第六十七話『亡者と生者』
大陸暦六一六年、清水の月新月の日-
コンラッドら歩兵隊を逃がすため、自ら殿を買って出たロスは、雄叫び一つと共に屍兵の群れに飛び込んだ。腕一つ斬り落としても、頭を半分叩き割っても効果は薄い、狙うなら足か首だった。大柄な体躯に似合わず、姿勢を低くすると屍兵の群れに隠れるほどの高さになる。振り払った剣が屍兵の片足を斬り飛ばした。バランスを崩した屍兵が倒れ込み、続く者達が将棋倒しになる。
「やはり足か。動けなくすれば良い!」
要領を得たロスの剣が、獲物を捕捉した猛禽類の如く、鋭い太刀筋を描いては屍兵達の足を次から次へと斬り払っていった。同時に、左手の短剣で首筋や目元を狙って抉るように振り払う。感覚器官がどうなっているかは不明だが、敵の捕捉は目で行っているらしく、視力を失った屍兵が明後日の方向に剣を振り、同士討ちをしているのが視界の片隅に捉えられた。
「ニック様達が逃げ仰せれば、それで良い……!」
屍兵の槍が右脇腹を掠める。近衛兵の鎧は上質な物を揃えているが、抑制を失った屍兵の腕力が繰り出す突きは、その鎧にさえ深い傷を刻み込んでいた。わずかに怯んだロスが見せた隙を、屍兵達は見逃さなかった。左肩、右足、左腕と剣や槍に捉えられ、致命傷ではなくとも、決して浅くない傷を増やしていった。苛立ちから一人の屍兵の頭を剣で叩き割った瞬間、口が微かに動いているのが見えた。
「いぁい」
「いぁい……?痛い……?まさか、こいつら……!?」
金属の打ち合う音に紛れて聞こえてくる、屍兵達の呻き声に意味がある事に、ロスは気付いてしまった。
「こぉいぇ」
「うぅいぃ」
痛い、殺して、苦しい。自我も理性も無いに等しい不完全な者達が、記憶に残された言葉でもって、苦しみを伝えて来たのだ。ロスは気が狂いそうだった。気付かなければ良かった、しかし気が付いてしまった。血に滲む涙を流し、雄叫びと共に剣を大きく振り払う。屍兵数名の首がまとめて飛んだ。首が飛べば声は出なくなる。それでも、彼らの口は動いていた。
「鉄腕、俺は貴様を絶対に許さんぞ……!」
屍兵に囲まれ、囲んだ屍兵をさらに乗り越えた者達に飛び掛かられ、剣から槍から切っ先が伸びてくる。鎧も鱗も食い破り、鋭さよりも抑制のない力で強引に突き刺さる刃は、ロスの命脈を次々と断ち切っていった。金属が食い込み、冷たく痺れる感触と共に、熱を帯びて命が流れ出す。
視界が霞み、力が抜け、音という音が聞こえなくなるまで、ロスは立ち続けた。屍兵の苦しみも、もう聞こえない。その間に、ニック達本隊は遥か後方に逃れていた。
ニック達は数刻に渡って後退を続け、演棋平原から離れた小さな砦に入った。概ね三〇〇人の収容が限度のため、重傷者を優先して砦に入れ、ほとんどの兵は砦の外に陣を張った。幸い、付近に農村でも用いている川があるため、水源には困らなかった。
「ここにいるのは、一二〇〇です」
「八〇〇もやられたのか……コンラッドとロスの姿が見えないが、どうした?」
「コンラッド様は重傷を負われ、魔法兵により治療中です」
「ロスは?」
ニックに尋ねられ、副官は口ごもった。ロスが如何なる意図で殿を引き受けたかを知っているのはコンラッドだけで、その彼も他の兵を生かすために重傷を負っている。副官の態度に、ニックは何かを勘づいたようだった。そして、割って入った声に、それは確信となる。
「ニック様を逃がすために殿を買って出たと思わしき、トカゲ亜人の死体がありました」
声の主はシャーリーンだった。突然の来訪に驚きつつも、ロスの死のショックの方が大きかった。
「そうか……ところで、何故あなたがここに?」
「ギルド長ガロンドより命を受けました。ナーウィンと狩猟ギルドは復興のために兵や物質を出す事は難しいが、私だけでもニック様のお役に立てと、」
「ガロンド殿が……分かった。状況が状況だ。色々と動いてもらうぞ」
「元よりそのつもりです。何なりとお使い下さい」
相変わらず動じない、というより冷淡な印象さえ覚えるシャーリーンだが、今のニックにとっては丁度良かった。決して楽観視出来る状況ではない。感傷に浸るより先にやるべき事が多い今、平静を保つには彼女のような人材が必要になるのだ。
「敵が追撃してくる可能性は高い。負傷者の治療は止血と鎮痛、最低限歩ける程度を優先せよ。日が落ちたら篝火を絶やさず、警戒を強めるよう伝えよ。交替で休憩させ、少しでも体力の回復に努めよ」
「はっ」
「シャーリーンは定期的に偵察飛行を行ってくれ」
「分かりました」
ニックは指示を出し終えると、階下の大部屋に向かった。重傷者が所狭しと並べられ、血の臭いと痛みからの呻き声に、気が遠くなりそうになる。ふと足元を見ると、布が巻かれた腹を真っ赤に染めた兵士が、ぴくりとも動いていない。治療に当たっていた魔法兵が駆け寄ると、首を小さく横に振った。
「元々、腹をやられてました」
「そうか、手が空いたら葬っておくように伝えよう。ところで、コンラッドはいるか?」
「はっ、奥の方に」
動かなくなった兵士に冥福を祈ると、ニックは他の者の邪魔にならないよう気を付けながら、部屋の奥へと向かった。コンラッドは敷かれた布の上に座れる程には動けるようだった。足も折れておらず、腕も異常はなさそうだった。しかし、顔に目をやった途端、ニックは言葉を失った。
「なんて顔してんだよ、オレの目ン玉一つで百人は救えた。そう思っておけば儲けもんさ」
コンラッドは左目に掛かる布が巻かれており、その眼窩は赤黒く乾いていた。屍兵の剣の切っ先が、バイザー越しに飛び込んで来たとの事で、その際の攻防で多くの兵が逃げ出せていた。彼を救出したのはハンスで、単騎で飛び込んで数十名の屍兵を焼き払ったという。
「……ロスさんの事なら、悪く言ってやるな。あの人は、お前達を逃がすために最善の一手を選んだ。結局、オレも残るべきだとか思っちまってこのザマだが、後悔だけはしちゃいない」
「分かってる。すまなかった、コンラッド」
「お前のせいじゃない。誰もあんな手を思い付くわけねぇよ……」
悔やむような表情を浮かべるニックに、コンラッドはそれを諫める。一〇〇〇を超える人数を指揮する人間が、動揺を見せてはいけない。残された右目が放つ光は、声に出さずともその意思をはっきりと伝えていた。ニックもそれを受け取ると、努めて冷静に呼吸を整え直し、状況だけを伝えて大部屋を後にした。
「追撃したい所ではあったが、思ったよりも消耗が激しいな」
ベクォン軍はロスやコンラッドの奮戦により足止めを食った後、屍兵の維持という問題に直面していた。『流れる銀』は輜重数台分の壷に入れてきた。しかし、二〇〇〇近い屍兵を長時間維持するには、決して十分な量とは言えなかった。流石のラリーも計算外だったようで、顎鬚を撫でながら考え込む。
「困っているようだな」
「ダゲアマ辺境伯ですかな」
日が傾き、東から群青の宵闇が塗り広げられる。その闇から浸み出るように、黒衣の老人が現れた。王妃サラの父、ラウル・ダゲアマであった。旧キトリヤ領の辺境伯という事になってはいるが、その正体はモノゲア帝国の工作員である。ラウルは南西を指差した。沈みゆく朱の空に、ビルカ山岳のシルエットが映っている。
「ビルカ山岳には、こちら側からも幾つかの鉱山跡地がある。魔晶石こそ掘り尽くしたが、『流れる銀』はまだ残っているはずだ」
「ここからですと、往復で二日ほど掛かりますな」
「心配はいらぬ。わしの術で運んでやろう。空の壷を輜重に乗せておくのだ」
「はっ、ありがとうございます」
「良いか、必ずニックを討ち取れ。王位継承者をグレンにするのだ……」
ラリーの返事も待たず、ラウルは闇へと溶けていった。清水の月に吹く風はまだ冷たく、春には程遠かった。
大陸暦六一六年、清水の月新月の日―
ニバラク侯爵領の通称・演棋平原にてハーム軍二〇〇〇とベクォン軍二〇〇〇が激突、ハーム軍優勢だったが、ベクォン軍の罠により八〇〇を失い後退。第二王子ニックにとっては初となる事実上の敗北。
ハーム王国軍記『ハロルド三世治世の時代』より




