第八十九話『迷宮回廊』
大陸暦六一六年、大魚の月初旬-
ジリボンを覆う白銀の霧は払われた。銀屍兵も消え失せ、東西の門にハーム軍が殺到する。西門でいの一番に飛び込んだのはキャシックの銀騎兵、東門で突撃したのはパッテンの戦車隊だった。ジリボンはハーム王国の中央に位置し、交通の要所として栄えた商業都市である。各地方から多くの荷馬車が入ってくる都合上、道は広くしっかりと踏み固められている。中心街に近ければ石畳も見掛けられた。
「進め!ここを落とせば戦は終わる!」
キャシック将軍が槍を振り上げ、銀騎兵や後に続くハーム軍を鼓舞する。目標はジリボン中央の衆議塔であり、放射状に伸びる大通りはそれぞれの門に繋がっていた。馬車が複数台で並走出来るほどの幅を有する大通りは、騎兵にとっても戦車にとっても移動しやすい。しかし、それは同時に待ち構える者からしても見やすいという事である。
「将軍、敵はもうほとんど残っていないようですな」
「いや、伏兵や罠に注意して進むよう伝えよ」
勢いに乗って突き進む兵を見て気を良くした大隊長が、軽い調子で話し掛ける。しかし、キャシックは敵がこのジリボンという都市の構造を利用しないわけが無いと思っていた。決して慢心せずに進めと命じ、自身も粘りつくような気配に抗っていた。
「な、なんだ!?」
「どうした!突然壁が出てきたぞ!?」
先頭を駆ける銀騎兵十数騎の真後ろで、突如として壁が突き出てきた。厚さは無いに等しいが、剣も槍も通さない硬さを有する。色はあの霧と同じ白銀。後続は慌てて路地に入り込み、さらに後から押し寄せる者達に潰されないよう動いていた。
「後続と分断されただと!?」
銀騎兵は突然の出来事に戸惑い、馬を止めた。それこそ敵の思う壺であった。現在地は低層市民の多く住む集合住宅の林立する場所であり、それらの上階には弩を構えた弓手が多く配置されていた。困惑する銀騎兵に向けて、次々と矢が射ち込まれる。決して遠くない距離から、高さというアドバンテージを受けて放たれる矢は、上質な銀騎兵の鎧兜を易々と貫いた。
「敵の騎兵、全騎仕留めました」
「よし、ここはもういい。場所を変える。行くぞ」
十名に満たない弓手は集合住宅を出ると、また別の建物に滑り込んだ。白銀の壁によって路地への方向転換を迫られたハーム軍は、必然的に行軍速度が鈍る。再び上階の窓から騎兵や歩兵を狙い撃つ。慌てて盾を構えたところで、弩の貫通力は防ぎようがなかった。
「また壁だ!こいつも硬い!」
「一体どうなってる!?」
ジリボンの大通りは回廊状の路地で繋がれており、そこからさらに路地裏に繋がる道でブロック状に区画が仕切られている。さながら蜘蛛の巣のようであり、白銀の壁による分断と誘導で絡め取る様は、まさに獲物を喰らう主そのものであった。
「キャシック将軍、前線が苦戦しているようですわ」
「大通りや路地が地面から突然に出た壁で寸断され、兵が分断されたり速度を落としたりと、絡め取られているようです」
「地面から突き出る壁……ベクォン家の秘伝、障壁の術式ですわ」
市街地での苦戦は、シャーリーンによる偵察を介してキャシック達にも伝えられた。ミリアムは術式による壁には覚えがある。昨年夏にベクォン家の屋敷から脱出する際、追いかけてきたオリビアとの術式戦で、炸裂火も火柱も打ち消されていた。
「あの時は敷石のつぶては防げなかったというのに、腕を上げたのですわね」
「ベクォン家の娘か……銀騎兵および随伴の歩兵に進軍速度を落とし、少しでも固まり建物からの攻撃に警戒するよう伝えよ」
「はっ」
伝令を走らせたキャシックだったが、せっかく付いた勢いを削がざるを得ない状況に、内心の苛立ちは隠せず、迷宮と化した回廊に振り回されるハーム軍に打つべき次の一手を、全力で模索していた。
一方、東門から進撃したパッテン率いる戦車隊もまた、同様に障壁と回廊に絡め取られており、小回りの効かない戦車はさらなる苦戦を強いられていた。特に、大通りに立ち塞がる障壁に衝突した戦車が二両まとめて魔力に押し潰された時は、それを目の当たりにした兵が恐慌したほどだった。
「くそっ、アギラの時とは段違いだな!」
前を行く戦車が弩と投石を受けて擱坐し、兵も馬も動かなくなるまで矢の雨に曝されたのを見て、パッテンは吐き捨てるように言った。建物の高さも市街地の広さも、アギラ攻略戦の時とはまるで違っていた。リアブの金甲兵も随伴しているが、壁による分断を受けて孤立したら、次の瞬間には嵐のような猛攻を受ける。
「飛竜騎兵はマルキヤの分しかないから、援護も呼べんか……」
黙り込んだパッテンだったが、この猛将はこういう時に異様なほど冷静になる。指折り数えて両の手で足りるほどの僅かな時間の中で、次の一手が浮かび上がっていた。進軍停止の信号矢を上げさせる。建物の遥か上まで飛んだ矢が、術式爆弾の要領で弾ける。物音の大きい戦車の指揮においては欠かせない伝達手段だ。
「全車後退!リアブの軍と合わせて火砲による攻撃を行う!」
キャシックとパッテンの違いは、砲撃に類する兵種の動員数であった。キャシック及びニックは白銀の霧を破るため、魔法兵の大半を既に消耗してしまっていた。対してパッテンはリアブの軍を交えて再編成を行い、その指揮下にミアの遺した砲兵隊を置いている。加えて、リアブの指揮下にはもう一人の魔術師がいる。
「父上!お呼びですか!?」
「おうマックス。お前の魔法弓で、あの壁を壊せるか?」
「音に聞く、ベクォン家の秘伝、障壁の術式ですな!相手にとって不足なし、やってみましょう」
レッター同様に筋骨隆々で、今でこそ弓の名手であるマックスだが、元々は魔術師としてリアブの軍に編成されていた。彼が弓を覚えたのは、カッサーナ派遣の四年間であるとされている。
「魔力強化と解呪の術式札を矢に、肉体強化を腕に……」
カッサーナ皇国の魔術形態はハーム王国と異なり、魔晶石から力を引き出す晶石魔術ではなく、言葉によって森羅万象に干渉する言霊魔術である。その言霊を文字にして記した術式札は、言ってしまえば紙状の術式爆弾であった。
「砲兵隊がそろそろ到着する。マックスの矢で障壁を破ったら、大通り沿いの建物に砲撃を行え」
「パッテン、砲兵も戦車や歩兵と足並みを揃えると言ったが、砲兵の守りは薄いぞ?」
「心配いらん。歩兵に軽戦車を使わせる。高い所は狙えんが、矢避けの足しにはなるだろう」
リアブの懸念にも、パッテンは既に先回りしている。アギラ攻略で用いた軽戦車が、砲兵を守る動く防壁の役割を果たす手筈だ。
マックスが魔法弓を放つ。元々の逞しい肉体をさらに強化した力で引き絞られた弓から、魔力強化を受けた解呪の術式を帯びた矢が放たれる。弓弦の鳴る音は音というより衝撃に近い。オリビアの魔力で作られた障壁といえど、圧倒的な力を一点に集中されては、突き崩されるほかなかった。
「やりましたぞ父上!」
「よし、撃ち込め!とにかく建物を壊せ!」
障壁による進軍の阻害と建物の上階に陣取る事で優位を得ていたベクォン軍にとって、障壁が打ち破られる事は計算外とまではいかないものの、ある程度の衝撃となった。そこへ畳み掛けるように砲弾が撃ち込まれる。
「この調子で頼むぞ。これ一発では終わらん」
「任せて下さい。体力には自信があります」
パッテンの言葉に、マックスは満面の笑みで応じた。フロリナが横目で心配するも、この父子に余計な気遣いは不要という事も分かっていたため、あえて言葉を飲み込んだ。
「オリビア、障壁が破られたぞ……」
「……はい、分かっています」
一方、オリビアは粘りつくようなルイスの言葉に、煩わしささえ覚えていた。父は間違っている―兄の言葉が脳裏を過ぎる。表情の僅かな変化や視線の揺らぎが、ルイスに読み取られていた。術式ではない。単純にいち大貴族の当主として培ってきた、人を見る眼力である。
「オリビア、雑念があるようだな……」
オリビアは答えなかった。ニックとミリアムに対する未練は振り切ったつもりだったが、兄ハンスに対しては、後ろめたさと申し訳なさが未だに勝っている。ミリアムに弾かれた流れ弾とはいえ、自分の術式が原因でハンスは死んだのだ。その兄が蘇り、自分を止めに来た。それだけで、オリビアの心は揺れていた。が―
「……これでいい。もう少し取っておくつもりだったが仕方あるまい。さぁオリビア、迷いもいらない。お前の力を見せてやるんだ……」
オリビアの思考は途絶えた。『流れる銀』以外に一糸纏わぬ身、その頭に添えられたのは、意思を奪う金色の茨冠であった。
金色の茨冠
ハーム王国において、薔薇の花は主に愛情を示すが、その棘には束縛の意がある。茨ないしそれを模した環状のオブジェによって囲うという事は、その部位の自由を奪うという意味である。大陸暦五〇〇年代以降、ハーム王国では牢獄や刑務所などに茨の意匠が施されている。
メーシア大陸の歴史『大陸暦六〇〇年代のハーム王国』より




