第九十二話『包囲網』
大陸暦六一六年、大魚の月初旬-
ジリボン中央の衆議塔に対する包囲網は、徐々に狭まりつつあった。
東門からのリアブとパッテン、港からの水軍水陸兵、北門側に迂回した一部の兵、そして西門からのニックとキャシックの軍が、締め上げるように迫っていた。
戦意を喪っていない、僅かに残ったベクォン兵や銀屍兵が抵抗を続けるも、ほとんど足止め以上の効果を持たなかった。
「いよいよ大詰めってところだな」
ニックからニバラク侯爵領軍の指揮を受け継いだコンラッドは、馬上で腕を組ながら衆議塔を眺めた。塔と言っても半球状の銀膜に覆われ、その全容を見る事は出来ない。少し経ってから、後方からコリンズが駆けて来た。ハーム軍、ニバラク軍共に魔法兵の体力はある程度持ち直しており、障壁を破ってきた分を差し引いても、戦力としては申し分なかった。
「コリンズ、ハーム軍の様子はどうだ?」
「銀騎兵は西門の通りから、歩兵は迂回で流されつつも、北門の通りで金甲兵と合流したそうです。また、アリシア様……いえ、アリアさんが銀騎兵に付いています」
「なるほどな。ポールとシャスタはどうした?キトリヤ領の傭兵隊は一緒に行動してるから分かるが、あの二人はいきなり姿を消すからな」
「僕も見ていません。元々あの二人や商会の方々は戦士でも兵士でもありません。後方支援を行っているかと」
コリンズの応答に、コンラッドはなるほどと呟き、再び衆議塔に目をやった。包囲しつつ、迂闊な手出しはさせない。未知の存在が敵である以上、とにかく情報収集に徹する事が好手と捉えていた。
黒煙を立ち昇らせ、赤々とした炎の揺らめきに包まれた港や南側の市街地を、砲艦チョッパルカとマハナムⅡが眺めている。水陸兵を上陸させた今、砲艦に出来る事は多くない。敵が見えない以上、無用な砲撃を行うわけにはいかなかった。
「今回は、随分と大人しいですね、艦長」
「シオンタの時、お前にきつく言われたからな」
マハナムⅡの甲板上にて、レーミッツと副長は水陸兵の姿を目で追っていた。
「大一番の大舞台、ここは俺も斬り込みたいところだが、嫌な予感がする」
「やめて下さい、艦長の嫌な予感はよく当たるんですから」
副長は顔をしかめた。ハーム級砲艦だった頃の、先代マハナムをベクォン軍の砲艦に奇襲された時も、同じように嫌な予感を覚えていた。実際、レーミッツが余裕を持って独断で艦を離れた時には何も起きない。彼が艦にいて、嫌な予感を覚えた時に何かが起きるのだ。
「あの銀の光がいきなり止んだ。それと同時に市内での戦闘が一気に進んだらしい」
「敵に余裕が無くなったのでは……?」
「その可能性もあるが、罠を張って引き付けている可能性もある。副長、付近の輸送船にも短艇をすぐに出せるよう指示しておけ」
何かが起きる前から短艇の準備を命じるという事は、艦が無力化される事を示唆するようなものだった。だがレーミッツは一度、自分の砲艦を沈められている。よく当たる嫌な予感を、ここばかりは頼りにするしか無かった。
衆議塔を覆う銀の膜の内側、場所にして塔四階の大会議室、ミランダは一人そこにいた。オリビアと同様に、一糸まとわぬ姿に『流れる銀』を巻き付かせ、自らをゴーレムのコアとしている。迎撃の光も撃たず、魔力の集中に力を注ぎつつも、市街地全体の戦況は把握していた。
「押されているわね。この数だと、術式を完成させても巻き返しは難しそうだけど……」
ルイスを信じるしかない、ミランダはそう自分に言い聞かせた。ハーム王家に嫁ぐ前から、誰よりも大切にしてきた弟である。自分が守らなければという意思が、彼女の全ての原動力となっていた。
「ルイス、そっちに敵が向かったわ」
弟に敵が迫っている、ただそれだけを伝えるために、反射的に口が動いていた。敵の数は二、速度からして騎兵、銀兵を少し出せば対処出来る、そう思っていた。
「その二人は、恐らくニックとミリアムだろう」
「銀兵で確実に討ち取るべきだわ。総大将がこんな所に現れるなんて」
「いや、二人はオリビアの友人だった。丁重に迎えなければ」
ルイスの声は自信に満ち溢れていた。オリビアの魔力を我が物とした自分の姿を見せつけるつもりなのだろう。確実な勝利を逃す危険性があるだけに、ミランダはルイスの選択を愚かしく思った。しかし、それでも彼女は弟への保護欲を捨てられず、自分自身さえ愚かしく思っていた。
それゆえ、ニック達を追うもう一つの影に気付く事が出来なかった。
左の脇腹が、焼けるように傷む。声にならない叫びと共に矢を引き抜き、脂汗に塗れながら治癒の術式を使って休む事数刻、エリスの体は何とか動かせるという状態にまで回復していた。血の足跡を点々とさせながら、その足取りはベクォン家の屋敷へと向かっていた。
「もう少しだけ……あともう少しだけ、持ってよ……」
魔晶石の残りは肉体強化に回し、一気に屋敷までの道を駆け抜ける。ニックとミリアムが屋敷へ向かったという話はコリンズから聞いた。あの公爵が何も罠を張っていないはずがない―そう踏んだエリスは、自分が戦力として大勢に影響しない事を確認して、二人を追い掛ける事にしたのだ。
「ニック、ミリアム、公爵は……間違いなく何かを隠し持ってる……」
腰に下げた魔晶石の筒が薄紅色に輝き、四肢に並々ならぬ力を注ぎ込む。脇腹の痛みに顔を歪めながら、それでも全身の筋肉をただ一つの目的にために動かす。エリスの二つ名が、道脇の木々や茂みを激しく揺さぶった。
「あたしの二つ名は疾風……最後の本領発揮さ」
茂みから銀屍兵が現れる。ニックやミリアムは素通りさせるように命じられていたのだろう、エリスはそう判断すると、腰の剣を抜いた。槍を携えた銀屍兵が槍衾を構える。整列された穂先を前に大きく跳躍、槍兵を飛び越えると、その後方で剣と盾を構えていた銀屍兵の集団に突っ込んだ。月が舞い、星が踊る。琥珀色の残光が集団を突き抜けた。
「衆議塔に侵入する手立てはありませんか」
「今のところ、見当たりません。あの銀の膜は障壁に水鏡、それにいくつかの術式と同じ効果を持ち、こちらからの攻撃を受け付けません」
衆議塔前の馬車発着場近くまで距離を詰めたアリシアとキャシックは、目前まで迫った銀の膜を前に立ち往生していた。既に槍や弓による攻撃は行われたが、対した効果はない。外壁や障壁の時と同様に解呪の術式を用いてもみたが、弾き返されるだけだった。
「あの光が出なくなったのは、弱体化と取るべきか、力を溜めていると取るべきか……」
「恐らく、後者だと思われます。母の魔力が凝縮されているのを感じます」
アリシアは眉一つ動かさずに答えた。今の状況を楽観視など、とても出来ない。
「空からも攻める手立てがないと聞きました」
「えぇ、飛竜騎兵や鳥亜人の伝令にも訊きましたが、衆議塔は突端を残して半球状の膜で覆われております」
急がなければ―アリシアの心は沸々とした焦りが込み上げていた。『流れる銀』を媒介としているだけでも強大な魔力で溢れている上、魔法使いの力がそれに加わっている。もし、この沈黙が大掛かりな術式の行使の前触れと考えると、一刻も早く手を打たなければならない。
「衆議塔に入る方法、ありますよ」
不意に掛けられた声に、アリシアとキャシックは飛び上がったように振り向いた。ポールとシャスタが、それぞれサミサ商会とニムネク商業の従業員を連れて立っている。従業員と言っても、ほとんど不逞の輩と間違われてもおかしくない者が多い。控えめに言って人相の悪い荒くれ者を前に、アリシアは毅然とした態度で向き直った。
「教えて下さい。衆議塔から母の元へ赴き、止めねばなりません」
父譲りの強い眼差しが、ゴロツキの集団を引き締めさせた。ポールとシャスタはアリシアを手招きすると、路地裏へと消えて行った。キャシックは追い掛けたい気持ちに駆られたが、西門側ハーム軍の指揮を執らなければならない。御武運を、老将は口中にそうつぶやいた。
ジリボン衆議塔
市内の中央に位置する五階建ての建築物で、ジリボン及びベクォン侯爵領の統治についての会議が行われ、行政機関として機能している。ハーム王国統一前から用いられてきた由緒ある建物だったが、ベクォン侯爵の乱により倒壊。
大陸暦一三七〇年代のハーム王国の歴史教科書より




