第一話 違和感
序章に加筆を行いました。
秋の気配が濃くなり、巡風門にも中秋節の夜が近づいていた。
季節行事といえば、色恋も増えるものだ。
近頃の巡風門では、男女で連れ立って歩く門下生の姿を、普段よりもよく目にする。
陶霖は初任務のあともいくつかの危険任務に行き、複数の邪祟との戦闘も経験した。
温柔燐の言っていた通り、初任務は貴重な経験だった。
大抵の屍類は意志を持たず、行屍などの弱いものでは人の肉体を喰らい、鬼怪などの強いものになる程、その肉体の中に宿る魂魄を欲する。
頭脳がなければ、戦闘もあっさりとしたものだ。
弓術が得意な陶霖は法術を得意とする温柔燐と組み、温柔燐が足止めをし、陶霖が遠くから仕留める。
これで屍類の殆どは片付く。
陶霖は最近温柔燐について、気になっていることがあった。
この日もいつものように温柔燐との連携による遠距離戦闘でおよそ二十の行屍を片付けた。
陶霖は、温柔燐と二人きりになったのを見計らって言った。
「程長老のところの柳清婉」
温柔燐の動きが止まる。
「……陶霖」
温柔燐にしては珍しく、片眉を上げ、訝しげな表情で陶霖のことを見た。
「やっぱり、二人はその、良い関係、なの?」
「君が期待するようなことは何もないよ」
「そうなの?温安ってよくその、女から言い寄られているだろ?誰かと良い仲だったりはしないの?」
「……答えても良いけれど、答えたら君のことも教えてくれるかな。そうでないと、割に合わない」
「もちろん教える」
即答すると、温柔燐は天を仰いだ。
「はあ。どうせ君は周囲の好意に鈍感だし、自分の好意にも鈍感だし……」
「そんなことない!」
陶霖は頬を膨らませる。
「想っている人だって……」
陶霖は少し考え、頭の中に仲の良い女の門下生を数人思い浮かべた。
「ほら、いないんだろう。君はまだ子どもだ」
「子どもじゃない!」
「そういうところだ、陶明稀。君は人から好意を寄せられているけれど、その殆どは君のことをかわいい同門だと思っているよ」
「……」
納得がいかない!
その後も陶霖は温柔燐に何度か訊ねたが、その度に彼はため息をついて、陶霖のことを薄目で見てくるのだった。
陶霖はその晩、どうしても気になって夕餉前に葉遠瑶や鄭花澈に話す。
「もし二人ができてたとしても、お前には言わないだろ」
鄭花澈の言葉に、葉遠瑶も気まずそうな顔をしながらも否定をしない。
「なんで?」
「お前がお子さまでお姫さまだからだな」
陶霖は再び子どもだと言われたことにムッとしながらも聞く。
「どういうところが子どもなの」
「葉英……」
鄭花澈は助けを求めるように言ったが、当の葉遠瑶も首を横に振っている。
「子どもらしいというのは、誉め言葉でもあると思うよ。その、君はすごく、みんなから可愛がられているわけだし……」
葉遠瑶が歯切れ悪く話し出す。
「それ、温安も言ってた。それがどうして」
「君にはそのままで居て欲しいって意味だよ」
尚も頭に疑問符を浮かべる陶霖に対し、葉遠瑶が腕を組んで鄭花澈を見た。
「要するに、お子さまには何を話してもわからないってことさ」
きっぱりそう言い切った鄭花澈に、陶霖は言う。
「鄭知や葉英には好きな人はいるの?」
葉遠瑶の人気はもちろんのこと、鄭花澈も性格こそ以前は人との衝突も多かったが、近頃は落ち着いてきた上に元より見目は整っている。
陶霖は二人に恋慕している同門がいることを、人伝てで聞いていた。
「恋ってどんな感じ?」
葉遠瑶と鄭花澈は顔を見合わせる。
葉遠瑶は苦笑いで言った。
「……いつかわかる時がくるさ」
温柔燐はその後、夕餉の時に陶霖たちと一緒ではなく、柳清婉とともに食べることが多くなっていた。
その日は珍しく罗景真も同じ時間に養心堂へ来たため、陶霖は葉遠瑶、鄭花澈とともに四人で卓を囲んだ。
「温安はどうした」
罗景真は疑問に思ったのか、腰掛けながら言った。
「ええと、ですね」
葉遠瑶が説明しようとするも言葉が出てこない様子で、目線を罗景真の向こうへと向けた。
罗景真が振り向いた先には、温柔燐がいた。
彼が優しい目を向ける隣には、女性にしては背が高く、美しい黒髪、厚めの唇には赤い紅を差し、品のある雰囲気を纏った──柳清婉がいた。
「ああ」
「師尊もご存じなのですか」
陶霖が訊ねると、罗景真は首を傾げながら話す。
「何を……いや、近頃二人は仲良くしているのだな。今知った」
そう言うと、彼は目線を料理に移して黙々と食べ始める。
三人の弟子は目を見合わせた。
罗景真の浮いた話は一度も聞いたことがない。
きっと皆考えていることは同じだ。
陶霖と葉遠瑶が鄭花澈を見るが、鄭花澈は首を横に振り、陶霖に目線を送った。
「あのー、師尊」
罗景真は口いっぱいに含んだ料理をごくりと飲み込み、まだ茶杯にたっぷりと残った茶を豪快に飲み干してから口を開いた。
「……なんだ」
「ええと、ですね」
陶霖は声をかけたはいいものの、言い淀んだ。
陶霖だって自分が子どもっぽく、いつも考えなしに話してしまう癖があることはわかっている。
しかし、わからないふりをして話すというのは苦手なのだ。
陶霖は嘘がつけない。
「師尊は、これまでに、その、恋仲だった相手はいましたか」
罗景真はいつもの冷たい三白眼で瞬きをした。
「人並みだな」
深青の衣の袖から出た手が、茶壺を取り、空の茶杯に注ぐ。
減っていた弟子たちの茶杯にもそれぞれに注ぎ、そのまま一口飲んだ。
「どんな人、ですか」
陶霖が再び恐る恐る訊ねると、葉遠瑶と鄭花澈は目を見開き、陶霖を人ではないものを見るような目で見た。
「昔のことだ。近頃は……何もない。お前たちの期待には添えなそうだ」
そう言うと、いつもの人を射るような表情がほんのりと和らいだ。
その後、葉遠瑶、鄭花澈、陶明稀の3人は、師尊に倣って黙々と食事をしたのだった。
養心堂から出て罗景真と別れると、鄭花澈が沈黙を破った。
「あの人、かなり人気があるとは思っていたけど」
「ああ、昔からいろんなところで言い寄られているよな」
「でもあしらっていたじゃないか」
「……あれは大人の余裕だったってことなんだよ」
陶霖は、二人がうわーだとかくそーだとか言いながら顔を赤くしているのを腑に落ちない気持ちで見る。
「俺はさ、師尊は強くてかっこいいけど、恋愛についてはからっきしなんだろうなって思ってたんだ」
「わかるよ、鄭知」
「あの人のどこに欠点があるんだ。完璧すぎるだろ」
「最早悔しいとすら思わないね」
葉遠瑶と鄭花澈の2人はその後も、程長老の弟子の一人が白水鎮の呉服屋の娘と良い仲だとか、葉遠瑶と時折任務で一緒になるという門下生が同門の女を想っているが、その女は別の者に告白して振られただとか──。
陶霖は二人の会話についていけず、頬を膨らませて視線を行き来させた。
二人とも夢中で話しているので、陶霖は「おやすみ!」と言って、宿舎の前で立ち話をする二人を置いて先に宿舎へと入っていく。
「みんな俺のこと子ども扱いして……」
葉遠瑶も鄭花澈も、そして温柔燐だって。
これまで仲良くしていた他の門下生だってそうだ。
子どもの陶霖には、色恋の話はまだ早いって、だから陶霖に聞かせなかったんだ。
陶霖の胸の中にはますます靄がかかる。
次の日、陶霖は罗景真を監督者として、宋長老の弟子たち──皆陶霖と歳の頃は変わらない──とともに、軽い妖退治の任に来ていた。
陶霖は師兄たち──特に温柔燐との相性が良く連携が取れるようになったが、対処方法が単調となっていることが成長に繋がらないからと、ここ最近ではこういった他の門下生との編成も多くなってきた。
陶霖は、他の門下生たちと任務に出ることで、師兄たちの助けがどれだけ大きかったのかを知った。
今日は以前にも一緒になったことのある三人が一緒だった。
今回は妖が人里に現れるようになり悪さをするようになったため、退治してほしいという依頼だった。
その妖の悪さというのは、物を盗む、急に出てきて驚かす、最近では牛車を突き落としたり嘘の道案内をして行商人を迷わせたりなどの被害が出ているため、退治してほしいとの声が集まったのだそうだ。
神出鬼没である上に人に化けて出ることが多いため、今回は時間がかかる可能性がある。
そう思われていたが、案外あっさりと見つかった。
今回妖が出没するという場所は巡風門からも近い長河村だった。
この村は南渓鎮と白水鎮のちょうど中間地点にある。
こぢんまりとしながらも陶器や染め物などの工芸品で知られ、中継地として行商人などの人の往来も多い村だ。
陶霖と沈秀恒、方承和と林玉の二人ずつに分かれて早速聞き込みへ行く。
罗景真はもちろん一人行動を取っている。
陶霖たちは聞き込み二件目で、麺屋台で麺を買って食べている土方らしき男二人に声をかけた。
「お兄さんたち、少し伺いたいのですが」
そう声をかけた沈秀恒に、陶霖は首を振って「見てて」と前に出る。
「お兄さんたちは何頼んだの?」
陶霖は2人の横に腰掛け、皿を覗く。
「陽春麺だ」
「俺は牛肉麺だな」
「へー、おいしそう!陽春麺ひとつ!……と、秀恒も食べるか?」
「俺はいいよ」
注文してから少し話していると、すぐにできたての陽春麺が目の前に置かれた。
「お嬢さんはその道服、巡風門だろ?」
陶霖は麺を食べながら話す。
「うん、そうだよ。近頃この辺に出るっていう妖のことを調べているのだけど、出没場所もばらばらだし、絞り込むのが難しくてね」
陶霖は心の中で、またか……と思いつつも、自分を「お嬢さん」として扱ってもらう方が聞き込みには便利なこともあるため、敢えて訂正はしない。
男は警戒心を解いた様子で話す。
「あぁ、ここらでも結構有名な商人の牛車を突き落としたっていう……」
「え、落ちたのって商人だけじゃないの?」
「いや、逆だよ。落ちたのは牛車だけなんだ」
「なんで?」
陶霖がきょとんとして尋ねると、男は続けた。
「それがわかってたらいまお嬢さんが動く必要はないだろうよ」
「他にも何か知ってる?行商人に嘘言って森で迷わせたとか」
「ああ、その噂な。それは本当だな。あと、俺ら、木工をしてんだけどよ、ついこの前うちの若いのが引っかかって」
男たちは二人で顔を見合わせて笑い出した。
「何があったの?」
「いや、そいつがさ、女と一緒に白水鎮まで行こうとしたら、道で子どもが泣いてたらしいんだよ。でもそいつは子どもが苦手で、無視して行こうとしたら、一緒にいた女の方が助けたらしい」
もう一人の男がそうそう、と話を繋ぐ。
「泣いてた子どもに話を聞いて、ただの迷子だったらしく無事送り届けたそうだ。だが、そいつは何もできなかった。がっかりしたって女には振られたらしいな」
「それのどこが妖と関係あるんだ?」
沈秀恒が身を乗り出して訪ねた。
「まあ待てって。問題はその後だ。送り届けた家は、空き家だった」
「親はいなかったのか?」
「いたさ。男の方は怪しいと思って、女と別れた後にもう一度空き家を見に行ったんだ」
「それで?」
陶霖は続きを促すと、男はニヤリと笑いながら言った。
「異形の狐の親子が、小屋で寝ていたのさ」
陶霖は驚き、両手を口元に当てた。
「俺の予想ではこうだね。妖は男で、人間、しかも老若男女に化けることができる。妖は美女を侍らせてる男が気に入らないんだ。あの妖は不細工だからな」
「なるほど……そうすると、これまでの行動にも筋が通りますね」
沈秀恒が言う。
「ここから白水鎮までをあんたら二人で歩いてたらいい。あの妖はどうせ暇してんだよ」
男たちがそう言いながら、また「あはは」と笑い飛ばした。
「二人ともありがとう!行くか、秀恒」
「ああ。お話、ありがとうございました」
陶霖と沈秀恒が礼を言うと、二人の男は笑顔で言った。
「構わないよ。君と話せてよかった」
「ところでお嬢さんは、良い仲の男とか……」
奥で座っていた男が立ち上がり、陶霖に近づいた。
「いないけど……」
陶霖は沈秀恒に意味深に視線を送った。
「……わかったよ。でも、また会いたいな。嫌なことをされたら、俺のとこに来たら良い」
「ありがとう。じゃあ」
陶霖は女のまま、男たちと別れた。
しばらくして男たちの視線が消えてから、沈秀恒は陶霖に話す。
「君はいつもこうやってるのか?」
「……時と場合による」
「凄いな」
沈秀恒が素直に感心した様子でそう言うと、陶霖は頭を掻きながら話す。
「俺はこの体格だろ。近接戦が苦手で、戦闘においては後方支援が自分の役目だと思ってる。正直悔しいけど……女に見られてそれが役に立つなら、いくらでも女役になるよ」
陶霖がそう言うと、沈秀恒は意外そうな顔をして、笑った。
「さすが罗長老の弟子だ」
「……沈秀恒は優しいな」
「そうか?普通だろ」
話していると、陶霖は道の向こうの人並みの中に罗景真を見つけた。
方承和と林玉も近くにいて、何やら話をしている。
陶霖はそれを視線で捉えながら話を続ける。
「いや、いつも師尊の弟子の中で俺だけが落ちこぼれだって噂されているの、知っているんだ。みんなすごいんだよ。でも俺にできるのは後方支援だとか、こんなことくらいで」
「お前、それ本気で言ってるのか?」
沈秀恒は目を見張った。
「……なにが?」
「んー、君のことは以前から目立っていたから知ってたけど……以前は女に見られること、すごく嫌がっていただろ?
でも、今は自分の気にしていたことさえ武器に変えてる。それに戦闘能力だって、接近戦は苦手かもしれないけど、周囲の人間の動きを把握する力がある。だから、君が弓術で後方支援してくれると、安心するんだよ」
陶霖はぽかんと口を開けたまま沈秀恒の話を聞いていたが、たちまち顔を真っ赤にした。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
沈秀恒は満足そうに微笑んだ。
陶霖が通りの向こうを見ると、罗景真が腰を屈めて林玉の話に耳を傾けているようだ。
罗景真がふと──微笑んだ。
きっと、彼の弟子たちにしかわからない。
いつもの無表情と大きく変わりないが、ほんの少し、頬が緩み、目が細くなるのだ。
陶霖がその場で立ち止まっていると、沈秀恒も罗景真たちの姿に気づいたのか、「行こう」と言って駆けて行った。
罗景真が彼らと話しているのを見て、陶霖は何故だか気に入らない。
しかし、沈秀恒を見て先ほど彼が言ってくれた言葉を思い出し、途端に機嫌を戻した陶霖は、罗景真に駆け寄って行った。
五人は合流すると、情報共有をした。
妖の出没場所の範囲はかなり広いものの、この長河村から白水鎮の間の街道であることに間違いはなさそうだ。
問題は、誰が行くか。
どうやら今回の女役も、危険ではなさそうだが……。
「私が行きます」
林玉が言い、陶霖は内心ホッと息を吐く。
もう一人に関しては、今回は妖の悪戯程度であるため危険度は低い。
方承和が行くことになった。
この妖は夕刻に出ることが多いため、一行はそのまま白水鎮に向かって歩を進める。
道服から町民の着るような衣に着替えた方承和と林玉が並んで前を歩き、遠く離れた位置から罗景真と沈秀恒、陶霖の3人が追う。
妖が現れるまでは退屈なものだ。
沈秀恒は罗景真に、剣術のことや彼が今習得しようとしている法術の秘訣はないか、普段使っている法術の応用した使い方などについて話し続けている。
陶霖は師尊に教わったことだと思いつつも、自分の知らなかったことを話はしないかと後ろでずっと聞き耳を立てていた。
「……いるみたいだ」
沈秀恒が言うと、前を歩く二人の足がピタリと止まった。
蹲って泣いているらしき子どもが一人。
方承和と林玉は子どもに話しかけている。
方承和が子どもを抱きかかえると、道を外れて歩き出した。
急いで後を追う。
寂れた小屋に二人と子どもは入っていった。
しばらくすると、子どもが林玉を連れて出てきた。
沈秀恒が林玉を追い、罗景真と陶霖が2人で小屋の様子を見守る。
陶霖たちは子どもと林玉が見えなくなるのを確認してから、小屋へ近づいた。
中では食事を作っているらしい。鍋で何かを煮ているのか、外まで匂いが漂っている。
隙間から覗くと、女が見えた。
女は豊満な身体で方承和の横に座り、しなだれかかって話しかけている。
陶霖はよく見えなくて、隙間に顔を押し付けた。
「どうします?」
「……助けるか」
そう言うと、罗景真は急にがらりと小屋の戸を開けた。
化け女は驚いたのか──尻尾が出ている。
方承和はさっと女から距離を取った。
「いきなり何だ!?」
白く陶器のような肌を持つ女の顔が急激に歪んだ。
目は狐のように細く吊り上がり、眉は消え、鼻は細く尖り、唇は不気味なほど左右に伸びていく。
「……狐女」
「ああ、失敗した。あんたたち、仙師だったのね」
諦めて正体を明かした──ように見せかけて、隙を見て逃げるつもりだろう。
「目的は何だ」
「別に。人間の男女はこっちがちょっと引っ掻き回せば、簡単に拗れる。面白かっただけだ」
そう言うと、その姿はみるみるうちに萎んでいき、まだらな色の毛に、左右非対称に歪んだ顔、二つの尾を持つ狐が現れた。
「もうやらねえよ。だから見逃せ」
狐の形のままで言葉を発する。
すると、狐の目線が陶霖たちの後ろに向けられた。
「おとうちゃん、もうやめようよ」
人間の姿のまま、沈秀恒と林玉に両腕を捉えられた子狐が言うと、狐はぽつりと言った。
「うん、もうやらない」
ああ、これは──口先だけだ。
「何故子どもの目を見て言わない?」
罗景真が言うと、狐は、罗景真をじっと睨んだ。
「そうか……なら、祓うしかないな」
罗景真は感情のない声で言った。
「ねえ!待って!おとうちゃん!もうやらないってちゃんと約束してよ!そうじゃないと」
「俺はお前の父ちゃんじゃねえ」
子狐は、人間の姿のまま、尻尾を出して言った。
「何、言ってるの?」
「お前の父親じゃねえ。使えるから、拾ったんだ。好きに生きればいい」
「おとうちゃん!」
「うるせえ!親じゃねえっつってんだろ!?」
想定外の雰囲気に、陶霖たちは様子をただ見守るしかない。
「……これ以上の害がなければ、討伐の必要はありません。二度と人を惑わさぬと誓うなら、見逃します。早く去りなさい」
凛とした声が響いた。
林玉の声だった。
狐は人間の男の姿になり、両膝をついて頭を地面に擦り付けた。
「もう、しません。山奥でそいつと二人、静かに暮らします。許してください」
「次はありません。子どもを連れてこの地を去りなさい」
子どもも狐の姿へと戻り、二匹が立ち去ろうとした、その時だった。
「待ちなさい」
低い声に、狐の身体がびくりと震える。
罗景真は静かに狐へ歩み寄ると、その額へ二指を当てた。
淡い光が一瞬だけ滲む。
「……っ」
狐が呻き、地面へ這いつくばった。
「人へ化ける術を封じた。再び人里へ降りれば、その時は祓う」
狐はしばらく地面に伏したまま動かなかったが、やがて小さく「はい」と答えた。
二匹が山の方へ駆けて行くと、すぐに姿は見えなくなった。
「これで良かったのでしょうか」
林玉が罗景真に問いかけると、罗景真は彼女の頭に手を置いた。
「上出来だ……あの様子なら大丈夫だろう。祓わずに済んだ。よくやった」
林玉は頬を染め、はにかむように笑った。
陶霖にはわかる。
罗景真は最大級に褒めている。
林玉は女にしては少し背が高いが、陶霖と同じくらいの背丈で、歳の頃も変わらない。
陶霖よりも思慮深く、仲間からは信頼され、大人のような落ち着きがある。
彼女は身体能力としては抜きん出た才能があるわけではないものの、優秀なその頭脳で皆から必要とされているのだ。
──彼女は、陶霖が欲しいものを持っている。
そんな林玉を、罗景真は褒めた。
陶霖にしてくれたように、その温かくて骨張った大きな手で彼女の頭を撫でたのだ。
……あれ?
自分が最後に頭を撫でてもらったのは、いつだった?
陶霖は自分が自分じゃないような心持ちで、ぼんやりとその様子を見ていた。
温安は、大人になったらモテる典型例みたいな子。穏やかで優しい、気が付く人。
登場人物
【巡風門】
罗景真……長老
罗景真の弟子(名・字)
葉英・遠瑶
温安・柔燐
鄭知・花澈
陶霖・明稀
・宋長老の弟子……沈秀恒、方承和、林玉
・柳清婉……程長老の弟子
用語解説
南渓鎮……巡風門の麓にある街
白水鎮……巡風門から御剣で一時辰ほどの距離にある街
※難しくかんがえないでよんでください^ ^
屍類……死体や死者由来の怪異の総称。行屍などを含む。
行屍……死体が怨念や術によって動き出したもの。自我や知能はなく、生者を襲うことが多い。
鬼怪……人ならざる異形の存在や妖異の類を指す総称。
魂魄……人の魂を構成する霊的存在。精神や生命そのものを指す場合もある。




