第四十八話『誇りと言い訳』
大陸暦六一五年、天秤の月下旬―
キトリヤ軍は二進も三進もいかない状態に陥っていた。再三に渡りナーウィンを攻めたが、兵力差が縮まっていた事に加え、士気は水を開けられていた。矢は尽き、投石器は壊れ、兵糧も帰りの分さえ残っていない。なんとしてもナーウィンを陥落させ、食糧を奪うほか無い状態ではあったが、捕虜兵を加えた守備隊は段違いの強さを見せつけた。
ここに来てようやく、ライネルは自分が戦ったナーウィンの守備隊が、弓の心得がある民や狩人を兵に偽装させていた事に気が付いた。そして、自分達の後方を突いて夜襲を仕掛けてきたハーム軍こそが、敵の本隊だという事にも-
「補給は何故来ないのだ……!兄上に伝令を飛ばしても、なしのつぶてではないか……!」
天幕にて拳を机に叩き付け、ライネルは憤慨を露にした。いくら兵を鼓舞して見せても、足りないものは足りないのだ。
物資の補給や援軍の要請は、緒戦の翌日から送っていたし、そうでなくとも三日に一度は補給を受けられるような態勢になっていたはずだった。それが、十日近く経っても兵の一人、パンの一つも送られて来ない。時折、近くに迷い込んだ鹿を狩る事もあったが、その程度で一五〇〇の兵の腹を満たす事など出来なかった。
「今一度、兄上に使者を出せ。このまま我らを飢え死にさせる気か、と告げよ」
「待ちな」
ライネルを止めたのはブブシャシャだった。オーク勢は既に半数を失い、残りも負傷者多数な上に士気はかなり低い。彼とニックの一騎打ちを妨害した事を根に持っている兵も少なからずいる。
「今から使者を出しても、森と敵に囲まれたこの状況では、早馬を飛ばしてもルーテまで三日は掛かる。そこから補給部隊を編成して送ってくるとなれば、さらに倍近い時間が掛かろう。それまで持つか?」
「何が言いたい」
「一度引いて態勢を立て直し、軍を再編するべきだ。夜襲をしてきた数から見て、東側の囲みはそこまで多くない。損害は出るだろうが、ここで乞食の如く飢えて震えて惨めに死ぬよりはマシだ」
ブブシャシャの言葉に、ライネルの怒りは益々ヒートアップした。
「貴様ッ!このキトリヤ伯爵の弟であるこの私が、乞食のように死ぬだと!?」
そうだ、ときっぱり返したブブシャシャに、ライネルは誰の目にも分かるほどにまで顔を紅潮させた。怒髪天を突くという言葉は、今この男のためにあるようなものだった。
「戦果の一つも挙げずに下がれるか!残った戦力全てをかき集めて、明朝ナーウィンに総攻撃を掛ける!これは決定だ!」
ライネルが戦果に固執しているのは、ひとえにキトリヤ伯爵家の者であるという誇りゆえだった。百余年前に統一されたハーム王国において、建国当初より北東の雄とされてきたキトリヤ家。その名を冠する者でありながら、大半の兵を失ったはずのニバラク軍の、しかも狩人や民間人が主立って立て篭もる砦一つ落とせないとなっては、自分どころか兄の顔にまで泥を塗る事になる。
しかし、誇りで腹は膨れぬし、物資の代わりにはなり得なかった。
ライネルの天幕から戻ったブブシャシャは、憮然とした態度で幕舎に戻り、腰を下ろした。様子が気になった部下のオーク達が詰め寄る。
「隊長、どうでした?」
「どうもこうもない。連中は明朝、ナーウィンに攻撃を掛ける」
「そんな、勝てっこない」
「ただでさえ頭数が半分になっちまったし、まともな飯さえ食えなくなってる。矢だって残りわずかじゃねぇですか」
オークの小隊長は口々に言った。彼らの一人一人も、さらに十数名のオークやゴブリンを配下に持っており、士気の低下や統率の乱れは深刻なものとなっていた。ブブシャシャがリーダーでなければ、とうの昔に空中分解していた程である。
「だが、我らは雇われた。雇われた以上は仕事をしなくてはならん。しかし、だ」
鼻息を荒くするオーク達を手で制しながら、この優秀なリーダーは付け加えた。
「明日の戦いで成果を出せなければ、我は奴を殺す。無能な者は上に立ってはならない、そうだろう」
その言葉に、オーク達は大きく賛同したが、声を荒げないように手で制された。
オークやゴブリンの社会は、人間や亜人のそれと比べて遥かに実力主義で、弱肉強食的な風潮が強い。それゆえに力―必ずしも武力とは限らない―を示せば従う事も少なくないが、その力が失われれば即座に瓦解し、次の力ある者に取って変わられる。
五〇〇ものオーク勢を率いるだけあって、ブブシャシャの武力と知力、そして慧眼は群を抜いていたが、この時ばかりは一手遅かった。
翌朝、ナーウィンの東門側に押し寄せたキトリヤ軍は、先発隊中央にオーク勢、その両脇をキトリヤ兵で固め、ライネル率いる後発隊はキトリヤ兵を中央に、傭兵隊で両脇を固めていた。前進を知らせる太鼓が鳴る。
「進め!今日こそナーウィンを攻め落とせ!」
キトリヤ軍一五〇〇が、ナーウィン東門に総攻撃を掛けた。守備隊は敵が北門に回って来ない事を察すると、ありったけの兵力を東門に集めた。幾度と無く行われた攻撃で逆茂木は失われ、堀は役目を果たせず、防壁は投石で孔だらけになっていた。門扉も破城槌で突かれた痕が痛々しく、いつ破られてもおかしくない。両者とも必死だった。
「来やがれキトリヤの間抜け共!好きなだけ矢を食らわせてやる!」
守備隊からの矢は威力も狙いの正確さも、飛躍的に向上していた。捕虜兵が戻って来た事に加え、狩人や民の弓の腕もさらに磨きが掛かっていた。オーク勢は突撃隊として盾を構えながら前進し、門や壁に取り付こうとしていた。
矢の雨を避け切り、壁にまで辿り着いたオークの一人が振り返ったその時、異変に気付いた。キトリヤ軍からの矢の援護が無かったのである。確かに物資は底を突きかけていたが、ここまででは無いはずだった。無くなっていたのなら、そもそも攻撃なんか仕掛けない、そう思った矢先、飛来した矢が彼の喉を刺し貫いた。
「なんだ!?」
キトリヤ兵はナーウィン守備隊の矢を楯で防ぎながら、突撃しているオーク勢に向かって矢を射掛けたのだ。守備隊の兵から見ても、背中に不自然な矢を受けて倒れるオークを見て、どよめきが上がる。
「隊長!キトリヤ軍の奴ら、俺達を……!」
ブブシャシャに異変を伝えようとしたオークが倒れる。しまった、自分の判断の遅れを悔やむより早く、矢が殺到する。振り向いた体の正面におびただしいほどの矢を受けながら、ブブシャシャはキトリヤ軍を睨みつけ、地に膝を突く事なく息絶えた。
最期に垣間見たのは、モーギナス灯台の占拠に出撃した弟と、母の慈愛に満ちたポーリャの手招きだった。
「オーク勢の全滅を確認しました」
「よし、全軍に伝令、引き揚げだ。作戦中に突如としてオーク勢より離反され、やむなく討伐……これで良い。軍にオークを加えるよう言ってきたのはベクォンの者だ。キトリヤ軍は厄介者を押し付けられていたのだ……そうだ、そうなのだ」
ライネルは、自らの力不足ゆえの撤退の言い訳にオークを利用した。
足早に後退してゆくキトリヤ軍を、ナーウィン守備隊は不審以外の何物でもない目で見送る。結果としてナーウィンは守られたが、そこには勝利も敗北もない、気まずさだけが漂っていた。
大陸暦六一五年、天秤の月下旬ー
キトリヤ軍が去った後、一際大きなオークの目を閉ざしてやった。俺達を苦しめた奴らだが、こんな終わり方があっていいはずがない。
ナーウィン守備隊として戦っていた狩人の言葉『天秤の月二十八日』




