第六十話『静と動』
大陸暦六一六年、破魔の月新月の日――
ニバラク地方は天聖節でも大規模な宴を催す事はない。祝いはするのだが、雪深い地の食糧事情ゆえに節度は求められる。今でこそ大きく改善されたものの、ハーム王国統一以前はしばしば冬季の食糧難に見舞われ、餓死者を出したりキトリヤ地方への略奪に走る事もあった。無論、それは向こうも同じ事だったため、両者の溝は常に深く刻まれていた。
「今冬は戦による消耗こそ激しかったものの、キトリヤ伯爵家に備蓄されていた食糧の放出を行う事により、ある程度の落ち着きを見せています」
「分かった。今は心配ないとは思うが、買い占めなどの不法行為が横行しないよう、注意を払うように伝えてくれ」
「はっ」
伝令を下がらせ一息ついたニックは、小さく切られた窓の外に目をやった。ルーテ城は王国統一以前より存在する古城で、戦と冬の寒さへの備えのため、ボートミール城やホツキネ砦と比べると窓が小さい。その窓の向こうからは白銀の輝きの欠片が射し込んでくるため、尚更のこと薄暗さを感じてしまう。
どれだけ暖を取っても拭いきれない寒さに、ボートミールの港から見る青々とした海を思い出していたニックの元へ、コンラッドが現れた。こちらは対照的に、勝手知ったるニバラクの冬という風情である。
「お疲れさん。しかし、天聖節だってのにご苦労な事だな」
「これでも内乱という戦の最中だからな。後であの伝令には手当てでも持たせておこう」
「お前もだよ、ニック。この雪では大きな動きは取れない。まぁ、この辺はあと三日はこんな具合だ。それと今日までが天聖節なんだし、ちょっとは気晴らしにでも出たらどうだ?」
コンラッドから見ても、ニックの表情は決して明るくなかった。一〇〇〇を超える兵の命を預かる責任感と先行き不透明な現状、そしてこの深い雪が彼の心に大きく影を落としていた。
「気晴らしと言っても、何がある?」
「ニバラク領民式の天聖節名物……聖降ろしだ」
「娼巡りじゃないか」
「なんだ、知ってんのかよ」
ニックの即答ぶりに、コンラッドは口を尖らせた。
「大臣やニバラク領出身の者から聞いた事がある。カッサーナ皇国の風習を真似たものだと」
「ちぇ、いい店に連れ出してから教えようと思ってたのに」
天聖節が数日ずれているカッサーナ皇国では、破魔の月二日に『ひめ始め』という風習がある。『ひめ』にはいくつかの意味が含まれるのだが、ニバラク領に伝わったのは『秘め』のみであり、その秘め事も夫婦間のものではなくなっている。ニバラク領民はその風習をさらに、天聖節で年越しのために高めた聖なる気質を落とし、凡人として始め直すためのものと解釈し、聖降ろしという名で広めたのだ。
要するに、縁起にかこつけて性的な接触を行うための方便である。
「悪いが、遠慮させてもらう」
「連れないなぁ、そんなんだから童貞なんだよ」
「王位継承者だからな、その辺はしっかりしておかないと拙いんだ。ニバラク侯とは違うんだよ、ニバラク侯とは」
ニックはやや強い調子で返した。ニバラク領民にとっては、こうした風習や催しで抱いた抱かれたの数で強さや地位が決まる風潮があり、その頂点たる侯爵家の者となっては、なおさら気合いを入れて臨まねばならなかった。こういう点が、ニックとコンラッドの大きな違いでもあった。
「それもそうだな……悪いな、ニック。だがオレ一人ってのも寂しいもんだ。ロスさんやコリンズにも声を掛けてみるよ」
そう言ってコンラッドが立ち去った後、ニックは再び窓の外に目をやった。相変わらず雪は降り続けており、全てが銀世界に埋もれてしまうかのように錯覚さえした。明朝から、また暗中模索の日々となる。アリシアからの手紙から読み取れる危機とも向かい合わなければならない。
せめて、今だけは――ニックは暖炉の火が弾ぜる音と窓の外に降る雪に、心を委ねていた。
同日夕刻、テーキス地方港湾都市アギラ近郊――
天聖節の祝いも終わり、明日からは再び戦の渦中に戻る事となったハーム軍の陣中は、慌しさを取り戻していた。オークやゴブリンには新年を祝う習慣が無く、天聖節であっても構わずに攻め込んでくる事を見越して、祝い事も控えめにして守りも万全にしていたのだが、飛竜騎兵による偵察でも動きは見られなかった。
「新年初の戦となるかと思ったが、奴らは俺様に忖度でもしたのか?」
「そんなわけないだろう。単純にこの街を取られた時の損害が大きく、再編と会議に追われているのだろう」
祝日であるにも関わらず、左肩の矢傷に障るからという理由で酒を断っていたパッテンに、マルキヤが呆れた様子で返した。二人は演棋盤を挟んで向かい合い、盤上の駒と睨み合っている。
演棋は起源不詳のボードゲームであり、一説によれば創世神話の時代よりあると言われている。六角形のマスを一辺六マスの正六角形状に敷き詰めた盤上に、役割の異なる駒を用いて敵将の撃破か敵城の陥落を目的とする。盤上に障害物を置かない標準的なルールは世界基準となっており、後の世では大規模な大会さえ開かれている。
マルキヤが歩兵の駒を進めた先で、パッテンは戦車の駒を並べて待ち構える。
「攻めてきたところで、俺様の戦車隊でもって出迎えてやる気だったんだがな」
「そういう事は、傷を治してから言って下さい」
粗方の傷が塞がったパッテンの左肩に巻かれた包帯を取り替えながら、女性軍医の鋭い指摘が刺さった。外見的には傷口は塞がっているが、中の筋や肉はまだ切れている箇所がある。術式でも、こういった内部の傷を癒すのは時間が掛かるのだ。
「フロリナちゃん、もうちょい優しくしてくれないかな?」
「陣中ではそのように呼ばないで下さいと、何度言ったら分かるんですか」
フロリナと呼ばれた軍医が、包帯を少しきつめに締め上げる。血流を止めない程度に加減こそされているが、どこか苛立ちを含んだ所作である事は誰の目にも明らかであった。
フロリナ・パッテンは将軍の姪にあたり、今年で二五歳になる。一般女性の平均的な結婚年齢が一七歳であるハーム王国において、フロリナは行き遅れの域に達していた。それも、本人の器量の良さとは裏腹に、パッテン家譲りの気性の荒さによるものであった。もっとも、本人はそれを何とも思っていないので、問題となる事はない。
「まぁ、それはさておき……だ。俺様の肩に刺さった矢尻は見たか?」
「あぁ、錆び混じりのボロボロな奴か」
「おう、そいつのせいで傷の治りが遅いんだがな、こいつがどういう事か分かるか?」
「……キトリヤ伯爵領からの物質の供給が追い付いていない、または途絶えているのだろうな」
マルキヤは盤上の歩兵を止め、脇から騎兵を動かしながら答えた。直進しか出来ない戦車の駒は、小回りの利く騎兵に弱い。対してパッテンは魔法兵を出して待ち受ける。盤上の戦線は膠着した。
「うむ。この盤上、俺様が我が軍だとすれば、お前の方は控えの兵が少ないと見ていいだろう。そして、これは膠着しているが、実際は違う。お前の艦隊が海沿いに控えてる」
「そうだな。砲艦と竜母の存在は大きいだろう。問題は、いつどちらが先に仕掛けるかだな」
パッテンは盤上とマルキヤの顔を交互に見た後、戦車の駒を前に出して歩兵の駒を取った。
「もちろん、こちらから出る。戦いは機動力だ」
二人の老将は黙って顔を見合わせると、この空気を笑い飛ばしていた。
演棋
正六角形のマスを、一辺あたり六マスで構成される正六角形の演棋盤にて、王城の駒を囲むか大将の駒を撃破する事を目的としたボードゲームの一種。
今日の世界標準ルールは盤上に障害物を置かないスタンダードタイプであるが、川で区切り橋を掛けたり、山でS字状に道を刻んだりした変則タイプの盤もある。用いる駒は、
各方向一マスのみ進める歩兵を六個、
二マス直進する戦車を二個、
二マスまで軌道を変えて進める騎兵を三個、
歩兵と同じ動きだが周囲一マスの通り抜けを妨げる魔法兵を二個、
二マス先まで飛び越えて進める飛竜兵を二個、
二マス以内のどこにでも動かせるが、取られたら負けとなる大将を一個、
動かせず取られないが、三個以上の敵駒に囲まれたら負けとなる王城を一個
となっている。
古くから王族貴族や軍人の間で流行して来た遊びとされ、大陸暦八〇〇年代の魔法文明時代の終わりごろに庶民にも広く親しまれるようになった。世界大会が開かれるようになったのは、大陸暦一一〇〇年代に入ってからとなる。
大陸暦一三六五年刊、世界のボードゲーム大百科『演棋のはじまり』より抜粋




