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第九十六話『巨人の回廊』

 大陸暦六一六年、大魚の月初旬―

 銀の巨人の内部に広がった空間は異質としか言いようが無かった。

 歩き出してから程なくして突き当たった三叉路は環状の回廊に繋がっており、そのちょうど反対側に中空の柱が立っている。ニックが不自然に開いた開口部から中を覗き込むと、底なしの吹き抜けとなっていた。


「これ、どうやって降りたらいいんだ?」

「他に階段らしきものは見当たりませんわ……あら?」


 柱の付近を調べていたミリアムが何かに気付いた。少し遅れてニックとエリスも目を見合わせる。水、あるいはそれに類する液体が、管に注がれてせり上がってくる感触。中空の柱だと思っていたものは、どちらかというと管に近かった。開口部の少し下まで上昇した液面の上に、平坦な丸い板状の物体が浮いている。


「これに乗れって事か?」

「大丈夫ですの?沈みません?」

「他に手は無いが、用心に越した事は無いな」


 ニックは兜を脱ぎ、板の上に置いてみた。板状の物体は沈むどころか傾く事さえない。大丈夫と判断すると、意を決して飛び乗った。板はほとんど動じる事が無い。理屈は分からないが、非常に安定した浮き足場だった。ニックに手を取られてミリアムとエリスも足場に乗る。


「……不思議な感覚だね。石でも木でも金属でもない。かと言って魔力物質でもない……」


 エリスは足場の表面に手を置き、怪訝そうに呟いた。結界の術式を使わなくてよくなった分、治癒と体力回復の術式に割り振って、少しでも自らを永らえさせている。しばらくして、足場が降り始めた。管の中の液面が下がり始めている。


「なるほど、滑車と綱の代わりに水と浮石で上下させる装置か」

「しかし兄上様、どうしてこのような装置があるのでしょう」

「分からん。そもそも、ここが本当にゴーレムの内部なのかも定かではないしな」


 三人とも勘付いていた。このゴーレムの内側を歩いた時間と距離からして、既にベクォン家の屋敷の一階分よりも広かったのだ。管の中を上下移動する高低差も、屋敷の高さと階数を超えてしまっている。


「魔力、それも『流れる銀』と魔法使いの力で作り出された異常な空間……そう判断するのが妥当だろうね」

「兄上様、この足場を浮かせている液体も『流れる銀』のようですわ」

「そうか。あと、この足場……触った感じでは、骨に近い気がする」


 管に注がれる『流れる銀』によって上下する骨の足場、それが何を意味するのかは分からなかったが、自分達が何者かによって誘われていると言う事だけは判別出来た。


「しかし、妙だな。公爵は我々を部屋から弾き出し、宙に浮いている間も押し潰されないようにする必要があったのに、今になってまともに動ける空間が作られている」

「まるで、誰かがこのゴーレムに細工でもしているみたいですわ」


 ニックとミリアムが不可解な状況の連続に対して頭の中を整頓している間、エリスは時たま開口部から垣間見る事の出来るゴーレムの中身から、自分達の位置を大まかに推測していた。骨の足場の下降が止まる。開口部を覆っていた透明な膜が溶けて流れるように消え去った。先に下りたニックが剣を構え、前方を警戒する。ミリアムとエリスが続いた先は、ベクォン家の屋敷とは異なる建物の通路だった。


「ここは……見覚えがあるような気がする」

「ジリボン中央の衆議塔よ」


 ニックに対して応じる、聞き覚えのある声。少し遅れてから響き出す足音と共に、暗がりから見覚えのある声の主が姿を見せる。梟を模した飾り兜、アリシアだった。


「姉上、ご無事でしたか」

「姉上様はどうやってこちらに?」

「衆議塔周辺は銀の膜で覆われていたけど、地下は無防備だったわ。サミサとニムネクの方々に案内してもらったの。いきなり崩れ始めた時は驚いたけど、なんとか無事に入れたわ」


 アリシアは銀の壁を破った事による消耗からいくらか立ち直っていたが、やはり疲労の色は隠せなかった。声色には張りが無く、話し始めに肩で息をする必要があるほどには削られている。


「シャスタとポールだな……ところで姉上、一つ聞きたい事が……」

「えぇ、なんとなく分かるわ。でも、その前に」


 ニックの質問を置いといて、アリシアはエリスの元に歩み寄った。術式でも補えなくなったのか、エリスに残された体力は殆ど無かった。壁に体を預け、左の脇腹を押さえていた。止血も沈痛も解け掛けており、彼女の顔は苦悶の表情と脂汗に満ちていた。


「弩で撃たれたのね。よく持ちこたえたわ……生命の術式!」


 エリスの傷口にアリシアが添えた手から、眩しくも温かい光が放たれ、程なくしてそれはエリスの体内に吸い込まれていった。傷口がまるで無かったかのように塞がり、止血と鎮痛に加えて体力まで回復している。


「これは一体、どういう事だい?」

「ハンスと一緒に銀の壁を破った時、無意識に魔力を解放していたみたい。あまり多くは使えないけど、これで助かるわ。どう、今の気分は」

「……助からないと思って、カッコつけたのが恥ずかしい気分だね」

「大丈夫みたいね」


 顔を赤らめて視線を逸らすエリスに、アリシアは軽く微笑んでみせた。安心半分に物言いたげなニックの顔を見て、アリシアは表情を引き締めた。


「さて、本題ね。この異様な空間について、魔力の探知を交えて私なりに推測してみたわ。ここは確かに、母上のいる衆議塔と、公爵が一部を剥がして持って来たベクォン家の屋敷とが合体した、銀のゴーレムの内部よ。この空間が異様に広く感じるのは、膨大な魔力で歪んでいるからね」

「それで、明らかに屋敷よりも大きな場所に感じていたのですわね。姉上様、私達は上の方から、管のような柱に注がれる『流れる銀』と浮石の足場によって、ここまで運ばれましたわ」


 ミリアムの言葉に、アリシアは思い当たる節があったが、エリスに目配せした。


「ミリアムの言う管の中を降りている間、柱の開口部から通路とかがチラッと見えたんだけど、このゴーレムはもしかして、人の体を模してるんじゃないか?」

「人の体?」

「あぁ、あたし達が最初にいたのは頭の中。回廊に差し掛かった時に意味ありげな窓が二つ並んでたから、恐らく目だろう。で、あの管の柱は後頭部からまっすぐ降りる背骨さ。あたしの目では、鼻と口と首回りくらいは確認出来た」

「では、ここは文字通りの心臓部……胸の辺りか?」


 エリスの説明もニックの推測も、アリシアの中では満点の答えだった。そうなると、新たな疑問が浮上する。一体誰が何のために、管の浮石でニック達をここまで運び、アリシアと引き合わせたのか、だ。


「この先に、答えがあるわ。行きましょう」


 アリシアに案内されるまま、ニック達は回廊を歩き出した。人間でいう胸部を模しているためか、通路は先程よりもかなり長く感じられた。外で待っている者達のため、出来れば急ぎたかったが、こういう時の焦りは得てしてよい結果を生まないのが世の常であった。


「ここよ。扉に細工がしてあってね、一人では開けられないの」


 豪奢な金細工が施された、両開きの大扉の前で立ち止まる。衆議塔の大会議室の扉そのものだったが、ルイスにより防御措置が取られていた。両の扉に一人ずつが立ち、開錠のために術式を用いる必要があったのだ。


「術式ならば、私の出番ですわ!やりましょう、姉上様!」

「頼むわ、ミリアム」


 アリシアとミリアムが扉の前に立ち、開錠の術式を行使する。しかし、大扉が開く気配はない。術式に注ぎ込む魔力の量にばらつきがあっても扉は開かないらしく、魔晶石によって出力が決められているミリアムと、自身の魔力を解放しているアリシアとでは、その微妙な調整に難儀した。幸い、開錠の術式で消耗する魔晶石は微々たる物で、数回の行使で扉は音を立てて開かれた。


「ベクォン公爵、もう逃げられないぞ」


 大会議室の最奥にて佇む人物に剣を向け、ニックが大股で詰め寄った。エリスは大テーブルの下を警戒するように刃を足元に向ける。あと数歩というところで、ニックは足を止めた。『流れる銀』に巻かれたオリビアだと思っていた人物は、明らかに大人の女性の姿形を取っていた。一糸まとわぬ姿ではあるが、背丈も顔付きも身体の稜線も、明らかに別人であった。


「……母上、やっと会えましたね」


 アリシアの目つきが険しくなる。銀の巨人の心臓部にて待っていたのは、彼女の母ミランダであった。

魔法使いの力

ベクォン家のように、魔法使いの血を引く者は体内に魔力を宿して生まれてくる。個人差はかなり大きく、概ね女性の方が多い傾向にあるが、元宮廷魔術師セオドアや嫡男ハンスのように男性でも高い魔力を有する事はある。ルイスは極端に少なく、普通の人間とほとんど変わらない。


魔法使いは魔晶石などの媒介を用いずとも、自身の魔力で術式を行使する事が出来る。しかし、一定量の魔力を短期間に放出してしまうと、歯止めが聞かなくなり漏出し続けるようになってしまう。体内の魔力を全て失った時、魔法使いは命を落とすとされているが、それを証明した記録はない。

ハンスの消滅は、魔力の枯渇により反魂が維持できなくなったためである。

   ―魔法使いの記録『メーシア大陸の名門ベクォン家の盛衰』より

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