第一話 静けさ
あの中秋節から、二年の月日が経っていた。
陶霖の背丈はあまり伸びなかったが、巡風門の中では後方支援の役としてあちこちの任務に引っ張りだこになっていた。
そして同時に、罗景真の助手として、葉遠瑶とともに術符の研究に力を入れている。
近頃は邪祟が活発化しており、以前なら少人数で済むだろうと想定されていた任務が、予想に反して被害が出て増援が必要になる、というようなことが増えていた。
そのため、今回の任務も以前であれば罗景真、葉遠瑶、温柔燐、鄭花澈、陶明稀の五名で十分なところを、宋霄風とその弟子たち──沈秀恒、方承和、林玉も加わっての任務となった。
とある小さな村で、近頃、夜半になると悲鳴が聞こえる。
夜半に外に出た者が、何人も戻らない。
行方不明者に共通点はなく、最初の被害が出始めてから毎日被害者が出ているのだという。
「今回は村長から直接の依頼だ。被害の人数からしても規模が大きい。この人数での任務と割り振られているが、状況を正確に把握するための人選だ。今回は依頼の内容だけでは邪祟がどういった類のものかも予想がつかない。状況次第では増援を呼ぶことになるだろう」
罗景真の言葉に、集まった七人は背筋を伸ばした。
その晩、陶霖は引き出しから玉佩を取り出した。
特に理由はないけれど、久しぶりにふと思い出したのだ。
昔はずっと御守りのようにしていた物だが、この数年間は殆ど引き出しの中に眠っている。
「陶霖?」
もう寝たと思っていた葉遠瑶が、寝台の上で身体を起こしていた。
「ごめん、起こした?」
「ううん……陶霖こそ、眠れないのか?」
陶霖は、手に持っていた玉佩をしまった。
「聞かれたくないってわかってるんだけど」
「……」
普段あまり不機嫌を表に出すことのない葉英だが、この話題になるといつも不機嫌になる。
そのため陶霖はこの話題を控えていたが、どうしても気になった。
「どうして、葉英は巡風門に来たの?」
罗景真や温柔燐にも聞いたことはあるが、「本人が言いたくないものを言うわけにはいかない」とはぐらかされてきたのだ。
何も言わない葉遠瑶に、陶霖はごめんと口にした。
寝台に横になっていた葉遠瑶は、起き上がって寝台に腰掛けた。
「いや……別に話すのが嫌なわけじゃないんだ。でも、話は長くなるし、……気分のいい話じゃない」
「うん」
「簡単に言うと、親が下衆だった」
「えっ」
陶霖は動揺がそのまま顔に出たと思い、姿勢を直して静かに続きを聞く。
「僕の両親は、街の外れで小さな食処をやっていたんだ。
巡風門に来てから知ったけど、父は色んな人から恨みを買っている。その食処を始めるための金も、まともな金じゃなかったらしい。……でも結局、足はつかなかったみたいだ。
母は娼館の出で、父に見初められて一緒になったそうだけど、よそに男を作っていたよ。
それでも何故かずっと仲は良くて、妹と弟は僕が家を出た時には七人いた。今はどうなっているか知らない。
僕は物心ついた時には長男だからと言われて弟や妹の面倒を見ていた。その間、両親は……まあ、好きにしていたな」
葉遠瑶は感情を抑えるように、淡々と話をしていた。
「十歳になった頃、街に来ていた巡風門の仙師様に憧れて、門戸を叩いた。両親は喜んだし、僕も嬉しかった、家から出られる理由ができたんだ。
弟や妹たちはかわいかったけれど、両親が僕に向ける目を見ていたから……。
一応、金だけは送り続けているよ。金で離れられるなら、安いものだ」
何も言うことのできない陶霖を見て、葉英はいつものように笑った。
「もう昔の話だ。帰るつもりもないし、でも育ててくれた恩はある。生きていて、関わってこないなら、それでいいんだ」
陶霖は言葉に詰まり、それでもなんとか口を開く。
「その、葉英、話してくれてありがとう」
「ううん。本当はもっと早く話しても良かったんだけどね」
葉遠瑶は陶霖に言う。
「君の母上のことは?陶霖のことも聞かせてくれないか」
そう言われて、陶霖はあの頃を思い出した。
もうずっと前のことのようでいて、それでも痛みは未だ鮮明だ。
「うーん……もうあまり覚えていない。父親のことも結局最後まで教えてくれなかったんだ……とにかく優しい人だったよ。俺がまだ小さい時に、師尊だって助けているのだから」
「うん、君のお母さんは凄い人だ」
「そうなんだ。今考えると、自分がいなくなった時のことを常に考えていたんだろうな。俺が困らないように、全部教えてくれた」
陶霖はそこまで話したところで、言葉が途切れた。
「……ごめん、なんていうか、辛かったことばかり思い出してしまうんだ」
「うん、いいよ。僕も話したくないことは話してない」
葉遠瑶は笑った。
「君が眠れるようにと思って話しかけたのに、逆効果だったかな。そうだ、鄭知がまた街の女の子を泣かせたのは知ってる?」
「知ってる。あいつ、いい顔しておきながら近寄らせないってどういうことだよ。
それより、葉英自身のことはどうなの?いつも人の話ばっかり」
「いいんだよ僕は……母を見てきたからなのか、いまだに女のことは苦手なんだ」
「そうだったの?苦手そうには見えないのに」
陶霖と葉遠瑶はその後も、眠くて瞼が開かなくなるまで話し続けた。
翌日、陶霖と葉遠瑶はいつものように二人で養心堂へ行き朝餉をとると、辰の刻には山門に集まった。
今回の任務は長引く可能性もあるため、荷物を互いに入念に確認してから御剣にて村へと向かう。
宋長老の合流は、別の任務のために夕刻頃になるそうだ。
村は遠い。
途中で少し休憩をとり、再び御剣飛行で午の刻の前には到着した。
「予定通りで大丈夫か?」
村の端、遠くまで広がる田畑を横目に、鄭花澈が口火を切った。
任務中の指揮は基本的に門下生達に任せられている。
皆が顔を見合わせた。
「では、葉英と陶霖、沈秀恒と林玉、温安と方承和と私。
村は広く、聞き込みに回るには時間がかかるだろう。予定通り二時辰後、この場所に。何かあれば伝令符にてすぐさま連絡を」
鄭花澈が言うと、一行は三手に分かれた。
陶霖は葉遠瑶とともに、昨日分担を決めた範囲を農家の方から聞き込みをして回った。
案の定、村は広く、人も少ないためなかなか有益な情報が集まらない。
皆、畑作業のために外に出ている人が多いのが唯一の救いといったところか。
しかし、陶霖と葉遠瑶は半時辰ほど聞き込みをしたところで、もう意気消沈していた。
「この村の人たちは、他人事とでも思っているのか?」
「自分たちの村のことなのに、よくわからないのでお任せしますって……。そんなの分かりきった上で事情聞いて回っているというのに」
「そんな投げやりなら、俺たちがわざわざやらなくてもいいんじゃないか?」
「……そもそも、農家の人が夜半に出歩くか?」
「ああ……」
陶霖と葉遠瑶は顔を見合わせた。
「被害者の共通点ももう少し絞れそうだな」
陶霖はふと、歩くのをやめ、葉遠瑶の足元を見る。
「……ねえ、葉英」
「なに」
「一柱香の間だけ足音を消せる術符を使ったでしょう」
陶霖は葉遠瑶の腰に、乾坤嚢のほかに、もうひとつ小さめの袋が下げられているのを疑問に思っていた。
「それ、術符?」
葉遠瑶はぎこちなく笑う。
「いや、菓子を入れているんだ」
「葉師兄、バレる嘘つくのやめなよ」
陶霖が言うと、葉遠瑶はその「菓子袋」から一枚の術符を取り出して、陶霖の腰に下げた袋に捩じ込んだ。
「これで共犯だな」
「……何の術符を入れたの」
陶霖と葉遠瑶は農家を聞き回るのをやめ、村の中心地へ向かった。
田畑と山、所々に見える農家が続いていたが、しばらく歩くとようやく家屋が集まった村の中心地へたどり着いた。
とある屋台に人が集まっているのを見て、陶霖たちは近づく。
「こんな村まで仙師さまが来てくださったのね」
陶霖たちが近づくと、集まっていた女性客が陶霖たちを見つけて話しかけた。
「あの件でしょう?怖いわよねえ。夜に出歩いたりするから」
装い的には富裕層ではないが、商家の者だろうか、小綺麗な中年の女性だ。
「はい。ですがその事件以外にも、近ごろ変なことは起こっていませんか?」
「変なこと?そうねえ……」
女性は言いつつ、葉遠瑶と陶霖を交互に見て、陶霖に問いかける。
「ねえ、ずっとお兄様と一緒にいると、良い男も近づけないわ。あなた、良い人はいないの?」
突然変わった話に、陶霖は考えた。
陶霖が女だと見られるのはもういつものこと。
最近では葉英と居ると、恋人と見られることもあるが、兄妹と見られることもよくある。
もちろん、陶霖はどちらにしても、相手の警戒心を解きやすくするために訂正はしない。
陶霖は肩をすくめて葉遠瑶を見ると、葉遠瑶はまたか、と言う目で陶霖を見て言った。
「いやー……間に合ってます」
「あなた、お嫁に行くつもりないの?まあ女性で仙門に入るなんて変わり者だけれど、あらそう……」
「ところで、近ごろ変わった噂とか」
「ねーえ、丁さん、聞いた?こんなに綺麗な子が仙師さまなんだって」
女が言うと、店番をしていた男が気持ち良いほどのよく通る声で言う。
「こりゃまあ確かに綺麗な人だなあ」
「ねえ。あたしはこんな綺麗な子見たの初めてよ。どこかの偉い人のとこの生まれじゃないの?」
勝手に盛り上がる会話で、陶霖をじろじろと見る人が増えてきた。
「ところで、最近なにかこの村で変わったこととか」
「あなたがたは夜の行方不明者の件で来ているのでしょ?ありがたいね〜」
「はぁ、どうも」
その後も聞き込みをしたが、詳しい情報を得ることはできなかった。
一行は茶楼にて集まっていた。
「夜に店を開けられない。商売上がったりだ。早くどうにかしてくれよ」
店の者がそう言いながら用意してくれた茶を啜りつつ、皆ため息を吐きながら話し出す。
「情報がなにもない」
「こっちもだ。とりあえず農家の方には被害はないみたいだな。村の中心部で、夜半の悲鳴と、前日までは普通に生活していた人が次の日には消えている。それだけだ」
「あまり広くない村だからね。すぐに噂が広まったお陰で、ここ数日は夜になると誰も外に出なくなったらしい」
「そのことだけど、依頼者のいう被害者と、この村の人たちのいう被害者にはどうもずれがあるように感じるんだが」
「というより、そもそもこの村の人たちは危機感が薄い。夜に外出なければ良い、とだけで他人事のように聞こえるな」
皆が憶測で話をし出すと、罗景真が言った。
「邪の気配が非常に高い場所を見つけた。暗くなる前に行こう」
村の住宅地の外れ、丘とも呼べるほどの、草木が手入れされることなく生い茂った山を少し登ったところ。
人の通った細い道の途中、崖になった岩が抉られてちょうど雨風を凌げそうな場所に、膝の丈ほどの小さな祠が置かれている。
古いものではあるようだが、辺りは少し枯れ葉が落ち、土を被っている程度で、祠の前には酒や食べ物が少し置かれている。
「特に怪しいところはなさそう……ですね」
沈秀恒はそう言いつつも、祠の周囲を入念に調べていく。
「……これは、封鎮符か?」
方承和が指した先には、紙が貼られていた。
半分破けており、辰砂で書かれた紋様が残っている。
「かなり古いものだね。こんなわかりづらい場所に……。邪のものはここが根源なのでしょうか」
温柔燐は方承和の指した箇所を覗き込みながら話す。
術符が貼られていたのはちょうど屋根の裏側の部分で、雨に濡れることもなく、人から見られることもない。
この祠に祀られた邪神を封じろと言われたら、ここにいる者は皆この方法を取るだろう。
「そう見て間違いなさそうだな」
罗景真が言うと、林玉が控えめに歩み出た。
「……山の向こうは、墓地だそうです」
「怪しさしかないな」
邪祟の類が動き出すのは夜になってからだ。
一行は早めに宿を取り、夜まで休むこととなった。
「陶霖。さすがにあれは否定した方が良い」
皆が部屋でくつろぎだしたところで、葉遠瑶が言う。
「なんで?」
「なんでって……手に負いきれてなかったじゃないか」
「お前はまだ恋仲詐欺をしているのか」
鄭花澈が横から言う。
「鄭知とは間違っても恋仲には見えないんだから安心しろよ」
陶霖が返すと、鄭花澈は呆れ顔だ。
「白水鎮ではもうお前と葉英が本当に恋仲だって広まってるんだぞ?それで良いのか?」
「いいよ。変な男がついて来なくて助かる」
「……まあ、やり方は置いといて、結果が良いなら良いんじゃないかな」
温柔燐が遠慮がちに話す。
「さすが、温安は余裕があるよな。けど、葉英もそれじゃあ女が寄って来れないだろ」
「僕も女苦手だし、いいんだよこれで」
「利害は一致してるってわけか」
離れて話を聞いていた沈秀恒たちが、興味深げに話に加わる。
「ねえ、陶霖は女に興味ないって本当なの?」
林玉はここぞとばかりに陶霖に質問をする。
「いや、そういうわけでは──」
「ああ、そうなんだよ。こいつは本当に色恋に興味がない。そうじゃなかったらこんなに何年も時間をかけて、白水鎮に葉英との恋仲を広めるか?」
陶霖を無視して鄭花澈が言った。
「陶霖はずっと好きな人いるもんな」
葉遠瑶の突然の暴露に、皆が静かになる。
陶霖の顔が赤くなり、その言葉が本当か嘘かは一目瞭然だった。
その時、陶霖が向こうに座る人物の姿をさっと確認したのには、葉遠瑶だけが気づいていた。
「な、なん」
「誰!?いつから!?」
盛り上がると、低い声が静かに響いた。
「もう少し、静かに休みなさい」
罗景真の、大きくはないが地に響くような低い声で、七人は押し黙った。
ほどなくして宋長老が到着し、予定通り夜に動くこととなった。
葉英にツッコミができるのは陶霖だけ
用語解説
・一時辰=二時間
・一柱香=線香が燃え尽きるまでの時間。十五分くらい。
・乾坤嚢……見た目よりずっと多くの物が入る不思議な袋。(中華ファンタジー小説でよく登場するやつです)
・封鎮符……邪祟や邪気を封じ、鎮めるための術符。
・辰砂……術符を書く際などに用いられる赤い鉱石。




