沈秀恒と方承和の二人が林玉を守るように剣にて戦い、林玉が風刃ふうじん符で上空から来る邪霊を祓う。


邪霊を斬り払うと、隙間から宋霄風ソンシャオフォンと目が合った。

彼の周囲には罗景真と同様、弟子達と比較するまでもないほど数多くの邪霊が次々に襲いかかっている。

罗景真は頷き、宋霄風ソンシャオフォンに少しずつ近づいていく。

視界は一呼吸も置かずに大量の邪霊で覆い尽くされた。

ようやく互いを視界の中に入れると、居場所を見失わないよう叫ぶ。

「本体がどこにいるのか全くわからない!」

「私も考えていたところだ!」

耳をつんざくような悲鳴と風音のなか、二人はそれだけ会話をすると、思考を巡らせながらの戦闘へ戻る。

罗景真とこんな間近で戦えるのは、接近戦に長けた長老か葉遠瑶や鄭花澈くらいだろう。

互いの剣筋を観察しながら、邪霊を斬り祓っていく。

斬っても斬っても、邪霊は次々に襲いかかってくるため、小休止すらできない。

すると、背後の方で爆音がした。

爆符を使ったのだろう。

罗景真は邪霊を斬り払いながら、視界の端で動く影を捉えた。

陶明稀だ。

符を使う手がわずかに遅れている。

葉遠瑶の剣筋が見え、陶明稀に襲いかかる邪霊を紙一重で祓った。

それにしても──数が多すぎる。

分断か。

陶明稀の周囲で、邪霊の流れが歪んでいる。

押し込むように、外へ弾くように。

「何か、妙だ」

統一されすぎているのだ。

「何か言ったか!?」

隣で宋霄風ソンシャオフォンが叫んだ。


強者を見分けるほどの賢い邪霊?

違う。

こちらを()()()()


「──上だ」

罗景真は軽功で飛び上がると、そのまま御剣して一気に邪霊の群を突き抜けた。

霊の層を一枚、また一枚と抜けるたびに、悲鳴が遠のいていく。


静かだ。

罗景真は空中で足を止めた。

下では未だ、黒い塊が蠢いている。


その中心に、それはいた。


人の形をしているようで、揺らぐ影のような輪郭。

だが、その視線だけははっきりとわかった。

罗景真を見ている。


──やはり、おかしい。

祠の邪神が封印を解かれただけで、こんなにも強い力を持つものか。

「何が目的だ?」

罗景真の言葉は宙に消えた。


次の瞬間、風を切る音が罗景真の横を通り抜ける。

身を翻して見上げると、月明かりに照らされてぼんやりと人の形を持った()()が罗景真を見下ろしている。

罗景真は術符を取り出し、霊力を込める。

瞬間、再び飛び上がった。

踏風符。

宙に足場を作るものだが、使う者はほとんどいないだろう。

霊力の消費が大きいのはもちろんだが、制御するのが困難であることが大きい。


罗景真が近づくと、()()は速さを持って罗景真に斬りかかる。

邪霊達と同じような動きだ。

しかし、その速さは比ではない。


風音が絶え間なく響く。

時折罗景真の霊力が邪神を貫くが、動きは止まらない。

罗景真の剣が再び邪神を貫いた時、耳の奥に直接響くような悲鳴が聞こえた。

罗景真が防御に走る。


しかし、()()は待っていたかのように、罗景真を地面に叩き落とした。


その衝撃が、地上にまで伝わる。

土が跳ね、邪霊の群れが一瞬だけ揺らいだ。




陶霖は思わず顔を上げた。

——罗景真が、落ちてきたのだ。


開けた視界は、すぐに邪霊が遮った。

陶霖は歯を食いしばり、術符を握り直した。

長引きそうな戦いに、術符の使用回数を減らす。

代わりに、できる限り一度で多くの邪霊を祓えるよう、限界まで引きつける。

邪霊が通りすぎるたびに、冷たい空気が肌を掠め、切り裂かれるような痛みが走った。

あまりにも数の多い邪霊に加えて、自ら使用した術符の反動で、道衣に施された護身術が少しずつ削られていっているのだ。


邪霊の数は減っていないどころか、未だ外から流れ込んできているようだ。

まるで、何かに呼び寄せられているかのように。

信号弾や伝令符を見た門下の者達が応援に駆けつけるまで、あと半時辰は耐えなければならないだろう。

陶霖は足を踏み込み、群の中心へと踏み出した。

邪霊が一斉に引き寄せられたところに向けて、符を叩きつける。

閃光とともに黒い影が爆ぜる。

一瞬だけ、空間が開いた。

だが、またすぐに埋まる。

「っ……」

邪霊の発する悲鳴に、耳がおかしくなりそうだ。

「陶霖!」

葉遠瑶が叫ぶ。

「引き寄せすぎだ!近くにいなさい!」

そう言われて漸く、陶霖は冷静さを少し取り戻した。

そうだ、師尊が邪神を封印するまで、応援が来るまで持ち堪えればこちらの勝ちだ。


そう思った瞬間、空気が変わった。

上空から、圧が消える。

それと同時に邪霊の動きが乱れ、統一されていた流れが崩れた。


陶霖は顔を上げる。

罗景真が、邪神を封印しに入ったのだ。


だが、次の瞬間──邪霊たちが一斉に暴れ出した。

悲鳴が重なり、風が荒れる。

制御を失った群れは、ただ近くのものへと牙を剥いた。

「くそ……!」

今まで以上の数が、一気に陶霖へと押し寄せる。

「陶霖!!」

葉遠瑶が黒い壁の向こうで叫んだのが聞こえた。

術符を切る──間に合わない。

すぐさま剣を手元に呼び出し、一心不乱に剣を振りまわす。

視界が黒に埋まり、冷たい風が次々に陶霖の皮膚を切り裂いていく。


突然、視界が開けた。

葉英が、黒い壁を剣で斬り裂きながらやってきた。


一閃。

二閃。

邪霊が弾けるように散っていく。


「下がれ!」

陶霖の腕を掴み、引き寄せる。

その、一瞬の隙。


黒い光が一瞬、目の前を走った。

何が起きたのかわからなかった。

次の瞬間。

──それは、葉英の身体を、貫いていた。


葉英の身体が、わずかに揺れる。

陶霖は見ていた──深手を負った師兄が、その隙に次々に傷を負わされていくのを。


掴んでいた手の力が、抜けた。

次の瞬間、重い気配が割って入る。

宋霄風ソンシャオフォンだ。

一振りで周囲の邪霊を薙ぎ払い、二人の前に立つ。

「下がりなさい!」

低く、鋭い声。

その背が、邪霊を遮った。






罗景真は、印を結んだまま動かない。

地上では、邪霊が統率を無くし、一斉に襲いかかっていた。

黒い塊の内部がどうなっているのかはわからない。

一人、凄まじい勢いで黒い塊を斬り裂き回っているのは、宋霄風ソンシャオフォンだろう。

私の弟子達は──。


手を止めれば、この邪神は再び暴走するだろう。

指先が震える。

莫大な霊力が指先から吸い取られていく。

一体どれだけの霊力を注げば──。


徐々に吸われる霊力も減ってきた。

あと少しだ。

しかし、体内の霊力も殆ど枯渇している。


地上を見ると、どうやら邪霊の数は急速にその数を減らしているようだった。

それもそのはず──半数ほどの邪霊たちは、目の前で暴れる人間が強大であることに()()()()のだろう。


ソン長老!!」


罗景真の声に、宋霄風ソンシャオフォンは邪霊を祓いながら見上げた。

瞬間、御剣で飛び上がったと思うと、罗景真の腕に自らの霊力を注ぎ始める。

「……私の霊力も、もうあと僅かだ。」

「わかっています」


邪神から発されていた光が収束し、中からひび割れた小さな人形の像が現れた。

罗景真は取り出した乾坤嚢けんこんのうに、小さな像をしまった。




宋霄風ソンシャオフォンと目が合うと、二人は即座に地上へ降りる。

宋霄風ソンシャオフォン沈秀恒シェンシウホンらとともに残りの邪霊の相手をしに行ったことを確認すると、すぐに葉遠瑶を抱えた陶明稀に駆け寄る。

「葉英は」

「師尊、意識が」

葉遠瑶は陶明稀に抱えられ、意識を失っている。

陶明稀が止血だけは施しているようだ。

しかし、脈が弱い。

「霊力を注ぎ続けているのに、なぜか……」

陶明稀が涙を流しながら言う。

丹田たんでんに手を当て、霊力を探った。

「……これは」

罗景真が僅かに残った霊力を注ぐが、確かに入っていくのに、どこからか漏れているかのような……。

──霊核が、砕けたのか。

「応援はまだ来ないのか……!」


宋霄風ソンシャオフォンが地上に戻ったのを見た温柔燐と鄭花澈も、葉遠瑶のもとに駆けつける。

二人はその光景を見て一度立ち尽くすが、すぐに動き出す。

「私はまだ霊力が残っています」

そう言って、温柔燐が葉遠瑶の丹田に手を当てて直接霊力を注ぎ始める。

鄭花澈は陶明稀の身体も傷だらけになっているのを見ると、経穴けいけつを押さえて止血をし、傷口に包帯を巻いていく。

「葉英が……鄭知、どうしよう?脈が……」

手当をしている間もずっと話し続ける陶明稀に鄭花澈が声をかける。

「落ち着け。まだわからないだろう。俺達が今できることはなんだ?応援が来るまで、できるだけ葉英に霊力を注ぎ続けながら、自分たちの身を守ることだ。これが終わったらお前は温安ウェンアンの手当。それから向こうにいるソン長老達の手当だ」

陶明稀はしばらく黙って鄭花澈の手元を見ていたが、やがて言った。

「……わかった」

辺りには、しとしとと雨が降り出していた。


しばらくして、邪霊も殆ど祓い終わる頃になると、ようやく巡風門の長老が四人に門下生が数十人、そして張月ジャンユエが駆けつけた。


罗景真は宋霄風ソンシャオフォンとともに、やってきた長老や門下生達に引き継ぎをしている。

葉遠瑶の意識は戻らない。

呼吸は浅く、脈も弱い。

それでもまだ、生きている。

張月ジャンユエは状態を確認すると、門下生数名に交代で霊力を送り続けるよう指示をした。

数枚の術符を使用すると、葉遠瑶の表情が緩まり、呼吸が安定しはじめた。

「すぐに戻るぞ」

諸々の後始末は他の者に任せ、陶霖たちはそれぞれ門下生の御剣に乗せてもらい、移動することとなった。

雨は降り止まない。

護身結界を施された葉遠瑶は張月ジャンユエとともに、長老の安定した御剣で移動する。

張月ジャンユエはその間も霊力を注ぎ続けているようだった。




全員が霊力を全力で消費しながら高速化した御剣で、一時辰も掛からずに巡風門へ到着した。

誰もが眠る時刻だというのに、門下生たちだけでなく掌門も自ら出迎えるほどの大ごととなっていた。

満身創痍で帰ってきた彼らに、誰もが沈黙していた。


陶霖は張月ジャンユエや罗景真とともに薬堂へ向かった。


葉遠瑶イエユエンヤオが寝台に下されると、張月ジャンユエは言った。

「今はなんとか持ちこたえているが……長くはないだろう」

張月ジャンユエは薬堂の者に何か話し、用意された湯と布を使って、葉遠瑶の身を綺麗にしていく。

罗景真ルオジンジェンは余った布と櫛を使い、血や砂で乱れた葉遠瑶の髪を丁寧に整えた。

温柔燐ウェンロウリン鄭花澈チョンホワチュウ陶明稀タオミンシーは、ただ、その光景を見ていた。

身体を清め終え、葉英の身体にしみ一つない布を掛けて、張月は言った。

「最後の別れがまだだろう。聞こえている。声をかけてやれ」

張月ジャンユエが言うと、皆の視線は葉遠瑶に注がれた。




薬堂には、葉遠瑶の浅く弱い呼吸だけが聞こえていた。

あちこちが切り裂かれた身体は清潔な布に包まれ、顔も汚れや血が拭かれて、今はただ寝ているだけのようにも見える。

色が抜け、薄い灰色がかった唇は、乾いてひび割れ、ところどころ血が滲んでいた。

誰かが息を詰まらせる音が聞こえた。

「嘘だ……ごめんなさい、俺が、もっと、」

陶霖の言葉はどこかに消えていく。

「……誰もそなたを責めない。誰のせいでもない」

罗景真はそう言って、陶霖の頭をそっと撫でた。

そうして椅子を持ってきて、葉遠瑶の眠る寝台の横に、ゆっくりと腰掛けた。

葉英イエイン

罗景真は、少し整えられた髪をそっと撫でる。

「私の、弟子になってくれて、ありがとう」

罗景真の目から、一筋の雫が落ち、頬を伝った。

──葉英の口角がほんの少し、上がったように見えた。

「葉英っ!」

鄭知が寝台の側へ寄り、葉英の耳元に口を寄せた。

「葉英っ、葉師兄……」

温安は鄭知の隣で、葉英の手をそっと握った。

「葉師兄……」

葉英の睫毛が動いたと思うと、瞼を重たそうに開く。

「葉英!」

色のない唇が少し開いた。

「もう……そんなに、泣かないでよ……」

その声はあまりにもか細くて、皆、息すら抑えてその声に耳を傾けた。

葉英の目が、罗景真をとらえる。

「私を、弟子に……してくださっ、て、ありがとう……ござい、ました」

言い終えると、息を整えるように目を瞑る。

再び目を開くと、温柔燐、鄭花澈、陶明稀を順に見て言った。

「なんて、言ったら、いいのかな……」

「もう、いいよ……葉英、」

温安が言う。

その詰まった声に、葉英はふふ、と弱く笑って言った。

「温安……」

その時、温安が手元に目を向けた。

弱々しく握る手が見えた。

陶霖はふと、腰元の巾着袋からくしゃくしゃになった一枚の術符を取り出す。

先ほど張月ジャンユエが置いていった粥をほんの少しだけ椀によそい、術符に僅かな霊力を込める。

匙で掬って葉英の口の中まで運ぶ。

葉英は口に粥を含むと、目を僅かに見開き、それから陶霖を見て、ふふ、と笑った。

「……陶霖」

陶霖はつられて口角を上げる。

葉英に巾着袋に入れられた術符──数呼吸の間だけ、好きな味に変える術符──を使ったのだ。

「お前らは本当に好きだなあ」

鄭花澈が呆れた声で言うと、葉英は「鄭知」と、また甘ったるいくらいの声で言った。

葉英はしばらく皆を見ていたが、やがて疲れたのか、目を閉じた。

「しにたく、ないなぁ」


その夜、巡風門には雨がいつまでも降り止まなかった。







用語解説

・邪霊……実体を持たない霊が邪気に染まり害をなすようになったもの。

丹田たんでん……体内で霊力を蓄える場所。修行者にとって重要な部位。

経穴けいけつ……体内を巡る気や霊力の流れの要所。治療や法術にも用いられる。

霊核れいかく……修行者の体内にある霊力の核。損傷すると霊力を保てなくなる。

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