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第八十七話『打開策』

 大陸暦六一六年、大魚の月初旬-

 ジリボン東門を攻めていたパッテンとリアブの軍は、ニック達から少し遅れて異変に気付いた。砲撃を加えてからの戦車での攻撃を繰り返していたが、敵の減る気配がない。しかも、距離を置いて攻撃を中止すれば追ってくる事も矢を射る事もない。近寄らなければ何もしてこないのだ。


「どういう事だ。奴らには戦意がないのか?」


 将軍の装飾が施された戦車の上から、パッテンが銀屍兵を見渡す。こちらも西門側と同様、概ね二〇〇〇ほどの兵であったのだが、半数以上を討ち取っても戦いが有利にならなかった。倒したところから補充されている。


「パッテン、敵の様子がおかしい」

「見りゃ分かる。だが、数が揃ったらいきなり仕掛けてくるかもしれんし、奴らの数に限りがあるかもしれん。このまま放っておいていい理由はないだろう」

「それはそうだが、敵の動きが読めなくてな、不気味にも程がある」


 駆け付けたリアブもまた、銀屍兵の不可解さに頭を捻っていた。パッテンは内心で苛つきながらも、アリシアを乗せている手前、怒りを露にするわけにもいかなかった。戦車の縁を叩く指のリズムは速さを増すばかりである。


「パッテン将軍、あの白銀の霧のようなものが魔力であるならば、解呪や魔封じはどうでしょう」

「ジリボンほどの大都市を覆っている規模ですし、私もリアブも魔法兵はあまり用意しておりません。魔晶石も治療や防御に使う分しか」


 アリシアの提案は試すに価するものだったが、魔法兵も魔晶石も最低限しか用意していないパッテンの軍では、術式陣を形成する事さえままならなかった。負傷者の治療には術式が欠かせず、それを取り上げてまで賭けに出るなどと強行すれば、今度はフロリナが怒髪天を衝く危険性さえあった。


「……ならば、私がニック達の軍に赴くほかなさそうですね」

「ふむ、確かにニック様やキャシック将軍なら、魔法兵をかなりの数揃えていると見て良いでしょう」

「しかし、如何にしてアリシア様を西門側に送り届ける?あの敵が動かぬままとも限らんぞ」


 リアブの懸念はもっともであった。公には死んだ事になっているとは言え、その血の半分が反逆者の家系であるとは言え、かつては王女だった者である。しかし、アリシアはリアブの気遣いに小さな笑みで応じると、心配いらないと視線を投げかけた。


「私一人と馬一頭くらいなら、隠蓑(かくれみの)の術式で姿を眩ませる事が出来ます。将軍、馬をお貸し頂けませんか?」

「馬なら大丈夫ですが、アリシア様の腕前はどれほどで?」

「ミリアムほどではありませんが、ニック以上には」


 アリシアは悪戯っぽく口許を歪めた。ニックの名誉のために記すと、彼の馬術の腕前は学院内でも上位に入り、正規軍の騎兵に引けを取らないだけのものはある。さらに、今回の戦で場数を踏んでいるため、アリシアの目測以上であると言ってよかった。


「分かりました。伝令に使わせている駿馬を一頭お使い下さい」

「ありがとう。それでは、行ってきます」


 戦車を飛び降りたアリシアは、伝令から馬を受け取ると、横腹を蹴って駆け始めた。その馬蹄の響きは軍の織り成す喚声と地鳴りのような音にかき消され、さらに術式で姿を見えなくした彼女を追うのは、手錬れの暗殺者でも困難という状態であった。


「うむ、お言葉の通りの腕前だな。リアブ、こっちはもう少し攻勢を掛けよう」

「アリシア様のための陽動か。いいだろう」


 老将二人がニヤリと笑う。直後、東門側のハーム軍の攻撃が再開された。



 その日、幾度となく掛けた攻撃は、大した戦果を上げる事はなかった。

 それどころか、攻撃の度に発生する死傷者のせいで、全体の戦力がわずかながら低下する有様だった。


「参ったな、意気込んで仕掛けてみたはいいが、どれだけ敵兵を倒しても次から次へと湧いて来る」

「しかも、こっちが手を止めると連中も追って来ない。何なんだありゃ?」


 夕刻、ニック達の幕舎に流れる空気は苛立ちに満ちていたが、それは戦果が上がらない事よりも、敵の不可解な行動に対するものだった。努めて冷静さを保つニックに対し、杯を一息で空にしては毒づくコンラッド、腕を組み考え込むキャシックに心底疲れたとばかりに項垂(うなだ)れるコリンズ。ミリアムはただ立ち尽くし、ハンスも何も考えられずにいた。


「闇雲に仕掛けても効果はない……敵の本質が分からない以上、どうにもならんな」

「ニック様、敵の目的は何なのでしょう」

「それなんだ、キャシック将軍。ジリボンは陸と海の三方を囲まれた状態だ。籠城戦とは、味方の援軍か敵の疲弊を待つ戦い方、要は時間稼ぎだ。しかし、今のベクォン軍に味方する外部の軍勢はいない」

「そうなると、我々の疲弊を待つという事ですか?」

「いや、今の状態ではベクォン軍が先に根を上げる。そうなる前に手薄な北西門、北門から脱出する可能性もある。それを気取られない為の時間稼ぎと目眩ましとも取れるが……」


 頭に浮かぶ可能性を並べながら、ニックは杯を呷る。勝ちが込んでいない時の酒はひどく味気ない。


「敵に脱出の隙を与えないため、一気に叩けるよう兵を多く置ける西門側に布陣したが、裏目に出たかもしれないな」


 ニックは自分の選択に誤りがあった可能性も否定出来ず、焦りに苛まれていた。そんな中、伝令の兵が駆け込んで来た。


「申し上げます、パッテン将軍の伝令を名乗る者が、ニック様にお目通りを願い出ております」

「パッテン将軍の?通してくれ」


 その場の多くの者が、伝令に注視した。そして、入れ替わるように入ってきた者の姿を見て、誰もが目を見開いた。梟を模した飾り兜に翼のような装飾が施された胸当て、神官戦士を思わせる風貌の女が入って来たのだ。そして、兜を脱いだ瞬間、目玉が飛び出さんばかりになった。


「姉上!」

「姉上様!?」

「アリシア様!」

「静かに。今は色々あってアリアと名乗っています。ニック、ここの者達は信用して良いかしら」

「無論です。しかし、どうして姉上がこのような場所にいるのか、説明願えますか」


 ニックの言葉にアリシアはうなずき、これまでの経緯を語った。先王の死から幽閉、公には自害とした事、テーキス地方に移りパッテン将軍と行動を共にしていた事、城塞都市シオンタでの出来事、そして日中の戦いの事であった。さらに、銀の霧を破る策の提案も持ち掛けた。


「叔母上……ミア将軍が……」

「伯爵家の反逆は聞いておりましたが、ミア将軍はあまりにも……」

「辛い気持ちは分かるわ。私も今、亡き母があのような目に遭っていると思うと、一刻も早く楽にしてやりたい。だからニック、力を貸して。あなたの軍にいる魔法兵を使わせて欲しいの」


 アリシアの目許には、うっすらと涙の痕があった。幾度となく流したであろう痕跡に、ニックは断るという選択肢を失っていた。そんな中、ハンスが重苦しそうにこちらを向いた。


「……相手はベクォン家稀代の魔法使い、オリビアだ……貴女もベクォンの血が流れているのなら、その強さは感じるでしょう……」

「えぇ、北門周りを駆けている間も感じていたわ。そして、貴方もベクォン家の者でしょう。力を貸して。母と叔父を止めたいの」


 アリシアの要請に、ハンスはゆっくりと立ち上がった。少し体を動かすだけでも、甲冑のものとは違う音が聞こえてくる。恐らく、中身は人間の姿を保つのがやっとの状態であろう。


「姉上、ハンスは……」

「いや、良いんだニック。どちらにせよ、もう僕は持たない。それならば、その案に賭けてみたい……」


 ニックの制止に首を振ったハンスは、アリシアに向き直った。残された僅かな時間、その全てを賭けるに値すると踏んだのだ。ニックとコンラッドは顔を伏せ、ミリアムは口許を手で覆う。


「ごめんなさい、ハンス。そして、ありがとう」


 アリシアがハンスを抱き締める。抱き返す腕は回ってこなかった。

大陸暦六一六年、大魚の月初旬-

ベクォン家の坊や、鎧の隙間からよくない物が浸み出て来ている。反魂の術式を自分の魔力で維持しているって聞いたけど、もう限界なんだろうね。せめて、本人にとって最も良い形で送ってやりたいよ。

   ニバラク侯爵領軍傭兵エリスのぼやき『大魚の月六日』

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