表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/107

第四十六話『予期せぬ援軍』

 大陸暦六一五年、天秤の月中旬―

 ニック率いるハーム軍によるキトリヤ軍陣地への夜襲は、大きな成果を上げていた。コンラッド隊による兵糧や物資の貯蔵庫への放火、ニック隊による兵の幕舎への攻撃とニバラク捕虜兵の解放は全て成功し、キトリヤ軍は多大な損害を被っていた。

 キトリヤ軍は昼間のナーウィンへの攻撃によって死者三五〇、負傷者八〇〇の損害を出し、投石器や輜重(しちょう)の破損もあった。魔法兵を多く用意出来なかった事もあり、治癒の術式による負傷者の治療には丸一日を要する。それを知ってか知らずか、ニックが兵の幕舎へ火を放ったのは絶大な効果があった。負傷者の大半が動く事もままならない状態で、炎に呑まれていた。


「味な真似をしてくれるねぇ、坊や」


 炎を灯りに、煙を遮蔽物にして陣取り、キトリヤ兵の迎撃とニック隊の退路確保の為に奮闘していたコンラッドの前に、ポーリャが現れた。急いで飛び出して来たのか、自慢の鉄鎚以外に武器はなく、防具も最低限の下着に鱗甲鎧という出で立ちである。


「昼間の戦で息子を一人亡くしてね……ニバラク兵相手の戦死なら、まだ飲み込めたさ。肉食竜に食われたんだ。そりゃもう悲しくてね……そんな気分だってのに、好き放題やってくれるじゃないか!」


 悲しげな表情から一転、憤怒の形相で咆え猛るポーリャ。鉄鎚を構えたその姿は、炎を照り返して黄金色に輝いており、伸びる影はおぞましい悪魔の様相を呈していた。術式ではない、歴戦の勇者だからこそ出せる、気合いによる威圧だった。両軍兵士の動きが止まる。ポーリャの二人の息子さえ、本気になった母親の制止などという危険な考えには及ばない。


「こりゃ本気だな……だけど、ニックが戻るまでにやられるわけにはいかないんでね」


 コンラッドは襲撃用に持ち込んだ弓や荷物を手放し、腰の剣を抜いた。左の手先から肩口を守る蛇腹状の篭手と相まって、その姿は古代の剣闘士を思わせる。


「これでも、ナーウィン狩猟ギルド公認の二ツ星だ。狩りと戦は違うが、やってやるさ」


 コンラッドは手甲に刻まれた刻印を見せた。狩猟ギルドには、狩人の知識や実力を証明するためのランク制度があり、彼は数の多い一ツ星よりも抜きん出た実力者である。ちなみにシャーリーンは三ツ星、マーティーは四ツ星、ガロンドは最高位の五ツ星である。

 二つ並んだ星を認めたポーリャが、鉄鎚の柄を握り締める。担ぐように構え、力強い踏み込みと共に間合いを詰める。鈍重な印象を与える姿とは裏腹に、その力を相手にぶつけるために充分な俊敏さをも併せ持っていた。鉄鎚が振り下ろされる。肉食竜の頭蓋さえ叩き割る一撃に、人間が耐えられる余地はない。


「いきなり大振りとは驚いたが、その速さなら確かに初手になり得るな」


 大きくポーリャの左側に跳んだコンラッドが返した。大振りを避けたからと言って、すぐに懐に踏み込むような事はしない。威圧でこちらの回避を誘発し、大振りと見せかけて次の動作に移れるように構えていた可能性があったからだ。だが、鉄鎚を振り下ろされた地面が大きく抉れているところを見ると、本気の大振り一発で片付けるつもりだったらしい。


「相手を嬲るのは趣味じゃなくてね。それに、殺しそこなうと手痛い反撃を貰う」

「なるほどね」


 一言だけ返すと、今度はコンラッドが切り込んだ。篭手を突き出し、剣を担ぐ。鉄鎚を振り下ろす時間はない。ポーリャは鉄鎚の柄でコンラッドの打ち下ろしを受けた。並の人間には扱えない重さのヘッドを支える柄である。金属板でしっかりと補強されていた。


「読んでたぜ……!」


 コンラッドの狙いは剣による上段からの打ち下ろしだけではない。鉄鎚は片手では扱えない以上、防御にも両手を要する。がら空きになった腹目掛けて、左の拳を叩き込んだ。それもただの拳ではない、金属製の篭手で補強された拳は、重量も強度も大きく跳ね上がっている。

 だが、ポーリャの戦闘力を奪うだけのダメージには至らなかった。決して上物とは言えない鱗甲鎧の下には、白熊亜人の剛毛と皮下脂肪が備えられている。言うなれば、剛性と柔軟性に富んだ三重の鎧に守られているのだ。


「生憎だったねぇ、坊や」


 鉄鎚を手放したポーリャは、その腕でコンラッドの胴を包むように締め上げた。亜人とは言え、白熊の力で締め上げられている。コンラッドの骨は軋み、筋肉は悲鳴を上げた。本気になれば馬でも締め落とす事も容易な怪力に、意識が遠のき掛ける。腕は動くが力は入らず、剣を扱う動作さえ難しい。叫ぶどころかうめき声を上げるのがやっとな状況で、ポーリャの言葉が耳に滑りこんで来た。


「オバサンはねぇ、あんたみたいな勇ましくて、堂々とした男は大好きなんだ。それでいて若い。もしこんな状況じゃなければ、とっくに床に誘っていたよ……」


 ほとんど、呪詛の言葉に近かった。このまま締められ、骨が折れるか臓物を傷めるかで息の根を止められる、そう思って残された意識の糸を手繰り寄せて打開策を練るが、明確なビジョンは見えてこなかった。

 その時だった。


「な、なんだ?」

「こんな夜中に、太陽か?」

「違う、あれは人間だ、燃えている人間が浮いているんだ」


 ポーリャの気迫に手が止まっていた、両軍の兵士がざわめき出した。見上げた空には、甲冑を纏った人間の姿をした炎の塊が揺らめいている。狩人の森の亡霊か、という声にざわめきが大きくなる。とにかく不気味な光景に、誰もが平静を失っていた。


「何だい、いいところだってのに……」


 コンラッドを締める手を止めたポーリャが頭上に目をやると、その人型の炎は彼女に両手を向けていた。


「あれは……炸裂火(さくれつか)か!?母さん、逃げろ!」


 ゲオルギーの叫ぶ声がポーリャに届くのと、人型の炎から火の玉が放たれたのは、ほぼ同時だった。彼の言うとおり、降り注いだ火の玉は炸裂火の術式によるもので、着弾と同時に爆発、激しい火柱を噴き上げた。再びキトリヤ軍陣中はパニックに陥り、この夜襲を仕掛けたハーム軍の兵でさえ右往左往していた。


「何なんだいきなり……だが、助かった。このまま、ニック達が来るまで持ちこたえれば……」


 ポーリャの拘束を逃れたコンラッドは、降り注ぐ火の玉から逃れるように距離を置いた。すると、人型の炎は彼の前に降りてきたのだ。音もなく、最初からその場に立っていたかのように。


「第二王子ニックを知っているのか」

「あ、あぁ。今はオレ達ハーム、ニバラク連合軍を率いてる。もうじき戻ってくるとは思うんだが……あんたは何者だ?」

「……後で話す。まずは敵を排除する」


 人型の炎は、その明るさを宿した紅蓮の甲冑に姿を変えた。そして、態勢を立て直したポーリャに向き直った。先程までの余裕はなく、炸裂火の直撃を受けたと思われる鎧は剥がれ落ち、体毛も所々が焼け焦げていた。


「一騎打ちに術式で割って入るとは、いい度胸してるじゃないか」


 怒気に満ちた声ではあったが、体力気力と共に大きく落ちており、威勢は無かった。それでも、鉄鎚を構えるほどの戦意はある。死力を尽くすとばかりに詰め寄り、鉄鎚を振り回す。紅蓮の甲冑はその全てを紙一重で、あたかも風に乗る羽毛のように避け切ると、胸元が開いた隙を突いて手刀を叩き込んだ。それも、赤熱した篭手による灼熱の突きである。


「母さん!」

「おふくろ!」


 ゲオルギーとミハイルの絶叫も、兜の隙間から覗く眼光に黙らされる。威圧感を通り越した恐怖が、二人の足を止めた。そしてちょうど、ニック隊が混乱の坩堝と化した陣中を駆け抜けてきた。


「ニック、無事か」

「あぁ、なんとかな。早いところ脱出しよう」


 ニックは見慣れぬ甲冑に一瞥を寄越すと、脱出が先だと同行を促した。

 ハーム軍の夜襲によるキトリヤ軍の損害は、想像を絶するものだったという。

大陸暦六一五年、天秤の月中旬ー

弟に続き、母が死んだ。悲しみと、これからの重責に目が眩みそうだった。せめてもの慰めは、形がどうであろうと、二人が激戦の末の戦死であった事だ。

   ゲオルギー・キヤスキーの回顧録『天秤の月二十三日』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ