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第七十四話『勝利の位置』

 大陸暦六一六年、清水の月上旬-

 ニバラク、ハーム連合軍を追い立てるベクォン軍は勢いに乗っていた。火矢による迎撃で一割を失ったが、後続部隊が倒れた前衛を文字通り乗り越え踏み越え突き進んでくる。兵士の死体を束ねて造り上げたゴーレムは、その冒涜的な外観に違わぬ強さを維持していた。


「ふむ、丘の連なりをそろそろ越えるな。あとはルーテに向けてまっすぐな平野部だ」


 丘の勾配がゴーレムの移動速度を遅め、弓兵による迎撃の的にしていた。しかし、平坦な地であれば、獣の俊敏さを持つゴーレム隊であれば、瞬く間に敵を追い詰めるだろう。ラリーは馬で追い掛けながら、頭の中で構築した勝利のビジョンに口許を歪めた。


「この丘の向こうが、ルーテに続く平野部だな……」


 丘の合間を縫うような道を駆けながら、横目にした看板でルーテが近い事を察した。最後の高い丘を駆け上がり、その先に広がる光景を目にしようとした矢先、目も眩むほどの白い閃光が辺りを覆い尽くした。


「な、なんだ!?」


 動けなくなった馬を降り、自身の足で丘の上まで駆け上る。次の瞬間、目に入ってきた光景に、ラリーは完全に言葉を失っていた。


「馬鹿な、ゴーレム隊が……」


 一〇〇体ほどのゴーレムが片手で数えられるほどにまで減っており、その残された数少ないゴーレムも、数の不利を押し返す事は叶わなかった。荷台に刃を取り付けた荷車を脚にぶつけられ、身動きが取れなくなったところを火矢と術式爆弾で燃やされている。ラリーは努めて冷静に頭を働かせると、連合軍の魔法兵が特定の並びをしていた事に気が付いた。


「あれは、術式陣か!まさか、奴らは解呪の術式を!?」

「そういう事だ」


 驚きのあまり喉をついて出た言葉に、応じる声があった。

 ニックだった。馬上から見下ろす視線は、以前に会った時とは比べ物にならないほどの鋭さを帯びており、冷たさも感じるものになっていた。氷の刃を喉元に突き付けられたような感覚さえあった。


「ニック王子……!」

「もう私は王子ではない。ただのニックだ」

「貴様、何をした!?」

「分かっているだろう。解呪の術式を、魔力強化と拡散の術式陣で広範囲に拡大させ、ゴーレムの術式を解除した。陣に用いる魔晶石の粉を用意する時間はなかったので、魔法兵の配置で再現したのだが、うまくいったようだな」


 術式陣による拡大、それはラリーにとって盲点だった。

『神の奇跡を宿した杖』の宝珠を常に持ち歩き、自身の卓越した術式行使の腕前と合わせれば、まったく必要のない概念だったからだ。逆に、ニックは過去にホツキネ砦の防衛戦でコリンズに雷鳴の術式を使わせるため、魔力強化の陣を敷いた。また、二度目の防衛戦では工作隊によって井戸が汚染された時も、ミリアムが浄化の術式を拡散の陣で行使している。


「弓兵を出した意味は何だったのだ」

「一つは勢いを付けさせるため、同時に王母の手の者を体よく始末するため」


 涼しい顔で言い放ったニックに、ラリーはわずかに戦慄した。無論、ニックも完全に平常心であったわけではないが、こういう時は臆した方が負ける。後方から馬蹄の響く音が迫る。喚声は止んでおり、恐らく戦は決したものと思われた。


「お前の負けだな、鉄腕のラリー」


 馬上から槍を向けられ、観念しろとばかりの圧を掛けられながらも、ラリーは低くくぐもった声で笑って見せた。


「何がおかしい?」

「ニックよ、貴様にとっての勝利とは何だ?」

「自分達にとっての敵を破る事だ」

「では、敵とは誰だ?わしか、ベクォン公か、あるいは王母か?」


 ラリーの言葉に、ニックの心が揺らぐ。槍の穂先も同様に揺れ、次の瞬間にはラリーの剣が抜刀と共に払われ、穂先が弾かれていた。一瞬の隙を押し広げられ、完全に死の間合いに落とし込まれていた。


「甘いぞニック。こういう話は、相手を捕縛か無力化してからするものだ」


 構え直そうとした槍を足で押さえられる。ラリーの剣は肉厚で、切っ先に向けて重量の増す作りとなっている、モノゲア帝国の剣だ。兜ごと叩き割られる、そう思った矢先だった。


「炸裂火の術式ッ!」


 丘の稜線に沿って低い弾道で迫る炸裂火が、斜面に当たって弾けた。狙いを外したのではなく、地面を捲り上げて焼けた土の散弾を浴びせたのだ。ニックを巻き込まないギリギリの線を突いた術式を放ったのはコリンズだった。杖に残ったわずかな魔晶石で、ニックを援護するために駆け付けたのだ。更に後ろから、コンラッドとハンスも駆けつけて来る。


「コリンズ!」

「ニック様、そいつはロスさんの仇です、気を抜いてはなりません!」

「ふん、誰かと思えば、以前にジリボン近くの路上キャンプで見掛けた小僧か」

「我が名はコリンズ・マルキヤ!その首、貰い受ける!」


 杖を捨て、短剣を抜いたコリンズが名乗りをあげる。止せ――ニックが止めようとしたが、それよりも早くにコリンズはラリーに肉薄していた。剣を紙一重で回避し、短剣の間合いに踏み込む。だが、その突きは鉄腕によって弾かれていた。勢いのまま揉み合うように転がり、互いの顔は人間基準で目と鼻の先にまで迫っていた。コリンズの眼鏡の縁がうっすらと赤い光を帯びる。


「毒針の術式ッ!」


 コリンズの眉間辺りから、小指の長さほどの毒針が射出される。以前にオリビア暗殺を目論んで使った術式である。避けようのない距離で放たれた毒針は、すんでの所で顔を振ったラリーの左頬に突き刺さった。直後、コリンズの腹が蹴り上げられる。鳩尾を突く重い一撃にうずくまるコリンズに、態勢を立て直して剣を振り上げようとしたラリーだったが、思いのほか毒の回りが早く、力が入らなかった。


「くっ、毒針とは……水軍家系のマルキヤの倅に、体が小さく気も弱く、目が悪いので船乗りになりそこなった者がいるとは聞いていたが……」


 ラリーはまだ立ち上がれないでいるコリンズを見下ろしながら、驚嘆も半ばに言った。事実、コリンズは船乗りにもなれず水軍にも入れず、それでもマルキヤ家と自身の面目のために港湾管理官になっていた。


「なるほどな……ニック、貴様は思った以上の将器らしい。今回はわしの負けだ。次に会う時、貴様の答えを聞かせて貰うぞ」

「逃がすかよ!ハンス、やるぞ!」

「あぁ、こいつには聞きたい事もある」


 剣を納めたラリーが宝珠を掲げる。ほぼ同時に駆け寄ったコンラッドとハンスの剣がラリーを捉える瞬間、その姿は煙となって風に溶けるように消え去った。


「くそっ、逃げる準備はしてやがったか」


 コンラッドが舌打ちして毒づく。ニックは馬を降り、コリンズの元へと歩み寄っていた。


「コリンズ、大丈夫か?」

「すみませんニック様、ロスさんの仇を討てませんでした。僕が出張らなければ、皆さんと足並みを揃えていれば」

「そんな事はない。お前が真っ先に飛び込んで来なかったら、私がやられていた」


 ニックはコリンズの背中を軽く叩くと、立たせてコンラッド達に向き直った。


「戦果と損害はビフ殿が数えているだろうが、敵はほぼ殲滅したと言っていい。我々の勝利だ、戻ろう」


 落ち着き払った声で言うと、ニックはコリンズを馬の後ろ側に乗せ、ルーテに向かって歩き出した。コンラッドとハンスは、ニックの『勝利』という言葉に違和感を覚えながらも、共に帰還の徒についた。夕暮れにはまだ早い、西日を受けたニックの背中から、迷いのようなものが滲み出ているように見えた。


 最終的に、ニバラク、ハーム連合軍二〇〇名、ベクォン軍ゴーレム一〇〇体、実質兵士二〇〇〇名分の喪失となった。

大陸暦六一六年、清水の月上旬―

屍兵と言っても、結局は死体を動かしてるだけだったんだな。ハーム軍の連中が追って来たと分かった時には、もう降伏する準備は出来ていた。あんな事をする奴に従う義理もないしな。

   ベクォン公爵軍捕虜の言葉『清水の月十一日』

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