第五十九話『姉と妹と弟と』
大陸暦六一六年、破魔の月新月の日―
王都ボートミールは戦の渦中にありながらも、新年を祝うムードに包まれていた。
最高神ダレイオクが世界の創造を始めた人馬の月下旬から、終えた破魔の月新月の日にかけてを天聖節という。この日は天聖節の最後の日であり、世界に理をもたらした暦の始まりとされ、新たな年の門出を祝う日なのだ。
この日ばかりは国王ハロルド三世も憔悴から解放され、精力を取り戻した国王の顔を見せる、新年早々に青白い顔を見せては、勝てる戦にも勝てなくなる。
少なくとも、今は勝っていなければならない―サラは居並ぶ家臣に微笑みを向けながらも、その裏では黒々とした策謀を練り上げていた。
「ニックとミリアムがいないのが、こんなにも寂しいとはね」
「兄上と姉上は、本当に元気ですからね」
朝から続いた祝賀ムードも一段落し、バルコニーにて体を休めていたアリシアとグレンは、中二人の兄妹がいない城の侘しさを覚えずにはいられなかった。レッターとホレイショは大人の付き合いというものがある。グレンは空っ風の吹く東の空を見ていた。ニバラク侯爵領とは異なり、ボートミールは深い雪に包まれるような事はない。
「僕達のメッセージ、届いているのでしょうか」
「テーヴァが戻らない事を見ると、ミリアムを経由してニックの元へ向かっていると踏んでもいいでしょうね」
テーヴァほどの伝書竜でも、ボートミールからホツキネまでは三日、ホツキネからルーテまでは四日は掛かる。季節柄、さらに一回り時間が掛かると見て良かった。そこから帰ってくるとなると、さらに時間が掛かる。だが、グレンが意図していたのはそういう意味ではなかった。
ジリボンへの包囲網は徐々に狭まりつつあった。
キャシックはホツキネ砦の修復と街道都市ギネッシーオや付近の砦の防衛力強化に努め、西側からベクォン領に迫っている。ニックはニバラク領中枢都市ルーテを拠点に一〇〇〇から一五〇〇の兵を引きつれ、ベクォン領を小突いてはジリボンからの迎撃部隊を相手に戦闘を行い、実戦と訓練を繰り返して錬度を高めていた。
「パッテン将軍とマルキヤ将軍もアギラを解放し、テーキス地方奪還の拠点として荒れた市街地の片付けを行って入るそうですね」
「えぇ、オークやゴブリンの攻撃も受けながら、今のところ全て撃退しているようだわ」
グレンとアリシアが現状をまとめ上げる。これらに加えて、キトリヤ領での大きな政変が発生しており、新たな統治者を決めるための動きがある。ベクォン家との繋がりを断ち、独立したキトリヤ領―もっとも、キトリヤ伯爵家は既に取り除かれているのだが―は、テーキス地方のオーク勢への装備品や技術供与も止め、間接的ではあるもののハーム軍に協力していた。
現状ではハーム軍が優位に立ちつつあるが、決して楽観視出来ない案件があった。
「母上が話していた、ベクォン家の動き……これが未知数ですね」
「叔父様……ベクォン公がどのような手に出るか、と言ったところね。最も恐ろしいのは、モノゲアの手の者に操られる事、ただそれだけ」
歳の離れた長女と末弟は、自身を取り巻く情勢の悪化を懸念しながら、出来る限りの手段でもって応じねばならなかった。
同日、ビルカ山岳街道都市ギネッシーオは新年の祝いで一色に染まっていた。
平時の頃よりベクォン領とホツキネやジョクトーを繋ぐ街道の宿場町であり、ビルカ山岳の入口である事から人の往来は活発で、この内乱の状況下にありながらも、時節の祝いが欠かされる事は無かった。
天聖節に備えて外観の刷新を行ってきた商店には、新年祝いの酒や菓子が並んでおり、行き交う人々の表情も明るかった。
「やっぱり、街の祝いの方が楽しいですわ!」
「へぇ、お城での新年は退屈なのかい?」
昼も過ぎてしばらく経った頃、兵舎に戻ったミリアムとエリスは、市井の賑わいを楽しんで来たようだった。冬の寒さと祝いの熱気に当てられて、彼女の頬は赤く染まっている。
「それはもう、父上様はじめ将軍や高官の皆様が楽しんでいるだけで、女子供は下働きか手持ち無沙汰ですわ」
「じゃあ、こういうのは初めて?」
「いえ、ずっと昔、母上様がこっそり城を抜け出して、私と兄上様と三人でボートミールの新年祝いに行ったそうですわ。私はその頃一つか二つでしたので、ほとんど覚えてませんが……」
「その母上ってのは、マルシア妃かい?」
「えぇ、叔母上様に王妃の身代わりをしていただいて、出てきたのですわ」
ミリアムの言葉にエリスは苦笑し、親が親だったわけだと口中に呟いた。
「私にとって、母上様との思い出というと、それくらいですわ。あの街の賑わいと母上様の温もり、それだけははっきりと覚えたてますわ」
母の背に負われた子の姿を思い出し、ミリアムは感慨深げに言った。その顔を見て、エリスは一抹の不安が過る。
「……姫様、大丈夫なのかい?敵はマルシア妃を生き返らせたって言うじゃないか」
「この目で確かめたわけではありませんから、断定は出来ませんわ。姉上様やグレンを疑うわけではありませんが、聞かれている事を知られた上で偽の情報を掴まされた可能性もありますし」
ミリアムはテーヴァが持って来た手紙を見た時、別段驚いた素振りは見せなかった。動じていないのか平静を装っているのか、あるいは信用していないのか―それはエリスの目をもってしても判別出来なかった。
「それに、母上様を術式で蘇らせたというのでしたら……対処出来るのは私だけですわ」
揺るぎないミリアムの視線に、エリスは気圧された。曲がりなりにも修羅場を潜ってきた自負があるだけに、未だ世界を見ていないお姫様と思っていたミリアムの目に宿ったハーム王族の力強さに面喰ったのだ。
気を取り直して兵舎の食堂に入った二人の目に映ったのは、酒の席で向かい合うキャシックとガイラーだった。
「ガイラー、もう一杯どうだ?」
「いや、もう止めておく。明日からまた忙しくなるからな」
「そうだな、私もそろそろ気を引き締めねばならん」
新年の祝い酒は麦酒で迎えるのがハーム王国の一般的な手法であり、二人もそれに倣っていた。既に瓶は数本空けられており、朝の祝辞よりさらに飲み耽っていたようだった。
「それじゃ、この杯はあたしが貰うとするかね」
エリスはキャシックの手に残る杯をひょいと取り上げ、残った麦酒を飲み下した。呆気に取られつつも、仕方ないとばかりに彼女の悪戯っぽい顔を見上げたキャシックは、ガイラーが持ってきた酔い覚ましの水に手を付けた。
「そういえば、ガイラー様はキャシック将軍の弟でありましたわね」
「えぇ、まぁ」
いささか要領を得ないガイラーの返事に、ミリアムは頭に疑問符が浮かぶ。そういえば、この二人は毛色も耳の形も似ていない。キャシックは金毛に垂れ耳だが、ガイラーは深緑の毛に立ち耳である。
「似ていないでしょう。私は先代キャシック侯爵と使用人との間に生まれた子でしてね。この毛の色も耳も、母に似たのですよ」
「父、先代侯爵はガイラーが胎にいた頃、母親に暇を言い渡したそうです。私達が兄弟だと気付いたのは、父が母親に養育費代わりに持たせていた指輪でした。今ではガイラーもキャシック姓を名乗る事は許されたものの、一族として認めているのは私くらいです」
「そう……ですの……」
ミリアムは腹違いの兄弟を交互に見た。顔は似ても似つかないが、滲み出る気高さは通ずるものがある。
「ミリアム様、腹が違うからとて、同じ父の子である事に違いはありません。アリシア様やグレン様を、信じて下さい」
キャシックの言葉に、ミリアムは心の内を見透かされたような気分になった。手紙の件は、鵜呑みにしてはいけないという点に加え、心のどこかでグレンへの不信感があった。日が改まれば、再び戦の空気に包まれる。内外の敵と戦うためにも、せめて身近な者と兄弟姉妹だけは信じねばならないと心に刻むのであった。
天聖節
国や地域によって若干の差異はあるものの、概ね人馬の月下旬から破魔の月初旬のうち七日間にまとまっている。ハーム王国は人馬の月二十五日から破魔の月一日とされている。
大陸暦二〇〇年ごろから始まった文化とされているが、一二九七年の調査隊の研究によると、大陸暦制定以前にも似たような祝祭の節があり、関連が調べられている。
一般的に、天聖節は創世神ダレイオクと六大神及び眷属に、神々の創った世界が繁栄している事を示すため、祭や宴でもって神々を労うとされている。
小中学生向け歴史資料集『天聖節のはじまりと現在』より抜粋
余談だが、世界的に乙女の月から天秤の月にかけての出生数は多い傾向にある。




