第八十六話『商業都市ジリボン攻略戦』
大陸暦六一六年、大魚の月初旬-
九の刻限に、ハーム国内再大規模の商業都市ジリボンへの攻撃が開始される。一刻ほど前から所定の位置についた各々の将兵は、開戦のラッパか敵の喚声を待ちわびていた。
「アリシア様、その格好はどうされたのです?」
東門の前に陣取ったパッテンとリアブの軍三〇〇〇の兵の中に、アリシアの姿があった。ミミズクを思わせる意匠の施された黄金色の兜に、近衛兵の物と程近い金装飾がなされた銀の胸当てを身に付けたその姿は、智神ヤノミに仕える神官戦士を思わせる。
「この戦は大一番と聞きました。少しでも信ずる神のご加護を得られれば、と」
「しかし、その意匠は目立ちすぎませんか」
「叔父と母を止めるのです、向こうから見て一目で分かるほどでないと」
そう言うと、アリシアはパッテンの乗る戦車に飛び乗った。言って聞く相手ではないと観念したフロリナは、将軍が二人になったと思いながらアリシアに続いた。
「ガイラー、寄せろ」
「どうしたんだ、兄上」
西門を前に、連合軍の最右翼からの一番槍を狙って布陣した銀騎兵の先頭に立つキャシックが、ガイラーを呼んだ。
「武人は一人の王ではなく、一つの国家に忠義を果たすものだ」
「そりゃあ、そうだろう。いきなりどうしたんだ、そんな当たり前の事を……」
「私はミリアム様をお守りするため、陛下を謀った。公にはミリアム様は亡くなられている。これは私の失態だ」
「それもそうだが、状況が状況だ。いくらグレン様が後を継ぎ、ミア伯爵家が反逆者になったからとは言え、いきなり謀反人として引っ立てろだなんて言われたら、そうもなろう」
疲れた横顔を見せる兄に、弟は決してその判断が間違っていなかったと思っている。ジリボンの西門を眺める目に、秘めた決意を宿しているのが見えた。
「兄上、妙な気を起こさないで欲しい」
「あぁ、分かった。戻れ」
ガイラーは馬を隊列に戻しながらも、横目で兄の姿を見ていた。遠目に見ると虚ろで無気力がなく、据えた臭いまで感じられるほどであった。嗅ぎ覚えのある、不快で警戒心を煽る臭いに、直感を抱かずにはいられなかった。
南側の港を遠巻きに眺める水軍艦隊は、言い様のない緊張感に包まれていた。先日の偵察では白銀の尖塔から放たれる光で、さらに輸送船一隻を喪い、砲艦ソウ・セイジも右舷を掠めてマストや砲に少なからず損傷を被っている。
「一番槍は竜母の連中が持っていくだろう。だが、上陸戦と敵の中枢に旗を掲げるのは、我々が一番乗りを果たす」
「艦長、マハナムⅡは砲艦です」
「だが、輸送船でもある。こいつが敵陣に乗り込めば、後の船も続くだろう」
マハナムⅡの艦首からジリボン中央にそびえる銀の塔を眺めるレーミッツは、その輝きに敵としての申し分なさを感じていた。
「各指揮官よ、聞け。チョッパルカは損傷したソウ・セイジに代わり、敵本陣への砲撃を行う。最も危険な役割ではあるが、各々の義務を果たして欲しい」
「はっ」
チョッパルカの甲板上にて、各部署の指揮官に指示を下したアンドリューは、ただ立っているだけでも心臓が激しく脈打ち、ひとつ気を抜けば腰砕けになりそうな自分を抑えていた。今頃、父やレーミッツは正念場を前に張り切っているはずだ、そう思い返して自分を奮い立たせていた。
九の刻限、攻撃開始予定になったが、マルキヤは徐々に迫りつつあるジリボンの様子に不可解なものを感じていた。
「妙だな、こんな時間にまで霧が残るか……?」
大都市の防壁を囲うように、白く濃い霧のようなものが立ち込めている。東西の門から攻め入ろうとした地上軍はすぐに前進を止めた。
「おかしい、この時期この時間ともなれば、霧なんてとっくに晴れるはずだ」
「ニック、そもそも敵が見当たらないぞ?」
「霧の向こうから敵が出てくる可能性がある。警戒を怠るな」
ニックとコンラッドは異様な霧を前に、妙な気配を感じ取った。不気味な静寂が辺りを覆っている。総兵力七〇〇〇近い軍勢に三方を囲まれて、ここまで沈黙を保てる都市などあるはずがない。霧の向こうから矢が飛んでくる可能性も考え、守りの構えで見定めに入った。
「なんだよ、風が出てきたのか?」
「違う、この風は術式によるものだ。コンラッド、ミリアムを呼んでくれ」
「分かった」
先程まで穏やかだった空気が、突如として風をまとい始めた。風というよりも、空間そのものが渦を巻いているといった方が正しい。白い霧が風に巻かれ、銀色を帯びる。連合軍の将兵から、どよめきの声が上がり始めた。ミリアムが駆け付けてくる。ニックは黙ってうなずいた。
「兄上様!」
「ミリアム、この霧をどう思う?」
「これは……魔力を感じますわ、とても強力な……そう、オリビアのものですわ!」
「やはりな。ホツキネで感じた、あの魔力だ」
ジリボンの外壁を覆うように巻いた銀色の風は、半球状の膜を形成した。中央の尖塔はさらに伸び、先端を膜の外に覗かせる。同時に、そこから北西方向に新たな尖塔が出現したのだ。
「あの場所は……恐らく、ベクォン家の屋敷だ。オリビアとミランダ妃の二人が『流れる銀』の力を引き出しているんだ」
「ニック、見ろ!」
銀色の幕から、人の形をした『流れる銀』が這い出てくる。その姿はたちまち鎧兜をまとい剣や槍を携えた兵士へと変わってゆく。ゴーレムの術式の一種だろうか、銀色の兵士は次々と這い出てきては、ニック達と対峙するように並び、各々の得物を構える。
「銀色の兵士……いや、奴らは以前に戦った屍兵のようなものだろう。さしずめ、銀屍兵と言ったところか。ミリアム、コンラッド、隊に戻れ。攻撃を掛ける」
ニックの言葉に、二人は応じて隊列に戻っていった。銀屍兵は少なく見積もって二〇〇〇はいる。勝てる、いや、勝つしかない、ニックは幾度かの深呼吸の末、全軍への攻撃を指示した。
ラッパが吹き鳴らされ、喚声が上がる。
大地さえも揺るがすような軍と軍のぶつかり合いが始まった。
キャシック率いる銀騎兵が銀屍兵の塊に突撃する。突き出された槍の穂先を打ち払い、馬蹄で踏み砕く。ハーム王国軍最強と名高い将軍の槍は、一突き一薙ぎが必殺の一撃であった。常人が一度の突きを繰り出す間に、キャシックは二度の突きを繰り出せる。
「我が方の一番槍は、この銀騎将キャシックが頂いた!」
「兄上に続く!ついて来い!」
ガイラーが兵を鼓舞する。その槍さばきは兄に速さこそ及ばぬものの、引っ掛けや石突きによる打撃など、変則的に相手を幻惑する搦め手に、思考能力のない銀屍兵でさえ惑わされ、討ち取られた。後に続く銀騎兵も剣や槍を振りかざし、狩りでもするかのように敵を討ち取った。
「あれが銀騎兵……!オレ達も負けてられねぇ、突っ込むぞ!」
コンラッドが馬上で剣を振り上げる。ニックも突撃を許可する意味で槍を突き出した。ニバラク侯爵領軍騎兵隊が、銀屍兵に襲い掛かった。槍衾が待ち構える。コンラッドは横目で一瞥すると、すぐに正面に向き直った。無数の『流れる銀』の穂先が怪しく光る。次の瞬間、槍兵の一団が炸裂火で弾け飛んだ。
「魔法兵は騎兵と歩兵を援護、敵の前衛を突き崩して下さい!」
コリンズ率いる魔法兵が術式を放つ。炸裂火は威力こそ高いが、反動が大きく魔晶石の消耗も激しい。敵の総勢が分からない以上、放つタイミングの見極めは重要であった。そのため、火柱や魔光弾の方が多く放り込まれた。
魔法兵が開けた穴に、騎兵が突っ込む。コンラッドの剣は銀屍兵の頭を兜ごと叩き割り、突き出される槍は身体を捻って避ける。返す刃で顔面に切っ先を突き込んだ。その荒々しくも勇ましい活躍の横で、ニックも鋭い突きを見舞う。キャシック直伝の槍さばきは、若さという力強さを帯びている。
「妙だな、敵が減っていない」
一刻ほど戦い、ニックは異変に気付いた。すぐに攻撃中止と後退の指示を出した。
「なんでだよニック、いいところだったのに」
不満げなコンラッドが駆け寄ってくる。ニックは黙ってジリボンの方を指差した。
『流れる銀』の壁から、新たな銀屍兵が這い出てくる。敵は次々と湧いているのだ。一同の背筋を、冷たいものが過った。
大陸暦六一六年、大魚の月初旬-
ハーム王国軍、ニバラク侯爵領軍、キトリヤ地方傭兵による連合軍、ベクォン公爵の本拠地である商業都市ジリボンへの攻撃を開始。連合軍の総兵力は八〇〇〇近くとされている。
―ハーム王国軍記『ハロルド三世治世の時代』より




