第四十四話『危険な賭け』
大陸暦六一五年、天秤の月中旬-
湖畔の街ナーウィンを攻め立てていたキトリヤ軍に、思わぬ伏兵が襲い掛かった。戦の準備に狩りを例年より推し進めた狩猟ギルドにより、冬籠もりの食料不足に陥った肉食竜が、群れを成していたのだ。計算されていたわけではないが、全くの無計画というわけでもなかった。
「落ち着け!相手はただの肉食竜だ!数もこちらの方が多い!」
大跳び蜥蜴の異名を持つ肉食竜は、通常十頭ほどの群れを成すが、この大群は五十頭にも達していた。ブブシャシャは北門に向けていた兵の一部を反転させ、七〇の歩兵と三〇の弓兵を肉食竜の群れに向けた。オークの体躯ならば、三人いれば二頭までなら相手に出来る。しかし、肉食竜の群れは、横一列に槍を突き出したオーク勢を避け、傭兵隊の方へ向かっていった。
「くそっ、来やがれトカゲ野郎!アレクセイの仇だ!」
ミハイルは大振りの短剣二振りでもって肉食竜を迎え撃った。統率が取れているオーク勢とは異なり、複数の異なる部隊が集まったに過ぎない傭兵は浮き足立っていた。バラバラに突き出された槍の穂先など、森の木々を掻い潜る程度のものでしかなく、正規兵と比べて質の劣る防具しか身に付けていなかった傭兵は、次々と爪で肉を裂かれ、牙で骨を砕かれた。
「このっ、あんた達なんかに!」
ポーリャの振り下ろした鉄鎚が、肉食竜の頭を叩き割る。グェッという小さな呻き声と共に倒れたきり、動かなくなる。ミハイルの短剣は喉元や首筋に叩き込まれ、ゲオルギーの戦斧は硬い鱗も構わずに真っ向から断ち斬った。それでも、キヤスキー家を除く傭兵達は肉食竜に押し込まれ、数の有利も活かせずに隊列を崩した。そして、落伍者にはナーウィン防壁からの矢が飛んでくる。
「ナーウィンへの攻撃を一時中止、肉食竜への対処にあたれ!傭兵隊を立て直せ!」
ブブシャシャの判断力と指揮統率能力は、オークの中でも卓越していた。その事をオークも知っている、あるいは感じているため、この指揮官に逆らうような事はしない。一〇〇名の別動隊は陣形を維持しながら傭兵隊に迫る肉食竜の後ろから攻撃を開始した。
「あのオークの指揮官、奴を倒せれば敵の統率を崩せるのか」
「しかし、大跳び蜥蜴の群れも減ってきたんだ。あとは……」
防壁の弓兵達が状況を見ながら話していたが、彼らもまた大きな気配を感じていた。木々のざわめきは先程とは比べ物にならない。地響きに似た振動が、再び辺り一帯を揺るがす。
「来た、森の主だ!」
防壁から喚声が上がった。ざわめく木々が悲鳴を上げ、巨大な影に道を作る。
森の主と呼ばれた存在は、巨大な亀であった。正しくは巨人陸亀といい、小高い丘のごとく盛り上がった甲羅は、長い年月を経て岩壁のように硬く、巨体を支える四肢は巨木のように太くたくましい。雑食性のこの亀が森の主と呼ばれているのは、甲羅に生えた苔や茸が森の生命の循環に寄与しているだけではない。異名に似合わず凶暴な性格で、外敵を全力で排除するためだ。
「なんだあの亀は……槍兵隊、脚を狙え!」
ブブシャシャはすぐに攻撃隊を反転させ、新たに一〇〇の槍兵を森の主に向けた。迫るオークを一瞥した森の主は、全身を震わせると、口を大きく開いて青白いガスを吐き出した。これは森の主の体内、二つの胃で食物を消化する際に発生した、腐食性のガスを口から吐き出す生理現象である。甘ったるい臭いと共に、ガスを正面から浴びた十数名のオークが昏倒、そのまま踏み潰された。
「森の主を援護しろ!矢を使いきっても構わん!」
防壁の弓兵が一斉に矢を射掛ける。オーク勢は傭兵隊の援護、森の主の迎撃に兵を割かれ、そしてそのどちらもが上手くいっていなかった。さらに、肉食竜の群れと森の主によって勢い付いたナーウィンの守備兵から矢が射掛けられる。北門側の軍は統率を失い、瓦解していた。
「何事だ!」
「北門側の傭兵隊とオーク勢が、森の肉食竜に襲われた模様!守備兵の抵抗も激しさを増しています!」
報告を受けたライネルは、ひとしきり唸った後、引き揚げを命じた。東門側も逆茂木を焼き払い、堀を乗り越える準備を整え、防壁も門扉も投石で穴だらけにまでしたが、決定打を打ち込めなかった。
「奴らの砦もあれほど叩いたのだ。今落ちずとも、いずれ落ちよう。それよりも、一度引いて態勢を立て直す。引き揚げだ!」
怒濤の如く押し寄せていたキトリヤ軍が引き揚げて行く。ナーウィンの守備兵達は勝利の歓声を上げ、急いで防壁の修復と負傷者の治療、状況把握に動き出した。
「ご立派な指揮と戦いぶり、お疲れ様でした」
歓喜に湧く周囲とは裏腹に、撤退してゆくキトリヤ軍を見つめたままのマーティーに、上ってきた妻が声を掛けた。返事もなく、沈みゆく夕陽に背を向ける夫を背後から抱いた彼女の頬を、一筋の涙が伝っていた。
同時刻、ナーウィンから東に半日、ニック達の陣地にて―
「キトリヤ軍はナーウィンを落とせず撤退、自軍の陣地に引き返したようです。損害も大きく、今宵から明日に掛けて再編成、明後日に再び攻撃を仕掛けると思われます」
「分かった。して、陣の配置はこれで間違っていないな?」
「はい。補給を受けやすくするため、兵糧や物資の倉庫を東側に、ニバラク捕虜兵の収容所を西側に置いています」
「分かった、ご苦労」
シャーリーンからキトリヤ軍の情報を受けたニックは、着々と準備を進めていた。日は既に落ち、柔らかい木漏れ日が差し込む森は、不気味なまでの夜の闇が支配する魔境と化している。
「やるのか、ニック」
「あぁ。敵は今日の戦いで大きく消耗したはずだ。しかし、このままだと次かその次の攻撃でナーウィンは落ちる。仕掛けるなら今しかない」
コンラッドの問いに、ニックは決意を新たにして答えた。
「皆聞け、これより我が隊はキトリヤ軍陣地に夜襲を掛ける。第一の狙いは東側の兵糧と物資の倉庫、次に南側の兵の幕舎、出来れば、西側の捕虜兵も解放する。解放した兵はナーウィンに向かってもらう。彼らを受け入れるよう、シャーリーンに話を付けてもらう手筈だ」
ニックは説明を終えると、四〇〇の兵と共に陣を出た。
口を聞かず、出来る限りの沈黙を通すように命じ、暗闇での同士射ちを避けるため、兜飾りに長い羽根を括りつける。忍び足で歩くこと数刻、キトリヤ軍陣地の松明が確認出来た。
「松明は少なくないが、見張りは少ない。東から敵は来ないと思い込んでるな……」
ニックは右手を軽く上げた。腕自慢の弓兵が黒塗りの矢を装填した弩で見張りを狙う。松明の火が爆ぜる音が、弦の鳴る音をかき消し、気取られること無く見張りを始末するのに一役買った。
「よし、コンラッド、頼んだぞ」
「出来るだけやってみるさ。いくぞ」
コンラッド率いる二〇〇は東側の入り口から突入し、倉庫に火をつけた。兵糧まで燃やすのは少し気が引けたが、ためらっていられるほどの余裕はない。炸裂火の術式と同様の効力を持つ手投げ球の紐を引いて倉庫に投げ込み、次から次へと爆炎に包み込む。
「なんだ今の音は!」
「大変だ、倉庫が燃えている!」
火の手を察したキトリヤ兵が駆けつけるも、コンラッド隊の弓兵と魔法兵はニックから精鋭を回してもらっている。倉庫を燃やす炎ほどの明かりでも、充分に敵を狙う事が出来た。彼に与えられた役目は倉庫への火付けと退路の確保、そして、ニック達が行動を開始するまで敵の注意を引く事だった。
ニックがこの危険な賭けにコンラッドを伴ったのは、ひとえに彼への信頼からであった。
巨人陸亀
小高い丘と見まごう巨体で森をのし歩く巨大な亀。通称『森の主』。
クチバシ状に発達した口先と、臼状に発達した奥歯を有し、強靭な顎で獲物を捕食する雑食性。
凶暴な性格で、一しきり暴れて獲物を喰い散らかした後には、多くの分解者がそのお零れに預かる。
巨体を維持するために餌を効率よく消化吸収するため、二つの胃に腐食性の微生物を住まわせており、それらが排出する化合物も栄養として吸収する。
胃の中で発生した腐食性のガスは口から排出され、速攻性の麻酔に近い効果を持つ。
この麻酔成分を抽出し、医薬品を精製する者も少なからず存在する。
凶暴ではあるが知能も高く、基本的に狩猟者の生活圏には近寄らない。しかし、山林火災などで食糧不足に陥ると、人里に降りてくる事がある。
その際には五十人規模の迎撃部隊が編成され、ナーウィンの街はさながら戦場の様相を呈する。
ニバラク侯爵領資料『狩人の森の生物Ⅲ』




