第八十話『落日』
大陸暦六一六年、清水の月下旬-
要衝シオンタは陥落した。
金甲将リアブ率いるハーム軍に攻め立てられていた守備兵は、彼方の丘に現れたオーク勢の援軍を見ても、大した感慨が湧かなかった。元より人間とオークは対立関係にあり、双方の上の者達が取り決めた一時的な契約に過ぎなかったからである。そのオーク勢は、後から現れた別のハーム軍によって蹴散らされた。
海からの砲撃に加え、勇猛で知られる水陸兵の上陸も拍車を掛けていた。輸送船数隻分、数にして一〇〇に満たない水陸兵だったが、先頭に立って突っ込んでくる異国民の顔をした指揮官の雄叫びと戦いぶりによって、守備兵の心は折れた。
「見事な手腕であったな、レーミッツ殿」
「ありがとうございます。将軍が敵を乱してくれたおかげで、シオンタの守備兵を崩す事が出来ました」
鎧兜を返り血と土煙に汚しながら声を掛けたパッテンに、同じく返り血に濡れたレーミッツが応じた。少し遅れて、指揮を任されていたマハナムⅡの副長が険しい顔で現れる。
「戦に勝ち、艦長も無事だからよかったものの、輸送船改造の急場仕立てとはいえ、マハナムⅡは砲艦です。その艦長が水陸兵と共に敵地に飛び込むとはどういう事ですか」
「それはすまん、シオンタの統治は武人の名門と名高いミア家と聞いていたのでな、面白い戦が出来ると思ったのだ」
嘘の下手なレーミッツは、こういう時に本音が先に出る。副長は呆れ半分にかぶりを振った。
「しかしどうしたものか、我々が乗り込んで通りを一跨ぎする頃には、守備兵は震えて道を開けるか、群衆に押し流されるかで、まともな戦にはなりませんでしたな」
レーミッツがからからと笑う。港から攻め込んで通りを一跨ぎするまでは、倉庫十棟分の距離しかない。そのわずかな間で、この男は返り血に濡れるほどの戦闘を繰り広げたのだ。
「それにしても、ミア家は市民に見限られていた、という事か」
「えぇ、守備兵も武器を捨てるまでが早く、一刻と掛からずに役所の制圧とミア家の屋敷への進軍が行えました」
パッテンが辺りを見回しながら言う。降伏した守備兵は八〇〇を数えた。この人数が徹底抗戦していれば、リアブもレーミッツも大損害を免れなかったと思われる。しかし、陸も海も囲まれ、肝心の援軍がオークとなっては、士気が無いに等しいのも無理なかった。
「ときにパッテン将軍、リアブ将軍とミア将軍はいずこに?」
「うむ、リアブが先にミア家の屋敷に向かっている。我々も急ぐとしよう」
そう言うと、パッテンは戦車の衛兵を一人下ろし、代わりにレーミッツに乗るよう伝えた。マハナムⅡの副長は置いてけぼりを喰らいながらも、慣れたものとして残った者達に指示を出し始めた。
日が西の海に沈む頃、パッテンとレーミッツはミア家の屋敷に到着した。パッテンの急ぐとしよう、という言葉の意味を、レーミッツは屋敷に入るなり理解した。屋敷の中はエントランスホールから既に荒れ果てており、金細工の調度品から豪奢な甲冑、舶来品の鉢植えに至るまでが瓦礫と化していた。
「おいリアブ、そこまでにしておけ」
「パッテンか、お前も冷静ではいられなくなるぞ」
空気さえ歪めるほどの沸き立つ殺気をまとったリアブが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。努めて冷静になろうとしているが、その背中から溢れる怒気は凄まじいものがあった。彼の視線の先には、散々に凄まれて腰を抜かし股を濡らした老人の、情けない姿がある。レーミッツが武人の名門と称えていたはずの、ミア家当主エッカートだった。
「さぁ、答えてもらうぞ。ミア将軍はどこだ」
「わ、分かった、言う。言うからその鉄鎚を下ろせ」
リアブの手には先程の戦で振るわれた大金鎚が握られており、エッカートの返答一つでその頭蓋を瓜の如く叩き割らんとしていた。パッテンも肩に手を沿え、武器を下ろすように促す。
「リアブ、俺様も気になっていたんだが、ミア将軍は貴様と一緒じゃなかったのか?」
「あぁ。先王の崩御と共に伝えられた、ベクォン家とミア家の関係者の罷免を受け、彼女は砲兵隊の指揮を私に委ねると、一人でキトリヤ伯爵領を出て行った。キトリヤ伯爵派残党の対処、ジリボンからの装備品密輸ルート潰しにも兵を割かねばならず、すぐには追えなかった」
「それで、そっちが片付いたから急いで追って来たのか。しかし、何故シオンタだと?」
「彼女はミア家が反逆に加わったと知った時から、屋敷に戻って問い質すと鼻息を荒くしていた」
肩で息をしながら話すリアブに、今度はパッテンの頭に血が上ってきていた。思わず、腰の剣を抜きそうになるが、必死で堪えていた。
「エッカート・ミア。返答次第では、貴様の首を叩き落とす。答えろ、ミア将軍はどうした」
「……死んだ。いや、私が殺した」
沈黙の後に紡がれたエッカートの言葉に、三人は同時に得物を構えた。
「フランソワ……愚かな娘だったよ。兄ディランも愚かだったが、あれも輪を掛けていた。双子の姉を殺され、甥と姪を死地に送られ、自身も異国へ出されて口出し出来ぬようにされていた。それでも、あの王に忠誠を誓い、剣を振るうのかと問うたが、奴の気持ちは変わらなかった」
パッテンのこめかみに血管が浮かび、顔色は憤怒の赤に染まる。
「モノゲア帝国の貴族に出自を持つダゲアマ家の娘を、容姿に見惚れてなすがままに娶り、色欲に溺れ、グレンという不穏分子さえ生み出した。そんな王だぞ、と何度も問うた」
リアブの大金鎚を握る手に力が篭もり、自身の爪で手から血を滴らせる。
「あやつはそれでも、武人の誇りを選んだ。それどころか、逆に私に訊いてきたよ。武人の名門ミア家の者として恥ずかしくないのかと。私は言ったさ、お前達のような王の奴隷と化した者と同族でいる方が恥ずかしいとな。そして、決闘になり……私の手で葬ってやった」
レーミッツの眼光が鋭くなり、気迫だけで人が斬れるとばかりに研ぎ澄まされる。
「やはり、貴様は間違っている」
「我々が忠誠を誓った相手は一人の王ではない」
「ハーム王家、そしてこのハーム王国だ!」
パッテン、リアブ、レーミッツが言葉を返すと、一斉に各々の武器を振り上げた。真の恐怖に駆られたエッカートが、少しでも防ごうと両手を前に突き出した。しかし、そこには左手しかなかった。右手は肘と手首の間で斬り落とされており、巻かれた布には血が滲んでいる。
「その右手はどうした。貴様、右手を無くしてどうやってミア将軍に勝ったのだ」
呆気に取られたパッテンが問いただす。すると、物影から一部始終を見ていた給女が姿を見せた。エッカートと大して歳の違わない、貫禄のある老女だった。
「……フランソワお嬢様は、決闘でエッカート様の右手を斬り落としました。しかし、エッカート様は負けをお認めにならず、衛兵をかき集めてお嬢様を討ち取らせたのです。申し訳ありません、本来ならば、私めがお嬢様のために身を呈するべきでした……」
エッカートが目を見開き、給女を睨み付ける。しかし、その眼光に力はなかった。武器を下ろしていた三人はそのまま納め、後から駆け付けた兵士にエッカートの身柄を引き渡した。
「連れて行け。もう、殺す価値も無い」
簒奪者だったとはいえ、武人の名門ミア家の当主に対する言葉としては、最も屈辱的なものだった。パッテンがむせび泣く給女の肩に優しく手を沿え、リアブは兵に損害報告と宿営準備を命じ、レーミッツは群青の空に浮かぶ星を仰ぎ、無常さに打ちひしがれていた。
大陸暦六一六年、清水の月満月の日―
都市シオンタにフランソワ・ミア来訪、当主エッカート・ミアに反逆を諫めるも決闘となり、敗れて死亡。
ミア家の記録『清水の月一六日』




