第八十四話『鉄腕去る』
大陸暦六一六年、大魚の月初旬―
都市ジリボン中央の衆議塔一帯を包みこんだ『流れる銀』は半球状の膜となり、突き出た塔の先端が白銀の光を放つ。その光景は、この国内最大の商業都市を睨む全ての者の目に入っていた。
「あの光は……!」
「ホツキネ砦で見たものと同じ!?」
ジリボンに半日の距離まで迫っていた、ニックとキャシックが声を上げた。思い出したようにミリアムの方へ振り向くが、彼女の様子は別段おかしくない。オリビアの魔力に慣れたというよりは―
「オリビアのゴーレムに似ていますが、この魔力は彼女のものではありませんわ。でも、とてもよく似ている……」
「確かに、この魔力はオリビアのものではない。しかし、この感じは魔法使いの、それもベクォン家のものだ」
応じたミリアムにハンスが続く。しかし、それには不自然な点が多過ぎた。
「ちょっと待ちなよ。ベクォン家はあんたとオリビア以外に子はいない。奥方のヒルダはキトリヤ家の生まれで魔法使いじゃない、当主のルイスはあの歳だし、そんな事するようには見えない」
「確かに、父はお爺様と比べて魔力が少ないとよくこぼしていた。実際、僕よりも少ない」
割って入ったエリスも不自然な点に気付いた。ニック達の情報では、オリビア以外に『流れる銀』のゴーレムを形成出来るほどの魔法使いが思い当たらないのだ。困惑している一同の元へ、不穏な気配が迫る。
「当主ルイスの姉、最初の王妃ミランダだな」
突然の声に、誰もがその主に振り向いた。削り出した岩のような顔立ち、浅黒く焼けた肌、黒々とした口髭―
「鉄腕のラリー!?何故ここに!」
「落ち着け、戦いに来たのではない」
ラリーは両の掌をニック達に向ける。腰の剣に手を掛けたニック達の尋常ではない反応を見たキャシック達も、ラリーの放つ只ならぬ気配に警戒を強めた。同時に、この場の全員が各々の得物を抜いて振り掛かっても、この男の方が速いと直感した。
「何故、貴殿はこの魔力がミランダ様のものであると?」
「二人の王妃を蘇らせたのは、何を隠そうこのわしだ。マルシア妃の時は、モッツ将軍も立ち会っていた」
「そうか、ホツキネを攻めたのは『流れる銀』の確保の為か。そして、マルシア様を連れてモッツは戦線を放棄した、あの時のベクォン兵の士気の無さはそういう事か。その隙の無さ、砦内に侵入して魔晶石の倉庫を爆破し、井戸に腐った肉を入れたのも……」
「そうだ。流石は音に聞く銀騎将、察しが良い」
キャシックが凄まじい程の殺意を込めて剣を抜く。ラリーも左の鉄腕を突き出した。同時に、鉄腕の後ろからハンスが炎の剣で斬り掛かった。死人のため、気配を限りなく無に近付ける事が出来たがゆえの芸当だった。しかし、気配は絶てても熱量は伝わる。振り下ろされた剣が地面を焦がすも、わずかに身を捻るだけで避けられた。
「ふん、あの時の副作用か。なるほど、ベクォン家の倅か」
「そうだ、反魂の術式は術を止めさせれば効果が消える、ここで貴様を討つ!」
ハンスの手にした炎の剣、というよりは剣の形をした熱そのものが立て続けに振るわれ、その度に空気が歪み高熱が辺りを吹き抜ける。閃光さえ走る刃の連なりを、ラリーは涼しい顔で避けていた。
「ここでわしを討てば、お前に掛かっている術も効果を失うぞ?」
「僕自身の魔力を放出して術を維持している!貴様はもう関係ない!」
「そうか、ならば」
大きく払われた刃が辺り一帯を焦土に変えようかという、その瞬間。ラリーは隙を見せたハンスに一気に踏み込み、その胸当てに鉄腕の平を押し当てた。あまりにも速い詠唱で、コリンズやミリアムでさえ介入出来ない。
「屍兵への対処は、お前達から学ばせてもらったよ……!」
鉄腕の隙間から白銀の光が漏れる。解呪の術式だ、そう判断した誰もが踏み込もうとしたが、間に合わない。終わりか、ハンスが思わず目を閉じてしまった、その時だった。鉄腕が弾かれ、放たれた術式はハンスの右脇腹を外れて炎の剣を吹き消すにとどまる。誰の剣でも槍でもなく、鉄腕には手斧が食い込んでいた。
「誰だ!?」
「母さんを倒した奴を、助ける事になるとはね」
「君達は……」
宵の口に差し掛かった群青の帳の向こうから、聞き覚えのある声がした。大柄な白熊亜人の青年で、その背には母から受け継いだ鉄槌が負われている。ニバラク侯爵領の解放戦でキトリヤ伯爵領軍に雇われていた傭兵、キヤスキー家の長男ゲオルギーだった。その傍らには次男のミハイル、そしてさらに見覚えのある顔が並んでいた。
「シャスタにポール?どういう事だ?」
「キトリヤ領も粗方片付いたからね。だいたいの状況は掴んでるよ」
ラリーが鉄腕から手斧を引き抜く。不意を突かれた事もあって、二つ名にもなっていた左の鉄腕には大きく穴が開いており、中の魔晶石の筒にまで刃が喰い込んでいた。使い物にならなくなった鉄腕を恨めしそうに眺めると、その視線に憤怒を織り交ぜてゲオルギーに目をやった。
「キヤスキー家率いる傭兵隊か、お前達はニバラク侯爵領の攻略に使わされていたはずだ。我々を裏切る気か?」
「我らを雇っていたのはキトリヤ伯爵家だ。戦の敗北と領内の動乱でキトリヤ家は潰え、契約は白紙となった。今、我らを雇っているのはニムネク商業をはじめとする商人連合だ」
落ち着き払った冷淡な眼差しで、ゲオルギーはラリーに返した。ここに来てようやく焦りを感じたのか、背筋を冷や汗が伝う。まだ手元に残している手斧を使えば、この場の何人かは倒す事が出来るかもしれない、そんな考えが過ぎるも、四方八方から向けられた切っ先を前には無駄な事と思い直した。
「ふん、そういう事か。だが、わしがこの国でやる事はもう済んだ。さらばだ、ハーム王国の者どもよ」
ラリーが手斧を放すと、次の瞬間には『神の奇跡を宿した杖』の宝珠を右手に構えていた。そして前回と同様に、一筋の光をまとい煙のように消え去っていた。
「もう済んだ……か。もう奴と出くわす事はないと思いたい」
「まったくだ。この人数で剣やら槍やら向けてたってのに、ちっとも有利になった気がしねぇ」
一息ついて剣を納めたニックに、緊張の糸が切れたコンラッドが毒づく。キャシックもよほど張り詰めていたのか、吐き出した息の塊は大きかった。ミリアムもコリンズも脱力感にうなだれ、ハンスは両の手と膝を着いて立ち上がれずにいた。
そんな中、シャスタとポールがニックの側へとやって来た。
「さて、ニック様。あたし達は今からあなたの軍に合流させてもらうよ」
「あ、あぁ。しかし、キトリヤ領は大丈夫なのか?それと、ミア将軍達はどうされた?」
「キトリヤ領はアブドゥル達がまとめてくれてる。ちょっと荒っぽい連中を残してきたけど、とりあえずは何とかなるさ。ミア将軍は書簡一つで首が飛んだみたいでね、単騎でどこかへ走り去ってしまったよ。オーク勢への密輸ルートを潰し終えたら、リアブ将軍も慌てた様子で出陣した」
「そうか、事情は分かった。それと……」
ニックはキヤスキー家の兄弟に向き直った。相変わらずゲオルギーは落ち着き払っており、血の気が多かったミハイルも若干その性分が薄らいでいた。恐らく、それなりの責任がある立場に任ぜられたのだろう。
「お久しぶりです、ニック殿下……いや、今はニック殿でよろしいか」
「そうだな、今の私には王家も伯爵家もない。ただのニックだ」
「我ら傭兵とキトリヤ領兵、合わせて五〇〇。貴殿の指揮下に加えさせて貰いたい」
「願ってもない申し出、喜んで迎えよう。今は少しでも戦力が欲しい。よろしく頼む」
ニックとゲオルギーは手を取り合い、新たな仲間が加わった。決戦は明後日、総勢三五〇〇名となった連合軍は、着々と支度を進める事となった。
大陸暦六一六年、大魚の月初旬-
こんな数の軍勢を見たのは、何年か前に王都で大規模なパレードが行われた時以来だ。確か、グレン様が五歳の誕生日の事だったか。
キトリヤ領傭兵隊で働く男の言葉『大魚の月四日』




