第四話『モーギナス灯台攻防戦』
大陸暦六一五年、双生の月上旬―
レッター将軍率いる五〇〇名の軍勢が、モーギナス灯台奪還のために王都を発った。消耗品を満載した輜重が離されないように進軍の速度を合わせるため、到着に約半日を要した。それでも、灯台奪還に必要な兵力を最大限の早さで運用するための調整は為されている。
「魔法兵は魔晶石の補充を受け、呪文詠唱の準備に取り掛かれ。弓兵と歩兵は防壁の構築後、攻撃準備を行え。それから……偵察に出る。騎兵を数騎付けてくれ」
レッターは兵に陣地の設営を命ずると馬にまたがり、護衛の騎兵を連れて偵察に繰り出した。岬の突端に建てられたモーギナス灯台は、平時の開かれた面影などなく、補修用の資材を用いて作られたバリケードによって閉ざされている。上階の回廊の窓には弩を構えたオークの姿が見え隠れしていた。
「なるほど、これは骨が折れそうだな」
戻るぞ、と手で合図を送ると、レッター達は陣地に引き揚げていった。
その様子を眺めていたオークのリーダー格は、全員集合するよう指示を飛ばす。程なくしてオーク、ゴブリン、魔狼により構成された三八名の軍勢とも呼べないほどの小規模部隊が一階のホールに集められた。
「皆、聞け。人間の軍は我々を叩くためだけに少なくとも五〇〇を動員した」
リーダーの言葉に、居並ぶオークやゴブリンからどよめきが起きる。勝てるのか、冗談じゃない、口々に不満が飛び出していた。
「言いたい事は分かる。俺も正直、この作戦にどれほどの意味があるか分からない。もしかしたら、人間の出方を探るための当て馬に過ぎず、我々は捨て駒である可能性も否定出来ない」
「それでは、何故あんたはこの作戦を承諾した? あんただって死にたくはないだろう」
体格の大きいオークがリーダーに詰め寄る形で言った。リーダーは少し黙ってから、そうだと返した。
「だが、我々の行動により、人間どもは疑心暗鬼に陥る。いつ、どこに我々の目が光り、爪と牙がその脆い体を引き裂くか分からなくなる。我々がここで果てようとも、呪いのように残り続けるのだ。それに、我々は四〇に満たない寡兵ではない。皆に三つずつ持たせた魔法の小瓶があるだろう、それが鍵だ……」
リーダーが腰のベルトに下げていた小瓶を取り出し、説明に移ろうとした時、灯台の外からときの声が響いてきた。リーダーは軽く舌打ちすると、手早く説明した。
「時間がないので手短に言おう。この小瓶には粉と水が分けて入れてある。使う時はこいつを床でも壁でもいいから、叩き付けて割れ、以上だ」
魔法兵が杖の先端に魔晶石の入った筒を取り付け、詠唱された呪文により起動させる。筒の蓋に取り付けられた水晶が赤く輝き、戦闘準備の完了を告げた。
弓兵は足元に突き立てた矢を取り、弓に番えては弦を引き絞る。
歩兵は横隊を組んで盾と槍を構える者と、梯子や鈎縄を用いて剣で武装した者、破城槌で扉の破壊に掛かる者に分かれて待機する。
あとはレッターが右手を上げ、旗が振られ、ときの声が上がれば作戦開始だ。
「勇敢なるハームの兵よ、今この国難を打ち破れるのはお前たちだけだ! 進め、攻撃せよ、我が国の光を取り戻せ!」
レッターの言葉と共に旗が大きく振られ、五〇〇名の兵士が一斉に声を張り上げる。
弓兵が一斉に矢を放ち、灯台の上階の回廊に矢が殺到する。ゴブリンの射手は壁や柱に身を潜めてやり過ごすが、隠れそこなった者が針鼠のごとく矢を突き立てられて死んだ。弓兵の矢が一度止むと、今度は灯台からの反撃だった。弩を構えたゴブリンは二〇名が生き残っている。速度も貫通力も段違いの弩から放たれる矢はハーム軍の楯を割り、鎧を貫く。鉄兜ごと頭を貫かれた弓兵が仰向けに倒れ、血と脳漿で地面を染めた。
「怯むな! 魔法兵、炸裂火の術式を撃ち込め! 歩兵隊は前進せよ!」
魔法兵がかざした杖の水晶が一際輝きを増し、放たれた火の玉は緩やかな放物線を描いて回廊に飛び込む。柱の影に隠れていたゴブリンの目の前に、火花を散らした高熱の玉が飛び込んでくるや否や、その場に居合わせた誰もが大きく飛び退き、床に伏せては頭を押さえるように抱え込んだ。灯台に灯が点ったかと思うほどの光が溢れ、遅れて爆風が吹き出る。次から次へと火の玉が撃ち込まれ、炸裂する様は戦闘というより私刑に近かった。
「歩兵隊、梯子を掛けろ! 破城槌でバリケードを壊せ!」
レッターの声と共に旗が振られ、歩兵が前進する。弓持ちのゴブリン達は、雨あられと降り注ぐ矢と炸裂火によって動きを封じられ、迫る歩兵に対してまともに撃ち返す事も出来なかった。
「おい、どうすんだよこれ!?」
「このままじゃただのなぶり殺しだぞ!?」
身を伏せ、少しでも攻撃から逃れようと体を縮こまらせたゴブリンが叫ぶ。やっぱり、あのリーダーは駄目だったんだ、そう言い掛けたその時、一人のゴブリンが腰に当たる感触を思い出した。
「そうだ、これ。この小瓶、あいつが叩き付けて割れって言ってた!」
中身は確か粉と水、生地でもこねるのかと言われそうな物だったが、ゴブリン達は言われた通りに床に叩き付けた。中身の粉が水に触れて反応し、水は粉を溶かし込んでみるみるうちに粘り気を増し、人間の頭ほどの大きさの粘液塊となった。半透明の暗緑色の中に、握り拳大の核が浮かんでいる。
「こいつは…スライムか!」
ゴブリンの声に、スライムはふるふると反応する。動物を操るハンドサインにも応じる程度の知能はあるらしい。その時、ハーム軍の歩兵が数名、梯子を登り切って突入して来た。
「よし、行け!」
ハーム兵に飛び掛かったスライム達は装備品にまとわりつくと、革製の靴やベルトを溶かし、金属製の鎧兜を腐食させ始めた。スライムに取り付かれた兵が悲鳴を上げ、パニックに陥って回廊から飛び降りてしまった。その光景を目の当たりにした別の兵士が、呆然としている間に鎧の中にまでスライムの侵入を許していた。
「スライムだ、スライムが鎧の中に!」
鎧の隙間から衣服を溶かされ、素肌にまで取り付かれた兵士がのたうち回る。強酸性らしいスライムの溶解は止まることを知らず、兵士の体の穴という穴から侵入して中身を食い破っていた。呆然とするハーム兵の後ろから、梯子で上ってきた後続部隊がつっかえる。だが、その頃には勢いを盛り返したゴブリン達の反撃が迫っており、いくつかの梯子が兵士もろとも外され倒された。
「よし、今のうちに態勢を立て直すぞ。死んだ奴の持ってるスライムも全部出せ。敵の矢はスライムで防げるはずだ」
ゴブリン達は次々と小瓶を割り、スライムを開放した。瞬時にして展開した五〇体以上のスライムはハーム軍の寄せ手を追い返すと、飛んでくる矢に対して鉄壁とも言うべき楯となった。弓兵の放った矢は粘性の液体を貫く事が出来ず、魔法兵を頼らざるを得ない。流石のスライムも、火の術式を浴びればただでは済まない事は、その場の誰もが知っている。
「隊長、小瓶の中身がスライムだって事は分かったし、数の不利が幾らか補えるってのも分かる。だが、敵には火の術式を使う奴がいる。そいつにはどう対処するんだ?」
「心配いらん。建材でバリケードを作る際、この魔晶石を入れていた。機動条件は……奴らの接近だ」
部下の懸念に対し、オークのリーダーが取り出して見せたのは、琥珀色の魔晶石だった。一切の角がない丸みを帯びたその石が秘める魔力は、ゴーレムの核となる力だった。
「バリケードが……ゴーレムになった!?」
「魔法兵をこっちにも回してくれ!」
バリケードと扉の破壊のため接近していた部隊の目の前で、建材を組み上げただけの簡素な障害物が、琥珀色の輝きと共に立ち上がり、ゴーレムとなって襲い掛かってきたのだった。魔法兵の装填は弓兵と比べると格段に遅く、しかも回廊の弓兵を相手にする分も必要なので、十分な戦力を回せない。石材と木材の混成ゴーレムは、その腕一振りで十人近くのハーム兵を吹き飛ばした。剣も槍も大したダメージには至らず、返す拳は盾も鎧兜も押し潰す。まさに怪物だった。
「くそっ、奴らはこんな用意周到だったのか……!」
レッターは苦虫を噛み潰したような顔でうめいた。そして、灯台のある崖の下を一艘の小舟がひっそりと進んでいる事に、誰も気付かなかった。
大陸暦六一五年 双生の月上旬
戦に出る日の朝というものは、ひどく緊張する。何十年経てどこれは治らない。
―『紅魔将』アーバイン・レッター将軍のつぶやき




