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第八話『思惑の坩堝』

 大陸暦六一五年、宝蟹(ほうかい)の月中旬―

 ニックとミリアムはベクォン家の馬車に揺られ、ハミラ街道を商業都市ジリボンに向けて進んでいた。学院が夏休みとなり、ハーム王国各地から来ている学生達は、この一月半を使用して里帰りする者が多い。馬車にはコンラッドとポールも同席している。ニバラク伯爵領はベクォン公爵領の北隣であり、ポールの実家はジリボンにある。ちょうど良いので乗せて貰った形だった。


「いやぁ、流石はハーム王国一の大貴族だな。馬車ひとつ取ってもまるで違う」

「貴族の家柄で馬車に違いがあるんですか?」

「全然違うぞ。ニバラク領の馬車は狩りとか重い荷物の運搬とかに適してるから、乗り心地そのものはあんまり良くないんだよ」


 二人して初体験となる大貴族の馬車のためか、コンラッドもポールもどこか舞い上がっている。

 オリビアと会話に花を咲かせるミリアムをよそに、ニックは窓の外にゆったりと流れる景色に意識を溶かしていた。ハミラ街道は、王都ボートミールと商業都市ジリボンを繋ぐ主要道路で、海運が主流になった今でも徒歩や馬などで少ない人や物を低予算で運ぶために使われている。右手側の青々としたビアイキ湾、左手側の頂上に万年雪を被るビルカ山岳に挟まれ、馬車は夏の陽射しの下、ジリボンへと向かっていった。



 ニック達の出発から数日後、ボートミール城の王の間にて、国王ハロルド三世はニバラク大臣、レッター、パッテン、そして第一王女アリシアと共に話し合いをしていた。


「アリシアよ、ベクォン家の娘からの誘い……どう思う?」

「ベクォン家が件の、オークやゴブリン向けの装備品を作らせ、流しているという問題に関わっている疑惑が持たれているこの状況で、ニックとミリアムを行かせたのは軽薄だったかもしれません」

「だが、誘いに乗ると言い出したのはニック自身でもあるしな……」

「恐らく、ご自身の目でジリボンの現状をご覧になりたいのでしょう!」


 ハロルド三世とアリシアの間に流れる思い空気を打破するかのように、パッテンの威勢のいい声が王の間に響いた。


「陛下の若い頃にそっくりですな、あの頃はよく、私がご一緒したもんです!」

「おいおいパッテン、今は昔話をしている状況ではないだろう」

「何言ってんだ。三〇年近く前、陛下がまだ王子だった頃だ。ハームとギムココで連合軍を編成して、港湾を埋め尽くす大船団を見に行くために、俺様と貴様と陛下でお忍びで港まで行った事あるだろ。あの時、港にはモノゲアの間者や殺し屋が結構な数いたそうだ。今のニック様は、当時の陛下と同じお気持ちなのだろうな」


 パッテンの言葉にレッターは何も返せず、横目で国王の顔色を窺った。


「そんな事もあったな……あの後、父上と大臣にえらい剣幕で叱られたのを覚えておる」


 そう返したハロルド三世の顔には、懐かしさからかうっすらと笑みが浮かんでいた。昔話に花が咲く空気を、ニバラク大臣が咳払い一つで締める。こういった空気の切り替えは、彼の仕事の一つでもある。


「……とは言え、ニックやミリアムに不測の事態があってからでは遅い。確か、マルキヤ将軍の末の息子がニックの補佐を勤めていたな。伝書竜と共に迎えに出させようか」


 国王は伝令の兵を呼び、コリンズに来るよう伝えた。コリンズはモーギナス灯台の一件までは港湾管理官として働いていたが、ニックからの要望を受け、二月ほど前から補佐官として城勤めをするようになった。ニックの伝書竜テーヴァも今ではコリンズの指示も聞くようになっている。



「コリンズ・マルキヤ、入ります」


 コリンズがテーヴァを伴って王の間に入って来る。王座の周りに居並ぶ重臣や将軍、王族を前にしても、その態度は揺らぐ事がなかった。ここ数ヶ月で彼の心胆もかなり鍛えられたようである。堂々とした足取りに、流石はマルキヤの息子―パッテンとレッターは同じ事を考えていた。


「陛下、お呼びでございますか」

「うむ。その方に近衛兵を五名付ける。その伝書竜と共に、直ちに海路でジリボンに向かってもらいたい。ただし、モクニモ海運の船は使わぬように。命令書は海に出てから開けよ」

「はっ、ただちに」


 コリンズは国王の印が入った命令書を手にすると、王の間を後にした。ジリボンと言えば、ニックとミリアムが向かった都市であり、ベクォン公爵領の中心地である。近衛兵に伝書竜まで付けるという命令に、ただ事ではないと判断したコリンズは、ある男への協力を仰ぐと決めた。



 大陸暦六一五年、宝蟹の月下旬―

 ニック達を乗せた馬車は商業都市ジリボンに入り、中心街の大規模なターミナルに差しかかった。馬車の運行に適した環状道路には昇降用の区画が設けられ、王都ボートミール、ビルカ山岳、ニバラク侯爵領、キトリヤ伯爵領、テーキス地方など各方面に向かう道が伸びている。

 ジリボンはボートミールよりも栄えており、道行く商人や市民には経済的な余裕から見られる明るい表情が溢れている。今は昼だが、夜にでもなれば方々の酒場が賑わい、眠らない街となるのだろう。馬車の窓から流れる街の景色を眺めながら、ニックはそんな事を考えていた。


「じゃあな、ニック。オレはここからまた馬車だ。ミリアム様にオリビア様もお元気で、ポールもな」

「あ、はい。僕もここで降ります。皆様、また乙女の月にお会いしましょう」


 コンラッドとポールは馬車を降り、各々の目指す方向へと歩き去って行った。ニックは二人の友人の背中を見送ると、再び動き出した馬車に揺さぶられた。その瞬間、刺すような視線を首筋に感じたのだった。一瞬よりも短い間、近くはない距離から。それはまるで、殺気に似ていた。


「兄上様、どうされました?」


 心配そうに顔を覗き込むミリアムに、ニックはなんでもない、とだけ答えた。だが、ニックが殺気を感じた先に視線を返すと、そこには静かな琥珀色の眼光の残滓だけが残されていた。


「ニック様、お疲れのようですね。先に我が家へと向かいますか?」

「私は色々と見て回りたいですわ。でも、兄上様がお疲れでしたら、まっすぐ向かってもよろしいですわ」

「それでは、家に向かう道中で目ぼしい物があれば、見ていきましょう」


 オリビアの提案にミリアムは賛成、ニックは無言で了解の意を返した。



「オリビア、よく帰って来たね。ニック様にミリアム様も、私めの屋敷へようこそ」


 夕刻、西へ傾いた太陽がジリボンを朱に染める頃、ニック達はオリビアの実家、ベクォン家の屋敷に到着していた。道中、馬車を何度も止めて商店で物見遊山したため、時間が倍以上掛かったためである。心底くたびれたニックの顔を見て、ベクォン家当主のルイスは苦笑いを浮かべて迎えた。


「そんなにへりくだる事もないでしょう。姉上の母君はベクォン家の生まれです。直接的な血縁はなくても、僕達は親戚のようなものと思ってよろしいかと思います」


 ニックの言葉に、ルイスの目の色が微妙に変わった。眉間や口許にも微かな険しさが宿り、それを感じ取ったミリアムが怯えたように後ずさる。どうしました、とオリビアが穏やかな笑顔で首を傾げると、ルイスの表情も我に返ったかのように鳴りを潜めたのだった。

 この瞬間、ニックは直感した。ベクォン家は、黒だ―

大陸暦六一五年 宝蟹の月下旬

久しぶりにジリボンに帰ってきたけど、なんでこんなに空気がピリピリしてるんだろう。

   ―ポールの日記『宝蟹の月二十五日』より

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