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第七話『夏の入り口』

 大陸暦六一五年、双生(そうせい)の月中旬―


「クン・セイ工房……」


 会議室は驚きと困惑によるどよめきに包まれた。

 クン・セイ工房は商業都市ジリボンに存在する数多くの工房の中でも、有数の規模を誇る。食器やドアノブ、ベルトの金具に馬車の車輪の補強板といった生活用品から、軍で使用される剣や盾に鎧から馬具まで手掛けている。

 国からの信頼も厚いはずの大工房が、何故テーキス地方で暴れているオークやゴブリンに武具を提供しているのか―クン・セイ工房の好調ぶりを快く思わない存在による偽装の可能性も視野に入れ、ジリボンに密偵が派遣される事となった。



 大陸暦六一五年、双生の月下旬―

 初夏が過ぎ、本格的な夏の日差しがボートミールにも降り注ぐようになった。市井を歩く人々は上着を脱ぎ、簡素な肌着姿で出歩く者も珍しくなくなった。学院での授業を終えたニックは、市場を挟んで建てられている寄宿舎に向かい、学友達と歩いていた。


「今年もいい季節が近づいてきたなぁ、ニック」


 ハーム王国の王位継承者であるはずのニックを呼び捨て、さらに軽口を叩くのは、彼の少し斜め後ろを歩くコンラッドだった。

 コンラッド・ニバラク、ニックの同級生にして大臣アルフレッド・ニバラクの孫にあたる。ハーム王国を知識面で支えてきた大貴族ニバラク家の生まれではあるが、誰に似たのか奔放な性格を隠さない。大臣曰く、ニバラク家の男は割と遊び倒してから大人になるのだという。


「モーギナス灯台の一件で、今年の夏はどうなるかと思ったが、この調子なら海辺を見に行く楽しみはお預けになりそうもないな!」

「……あぁ、そうだな」


 ニックは歯切れの悪い返事をした。コンラッドの他にも学友はいるが、ニック相手にここまで砕けた態度を取れるのは彼だけだ。ニックの歯切れの悪さは、コンラッドの態度に辟易しているのではない。活気を取り戻したかに見える市井の人々の顔に、どこか陰りが見えたからだった。


「ちょっとコンラッドさん、ニック様が困ってますよ」

「固い事言うなよポール、王子様とこんなに親しく出来るのは今だけだぜ?」


 学友ポールの諫言もよそにニックの肩に手を置くコンラッド。彼のこの仕草や調子の良さ、態度の大きさはパッテン将軍に通ずるものがある。生真面目な印象が強い大臣やニバラク侯爵も、若い頃はこうだったのだろうか―などと考え、何気なしに空を仰いだニックの目に、青空高く白い筋を引く巻雲が映った。


「なんだよニック、どうした?」


 はたと立ち止まったニックの様子を見て、コンラッドが神妙な面持ちになる。


「そういえば、母上が亡くなったのもこんな初夏の日だったな」

「あぁ、マルシア様か。いいお后様だったよな。親父殿や爺さんからよく聞かされたよ。身分の差を感じさせない庶民派で、よくこの辺の市場にもお忍びで来られてたそうだ」


 ニックとミリアムの実母であるマルシア王妃は、ハロルド三世の二人目の后として、武人の名門貴族であるミア家から嫁いでいる。ミア家には男子が生まれなかったため、双子の妹フランソワが軍に入り、現在はキャシックやレッターと並び、ハーム六大将軍に名を連ねている。その叔母はカッサーナ内紛の支援に派遣され、四年ほど帰っていない。


「兄上様!」


 亡き母を思い、肩を落としかけるニックの背中に、快活な声が飛び込んで来た。ミリアムだった。

 すぐ後ろには彼女の同級生で、ニックやコンラッドとも親しい間柄にあるオリビアがついて来ている。王族二人に大貴族が二人、いつ見てもすごい光景だ、とポールは一歩引いて見ていた。


「ミリアムにオリビア、どうしたんだ? いつもならこの時間は迎えの馬車の中じゃないか」

「どうしたもこうしたも、今日は母上様の命日だったでしょう。忘れましたの!?」

「そうか、今日だったか。すまない」

「寄宿舎の前に馬車を用意させてますわ。皆様もご一緒しましょう」


 ミリアムの言葉に、一番驚いたのはポールだった。王族貴族と同じ馬車に乗るという事が、どれほどの事なのかと頭の中で思考が渦巻き、目が回る。

 ポール・サミサ、彼は成績優秀者ゆえに学院への入学を許可された、非常にまれな平民であった。彼の実家はジリボンのサミサ商会という石材関係の卸業を営んでいる。このサミサ商会も、今回の密偵による偵察の対象であった。


 王族や貴族が眠る墓所は、ボートミール郊外の見晴らしの良い丘の上にある。馬車を下り、近衛兵が警備する荘厳なアーチをくぐると、空気は一転して静謐そのものに変わり、小鳥のさえずりさえ遠くに聞こえるかのように錯覚するほどであった。建国以来、ハーム王家に貢献してきた貴族の家名が刻まれた墓碑をいくつも横目に歩き、最も奥まった場所に佇んでいるのが、歴代ハーム王家の魂が眠る墓だった。


「あれは……母上?」


 ニック達より一足先に、墓前にて花を添える人影がふたつ。一人はハロルド三世の三人目の后サラ、もう一人はその息子、第四王子グレンである。二人はニック達に気付き振り向く。サラの切れ長の目は、その深い蒼色の瞳と相まって、見る者に鋭く冷徹な印象を与えるものだった。この視線を、ニックとミリアムは正直よく思っていない。コンラッドは「ぞくぞくする」と呟き、しばしばニックから引かれる。


「ニック、ミリアム、あなた達も来たのね」

「えぇ。今日が命日ですので……ところで、父上は?」

「……」

「父上は大切なお仕事があるので、外せないそうです。あと姉上……アリシア姉様は先に参られたと」


 サラの沈黙に何かを察したのか、グレンが代わりに返した。この第四王子は十歳という幼さながら、世渡りというか大人の世界を心得ている。ニックが彼と同じ歳の頃はと言えば、キャシックの馬に乗せて貰って遠出したり、兵士達の調練を見学しては剣や弓の扱い方を習っていた。それを見かねたのか、サラはグレンをニックとは真逆の方向に育てようとした節がある。

 そんな気遣いの出来るグレンを、ミリアムはあまりよく思っていない。彼女は彼女で、暇を見つけてはレッターに付いて回り、魔法の使い方について学ぶため、魔法兵の調練に紛れ込んだりしていた。子供でいられる時間は短いのだから、もっと子供らしくして良かったのに―


「ミリアム様、お花を」


 ネガティブな物思いから若草色の瞳を暗くしていたところへ、オリビアが墓前に添える花を差し出した。この友人は、いつもミリアムの不安定な気持ちの揺れ動く先々に回りこんでいる。

 オリビア・ベクォン、高名な宮廷魔術師を幾人も輩出してきたベクォン家の令嬢で、その落ち着いたたたずまいは、ミリアムと同級生だと言われると、多くの者が頭に疑問符を浮かべるほどである。


「……ありがとう、オリビア。私ったら、貴女の気遣いに甘えてばかりですわ」

「ミリアム様は、思っている事がお顔に出やすいのでしょう」


 ミリアムとオリビアは並んで花を添えた。コンラッドは敬意を、ポールは緊張を滲ませながら花を添える。最後はニックとなったが、この時の彼の横顔は毎年同じ表情になる。決意を新たにし、固い意思を秘めた、そんな表情だ。コンラッドは知っていた、マルシア妃の葬式の日、何も分からず呆然と立ち尽くすミリアムと対照的に泣きじゃくるニックの顔と、その日を境に彼が泣かなくなった事を―

 陽が落ちるまで一同は墓所にいたが、国王が現れる事はなかった。



 同年、宝蟹(ほうかい)の月初旬―

 ボートミール城会議室にて行われていた定例会議の場にて、ジリボンに放たれていた密偵からの中間報告が読み上げられた。調査対象はクン・セイ工房を筆頭にサミサ商会、モクニモ海運、ニムネク商業と名だたる工房や貿易商、運輸業であった。加えて、都市ジリボンそのものにも密偵を紛れ込ませていた。


「単刀直入に言うと、クン・セイ工房とモクニモ海運は黒です」


 密偵を取りまとめていた重臣の言葉に、国王はじめ会議の席に着く者の間からどよめきが起きた。モクニモ海運といえば、ボートミールにも毎日大量の物資を荷揚げする貨物船をいくつも所有しており、ハーム王国一の海運会社だったためだ。そのモクニモ海運がクン・セイ工房と結託しているのならば、国中のどこにでも武器や道具を密輸する事は不可能ではない。


「そして、ジリボン各所で聞かれた話によると、これらの結託はベクォン家によるもの、と……」


 ベクォン家、大都市ジリボンに居を構え、ハーム王国内では国王直轄地に次いで最大規模となる、ベクォン公爵領を所有する大貴族であり、現当主ルイスはオリビアの父親である。しかし、ベクォンの名を聞いて会議室が混迷極まるにはもう一つの理由があった。

 ハロルド三世の一人目の后、第一王女アリシアを生んだ女性ミランダこそ、ベクォン家の生まれだったからである。

大陸暦六一五年 双生の月下旬~宝蟹の月初旬

そういえば、墓所では姉上様も見掛けませんでしたが、お昼前に来ていたそうですわ。しかし、オリビアには色々と助けられてばかりですわ。

   ―第三王女ミリアムの手記『双生の月二十八日』より

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