第六十一話『見えざる敵』
大陸暦六一六年、破魔の月上旬―
港湾都市アギラを奪還せんとして、オーク勢による襲撃は十日の間に三回を数えた。しかし、いずれも一〇〇〇に満たない戦力に過ぎず、上陸戦で数こそ減らしたものの、未だ一五〇〇近い兵力を有するパッテン陸軍の敵ではなかった。
「確かに戦果は上がっている……が」
「気になる点があるのですか?」
「あぁ、どうしても戦車や馬が消耗する。オークどもの総数がどれほどか分からんが、このまま続けばジリ貧になるな」
副官からの報告を受けたパッテンの表情は、決して明るくなかった。矢傷が治りきっておらず、フロリナに出撃を固く禁じられている老将の苛立ちは、些細な損害でさえ戦果に満点を出せなくなるほどであった。アギラ解放の際は、軽戦車を二割以上喪っても笑い飛ばしていたが、今では戦車一輌の車輪が欠けただけでも眉間に皺を寄せる有り様だった。
居合わせたマルキヤもフロリナも、いつその苛立ちが爆発しないか気が気でない。その時、伝令が慌ただしく駆け込んできた。
「申し上げます、ボートミールより伝書竜による連絡が入りました」
「内容は?」
「アギラ復興のための人員と資材、食糧と補給物資を載せた輸送船を出したそうです。日付から見て、一両日中には到着すると思われます」
それを聞いて、パッテンは幾分か機嫌を良くしたようだった。ドスの効いた声が多少なりとも柔らかくなり、副官含む場の全員が胸を撫で下ろした。
「しかし、陛下も話が分かる。後はこの傷さえ治れば、我が軍の勝利は揺るぎないものとなるな」
「もう数日、安静にしていただければ治るでしょう」
奮い立つパッテンに、フロリナがそれとなく釘を刺しておいた。
数日後、見立てから少し遅れてアギラに到着した輸送船は、伝令からの連絡よりも少ない数であった。辿り着けた船も、砲弾などによる損傷が見られた。
「これはどういう事だ。誰か事情を説明出来る者はいるか?」
使えそうな物資を陸揚げするために慌てて飛び出したパッテンに代わり、マルキヤが船団の指揮官を探していた。四半刻ほど探し歩いて、違和感の正体に気が付いた。船団の護衛と指揮に就いているはずの軍艦が見当たらない。十隻近い輸送船を送ってくるのだから、少なくとも一隻は完全武装の船がいるはずだ、マルキヤが右往左往していると、アンドリューが駆けつけてきた。
「父上、大変です。輸送船を指揮していた砲艦マハナムをはじめ、九隻のうち五隻が撃沈されたとの事です」
「撃沈だと?」
「はい。難を逃れた輸送船団は一度南に舵を取り、それから相談の上でこちらに来たそうです」
「……船には砲弾の直撃が見られたものもある。それなりの数の砲艦に襲われたと見てよいだろう」
マルキヤは苦虫を噛み潰したような顔で、西海岸から広がるビアイキ湾に目をやった。
「マハナムの艦長は、父上と同期でしたね」
「あぁ、士官学校からの同期だ。船乗りの家の生まれだからな、艦と共に沈んだだろう」
軍に属し、戦の渦中にある以上、知った顔の死傷は少なくなかった。事実、長男のホレイショは過去に負った重傷で、体の半分がまともに機能しないほどの後遺症が残っている。他にも、士官学校からの顔見知りの死傷者は両手で数えても足りない。
半ば呆然と立ち尽くしていると、パッテンが大声を張り上げながら走ってきた。
「大変だぞマルキヤ!生き残った輸送船はほとんど人員しか乗ってない!」
「何、資材や食糧を積んだ船ばかりが狙われたというのか?」
「その可能性がある。しかも、乗ってた奴らも負傷者が多い!」
偶然か狙われたか、アギラに到着した輸送船四隻に乗っていたのは、復興や建設のための作業者を中心とした五〇〇人もの人員であり、彼らのための食糧や資材を載せた船はほとんどが沈められていたのだ。
「人だけが増えたとなると、食糧不足が懸念されるな。しかも、治療にも人手を割かれる」
マルキヤの脳裏を『撤退』の二字が過った。数月前、この街を放棄して避難民と共に脱出した事は、マルキヤにとって大きな汚点となっていた。今回は奪還のために大々的な編成まで行い、新兵器も投入しての大勝負に出たが、またもや失敗するのか-老将の背筋を、冷たいものが走った。
その時だった。パッテンに勝るとも劣らない声量が港の片隅から聞こえてきた。
「マルキヤ!すまん!俺としたことが!」
「レーミッツ、生きていたのか」
「正直、死ぬべきだったが……情けない事に、頭を打ってフラフラしてたら、船の板材掴んで浮かんでた。ついさっき流れ着いた所だ」
座乗していた砲艦の沈没と頭部強打、数日間に渡る漂流の直後とは思えないほどの強靭さを誇るこの男こそ、マルキヤの士官学校における同期だった。レーミッツと呼ばれた男はパッテンを前にすると、驚くほどの素早い所作で姿勢を正した。カッサーナ皇国の船乗りにルーツを持つ男で、焼けた褐色の髪を束ねた出で立ちは、水軍というより海賊を思わせる。
「パッテン将軍でありますね!自分は水軍砲艦マハナム艦長、カスケ・レーミッツであります!」
「チャールズ・パッテンだ。元気があってよろしい、良い同期がいるな、マルキヤ」
「あぁ、士官学校時代からの知り合いだ。しかし、よく生きてたな」
マルキヤの言葉に、自己紹介もそこそこにレーミッツは口火を切った。
「それだ。マルキヤ、俺に一隻貸してくれ。輸送船と大砲が三〇門あればいい。奴らに仕返ししてやらねばならん!」
「落ち着け、お前の艦は沈んだばかりだ。輸送船も改造だけはまだしも、乗員との連携や編成にも時間が掛かる。それに何より……」
逸るレーミッツをなだめたマルキヤだが、言い終わらないうちにフロリナが背後に回り込んでいた。
「生きていただけでも幸運、骨が折れていないのは奇跡。しかし、脳震盪を起こした上に打撲と捻挫と火傷、今すぐの出撃は認められません。艦長ほどの立場なら尚更です」
「な、なんだよこの女は!」
「すまん、俺様の姪っ子だ」
「軍医を勤めております、フロリナ・パッテンと申します。レーミッツ艦長、あなたは怪我人です。まずは治療が第一です」
レーミッツはフロリナから逃れようとしたが、後ろ手に締められた腕は動かなかった。無傷の箇所を押さえながら、下手に動かせば筋を捻るか傷口に障る。人体を知り尽くした所作だった。
「まぁ、そういう事だ。彼女はこのパッテンにも安静を強いるだけの力がある。逆らわない方がいいぞ」
「わ、分かった。奴らに関する話はする。だから離してくれ」
負傷と背後を取られた事を加えても、レッターに匹敵する筋骨隆々な肉体を押さえていたフロリナの腕力から解放されたレーミッツは、改めてマルキヤに状況の報告を行う事となった。
また後日、砲艦マハナムの乗員の生き残りが手漕ぎの短艇四艘に乗ってアギラに流れ着いた。
「敵は砲艦三隻を中心とした戦闘部隊、マハナムを二隻掛かりで撃沈後、輸送船二隻の撃沈と二隻の拿捕……か」
「俺様達が動いている時には姿を見せなかったな」
マルキヤとパッテンは机に海図を広げ、演棋の駒を置いた。砲艦に例えた騎兵一つに、輸送船に例えた歩兵が八つ。それを北北西の方角から騎兵三つが襲い掛かる。
「恐らく、砲艦一隻を確認して攻撃を仕掛けたのだろう。これに関しては策がある。それよりも、気になる事がある」
「なんだ?」
「残った輸送船が人員ばかりだった事だ。まるで、最初から物資や食糧を積んだ船を見分けていたかのような狙い方だ」
マルキヤの眼光が鋭くなり、合わせてパッテンの眉間に刻まれた皺が深くなる。王都の奥深くに忍び込んだ、見えざる敵の存在を感じずにはいられなかった。
大陸暦六一六年、破魔の月上旬-
海霧の向こうから、奴らは来た。幽鬼のような黒い船が船団に割って入って、大砲を撃ち鳴らした。霧が炎で赤く染まっても、奴らの船は黒かった。
生き残った輸送船の乗員の証言『破魔の月十三日』より




