第九十四話『銀の巨人』
大陸暦六一六年、大魚の月初旬―
ジリボン中央の衆議塔が地鳴りと共に白銀の輝きを放つ光景は、市街地に展開したハーム軍の多くが目にする事となった。半球状の膜の内側から、建物が崩れるような轟音が響く。恐らくは衆議塔だけでなく、付近の建物も巻き込まれて崩れているに違いない、迎撃にあたっていた数少ないベクォン軍の兵士も共に手を止め、固唾を呑んで見守るしかなかった。
「アリシア様!」
キャシックが悲鳴に近い声を上げる。アリシアは何かしらの手段で衆議塔に潜入した可能性がある。そうなるとこの崩落に巻き込まれているかもしれない―公には死んでおり、アリアという名で生きている事も忘れ、老将は声を上げていた。
「上手い事、中には入れたようだね」
「しかし、これでは僕達が手助け出来なくなってしまった」
「なに、私達に出来る事なんてここまでさ」
地下下水道から衆議塔に繋がる階段だった瓦礫を前に、シャスタとポールは降り掛かった埃も払わずに立ち尽くしていた。二人の周りではニムネクとサミサの手の者が状況と負傷者の確認に駆け回っている。
「衆議塔が崩れるほどの何かが上で起きてるんだ、ここも安全じゃない。三区画分西へ移動、市民が避難してる可能性もあるから、危なそうなら助けるんだよ!」
「サミサの者は先行して安全を確保、ベクォン軍の兵が潜んでいないか確認してくれ」
シャスタの号令に、荒くれ者が従った。ポールも遅れまいと指示を出す。同じ指示を遅れて出しても意味は無い。ニムネク商業とサミサ商会は基本的に友好的な関係にあるが、根本的には常にせめぎ合いを続けてきた同業者である。少しでも先んじて動かすか、より効果的に動かすか、断続的に取捨選択を迫られるのが常であった。
衆議塔の地上階まで後少しというところで、地鳴りが起きた。壁に亀裂が走り、柱も重さに負けて砕け始めた。地下からの階段も崩れ始め、進退窮まるかと思ったアリシアであったが、まだ前に進んだ方が希望がある。僅かな時間の中で思い返すと、背後から迫り来る崩落から逃れるように階段を駆け上がった。
「母上を……止める!」
こんな所で止まっていられない、地鳴りの揺れも崩落による足元の不安定も、アリシアの前進を阻む事は出来なかった。天井板や石材の破片が降り落ちても、彼女の兜を破るほどではなかった。体力の限界も時間の感覚も忘れ、ただただ駆け上がる事数十段、気が付けば衆議塔の三階にまで達していた。
「揺れが収まった……これ以上は崩れて来ないわね」
衆議塔の三階から上は、その名の通り高い塔となる。五階より上は展望台や鐘楼となっており、実質的な最上階は四階であった。呼吸を整え、手元の魔晶石の残りを確認すると、アリシアはミランダの気配を上階に感じ、階段を一歩踏み込んだ。
ベクォン家の屋敷の最も奥、公爵ルイスの部屋から弾き出されたニックとミリアムは、自分達の身に迫る危機に気が付いた。部屋の扉を埋めた『流れる銀』が、周囲を取り囲むように渦を巻いている。屋敷はめきめきと音を立てて崩れ、鈍い銀色の織り成す魔力が渦巻く球体となっていた。その中心に、ルイスとオリビアがいる。
「兄上様、これは……」
「凄まじい魔力の渦の中にいるようだな。しかも、浮いている」
ニックが言うように、銀の球体は屋敷の残骸を眼下に浮かび上がっている。直接見る事は出来ずとも、感覚的に外の様子を察する事が出来ていた。
「ところで兄上様、どうして私達の周りに、このような魔力の及ばない空間が出来ているのでしょう?」
「魔力が及んでないんじゃない。内側から押し広げてるのさ」
聞き覚えのある第三者の声に、ニックとミリアムは目を見合わせ、その主に振り向いた。
「エリス!」
「どうやってここに来たんだ!?」
二人の視線の先に立っていたのはエリスだった。よほど急いで来たのか、左脇腹に赤いものを滲ませるほどの負傷か、またはその両方か、肩を上下させる息は異様なまでに荒かった。それでも、平静を装って余裕がありそうな笑みを浮かべようとする。しかし、その口許には苦悶の筋が浮かんでいた。
「コンラッドが将の旗なんか掲げてるから、何事かと思ってね。あんた達がベクォン家の屋敷に向かってるって言うから、あたしも思い出深いし……付き合おうかなって」
「そうだったのか。しかし、その腹の傷は明らかに重傷だな。ミリアム、治癒の術式を」
「待った。ミリアム、あんたの魔晶石は取っておきな……でないと、あたしが残った魔晶石でこの渦を押し広げてる意味がない」
エリスの言葉に、ミリアムは何かを察した。術者を中心に魔力による干渉を阻む、結界の術式が行使されている。これは魔晶石の消耗も術者の負担も少なくない。
「エリス、貴女……死ぬつもりですのね」
「ドジったよ。弩の矢を腹に受けてね、たぶん腸に達してる。どうせ助からないなら……あんた達の役に立ちたい」
「貴女という方は……」
「故国の再興を託されて、人探しも兼ねて傭兵やって、道半ば……ってところね」
苦し紛れに自嘲気味の笑顔を見せたエリスに対し、ニックもミリアムも沈痛な面持ちでしか応じられなかった。
「あたしの本当の名前を……覚えておいて欲しい。エリンシア・ジュシー・ブバーケ。それが……本当の名前だ」
「ジュシー……ブバーケ……まさか、百年前に滅びた、ブバーケ帝国の者ですの?」
「あぁ、大陸中に離散したと言われているよ。あたしは皇帝一族の末裔でね、なかなか人探しなんて上手くいかないものさ……でも、最後の最後で、やっと一人を見つけたよ。ニムネクのお嬢に手紙を託してある。あたしが倒れても、後を継ぐ者がいる……そうやって、繋いで来たんだ。だから、もう悔いは無い」
悔いは無い、というエリスの言葉を、ミリアムは信じる気にはなれなかった。もっと自分の目で見たい世界があり、自分のためだけに選ぶ生き方もあったはずだ―しかし、その先の言葉は出なかった。エリスの使命を否定する事は、そのまま彼女の人生まで否定する事に繋がる。
「さて……長話なんかしてたら、着いてしまったね」
「浮遊感がなくなったと言う事は、ここが公爵の目的地か」
「あぁ、恐らくはジリボン中央の衆議塔。そこしか公爵の逃げ場はない」
「ミランダ妃の作り出したゴーレムのいる場所……と言う事は、姉上様も近くにいるかもしれませんわ!」
息巻くミリアムに、エリスはその意気だとばかりに穏やかな笑みを浮かべた。
ルイスとオリビア、そしてニック達を乗せた『流れる銀』の球体は、衆議塔を崩落させて現れた、まるで首の無い人のような姿をした白銀の渦に乗っかる形で収まった。その瞬間、ルイスの言っていたゴーレムの究極体が完成したのだ。衆議塔や屋敷の一部を外装としてまとうその姿はまるで―
「銀の……巨人だ……」
北側の大通りから進軍していたビフが、異様な光景に洩らした。指揮下の歩兵も、共に歩を進める金甲兵も、一様にざわつき始めた。それを聞きつけたかのように、銀の巨人が右手を持ち上げ、北側の大通りに向けた。右手の先は大砲の砲身のように筒抜けになっている。そして、白銀の輝きが一筋の光となって放たれた。
「何だ!?何が起きた!?」
「凄まじい魔力が一直線に……!?これはホツキネ砦で見た……!?」
コンラッドとコリンズが、困惑のあまり声を上げる。不測の事態に際しては最も冷静に勤めなければならない指揮官としては、あってはならない表情であった。その様子を遠巻きに確認したキャシックが、ガイラーに目配せする。
「一度後退し、態勢を立て直す!急げ!」
「パッテン将軍にも伝えられよ!一度下がった方が良い!」
キャシックとガイラーの二人が、統率を回復して味方の後退を促す。北側の大通りでハーム軍を待ち構えていた仲間が消し飛ばされた光景を前に、ベクォン軍の兵士も一緒になって退避を始めていた。
大陸暦六一六年、大魚の月初旬―
白銀の巨人という存在は、不思議なものだった。間近に見れば五階建てほどの建物くらいの高さだったが、海上に離れてもその大きさを感じさせていた。
飛竜母艦ペリブアス所属の飛行兵の言葉




