第八十一話『星空の下』
大陸暦六一六年、清水の月下旬-
シオンタ陥落から二日経った朝、最低限の補給を受けた水軍の艦艇が出港する。
「あれからまだ二日だ。負傷者も少なからずいるわけだし、もう少し兵を休めてもいいんじゃないか?」
「いえ、元々はマルキヤ率いる艦隊の所属です。リアブ将軍によるシオンタ攻略を見て、援護を命じられただけの事。本隊がジリボンに迫っている以上、長居するわけには参りません」
パッテンの提案に、レーミッツは頭を下げて固辞した。マルキヤ率いる水軍艦隊の本隊と合流しなければならなかったからだ。
パッテンとリアブはレーミッツの船を見送ると、軍の再編成に取り掛かった。
リアブの損害は六〇〇、パッテンの損害は三〇〇に及び、無視出来ない数となっていた。シオンタの守備兵も動員する事も考えられたが、街の治安回復や復興、住民の不安対策の観点から難しいという結論に達した。
「貴様の軍は残り一九〇〇、俺様の方は一二〇〇か。こりゃあ、下手に編成するよりも二つの軍を合わせた方がいいな」
「合わせて三一〇〇……調整も含めるとおおよそ三〇〇〇か。私とミア将軍がカッサーナへ派遣されていた頃と同じ兵力だな」
「問題は、ミア将軍の遺した砲兵隊を誰が率いるか、だな」
パッテンは動員可能な砲兵隊の数を確認しながら言った。シオンタ攻略の際、砲兵隊の指揮がうまくとれなかった事は課題となっており、ミアに代わる将軍格の司令官を必要としていたが、後継者を決めかねていたのだ。
「出来れば、ミア将軍隷下だった者から選ぶのが良いのだが、能力あって人望の今ひとつな者、人柄は良いが不安定な者が多くてな」
「だったらいっその事、俺様と貴様で分けちまうか。歩兵にも戦車にも砲兵の援護はいるわけだしな」
「そんな事して大丈夫か?」
「まとまらないまま独立させておくよりはマシだろう。その中で後継者が育ってくれば、そいつに任せればいい」
パッテンの提案で、砲兵隊は四〇〇名の兵と三六門の火砲を半分に分け合う事となった。足りない馬や輜重はミア家の屋敷から押収もとい徴発する事で賄った。砲兵隊からは指揮系統の変更に伴う軽い騒ぎはあったものの、数日の訓練で出陣が決まり、残りの調整は行軍中に行われる運びとなった。
大陸暦六一六年、大魚の月新月の日―
軍の再編と調練も終え、補給の段取りを済ませたリアブとパッテンは、明朝の出陣を前に、月のない夜空を見上げて晩酌に耽っていた。柔らかくも冷たい月の光がない紺碧の空は、弱々しい光の星の姿も浮かび上がらせている。乾いて透き通った空は夜の帳を曇らせる事なく、美しく描き出している。
「いよいよ、ジリボンに向けて出陣か」
「あぁ。この半年、ベクォン家が挙兵してから色々とあったもんだ。リアブ、貴様はどうだった」
「こちらも、カッサーナでは少なくない問題に見舞われた。表立って軍を動かす事は出来なかったものの、やれる事はやったつもりだ」
「そうか、今度まだ話を聞かせてくれよ」
互いのグラスに、星の光を受けた琥珀色の液面を揺らめかせながら、パッテンとリアブは言葉を交わしていた。リアブにはカッサーナ皇国の紛争の顛末を報告する義務があり、ミアがいなくなった今、彼に死なれるわけにはいかなかった。だが―
「ツッ……」
「大丈夫か、パッテン。夜風が障ったか?」
「いや、違う。左肩の傷がな。アギラを解放した際、オークどもの矢を受けたんだが、矢尻がボロボロで錆びついてたようでな……」
治癒の術式でも、矢傷の完治には時間が掛かる。パッテンが受けた傷は矢尻の形状もあって、尚更治りにくい状態になっていた上、老齢ゆえの治癒力の低下が拍車を掛けていた。その状態でシオンタ攻略の戦に挑んだのである。完全に開いたわけではなかったが、まだ予断を許さない状況ではあった。
「父上、良い薬がありますぞ」
そう言って現れたのはマックスだった。だが、その出で立ちはハーム王国の者であるとは到底言い難く、カッサーナ皇国で広く着られている作務衣に身を包んだ姿は、大柄な僧兵に見えなくもない。そして、懐から手の内に収まるほどの布袋を取り出した。リアブも「それがあったか」とばかりに目を見開く。
「カッサーナ皇国にて、武士……我が国で言う騎士や戦士ですな、彼らの間で流行している薬です」
そう言うと、マックスは袋の口を開き、掌に丸薬を転がせた。乾いた干草を粘り気のある繋ぎで練りこんだような質感の、黒ずんだ茶色の丸薬であった。指で摘まみ上げると、見た目以上に軽い。
「レッターの奴がこんな感じの持ってたな。アレは茶葉を丸めた物だったが。で、マックス。こいつはどんな薬なんだ?」
「刀傷や矢傷に効能があるとさえ、銃砲により負傷した者も癒す力があるそうです」
「ほう、余程の薬効がある薬草でも煮詰めて乾かしたのだろうな」
「いえ、この薬の原料は馬糞です」
得意げに語るマックスの言葉に、パッテンは目が点になった。頼もしい息子が四年も会わない間に狂ってしまったのか、思わずリアブに視線を寄越したが、頼みの綱も何か分かったような風で頷いている。
「まあ待て。いくら何でも馬糞は無いだろう。そもそもそれをどう使うんだ。傷口に塗りこむのか、それとも、まさか飲むとか言うんじゃないだろうな」
馬の物に限らず、糞はハーム王国内でも利用されている。最も多くは農村で肥料として用いられ、都市で汲み上げられた人糞が原料となる。他にも火薬の原料、乾燥地や寒冷地では燃料にもなり、魔晶石の採れないニバラク地方やキトリヤ地方では有力な資源である。汲み取りや肥料精製に専門のギルドがあるほど、糞は生活サイクルに深く根差したものではあるが、流石に薬として用いる文化や概念は無かった。
「父上の矢傷は、中の筋がまだ治り切っていないと思われます。ならば、これも体の中から治す為に……」
何物にも動じない、覇輪将パッテンが慄いている。飲めとばかりに馬糞丸薬を差し出したマックスの手を、物凄い速さで飛び込んで来たフロリナの裏拳が払った。打ち上げられた丸薬が夜空に舞う。そして、フロリナが起動した猛火の術式で消し炭となった。
「カッサーナには私達には想像もつかない文化があると聞いていましたが……流石にそんな物を薬にするというのは聞いた事ありません!これ飲んで死んだ人とかいるんじゃないですか!?」
「そんな事ないぞ。我々が世話になった武家の方々は、塗ったり飲んだりで傷を癒していたぞ」
「ならば、その傷はその薬使わなくても治る傷です!」
やはりフロリナもパッテン家の者だった。頭に血が上ると、顔を真っ赤にしてこめかみに血管を浮かび上がらせる。六大将軍のうち二人を前に、二回り以上大きな体躯のマックスを怒鳴り散らす姿は、到底女とは思えない姿であった。
「それと将軍、一番お体に障っているのは飲酒です!まだ傷が塞がり切ってないのに、二日と置かずに飲んでるじゃないですか!確かに、私は控えめにするなら許可しますと言いました!」
「何言ってんだ、ちゃんと控えているだろう」
「元々が多過ぎるんです!」
「そんな事もあろうかと、飲み過ぎに効く生薬も」
「マックス兄は黙ってて下さい!」
血気盛んなパッテン家の男二人を押さえるフロリナの威勢の良さを見て、やはり血は争えないと思ったリアブは、グラスを空にして夜空を仰いだ。強く弱く明滅する数多の星が、散りばめられている。一際強く輝きながらも、不吉な光を放つ星に、ベクォン家の影が重なる。奇しくも、その星を囲うように左上、右上、右、下にも星の輝きを見た。
しかし、左下の方に輝く星は存在していなかった。
大陸暦六一六年、大魚の月新月の日-
フロリナが物凄い剣幕でまくし立てているのを聞いたのだけど、付き合いの長い医官によると「いつもの事」だとか。私が来た事で丸くなっていたらしい。
フロリナ・パッテンの助手アリアの手記『大魚の月一日』




