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第九十話『広がり流れる』

 大陸暦六一六年、大魚の月初旬―

 白銀の霧が晴れたジリボンを南から攻めていたマルキヤ率いる水軍艦隊は、中央の尖塔から放たれる光に曝されながらも、前進を止めなかった。ここ数日、船をも一撃で沈めるほどの鋭い光を相手にして来た事で、分かった事がいくつかあった。


「父上が言っていたように、あの光の命中精度はひどく悪い。しかも放たれる間隔も長い。破壊力しか能がないのでは、確かに地上や空中の敵には対処出来ないな」


 砲艦チョッパルカを指揮するアンドリューは、マルキヤとの会議で得られた情報を、幾度となく反芻していた。年上の部下を多く指揮する立場にあるため、親の七光と思われたくない若さが、アンドリューの弱点であった。


「艦長、じきに砲撃が届く距離まで寄せられます」

「分かった。両舷に砲戦準備をさせよ。左舷から砲撃を行う」

「はっ」


 アンドリューが副官を通じて命令を下すと、入れ違うように伝令が駆け込んで来た。


「申し上げます、ソウ・セイジが先行して突入するとの事です」

「何だと、ソウ・セイジは右舷側の損傷が大きく、左舷しか砲撃出来ないと聞いているぞ」

「反動で傾かない程度には補修しているので問題ないそうです」


 そんなはずがない、アンドリューは内心で吐き捨てた。声にこそ出していないが、苦々しい表情は伝令にも伝わっていた。損傷して速力も低下しているソウ・セイジが接近などすれば、いくらあの光でも捉える事が出来る。事前の打ち合わせでは、戦闘で損傷した艦艇が出た場合の乗員救助の為、後方にて待機する手筈だった。


「どういう事だ。父は……いや、将軍はこの事を知っていたのか?」

「分かりません。しかし、ソウ・セイジより信号連絡がありました。後は任せた、と」


 それを聞いて、アンドリューは駆け出していた。艦首からジリボンに目をやると、傷ついた船体とは思えないほどの速さで前に出ていたソウ・セイジの後姿が見えた。


「追いかけろ!左舷砲戦準備!」


 ソウ・セイジの艦長は父マルキヤよりも年上の人間で、アンドリューとは親子以上に年が離れていた。露骨に嫌われているという事はなかったが、やはりマルキヤ将軍家の青二才と見られている事は、暗に態度で示されていた。帆が南向きの追い風を受けて、チョッパルカの船体を最大戦速で走らせる。光の筋が、ソウ・セイジの左舷側マストを掠めた。


「ジリボンの港だ!面舵いっぱい!」


 数多の商船や貿易船を係留出来る、ハーム王国最大の港がはっきりと見える。先行したソウ・セイジは既に左舷砲戦の準備を終えており、アンドリューの目にも望遠鏡越しに、損傷した右舷の応急処置の痕跡が飛び込んできた。チョッパルカが船体を大きく旋回させる。ソウ・セイジの左舷が一斉に砲火を噴き出した。小型の船や倉庫に次々と直撃し、輸送船の乗り付けに障害となるものを排除してゆく。


「ソウ・セイジに続け!左舷砲戦開始!ぶどう弾を撃ち込み、火をつけろ!」


 チョッパルカの左舷から伸びる火砲の列が、次々と砲火と黒煙を吐き出した。アンドリューはソウ・セイジの限界を察していた。ぶどう弾などの特殊な砲弾を撃ち出すには、通常弾より多くの火薬を要する。その分、反動も大きくなるが、ソウ・セイジは通常弾しか撃てなかった。反動に耐えられないのだ。事実、両艦の砲撃による港への損害の差は歴然で、チョッパルカの方が明らかに多くの火を付けていた。


「とにかく港と市街地を燃やし、火と煙であの光の狙いを逸らせ!」


 尖塔から放たれる光が、チョッパルカの後方を照らす。もし、アンドリューが追いかけるように速力を上げていなかったら直撃していた。既に何発も狙われ、すべて回避しているが、当たればほぼ一撃で沈められるため、誰も生きた心地はしなかった。


「見ているか分からんが、信号を送れ。後は引き受けた、退避せよ、とな」


 アンドリューは伝令にそう伝えると、取り舵し旋回からの右舷砲戦を指示した。左舷の砲撃で港一帯は炎に包まれ、南風に乗って市街地にも広がりつつある。ハーム国内最大の商業都市を支える港が、まるで意思を持ったかのように荒れ狂う火に、文字通り呑まれてゆく。倉庫にはそれなりの備蓄があったと思われるが、そのほとんど全てが炭に灰になっていった。



「ソウ・セイジより信号。万事うまくいった、との事です」

「そうか。チョッパルカも中々派手に暴れてくれたな。竜母飛行隊を出撃させ、輸送船を突入させろ」

「はっ」


 竜母ペリブアスにて信号を受け取ったマルキヤは、息子の戦果にまずまずの評価を下しつつ、一斉攻撃を命じた。


「アンドリュー、心して掛かれ。敵はまだ、何かを残しているぞ……」


 マルキヤは誰にも聞こえないよう小さく、しかし重さを帯びた声でつぶやいた。



 西門側から市街地を攻略するニック達は、相変わらず苦戦していた。歩兵や弓兵を付け、孤立しないよう足並みを揃えての進軍となった。しかし、障壁の強度は増すばかりで、体力を回復させた魔法兵による解呪の術式でも破るのが困難になっていた。時間が掛かれば掛かるほど、建物の上階に居座るベクォン軍の弓兵に狙われる。どの建物のどの部屋にいるかも把握が難しく、虱潰しというわけにもいかなかった。


「敵が障壁を破りに掛かりました」

「よし、また矢を浴びせてやれ。魔法兵と弓兵を先に狙え。歩兵と騎兵は後でいい」


 弩を構えた弓兵が、窓からハーム軍を狙う。ベクォン軍は指定された建物一棟につき一〇の弓兵を置き、それらをさらに部屋ごとに分配していた。ふと、通りをまたいだ向かいの建物に目をやると、誰も弩を構えていなかった。


「向かいの建物、誰も出てきませんね」

「そうだな、弩の不調か何かだろうな……ほら、出てきた」

「でも、なんで弩がこっちを向いてるんです?」


 弓兵が妙に思った瞬間、その眉間を矢が断ち割った。指揮と周辺警戒を行っていた隊長が伏せる。仰向けに倒れた弓兵の眉間に刺さっていたのは、弩の矢だった。向かいの建物から射ち込まれたのだ。


「馬鹿な、向こうの弓兵は何をしていたのだ」


 隊長が向かいの建物をよく見ると、弓兵が配されていた部屋の窓には、血糊がべっとりと貼り付いていた。頭の中を整理していると、先程の窓から青い何かが躍り出るのが見えた。


「あれは……猫亜人か!?」


 剣の柄を咥え、建物の壁や窓枠を足場に、垂直に駆け降りてきたのだ。向かいの建物との間に渡された、洗濯物を吊るす紐をも使って駆け抜け、弓兵の構える上階に飛び込んできた。隊長は慌てて部屋を飛び出した。


「全員出ろ!敵がこちらに入って来た!」


 隊長の呼びかけに、部屋から弓兵が次々と廊下に飛び出してくる。出て来たのは六人だった。そして、二人の弓兵を置いたはずの部屋からは、一人の猫亜人だけが躍り出た。返り血に汚れた空色の毛、殺気を帯びて輝く琥珀色の瞳、硬革の胸当てに腰布という異様な出で立ちに、三日月状に湾曲した剣――


「こちらニバラク軍傭兵エリス、覚悟しな」

「て、敵だ!射掛けろ!」


 弓兵が次々と弩の弦を鳴らす。エリスが疾風と化し、三日月が舞い星が踊った。六人の弓兵と隊長は手首から肘、肩口から首と瞬く間に切り離され、鮮血を撒き散らして廊下に転がった。


「これで、弓兵を潰したのは五つ目……だけど、あたしも流石に疲れが来たのかな」


 エリスもまた、膝をついた。剣を落とし、右手で左の脇腹を押さえる。鋭く重く突き刺さった鈍い感触が、熱と痛みを帯びて空色を赤く染めてゆく。押さえた手の平は赤く濡れ、矢の一本が脇腹に刺さっていた。


「熱い……それでいて、寒い……」


 自分の体から、血を通して熱が失われゆくのを感じていた。あの夜、ニックから注がれた熱もまた、失せようとしている。倒れ込んだエリスは、薄れゆく意識の中で、小さく苦笑しながら目を閉じた。

ハーム級砲艦

大陸暦五九〇年を過ぎた頃、従来のビルカ級砲艦では外洋での安定性に欠けるとして開発の始まった主力砲艦。六〇〇年までの間に七隻が竣工、進水した。ハーム、チョッパルカ、リシモフ、ソウ・セイジ、ミーティン、マハナム、ハグバーンの七隻のうち、ベクォンの反乱ではマハナムが沈没、ソウ・セイジも損傷過多により戦力外となった。

この時代のハーム王国水軍の象徴とも言える中型砲艦である。

   メーシア大陸の歴史『大陸暦六〇〇年代のハーム王国』より

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