第七十五話『それぞれの足跡』
大陸暦六一六年、清水の月満月の日-
ラリー率いるベクォン軍を撃ち破ったニック率いる連合軍は、ルーテにて補充を済ませると再び出陣した。今度こそ南下してベクォン公爵領へ侵入し、ジリボンに迫らなければならない。そして道中、ニックにはやるべき事があった。
「先日、陣を放置して撤退したあの砦だったな」
「あぁ、余った資材や兵糧も置いてきたから、人数にもよるが何日か過ごせるはずだ」
ニックとハンスは馬上で言葉を交わす。先王の訃報と共に届けられていたミリアムからの手紙には、キャシック将軍がミリアムとエリスの偽首を用意し、二人の戦死を偽装して送り出した旨が書かれていた。その後のやり取りで、二人は先日使用した砦にて待っている事が分かった。
「見えてきたな」
右も左も山に挟まれた平野部の地平線上に砦の影が浮かぶ。順調に行けば翌日にでも辿り着ける距離だった。テーヴァに手紙を持たせて定期連絡は取っているが、外敵の襲撃や食糧不足といった問題はなかった。
「腕が立つと言っても、女二人で待ってるってのは心許なくないか?」
「いや、それで困ったという連絡は来ていないし、エリスが一緒なら心配はないだろう」
コンラッドの懸念を、ニックは涼しい顔で受け流す。言った所で、コンラッドとエリスは面識が無いに等しい事を思い出したが、当の本人も既に気にしている風ではなかったため、揃って前を向いて歩を進めた。
清水の月も半ばを過ぎれば、空っ風も鳴りを潜める。月の名の通り、冬の間に積もった雪が融けて清らかな水で大地に染み渡る。そこかしこの草地の緑は褪せていた色合いに活力を取り戻し、新たな春の訪れを感じさせていた。ニック達は流れの変わった風を感じながら、各々の想いに耽っていた。
「……早いところ、こんな戦を終わらせなければな」
「まぁな。学院にも戻れねぇし、春も収穫も祝えねぇ。去年の今頃が懐かしくなってくるぜ」
コンラッドの『戻る』という言い回しが、ニックにはひどく虚ろに響いていた。戦が終わっても、もう元には戻れない事を予感しているようだった。
翌日、連合軍は砦に到着し、放棄した陣を設営し直した。半月前に離れたばかりだが、ルーテでの一件があっての事か、ニックには数月ぶりの来訪に感じられる。そして、半年近く会っていなかったミリアムとの再会は、実に数年ぶりと錯覚するほどであった。
「兄上様!よくぞご無事で!」
「ミリアムも色々あったようだな。各々、言いたい事はあるだろうが、まずは現状を話し合おう」
ほとんど一直線の弾道で飛び付いてきたミリアムを片手で制しながら、一同を会議室へと誘導した。ニックの慣れた対応に、コンラッドは慣れた苦笑を浮かべるだけだった。
会議室における席順は、連合軍の司令官であるニックを中心に、ニバラク侯爵領軍のコンラッドとハーム王国軍のビフを両に置いた。そこから侯爵両軍側にハンス、シャーリーン、王国軍側にコリンズ、ミリアム、エリスが着いた。
「さて、ニバラク侯爵領での出来事を説明すると……だ。まず、中枢都市ルーテを落とし、三〇〇〇の兵で狩人の守を西進するキトリヤ軍の主力は、湖畔の都市ナーウィンで足止めし、夜襲で兵糧や資材を削って連絡網を断ち、孤立無援にして撃破した」
「オレとニックが仕掛けた夜襲だったな。敵の傭兵にやたら強い白熊亜人がいたけど、そいつを倒してオレを救ってくれたのがハンスだ」
エリスはニックの説明より、コンラッドの言葉に強い関心を示した。ハンスも彼女と顔を合わせると、以前とはまるで別人のような精悍さで小さく会釈する。だが、彼女の関心はもう一つあった。
「ちょっと待って、もしかしてその白熊亜人って、キヤスキー家の奴らかい?」
「あんた、キヤスキーの奴らをご存知で?」
「知ってるも何も……カッサーナで手合わせした事があるよ。団長セルゲイのハンマーはヤバかったね。一発でも貰ったら即あの世逝きさ。そんな奴を相手に、よく戦えたね」
「オレが戦った団長はおばさんだったな。まぁ、どっちにせよ白熊亜人だし、恐ろしい腕力だったよ」
キヤスキー家と言えば、キトリヤ伯爵領の北の果てにて傭兵業を営む一族である。カッサーナ皇国の内乱に出稼ぎに行った際の負傷が元で、家長であり団長のセルゲイを喪ってから、その妻ポーリャが団長となって今回のキトリヤ軍に従軍していたようだった。話に花が咲く前に、ビフが強めの咳払いを入れる。年季の入ったタイミングに、ニックは頼もしさを覚えていた。
「その頃は私達はホツキネ砦の防衛に当たっておりましたわ。井戸に腐った肉を入れられたり、魔晶石の貯蔵庫や門を爆破されたりはしましたが、ベクォン軍側で何かあったのか、敵兵がやる気を無くして勝てましたわ」
「僕が反魂の術式で呼び戻されたのはその頃だな」
ミリアムの説明に、ハンスが応じる。マルシアの蘇生とモッツの戦線放棄も同じタイミングである。
「ルーテ攻略は我々というより、カッサーナから帰還中のミア、リアブ将軍率いるハーム軍が主力となった。我々は敵の逃げ出してくる場所に先回りし、捕らえた敵将で降伏を迫ったのだが、思った以上に手早く片付いたよ。その後、キトリヤ伯爵領でも一悶着あったらしく、伯爵を生け捕りにしてきたロスやコリンズ達と合流出来た」
今度はミリアムが左右を見回すような仕草をした。ニックの説明に上がっていた者がいないためである。
「兄上様、ロス様はどうされたのですか?」
「後で言おうと思ってたが、先に済ませよう。ロスは戦死した。敗走する我々を逃すために、殿を引き受けた」
淡々と言い放ったニックの言葉に、ミリアムとエリスは驚きの色を隠せなかった。
「順番が前後したが……年が明けて、雪も落ち着いた頃に進軍を始めたのだが、鉄腕のラリー率いるベクォン軍と戦闘になって、反魂の術式を用いた罠に掛かって兵を半数近く喪った。ロスもその時に死んだ。この砦は負傷者の回復のために使っていたが、その時は屍兵への対処が思い付かず、ルーテまで後退した」
「そうでしたの……勇ましく頼もしい方でしたが、兄上様のお役に立てて本望だったと思うようにしましょう」
「戻った所で父上の訃報を知り、母上……いや、王母の計で一度は干されかかったが、なんとかなった。その後は件の屍軍団を解呪の術式で消し飛ばして勝利し、ここまで戻って来た」
解呪の術式で屍兵を消したというニックの言葉に、ミリアムは目を見開いた。
「兄上様、母上様は……」
「知っている、お前が送ってやったんだろう。夢で言われたよ。解呪の術式が有効というのも母上から聞いた事だ。そして、母上を私の夢に出したのも、かつての宮廷魔術師セオドア殿の助けがあったとの事だ」
セオドアの名を聞いて、今度はハンスが目を見開いた。セオドア・ベクォン、娘ミランダと共にボートミール城に仕え、ハロルド三世の『流れる銀』を用いた霊薬の実験で死んだ、ハンスの祖父にあたる人物である。
「お爺様が……マルシア様を通じて君を助けたという事か」
「そういう事になる」
「滑稽なものだな。祖父と伯母の仇討ちも大義名分であったのに、その祖父は君に味方したのだから」
「それはお互い様だ。国と民の為を思って戦った結果が、王母一派を大きくするだけだったからな」
ハンスの言葉に、ニックは自嘲気味に返した。会議室の空気は冷たさを増し、重苦しくなる。
「だが、我々は止まってはならない。このままベクォン公を放っておいていい理由はない。たとえ、この勝利が王母に利するものであっても、大事なのは国であり民であり、新王グレンだ。腹は違えど大切な弟が継ぐ国のため、力を貸して欲しい」
ニックの言葉を受けて、一同は心を新たにした。
大陸暦六一六年、清水の月満月の日―
兄上様と別れて行動してから半年近く。色々ありましたが、早いところ会いたいものですわ。
特に今は、頼れる方が本当におりませんもの。
かつての第三王女ミリアムの手記『清水の月十六日』




